第四話 分析
エメルは、眼前で起こった現象を飲み込めないでいた。
状況を素直に受け止めるなら、ゴブリンリーダーの躯の向こう側に佇む少年が、これを行ったと言うことになるのだろうか。
その、今も突き出されたままの拳だけを用いて。
少年の存在に気付かなかったのは、少年がちょうど対峙していたゴブリンリーダーの背後からやって来たこともあるかもしれないが、なにより、戦闘にあまりにも集中しすぎていたせいだろう。
普段なら例え戦闘中であろうと、周囲への警戒を怠るなど考えられなかったが、さすがに今回ばかりはそんな余裕を持ててはいなかった。
そこまで考えてエメルはハッとする。
冒険者が未知の存在に出くわした時に行うべきことを、自分が何一つ実行していないことに気付いたからだ。
どれほどの異常事態だといっても、いや、これほどの異常事態だからこそ、努めて冷静に対処しなければならなかったはずだ。
A級冒険者が聞いて呆れる。
すぐさま警戒心を先ほどまでの戦闘状態時同様最大限に引き上げる。
同時に、相手の分析を開始する。
例え相手が少年の姿をとっていたとしても、それが本当に人間であるとは限らない。
今までに目にしたことのない不思議な意匠の服装も気になるが、今重要なのは、この存在が自分にとって脅威になるのかということだ。
先の戦闘でかなり減らしてしまってはいたが、それでもこのスキルを使う程度ならばまだ問題は無い。
そう判断し、エメルは自身が持つ中でこの状況において最も信頼できるアクティブスキル、「対象探査」を放った。
対象探査は、一定のスタミナをコストとし、意識を集中して選択した対象一体の詳細な情報を得ることができるスキルだ。
どの程度の情報が得られるかは、対象探査に割り振られたスキルポイントの総量と、使用者と対象のレベル差などに依存する。
結果。
情報は何一つとして得られなかった。
レベルが十六にも達しているエメルと、少年にそこまでのレベル差があるとは考えにくい。
従って、対象探査で情報が得られないと言うことは、少年が隠密系スキルのエキスパートであることを意味している可能性が高い。
それでも慎重には慎重を期して、五ポイントものスキルポイントを割り振っているエメルの対象探査で、何一つの情報も得られないというのは信じがたいことではあるが。
常識に照らし合わせれば、以上の推論が正しいと思える。
だが、エメルの理性が疑問を投げかけてくる。
初めにありえないと排除した考え。
つまり、レベル差による対象探査の失敗の方が、現状により則しているのではないかと。
この疑念は、ゴブリンリーダーが倒された際に、一切のスキルの発動の気配を感じなかったことに起因する。
いくらエメルが既にある程度のライフを削っていたとは言え、一撃でその残量分ものダメージを与えるほどのスキルが、あの距離で発動して気付かないわけがない。
あの破壊は、強大な基礎能力に任せた、単純な通常攻撃でもたらされたのではないか。
突如沸き上がって来た、あり得るはずの無い考えを押さえつけようとした、まさにその時。
少年が膝を折り崩れ落ちた。
少年は、俯瞰視点から状況の観察を続ける。
視界の中央には、攻撃動作の終了体勢のまま棒立ちする自身の身体。
にもかかわらず、それはまるで自分がアルケランダで使用していたプレイヤーキャラクターのようにも思える。
その前にはゴブリンリーダーの死骸。
背後から近づき拳による通常攻撃を当てることで、想定通り一撃のもと葬ることが出来た。
装備していたレザーアーマーは、少年の攻撃力がその耐久値を当然のように上回ったため、破壊されている。
しかし、残ったショートソードの方は回収する方が良いだろう。
何の魔法属性も特殊効果も付与されていないバニラ武器の中でも、最底辺に位置するものだが、少年が所持する攻撃スキルのほとんどは、剣を装備していなければ発動できないものばかりだからだ。
ゴブリンリーダーの死骸を挟んだ先には赤髪の剣士。
その剣士が戦闘中何度かつぶやいていた言葉は、どれも少年の知らない言語によるものだったが、なぜかその意味は正確に理解できていた。
自身がそれを話すことすらできるような気がする。
剣士はしばらく惚けたように立っていたが、突然身構えるとスキルを発動した。
少年に対して対象探査を行ったようだ。
これだけのレベル差があれば、対象探査は当然何の効果も発揮しない。
アルケランダのシステム上では、対象の情報を調べるだけでは敵対行為と見なされない。
それが現在も引き継がれているのだろうか。
広域感知によって感じられる剣士を指す点は依然として青いままだ。
その後も剣士が攻撃をしかけようとする気配は無く、もはやこの場に敵対するものは存在しないようだと、少年は戦闘状況の終了を判断する。
失われていた世界の現実感が、 肉眼による視界とともに戻り始める。
目の前に広がる凄惨な光景。
だが、戦闘前に感じていたような恐怖は、もはやそこになかった。
自身を取り巻く状況を客観視するたびに、その異常性に対する認識を失って行くようだ。
そのことに気付いたとき、自身の心すらもが消えて行くような、底知れない喪失と絶望と恐怖の感情を抱き。
少年は膝を折り崩れ落ちた。




