第零話 あるゲームの終わりとある世界の始まり
見上げれば青。
凝視を続ければその奥底へと吸い込まれる、そんな恐怖すら抱かせる深い空。
見下ろせば緑。
規則正しく静かに波うつその様が、凪いだ大海を思わせる草原。
それらの境界が、視界を上下に分断する一筋の線となり、まるでこの世界の広大さを見せつけてくるかのようだ。
「ど、どゆこと?」
少年は、今まさに困惑の中にいた。
なぜこのような場所で自分は一人棒立ちしているのか。
まるで事態が飲み込めず、少年は思わず間の抜けた呟きを漏らした。
アルケランダ。
その自由度の高さと爽快な戦闘感覚によって一定の人気を得た、典型的なクォータービューのMMORPGだ。
そのタイトルは、ゲームの舞台となる大陸の名称でもあり、そこで使われているという設定の言語で「神秘の大地」を意味するらしい。
プレイヤーは、人、エルフ、ドワーフをはじめ、数々の種族から自身の用いるキャラクターを作り上げ、遭遇率の高いものならゴブリンやトロル、珍しいものではドラゴンなどを代表とした多彩なモンスターが闊歩する、オーソドックスな中世風ファンタジー世界を自由に冒険する。
奇抜な設定は無かったが、洗練されたゲームシステムも伴って、安心してプレイできることがその評価に繋がっていた。
少年はこのゲームにおいて、ベータテスト時代からの古参であった。
もとはと言えば、年の離れた兄に強要されて共に始めたのだが、移り気な兄が一月も経たないうちに飽きてしまった一方で、少年は今日までの六年間、ほぼ毎日ゲームへとログインし続けていた。
なぜここまで嵌ってしまったのかを説明するのは難しい。
練り込まれた世界設定や操作性。
絶妙なゲームバランスの上に成り立った、適度な緊張と高揚をもたらす、数々のモンスターとの戦闘。
ほんのりと暖かい気持ちにさせてくれるようなものから、激しく胸を打つほど重厚なものまで、数多取り揃えられたクエスト群。
莫大な時間を費やして育て上げた、お気に入りのサポートNPC達。
そして、ゲームを通して巡り会えた、かけがえのない親友達。
このゲームがもたらす体験は、そのすべてをもって少年を惹きつけ続けた。
高校最終年の今に至り、アルケランダで過ごす時間は、すでに少年にとって欠かせないものとなっていた。
ある日、そんなアルケランダのサービス終了と、旧作の実に三千年後を舞台とする続編、アルケランダIIの開始が告げられた。
このことは、アルケランダ関係のコミュニティに大きな物議を醸し出した。
長期運営の弊害によるクエストの不足。
限界レベル到達者の増加。
効率的なプレイングのために起こる、キャラクタービルドの均一化。
ゲーム内に一つしか存在しないようなユニークアイテムや、レベル上限増加等を報酬とする特別イベントなど、運営側が様々な手を講じてみたとて、マンネリズムを感じ始めているプレイヤーが存在するのも事実だ。
そういったしがらみの数々を、リセットしてしまいたかったのではないか。
様々な憶測は飛び交ったが、それにしても未だ十分に利益を生み出し続けているはずの旧作を、続編開始と同時に終了するリスクをとる制作会社の意図は分からない。
依然として制作会社側から詳しい経緯の説明は無かったが、それでも新作への移行の日はやってきた。
今でも軽い議論が起こることはあるが、アルケランダプレイヤーの多くは、この素晴らしいゲームを作り上げた開発陣を信頼し、サービス移行時間を今か今かと待ち侘びていた。
少年もそんなプレイヤーたちのうちの一人であった。
この日の為に新調したパーソナルコンピュータへとゲームのインストールを完了し、少しの不安と大いなる期待を胸に起動ボタンを押した、まさにその瞬間。
彼は草原に佇んでいた。