第三話 戦闘
この世界において、人と呼ばれる種族の生活圏は広くない。
人と言う脆弱な種族では到底太刀打ちできないような、強大な力を持つモンスターたちの縄張りが各所に点在するからだ。
人々は自身らの数少ない武器の一つである知恵を駆使し、防衛に優れた土地を見いだすなり、強固な防壁を建造するなりしつつ、数多の脅威の合間を縫うように、その居住地たる都市を構築している。
そういった、言わば人属の拠点とも言える都市に、金銭的理由や道徳的要因などから住めないもの、あるいは、古くからの伝統を守ることや、多くの他者と関わらないことを優先し、あえて住まわないもの達もいる。
そういったもの達は、小規模な集落を形成し、常に命の危険にさらされながらも、寄り添い合いながら隠れるように日々の生活を営んでいる。
それが、この世界における人という種のあり方だ。
だが、いつの時代も。
誰も見たことが無い世界。
そこに眠る太古の秘宝。
畏敬すら覚える強靭な生物。
そういった、未知と神秘に魅せられ焦がれる者たちがいた。
彼らは、自らの肉体を極限まで鍛え上げ、二度と戻れぬかも知れない危険すらかえりみず、未踏の地へと挑み続けた。
ただ、己の憧憬が赴くままに。
人々はそんな彼らを、冒険者と呼んだ。
冒険者として生きるにあたり、最も重要なものの一つが情報だ。
これから自分が赴く場所。
出会うであろうモンスター。
それらの情報を一つでも多く得ることは、自身の生存率を少しでも上昇させる為に欠かせない。
やがて冒険者達の互助組合が構成されたのは、必然の流れとも言える。
数多の秘宝や素材が眠るこの大地を探索する冒険者の中には、莫大な資産を得るものがいる。
また、自身は引退しながらも、さらなる夢を次代に託すものも多い。
そういった者達の支援があったことも大きいだろう。
その力が、都市間での伝書や隊商の護衛として重宝されたこともあるだろう。
いつしか冒険者ギルドは、人族における一大勢力となっていた。
彼、剣士エメルは、そんな冒険者ギルドのコドウオリア王国支部を中心に活動している冒険者の一人だ。
逆立てた燃えるような赤の短髪と、鍛え抜かれた肉体を覆う褐色の肌の組合せは王国でも珍しく、非常に良く目立つ。
冒険の日々を夢見て、年端もいかないころから振り続けたその剣の腕は、王国近辺の冒険者仲間の中には並び立つ者がいない程だ。
王国全土でも十人に満たないA級冒険者である彼は、この度同じA級へと昇級した冒険者仲間であるエルフの少女を引き連れ、このトラク大草原を訪れていた。
冒険者の階級には、下はE級から上はA級までの五段階、そしてそれを上回るS級が設けられている。
この階級は、同じく冒険者ギルドの設定した探索地域の難易度と対応している。
駆け出しであるE級に探索依頼は許されておらず、ギルドが選定した達成容易な依頼のみこなすことが出来る。
D級では完全にギルドの管理下におかれたダンジョンのみ探索可能であり、C級では必要最低レベル五の未踏地域を探索することが出来る。
B級ではレベル十、A級ならレベル十五を要する未踏地域の探索依頼を受けることができ、S級に至っては必要最低レベル二十五以上の地域を、自己の責任のもと自由に探索できる。
もっとも、最低でも二十五などという異常なレベルを最低条件とするギルド所属のS級冒険者は、コドウオリア王国に限らず大陸全土を合わせたところで三人しか存在せず、その者達はまさに人の限界を超えた化け物揃いだ。
エメル達が訪れたこのトラク大草原は、いわゆるA級未踏地域に分類されているが、非常に大きな間隔を空けて点在する洞窟にでも入らなければ、モンスターとの遭遇率はかなり低い。
もし遭遇したところで、この地域のモンスターはほぼ単体で行動しているので、A級冒険者ともなればパーティを組むまでもなく、個別に行動しても大した心配は無い。
そのはずだった。
「ぜっ…… 、ぜっ……」
乱れた呼吸を強引に整えながら、エメルは眼前のゴブリンリーダーを睨みつける。
全身の節々が悲鳴を上げ、口の中には血の嫌な味が広がる。
相手はこちらを見下すように佇みながら、口を歪めて邪悪な笑みを浮かべる。
ここまでにエメルも相当量のダメージを与えているはずだが、それでも自身の勝利を確信しているのだろう。
直接剣を打ち合うことで分かった相手のレベルは十七。
今までこの地域で確認されているゴブリンリーダーの最大レベルは十五。
十六レベルの自分を上回る個体に遭遇したのは驚きだが、それだけなら戦闘技術の差でエメルが勝利を収めていただろう。
だが、ゴブリンリーダーが引き連れていた七体ものゴブリンに、彼はそのライフを奪われすぎていた。
各々のゴブリン単体ならばそこまでの強さではなく、現に既に全滅させていたが、ゴブリンリーダーが通常引き連れている配下のゴブリンは多くとも三体程度なのだ。
それら八体ものモンスターが全方位から攻めてくるなど、この大草原では本来ありえることではなく、一体の相手をしている間にたちまち他の接近をも許してしまった。
常識通りの数なら、たとえ囲まれたところで隙を縫って突破することもできたはずだ。
また、探索一日目の昨日と同様に、仲間のエルフの少女と共に行動していれば、切り抜けることができたはずだ。
だが、この地域を訪れるのが初めての彼女が、一人でも問題無く戦えることは昨日の時点で確認し終えていたので、今日彼女はこの地域固有種の薬草を捜索するという本来の目的のために行動している。
一方の自分はその間、戦闘での経験値を得るため、モンスターを捜して別行動に移っていた。
「広域感知さえあれば、もうちょっと早く気付けたんだがな」
すべてが最悪の方向に動いているとしか思えず、エメルは苦笑を漏らす。
常に危険の中に生きる冒険者達にとって、それら危険を少しでも早く察知できる広域感知は、喉から手が出る程欲するパッシブスキルの一つ。
その最低取得レベルは十七。
このスキルの取得の為のレベル上げが、今回の大草原滞在期間中の目的の一つでもあった。
A級冒険者になってからも数多の冒険を繰り返し、レベル上昇まで後ほんの少しまで迫っていたこともあり、モンスターとの遭遇率が低いこの草原で、その分安全に、手堅く残りの経験値を必要分稼ぐことが出来るだろうと、彼女の道案内を買って出たのだ。
そんな中での今回の事態だ。
何かの皮肉としか思えない。
緊急時の使用を目的として、腰にはライフ回復の為のポーションを差しているが、それを飲む隙など今はない。
エメルは愛剣であるショートソードを、正中線に構え直す。
「まあ、普通に考えれば俺がここで死ぬことは間違いないんだろうがな。簡単に諦めてはやらないぜ」
それを聞いたゴブリンリーダーは、人間の言語を理解している訳では無いにも関わらず、まるで生きのいい餌をいたぶり殺すことが楽しくて仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべる。
そしてエメルと同じくショートソードを、しかし構えなど無く、力で叩き潰さんとばかりに振り上げる。
パンッ
何かが弾けるような乾いた音とともに、エメルの視界が遮られた。
激しく噴出した液体を全身に浴びたようだ。
何が起こったのかは分からないが、戦闘中に致命的な事態だ。
慌てて剣を握ったまま顔を振り、視界を取り戻す。
見れば、装備していたレザーアーマーごと、腹部に大穴を空けたゴブリンリーダー。
そこからその紫色の体液が、対峙していたエメルの方向へと扇状に広がっている。
全身の筋肉が一度に緩んだように、グシャリとゴブリンリーダーが倒れ臥した。
その向こうに。
無感動な瞳でこちらを見つめる一人の少年が、その右手を前方へと突き出したまま佇んでいた。




