7、エリスの目的
「じゃあ証拠を見せてあげる」
そう言うと、エリスはシャツのボタンを一つ、二つと外していった。
「ちょ!」
三つほどボタンを外した後、エリスは両手でシャツの胸元を広げてみせた、美しく滑らかな肌が露わになる。
しかし、ベルは恥かしがって両手で目を覆ってしまい、エリスの露出した肌を見ようともしない。
「ほら」
「ほらって、何を見せる気だよ!」
「いいからこっち見てよ、面白いものが見れるから」
「……そ、そんな事言われても」
と、言いつつも、やはり男の子。何だかんだと言いながらも、ベルは指の間からチラチラとエリスの様子を伺っていた。
「……はぁ」
エリスは目を瞑り精神を集中させる。するとエリスの胸元に、淡い紫色の光を放つ陣が浮かび上がった。その陣を見て、ベルは顔色を変えた。
「これは、魔王の体を封印した者に受け継がれていく封印の陣よ。普段は見えないけど、感情が昂った時や、意識的に陣を浮かばせようとすると、こうして浮き出てくるの」
「中央の五芒星は、邪悪なる者を封じ込める封印の紋章だけど、それを取り囲む紋様は見た事の無いものだ。配列も通常の紋様とは異なっているし、紋様部分だけが白く発光している……」
「さすがイウヴァルトさんの孫、これが普通の封印の陣じゃないって事が分かるのね」
「これでも毎日勉強してますから」
見た事の無い陣に夢中になり、いつの間にか身を乗り出してエリスの胸元に顔を近づけていたベルは、その事に気付き、すぐに胸から顔を遠ざけた。
「お祖母ちゃんから聞いたんだけど、この陣はイウヴァルトさんが編み出したもので、五芒星の紋章はその名の通り邪悪なる者の封印を、周りの解読不能な紋様は、それを押さえ込み力を奪う、強力で特殊な鎖を表しているらしいわ」
「これを……お祖父さんが?」
「この陣に触れてみて。さっきあたしが語った昔話が嘘じゃないって理解できるから」
「触れるって言っても……」
ベルは戸惑う。いくらなんでも、年頃の娘の肌を触る事に抵抗を感じたのだ。
「恥かしがってないで、早く!」
「あっ!」
エリスがベルの手を取り、自らの胸元へと引き寄せる。
「ちょ、やめ……。え?」
手の全体が陣に触るまでも無かった。指先がほんの少し陣に触れたその時、ベルの目の前は真っ暗になった。
気付いた時、ベルは寒さをも感じる底知れない闇の中に居た。
どっちが上で下なのか、自分は止まっているのか、はたまた落下しているのか、そんな事すら分からない。ただただ尽きる事の無い絶望が、ベルの心にこみ上げていた。
見られている。ベルはそう感じた。
「な……何?」
不意に目の前に現れた二つの赤色の光。それは眼光だった。
「だ、誰?」
『我は』
眼光が光を増し、その周辺を僅かに照らす。
「ひっ!」
そこに浮かび上がったシルエット。見るもおぞましい醜悪な顔に、まるで血肉がそのまま固まったかのような、赤光りする三mはある巨大な体。それらが、闇の中から幾多にも伸びている白銀の鎖に繋がれていた。
「あ……うっ……あぁ」
魔王の低く、唸るような声が響く。
『我は、魔族の王にして、この世界の覇者。絶望を司りし魔王、デストロス』
「うぁぁぁぁぁああああああ!」
その眼と姿を直視した瞬間、ベルの中で膨張していた恐怖が一気に弾けた。
行き場の無い恐怖は、叫びとなってベルの口から放出される。
「どう? 面白いモノが見えたでしょ?」
エリスがベルの手を離す、それと同時にベルの目に見える景色が元に戻った。
「今のは……、一体……?」
時間にしたら、数秒も経っていないが、ベルには何時間も経っているかのように感じられていた。その証拠に、ベルは大きく肩を揺らす程、息を乱している。
「あれが魔王デストロスよ。正確には、私の体に封印されている魔王の上半身なんだけどね。こんな感じで、封印の陣と一緒に、代々魔王の体もその子孫に受け継がれているのよ」
「そ、そんな! いや、でも僕が見たのは上半身だけじゃなかった! グロテスクな顔があって、ちゃんと両足が付いていた!」
「お祖母ちゃんが言うには、本体は上半身で、残りの部分は魔王自らの魔力で作られたエネルギー体だろうって話だわ」
「エリスも、何と言うか、その……アレを見たの?」
「まあね、あたしが五歳の頃、お祖母ちゃんが良いモノを見せてあげるって言ったから素直に陣に触ったら……た、たら……たら、たらら」
語尾に近づくにつれて、エリスの体が震え始め、呂律も回らなくなっていた。
「あ、それ以上は言わなくていいよ!」
五歳であれはトラウマ確定だもんね……っと、ベルは小さく呟いた。
「お祖母ちゃん曰く、魔王を体に封印している人間がこの陣に触れると、封印されている魔王のイメージが見えるらしいわ。この陣を作ったイウヴァルトさんが意図的にそうしたんだって」
「……多分、お祖父さんは僕達に魔王の脅威が風化しない為に、そして、二度と五十年前の悲劇を繰り返さない事を願って、陣にそういった仕組みをしたんだと思う……。だからエリス、お祖父さんを怒らないであげて」
「大丈夫よ。もう昔の事だし。それに、そういったイウヴァルトさんの意思はちゃんと分かってるんだから」
シャツのボタンを留めながら、エリスは言った。
「とにかく、これで私の言った事、信じてもらえるわよね?」
「あんなものを見せられた後じゃ、否定する事なんてできないよ……」
魔王が生きているという事だけでも驚いたが、その魔王が自らの体に封印されていると聞いて、ベルはショックを受けていた。
先程見た魔王の顔。あれが自分の中に居るのだと想像して、ベルは体を振るわせる。
「さっきも言ったけど、あたし達英雄の子孫の宿命は、魔王を復活させない事なのよ」
「復活って、魔王の封印を解く方法なんてあるの?」
「魔王をその身に封印してる私達が死ぬか、聖石が破壊されない限り、封印は解かれないわ。けど、封印を解かずに、魔王をこの世界に復活させる手がない訳でもないの」
「そ、そんな! 封印を解かずにって、一体どうやって?」
「召喚魔術によって、魔王をこの世界に呼び出すのよ。けど、これを成し遂げるには、上位魔族級の魔力と、伝説級の召喚アイテム……そうね、例えば召魔の壷なんかが無いと、まず無理ね。そして、あたし達のもう一つの宿命は」
「もう一つ? 宿命って、まだあったの?」
「ええ、とっても素晴らしい宿命がもう一つ残っているわ」
エリスはニコッと笑って見せ。
「もし、魔王の封印が解かれてしまった時、魔王を討ち滅ぼすという宿命がね!」
ベルは盛大に椅子から転げ落ちた。
「やだよぉぉおお! あんなのと戦ったら、三秒も経たない間に殺されちゃうよ!」
「あなた、それでもイウヴァルトさんの孫? 男の子なら、『俺が魔王を倒すんだぜ!』って言うくらいの度胸を見せなさい」
「だって相手は魔王だよ? それにエリスも見たんでしょ、あの恐ろしい魔王の姿を!」
「ええ……、見たわよ。今でも時々思い出して、体が震えるもの」
エリスは俯き、肩を震わせながら拳を握り締めた。もしかして、トラウマを呼び覚ましてしまったのでは? と心配したベルだったが、
「いつか絶対、あたしが魔王を倒すんだ! そう思うと、武者震いが止まらないのよ!」
その心配は無かった。拳を振り上げたエリスは、自らの意気込みを高らかに叫んだ。
「変だ、この子、変だよ……」
「打倒魔王! 蹴散らせ魔族! 未来の平和は自分の手で勝ち取るのよ!」
「君が打倒魔王に燃えてる事はよく分かったよ。けど、どうして旅なんてしてるの? まさか、魔王を倒す為に、魔王の封印を解く方法を探していたんじゃ……」
「違うわよ! 確かに魔王は倒したいって思っているけど、魔王をこの世界に降臨させない事も私の宿命なのよ? あたしが魔王を倒すのは、全力で魔王の復活を阻止しようとしたけど、それでも魔王が復活しちゃった時だけ。まあ、魔王が封印されてる事は、世間には知られてないから、復活させようなんて誰も思わないでしょうけどね」
猪突猛進気味な熱意を持っていても、ちゃんと自分を抑えているエリスの言葉を聞いて、ベルはホッとした。
「あたしが旅をしていた理由は、お祖母ちゃんの遺言なの」
「お祖母さんの遺言?」
エリスは頷いた。
「今から二年くらい前、あたしが十三歳になる前に、お祖母ちゃんが病気で死んだの」
エリスの表情から、途端に明るさが消えた。
「あたしの両親はあたしが物心つく前に死んじゃったし、お祖母ちゃんはあたしの育ての親であり、立った一人の肉親だったわ」
「……そうなんだ」
自分と似た境遇で育ったエリスに、ベルは悲しい親近感を覚えた。
「そのお祖母ちゃんが、死に際に言ったの。この大陸の何処かに、イウヴァルトとその孫が居る。自分が死んだ後は、その人達を頼りなさい。そうすれば、英雄の子孫として生まれたあたしが、本当にやらなければならない事が分かるはずだ……って」
死んだ祖母の顔を思い浮かべて、エリスは涙ぐんだ。無理もない。伝説の英雄の子孫だ、宿命だと言っても、エリスはまだ十五になったばかりの女の子なのだ。
「お……、おばあぢゃぁん。ふぐぅ……」
見かねたベルがポケットからハンカチを取り出し、それをそっとエリスに差し出した。
「ぐず……、ありがと」
涙と鼻水を拭きながら、エリスは続ける。
「だから、あたしはあなた達を探していたの。イウヴァルトさんに会えば、お祖母ちゃんが言っていた、あたしが本当にやらなければならない事が聞けると思っていたんだけど」
「それなら、暫くここに居ればいいよ。お祖父さんは死んじゃってるから、僕からは何も言えないけど、いつかきっと、エリスのお祖母さんが言っていた、エリスが本当にやらなければならない事が見つかるよ」
「……うん」
エリスは、弱々しく頷いた。そして、空になった皿を再びベルの方へと差し出す。
「……おかわり」
「もうちょっと我慢してね、まだ聞きたい事があるんだ」
鼻水をすすりながら、エリスは不満げに口を尖らせた。
「僕達の先祖が伝説の英雄で、君が旅をしていた理由も分かったよ。けど、何で川で溺れてたいたのさ?」
「あぁ……それね」
ゴシゴシと涙を拭い、いくらか落ち着きを取り戻したエリスは、先日の夜の事を思い出し、語り始めた。