第六話 エルフ
覗き窓から眺める草原が、夕日に照らされ黄金色に輝いている。
そびえ立つ巨大な四本の石柱に囲まれるように、その木造の小屋は建てられていた。
それぞれの石柱には魔除けの呪文が刻まれており、後を付けられでもしなければモンスターすら寄り付かない。
古の魔法使いが残したその遺跡を発見した現代の冒険者達は、この一帯を探索する際の拠点の一つとしてそれを共同利用することにした。
その為、冒険者達によって建造されたこの小屋の内部には、探索の助けとなるような設備がそれなりに整っている。
中でも目を引くのは、小屋の中央に三つ設置された大きめのチェストだろう。
華美ではないが品の良い装飾が施されており、美術品としてもかなりの価値があることを伺わせる。
古代から存在するダンジョンにて発見されたものを持ち込み使っているのだが、一度アイテムを収納すると、それを取り出すまではそれを収納した人物、或いはその許可を得たものにしか、開くことはおろか、移動することすら出来なくなる。
このような特性を活かし、冒険者が探索を終えた際には、適当なアイテムを入れたまま小屋を離れ、チェストを次の利用者へとを引き継いで行く。
その原理は未だに解明されていない。
大昔には不思議なものがいろいろと作られていたようだ、とエメルは言うが、少年はそのチェストに見覚えがありすぎた。
ゲーム時代、ギルドハウスやプレイヤーハウスに設置されているのを、度々目にしていたからだ。
「俺のじゃ少々でか過ぎるかもとも思ってたんだが、きつく締めればなんとか大丈夫そうだな」
予備として持って来ていたレザーアーマーとレザーブーツをチェストに預けていた大きな背負い袋から取り出し、それらを少年に装備させると、エメルは満足そうに呟いた。
少年の腰には、ショートソードも提げられている。
これは先ほどのゴブリンリーダーがドロップしたものだ。
エメルが愛用しているショートソードは、彼が過去の探索に置いて発見した宝物の一つであり、打撃力や切断力、貫通力の上昇とともに、状態永続化の魔法がかけられていることから、戦闘で破壊されることが無い。
その為、移動の際の重量削減も兼ね、腰に差した一本のナイフ以外、武器と言えるような予備装備を、彼は今回の探索に持って来てはいなかった。
もっとも、そのようなエメルの剣ですら、ゲーム時代においてはフィールドで発見しても回収して売却しようとすら思わない程度のアイテムであったため、価値観の修正が大変そうだと少年は密かに考える。
「俺の荷物がいきなり減ってたんじゃあリリィの奴が怪しむだろうから、適当にその辺のものでもつめておくか」
エメルはそう言うと、小屋内に無数に散らばっている藁を丸めて縛り、背負い袋へと詰め込み始めた。
リリィとは、エメルが今回連れ立ってこの拠点へとやってきたエルフの少女で、A級冒険者の魔法使いらしい。
コドウオリア王国において史上最年少でA級へと昇格した彼女にとって、今回がA級冒険者としての初探索となっている。
エルフはその種族特性として、マナ値の最大量や知性が高く、魔法を行使する能力に長けている。
それだけでも十分優れた魔法使いになる道が用意されているとも言えるが、彼女はその中に置いても特に秀でている。
彼女自身によれば、まだ幼かった己が身を拾い育て上げてくれた魔法使いの師に、たくさんのことを学んだからだという。
陶酔したように師の偉大さを語る彼女ではあるが、その師が具体的に誰であるのかまでは、それなりに付き合いの長いエメルにすら教えてはくれない。
「リリィと言えば、あいつが戻るまでにお前の偽名を考えておいた方が良いな」
エメルがそう提案する。
少年の本名は、この世界にありそうなものでは無いので、これから先、人と会うたびに何らかの説明を求められる可能性を考えれば、確かにその方が良いだろう。
「んーと……じゃあ、アインでお願いします」
僅かの間だけ考えを巡らせ、少年はそう答えた。
それは、少年がゲーム内で自身のキャラクターに付けていた名前だ。
「ふむ。それもそれなりに珍しい名前だが、無くもないか」
ほんの少し思案する素振りを見せつつ、エメルはうなずいた。
「よし、アイン。これからのことだが、お前はどう行動するつもりだ? やはり、元いた世界へ帰る方法を探すのか?」
続けてエメルがそう問いかける。
「はい。もちろんそのつもりです。会いたい人も、やり残していることも、たくさんありますからね」
対して少年、アインはきっぱりと答えた。
浮かぶのは家族のこと。
友人のこと。
辛いこともあるが、それでも充実した地球での日々のこと。
もちろん、アルケランダに思い入れはあるが、それはあくまでもゲームとしてのアルケランダだ。
「なら、まずはお前も冒険者として登録する方が良いな。俺も今回遭遇したゴブリンリーダーどもの報告をせにゃならん。俺たちと一緒にコドウオリア王国のギルド支部へと向かわないか」
異世界への帰還方法。
到底簡単に見つかるとは思えないが、だからこそ、冒険者としての情報網が貴重となる。
そう説明を加えたエメルに対し、アインは頭を下げる。
「ぜひ、よろしくお願いします」
日は完全に沈み、草原にも夜の帳が降りた。
そのような中、歩みを進める人影が一つ。
闇に染まったこの危険地帯を出歩くことは無謀とも思えるが、夜目がきく彼女にとっては問題とならない。
これも彼女の種族特性の一つであり、ゲーム内ではキャラクター作成の時点から、パッシブスキル「暗視」を取得していることにより表現されている。
当初予想していた以上に採れた薬草を詰め込んだ雑囊を肩から掛け、ほくほくとした気持ちで拠点たる小屋へと戻って来た彼女は、光が漏れ出ぬよう出入り口に被せられた分厚い布を潜り抜け、その中へと足を踏み入れる。
「ただいまー」
澄んだ耳触りの良い声とともに小屋内へと入って来た少女に、アインは思わず見蕩れてしまった。
エメルが所持していた魔法のカンテラに灯る魔力光のおかげで、小屋内はそれなりの明るさを保っている。
首の付け根程度で切りそろえられた透き通るような金色の髪が、その光に照らされて輝いて見える。
その質感は、近づけば思わず指を梳き入れたくなるほどさらさらと流れるようで、癖の一つすら見当たらない。
その隙間から僅かに覗く、先の尖った葉のような輪郭を描く耳が、彼女がエルフであることを教えてくれる。
少し驚いたようにアインをその視線の先に捉えた翠の瞳は、微塵の濁りもなく宝石のようだ。
くすみなく白い肌には、しかし病的なものは無く、むしろ健康的な瑞々しさを感じる。
元来、種として美しい容姿をとるものが多いエルフではあるが、どこか幼さを残した彼女の顔には、むしろ可愛らしいという形容の方が相応しいだろう。
長命種であるエルフは、その見た目と実年齢が一致していないことが多い。
だがエメルに聞いた限りでは、彼女は実際にアインより少し年下のはずだ。
軽量性を重視しているのであろう草色のスケイルアーマーは、胸当のような形状をしている。
その上から羽織った白のマントと、右手に持った白の杖が、彼女が魔法使いであることを主張している。
しばし惚けていたアインに対して、エルフの少女は慌てて頭を下げる。
「あっ、す、すみません!他の冒険者の方がいらっしゃったとは知らず」
それに対し、アインも慌てて頭を下げ返す。
「あっ、い、いや、こちらこそ!すいません!」
それをまるで面白いものでも見るかのように横目で眺めているエメルに気付いた少女は、乾いた紫の液体をあちこちに付着させたままの、その姿を見て目を丸くした。
「エメルさん、どうしたんですかその格好!」
淡い白色の魔力光がエメルを包み、付着した汚れを取り除いていく。
エルフの少女、リリィが用いた魔法スキル、「浄化」の効果だ。
浄化は麻痺、毒、呪いなどの状態異常を、マナ値をコストとして取り除く為のスキルであったが、ゲーム内では返り血による汚れなどの表現は無かったため、アインは新鮮な驚きを感じていた。
現実世界だと、他のスキルもいろいろと応用が効くかもしれないな。
そう考えたアインは、ほとんどが戦闘用の物理スキルで占められた、自身のスキル構成を思い出し、少しだけ肩を落とした。
「七体ものしもべを引き連れた、レベル十七のゴブリンリーダーですか……。確かに見過ごせない事態ですね」
リリィが真剣な眼差しで言葉を口にする。
既にお互いの自己紹介は終えており、ギルド支部へと急ぎ今日の報告を上げるという方向で話は纏まった。
明日の早朝にはここを発つ。
ちなみに、アインについては、A級の冒険者に匹敵する凄腕の剣士であり、この度正式に冒険者となるため田舎から出て来たところを、危機に瀕していたエメルに偶然出会い助太刀した、ということになっていた。
少々苦しい気もするが、どこかとぼけたところのあるリリィは上手く納得してくれたようだ。
「アインさん。この度はエメルさんを助けてくださり本当にありがとうございました。改めて私からもお礼を言わせてください」
リリィはそう言って深く頭を下げる。
それに倣うように、エメルも気を引き締めアインへと向き直り頭を下げた。
「俺からももう一度感謝を伝えさせてくれ。今回は本当に助かった」
それに対してアインは、リリィに隠し事をしている後ろめたさもあり、エメルに助けられているのはむしろこちらだという思いもあり、照れながら少し困ったように、気にしないで下さい、と返す。
「それにしてもアインさん、本当に凄いですよね。ギルドの支援もなくA級冒険者並に腕を磨いたなんて」
アインの表情から何かを汲み取ってくれたのだろう。
リリィが話を切り替えるように言葉を発する。
だがアインにとっては、これもこれで乗り難い話題だ。
「リリィさんの方こそ凄いと聞きましたよ。確か王国史上最年少のA級冒険者でしょう?僕に出来るのはほんと戦闘だけですから」
慌てて誤摩化すが、これも完全な嘘では無い。
先も述べたようにアインのスキルの大半は、近接戦闘用のもので埋め尽くされている。
「私の場合は、なんてったってお師匠様のおかげですよ」
謙遜するように、しかし自らの師を誇るように、リリィは答える。
「そのお師匠様のこと、いい加減俺にくらい教えてくれよ。長い付き合いなんだし良いだろ?」
意地の悪そうな笑みを浮かべつつ、エメルが話に加わる。
どうやら、話を逸らそうとするアインを支援してくれているようだ。
「えぇーっ、それはほんと勘弁してくださいよー」
はぐらかすように笑いながら、彼女は思い浮かべる。
このアルケランダに生きていれば、その名を知らぬものはないであろう。
愛すべき育ての親にして、崇拝せし偉大なる師。
白銀の魔女の姿を。
やっと主人公に名前が付きました