第一話『医者少女』
木々の間には涼しげな風が吹き、葉っぱの隙間から暖かな日差しが降り注いでいる。そこは名もなき大きな森の中だった。
森の中は自然豊かそうな想像を裏切らず、植物達や動物達、そして虫たちの天下だった。植物達は静かな風に揺れ、動物達は木々の間を走り回り、虫達は恋人を探して鳴く。
人間達が入ってくることもあるが、自然の力に圧倒されて、森は人間達に支配されることは無い。少量の動物を狩り、少量の植物を取って去って行くだけ。
そんな森の中を、一人の少女が歩いていた。鼻歌を歌い、少しステップをしながら森の中を進む。片手には大きなかばんを持っているが、重さが無いかのように、たまに振り回して見せる。
少女はなぜ森の中に居るのか? 鞄は何に使うのか? 普通に考えれば、山菜でも取りに来たのだろうと考えるだろう。しかし、それにしては森の奥まで入り込んでいるし、鞄の中にはすでに別の物がたくさん詰め込まれている。鞄を振りまわすと、ガチャガチャと物がこすれる音が響いた。
少女は山菜を取りに来ているのではない。少女は患者を探して森の中を彷徨っているのだ。少女は森の医者だった。
「おはよう、小鳥さん」
少女が顔見知りの鳥を見つけて挨拶をする。すると小鳥は少し高い枝に飛び移って少女を見下ろした。
「おやおや、どうやらまた騒がしい医者がやってきたようだ。気を付けろ気を付けろ、怪我をしていると追いかけられるぞ」
少々馬鹿にしたように小鳥は歌う。すると少女は、明るく笑って歌を返す。
「ありがとう小鳥さん。今日一番に会えたのがあなたでよかったわ。素敵な褒め言葉で一日が始められるんですもの」
少女は歌って一回転する。長いスカートがふわりと揺れて、森の中に小さな花が咲く。小鳥は呆れ声でまた歌う。
「怖いぞ怖いぞ、どうやら機嫌が良いようだ。包帯を巻かれないうちに怪我人を差し出してごまかしてしまえ」
小鳥は少女とは別の方向を見てはためく。
「あっちでイタチが怪我をしているのを見たぞ。血を流して鳴き声をあげていた。きっと医者はお気に召すだろう」
少女は小鳥が示した方向を見た。そして満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう小鳥さん。あなたとのおしゃべりは、歌を歌っているようで楽しいけれど、患者が私を呼んでるの。また今度ね?」
最後に歌って少女は駆け出した。患者の所へ、医者として治療をするために。
「イタチも可哀そうに。医者がいる日に怪我をしたんだから、自業自得だけど」
小鳥は呟いて飛び立った。少女が向かったのとは反対の方向へ。
* * *
しばらく走ると、イタチが蹲っているのを見つけた。どうやら前足に怪我をおったらしく、血が流れていた。
「見つけた。今日一匹目の私の患者!」
少女はそう言ってイタチに駆け寄る。イタチは一瞬身構えたが、何度か森で見かけたことのある少女であることに気がついて力を抜いた。自分は実際に関わったことは無いが、この少女は森の中の医者なのだという。どんな怪我でもたちまち治してしまうのだとか。
「お前が噂の森医者か? ずいぶんと評判がいいらしいな」
イタチは落ち着いて話しかけた。しかし、話しかけた少女はひどく興奮していた。
「ああ、足に怪我を負ったのね? 隠したって駄目よ、血が流れているんだもの」
少女はイタチの近くにしゃがみこみ、イタチに向かって手を伸ばす。
「ここでしょ? ここ、ここ。ここが痛いのよね? どうなの? 正直に言ってごらんなさい?」
少女は言いながら、恐らく何かで切ったらしい傷口を指でつつく。わざわざ聞かなくとも、怪我をしているのだから痛いに決まっている。その場所をつつけば当然……。
「痛い! 痛い! 傷口に触るな馬鹿」
イタチは顔で少女の手をはねのけながら、少女のことを睨む。
「ごめんなさい。患者を見つけたのが嬉しくて……。すぐに治療を始めるから」
そう言って少女は鞄の中を探り始める。中には瓶や小道具が入っているらしかった。
「まずは消毒」
少女は瓶に詰められた水をかけて、傷口を洗う。
「うぅ……」
水が少し傷にしみて、イタチは声をあげる。しかしこれは治療だから耐えるしかない。
「うん、これでいいわ。次はいよいよ薬を塗るわよ」
いよいよという表現が分からなかったが、イタチはじっとしたまま動かない。
「……ん、おい……ぎ、ギャー!」
突然傷口に激痛が走り、イタチは飛び上がった。
傷口をみると、怪しげな液体が塗られており、それが痛みの正体だと理解した。イタチは、それを傷口ごと地面にこすりつけてはがす。
「ああ……お薬をはがしちゃダメじゃない」
少女は人差し指を突き出し、「めっ!」という風に叱って見せる。
「ふざけるな! あんな痛みを味わってまで怪我を直したくない。自然に治るのを待った方がよほどマシだ」
「しょうがない。今度は痛くない薬を使いましょう」
少女はそう言って、再び鞄の中から薬を取り出す。今度は、イタチもしっかりと薬が塗られるところを見た。この薬は大丈夫そうだった。色も綺麗だし、塗られても特に痛みは感じない。心なしか、怪我の痛みも和らいだ気がする……。
「変ね、傷口から血が溢れてきたわ……」
少女の恐ろしげなつぶやきを聞き、イタチは傷口を見た。すると、傷口からは怪我をした直後以上の血が流れ出ていた。
「うわぁあああああ」
イタチは驚いてまた地面に傷口をこすりつける。
「何でうまくいかなかったのかしら?」
少女は本当に意味が分からないという表情を浮かべていた。イタチにしてみいれば、その少女の態度の方が、よほど意味が分からない。
「お、お前本当に噂の森医者か? お前が偽物なのか、すごい医者だという噂の方が嘘なのかどっちだ?」
「失礼ね。私は本当に森の医者だし、私が広めた噂だって嘘じゃないわ」
「お前が広めたのかよ!」
イタチはいよいよ怒って、怪我をしていることも忘れて前足で少女のことを引っ掻こうとした。少女はその足を受け止めて、両手で優しく包み込む。
「仕方ない。これで治しましょう」
「お、おい、もう俺に関わ……るな……?」
突然、少女の両手がほのかな光を放ち始めた。すると、鈍い痛みを発していた前足から、徐々に痛みが引いて行った。おかしな薬で感覚が死んでいくのとは違い。傷が塞がって行くことによって、痛みが引いて行くのが分かった。
「はい、おしまーい」
少女はそう言って手を離した。イタチの前足からは、傷が完全に消えていた。
「そ、そんな、ただ両手で包み込んだだけなのに?」
イタチは困惑して前足を見つめる。しかし何処を探しても傷口は見つからない。何かのインチキでもなさそうだ。
「私には治癒能力があるの。この両手は、私の仕事道具」
少女はそう言って、イタチに両手を見せた。
少女の両手には治癒の力がある。怪我を直すだけではない。ただの腹痛や頭痛、大きな病気から小さな病気まで。とにかく医学で治すことができるものは、手で包み込むだけで直せてしまうのだ。
少女は森の近くに住んでおり、普段は街に出かけて行って、この力を使ってお金を稼いでいる。当然評判はよく、無茶な金額を請求したりもしないので、仕事に困ることは無い。この力は母親譲りの物だった。少女の母親も同じ力を持ち、森の中を回って動物や人間を助けて回っていた。
少女はそんな母に憧れ、自分も森の医者をしている。その母親は、数年前に死んでしまったが……。
「そんな便利な力があるのに、何で使わなかったんだ?」
「んー?」
少女は、鞄の中に失敗作をつめながら返事をする。
「だって、この力がある日突然なくなっちゃったら、私は治療できなくなるじゃない。そしたら森の中の医者を名乗れなくなる。だから、今から力が無くなった時のことを考えて、色々準備をしているの」
全ての失敗作を鞄の中にしまい、重そうな鞄を掴んで立ち上がる。
「そのために、苦しい思いをする俺達はたまったものではないんだけど……」
イタチも立ち上がり、通りすがりざまに嫌味を呟く。すると少女は真剣な顔をして、イタチの背中に反論する。
「何言ってるの? 『良薬口に苦し』多少の苦しみを我慢することで怪我が治るんだから、安いものでしょう? 薬はにがいものなのよ」
「良い薬なら苦いのだって我慢できる。しかし、何の効果もない……むしろ症状が悪化するような薬のために苦しむのはごめんだね」
「……可哀そうに。世にある薬のほとんどが、ただの毒でしかないことを知らないのね。『治る』と言い聞かされて飲んでいるから効くのであって、そうでないならただの苦い毒にしかならないのよ」
イタチは言い返してやろうと思って振り向いたが、少女は森の奥に向かって駆け出しており、何を言っても届かなそうだった。
「……いや、お前の薬は、治るといわれて使っても、毒にしかならなかったじゃないか?」
もしイタチの声が聞こえていたなら、少女は何と反論したのだろう? 少女は幸せそうな表情をしながら森の中を進む……。
冬童話祭用に書いた小説です。
あまり童話っぽく仕上がらなかったかも?
でも明るくて、残酷描写もないので大丈夫でしょう。
前に『新作の準備をしています』と書いてましたが、それとは別物です。
こっちの方は、まだまだ準備中。