7、懐かしい人
一面白い空間に、ベルは居た。
不思議と驚いていない。「ここが死後の世界なんだな」と、納得した表情をしている。
ベルが落ち着いていられるのは、魔術書に書かれていたイウヴァルトの言葉を見て、光の魔術を使ったら自分は死ぬと分かっていたからだ。
だが、ベルは後悔していなかった。寧ろ、イウヴァルトの『世界の為、人の為、多くの命を救いなさい』という遺言が実行できた事と、命を賭してエリス達を守れた事を、誇らしく思っていた。
「ベルよ」
真っ白な空間の先。ベルの十m程前に、ベルのよく知っている人物が光と共に現れた。ベルはその姿を見た瞬間、懐かしさと、嬉しさで、涙が溢れてしまった。
「お祖父……さん」
「ベルよ、よくぞ魔王を討ち滅ぼしてくれた。……ってか、スゲーよ、祖父ちゃんビックリしちゃった。あの争いを好まない温厚なベルが、あそこまで戦ってくれるとは思ってもいなかったよ」
「その軽口は、お祖父さんそのもの! お祖父さん、お祖父さ~~ん!」
ベルは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、両手を広げながらイウヴァルトに向かって走り出した。
「会いたかったよぉ! お祖父さ~~~ん!」
「おお、孫よ! ワシも会いたかったぞ~~!」
イウヴァルトも駆け出す。やがて、両者は強く抱きしめ合うかと思ったが、
「グランドファーザー・エルボー!」
「ぐへぇ!」
老人とは思えない素早さで体勢を整えたイウヴァルトは、ベルの首にエルボーをかましていた。ベルは後ろに吹き飛ばされ、コロコロと三m程真っ白な地面を回転した。
「な、何をするんですかお祖父さん!」
「お前みたいな若造が、こっちに来るのなんて百年早いわ! 帰れ帰れ!」
「そ、そんなぁ……」
咳き込みながら、ベルは立ち上がった。
「あなたが、ベルさんね」
光と共に、イウヴァルとの隣に現れた老婆が、ベルへと微笑みかけ、お辞儀をした。ベルも、それにつられて頭を下げる。
「ベルさん。あなたにお願いがあるの」
「お願い、ですか?」
ベルは頭をあげた。
「エリスを、幸せにしてあげて欲しいの」
「エリスを?」
「あの子は人一倍責任感の強い子だけど、それ以上に、寂しがり屋でもあるの」
老婆は目を細めた。
「あの子はね、何だかんだと強がってはいるけど、本当は誰かに嫌われれたり、大切な人と別たりすつ事が恐いのよ。だから、伝説の英雄の子孫という名の暗い牢獄に入って、誰にも会わないように、中から鍵をかけているの。一人は寂しい癖に、意地を張っちゃって……、本当にバカな子よね」
老婆がクスクスと笑う。
「お婆さん、もしかして……」
「お願い、ベルさん。あの子を牢獄から解放してあげて。そして、普通の女の子、エリス・リンドバーグとして生きる道を教えてあげて。宿命に囚われず、自分の人生を大切にする事こそが、伝説の英雄の子孫として生まれたエリスが、本当にやらなければならない事なのだから」
エリスの事を想い、老婆は優しく微笑んだ。
「やっぱり、あなたはエリスの……!」
言いかけて、目の前に居るイウヴァルトと老婆の姿が光に包まれた。
「ベルよ、ワシの魔術書には、ワシが少しずつ長い年月をかけて溜めてきた、生命エネルギーが込められている。つべこべ言わず、受け取りなさい」
「待って! まだ話したいことが沢山あるんです!」
「ベルさん、エリスをお願いします」
「ベル、グッドラックじゃ」
イウヴァルト達から発する光の眩しさに目を閉じたベルは、不意に唇を覆う柔らかな感触に気がついた。
何が起きたのか確認する為に、目を開いたベルの前にあったものは、目を閉じたエリスの顔だった。それも、かなりの至近距離。
暫く何が起きたのか理解できないでいたベルは、目を見開いて体を硬直させた。
無理もない、エリスとベルの、唇と唇、マウスとマウス、リップとリップが重なっていたのだ。
エリスの髪から香る石鹸の匂いがベルの鼻に届いた時、ベルはやっと正気を取り戻した。
ベルはエリスの体を押しのけ、慌てて上半身を起き上がらせた。そして、顔を真っ赤にして、
「エリス! ききき、君はいったい何をぉぉお!」
「ベル……、ベルぅううう!」
エリスがベルに抱きついた。ベルの顔全体が凄まじい熱を帯びる。
「ば、ばかぁぁああああ! ふぐっ、ぐぅぅ! うぁああああ!」
わんわん泣いているのエリスの姿を目の当たりにして、ベルは戸惑った。だが、手元に転がっていた小瓶を見て、
「これは、ウィンドヘルム村の市場で買った、エセ秘薬? そっか、買ってからずっと忙しかったから、出すのを忘れてたんだ」
ベルから体を離したエリスは、地面にへたり込みながら、しゃっくり混じりで、
「ベルがぁ、ひぐっ、死んでてぇ! ポケットから、これが出てきたからぁ、うぐっ、飲ませようとしたのにぃ、飲んでくれないからっ……! だから、口移しでっ!」
「そっか……、やっぱり、僕死んでたんだ……、ぶほぁ!」
しみじみと言うベルの頬を、エリスの右拳が襲う。因みにグーだ。
「この、バカ! 何で一人で死のうとするのよ! この! この! バカタレ!」
容赦ないエリスの拳が、ベルを襲う。ポカポカなんて可愛いものじゃない、オノマトペで表現するならば、ドカ、バキ、グシャ! と言った感じた。
「ごめん、エリス! 許して! ぎゃっ!」
「う、うわぁああああん!」
怒って叩きだしたかと思うと、今度は両手で顔を覆って、泣き出してしまった。
ベルにとっては、殴られる事よりも、エリスに泣かれる事の方が辛い。
今の自分に何ができるのかを考えたベルは、夢か現実かも分からない場所で言われた、老婆の言葉を思い出した。そして、ポケットからビンと一緒に買った、花柄のリボンを取り出し、
「エリス、泣かないで」
そして、泣きじゃくるエリスの髪をまとめて、リボンで元通りに結ってあげた。それを見たエリスが、泣き止む。
「本当は、もうちょっと早く渡したかったんだけど、中々機会がなくてさ」
「物でつろうなんて……、最低よ」
だが、しゃっくりをしながら俯くエリスの顔は満更でもないようだった。
「もう二度と、自分の命を粗末にしたりしないよ。だって、僕はエリスが大好きだから。エリスと離れ離れになるのなんて、嫌だからね」
ベルが微笑みながら、エリスの頭を撫でる。今度は、エリスが顔を真っ赤にした。
「ベル、恥かしい事言ってる」
「うん、僕も言ってて恥かしい。だけど、これが、僕の本当の気持ちなんだ」
「嘘よ、だってあたしは、可愛くないし……、戦う事しかできない女の子だから」
「ううん。エリス。僕は、始めて君にあった時から、とっても可愛い女の子だと思っていたよ。強くて、明るくて、だけど本当は泣き虫で。そんなエリスが、僕は大好きなんだ」
「嘘、絶対嘘!」
「嘘じゃない」
「じゃあ、証拠……、みせてよ」
エリスの潤んだ瞳が、ベルを見つめる。
ベルは、その水晶のような瞳から視線を逸らす事が出来なかった。
二人の心臓の鼓動が早まる。やがて、エリスが目を閉じた後、ゆっくりと二人の顔が近づく。そして、唇と唇が重なり合おうとした。