4、立ちはだかる敵
丘と言っても、その高さは侮れないものだった。
緩急の差が激しい坂道を駆け上ったエリス達は、ようやく丘の頂上に到着した。そこからは、ティンクルベリーの町が一望できる。
「着いたわね」
エリスが息を乱しながら呟く。
一方、体を動かす事は得意ではないベルは、地べたに座り込み、ぜぇぜぇと息を荒げている。エリスは、そんなベルに手を差し出して、
「ベル、大丈夫?」
そのままの状態で、頷いてみせたベルは、エリスの手を掴み立ち上がった。
酸素不足で、頭がクラクラする感覚に襲われながらも、ベルは目の前に建っている、立派な屋敷を見据えた。
横幅三十メートル程の赤レンガ製の壁と灰色の屋根が、重厚な雰囲気をかもし出している。個人で所有しているとは思えないほどの大豪邸だ。
「ここが、マジークの言っていたハインデルツの屋敷ね。ベル、いけそう?」
「だ、大丈夫」
ベルは呼吸を整え、ローブの内ポケットから魔術書を取り出しながら答えた。その時、
「お待ちしておりましたよ」
マジークの声が聞こえ、屋敷の大きな両扉が開かれた。
しかし、扉には誰も手を触れていない、マジークの魔力によって開けられたのだ。
「挑発された通り、来てあげたわよ、マジーク」
開け放たれた扉から出てきた魔族、マジークを睨みつけながら、エリスは言った。
「お気づきでしたか。まあ、あれほど露骨に誘ったのですから、気付かない方が可笑しいですよね」
服装から態度まで、何一つ変わっていないマジークが微笑を浮かべる。
「ずっと気になっていたのよ。見す見すあたし達を生かした事、そして自分達の計画を暴露した挙句に本拠地まで教えるなんて、何か裏があるんじゃないか……ってね」
「気付いていてなお、この場所に来てくださった事に、感謝致します。ですが、これ以上の情報はトップシークレット、明かす訳にはいきません」
「情報を聞く必要は無いわ。だって、ここであなたを倒せば、全てが終わるんだから!」
好戦的なエリス達を前にして、マジークの目付きが鋭くなる。胸ポケットから懐中時計を取り出し、
「いいでしょう。丁度良い時間ですし、計画の最終段階に移るとしますか……!」
懐中時計を仕舞ったマジークは、笑顔という仮面を脱ぎ捨てた。
目を血走らせ、口元を歪めたその顔は、魔族と呼ぶに相応しい残忍なものだった。
「ようやく本性を表したわね」
「あなた方に死んでもらっては困ります。とは言え、手加減のできる相手でもありませんので、精々死なないように頑張って下さい」
「言われなくても、そのつもりよ!」
エリスが剣を構える。
「ベル、大技をお願い。詠唱の時間は、あたしが稼ぐわ」
「分かった。相手は魔族だよ、くれぐれも気を付けてね」
ベルの言葉に笑顔で答えたエリスの表情が、次の瞬間、戦士の顔へと変化した。
「いくわよっ!」
エリスが大地を蹴り、マジークへと一直線に突っ込む。
対するマジークは、狂気に歪んだ顔で、エリスの攻撃を待っていた。
「せぇえい!」
エリスが繰り出した横薙ぎを、マジークは右腕一本で受け止めた。
先程までは人間と同じ姿形をしていたマジークの腕だが、今はレオンハルトの右腕のように、ドス黒い血肉と魔気で覆われた、醜悪な腕へと変形していた。
互いに退く事もせずに、剣と腕を突き合わせながら、
「良い一撃です。あくまで、人間レベルでの話しですがね」
「あら、あたしはまだ半分の力も出してないわよ」
「おや、私もまだ三割程度の力しか出していませんよ」
「これで三割? あたしは二割程度の力しか出してないわ」
「口の減らない人だ……」
エリスの剣を弾き飛ばしたマジークは、体制を崩したエリスの心臓に向かって、左腕を突き出した。
その一撃を先読みしていたエリスは、素早く体制を立て直し、直前まで迫っていたマジークの左腕を、剣で受け止めた。
「良い一撃だわ。あくまで、下級魔族レベルでの話しだけどね」
「……」
マジークのこめかみがピクリと動く。中級魔族と呼べる程の力を持っているマジークにとって、下級魔族レベルという言葉は、最大の侮辱なのだ。
魔族とは、己の力と能力に誇りを持っている為、自らを侮辱される事を何よりも嫌う。
「いいでしょう。そこまで言うのなら、半分くらいの力を出してあげますよ!」
「望むところよ!」
エリスとマジークの、激しい攻防の押収が始まる。
速さと力は互角だが、早くもエリスの使っている剣に限界が訪れようとしていた。エリスの剣に亀裂が生じる。
「そんな鈍らでは、私に傷一つ付ける事はできませんよ」
「くぅ!」
ここぞとばかり打ち込まれたマジークの攻撃を、エリスは辛うじて受け止めたが、剣の亀裂は更に広がっていく。
「おやおや、早くも勝負がついてしまいそうですね」
「そのようね」
危機的な状況にありながらも、エリスは笑ってみせた。
気でも触れたかと思ったマジークだったが、自らの足元が黄土色に発光している事に気付き、表情を強張らせる。
『大地よ 我が声に応え その怒りをここに示せ 愚かなる者を 我の前から滅せよ』
「グランド・スピアーか!」
「その通りよ!」
陣に気をとられていたマジークの顔面に、エリスの渾身の右ストレートが直撃した。
「ぐはっ!」
マジークの体がよろめく。その隙に、エリスは剣を捨てて素早く後退した。
『グランド・スピアー』
その瞬間を待っていたベルの魔術が発動する。大地が揺れ、陣内部の地面から激しく隆起した土の槍が、何本もマジークに襲い掛かった。
「これしきの魔術で、勝てると思わないで下さい!」
マジークの体から大量の魔気が放出され、それらがマジークの体を包み込んだかと思うと、マジークの体に当たった土の槍が、粉々になって弾け飛んだ。
「魔気は魔族の力の源、身に纏い、防御の手段とする事も可能なのですよ」
「だが、それと同じように、攻撃力を高める事もできる」
上空から聞こえた声と同時に、マジークの体が影に覆われる。その声と影の主は、マジークのよく知る人物、レオンハルトのものだった。
グリフに乗り、エリス達の上空でマジークが隙を見せるその時を待っていたのだ。
そして今、グリフから飛び降りたレオンハルトの剣が、マジークを襲う。
だが、ただの剣ではない。
包帯に巻かれていない状態のレオンハルトの右腕から発する魔気が、マジークの体を覆うように、レオンハルトの剣を包んでいる。
「がはっ!」
レオンハルトの剣が空気を切り裂きながら、マジークの肩にめり込んだ。
マジークは、予想だにしなかった攻撃に、目を見開き、口から黒い血を少量吐き出した。
マジークが、とっさに体を覆う魔気を増幅させ事で、レオンハルトの剣は肩口で止まっているが、魔族の体を傷付けたという事だけでも大したものだ。
「油断したな」
「ええ、私とした事が迂闊でした。次からは、上からの攻撃にも注意しますよ」
「次など無い。お前は、今ここで滅ぶのだからな」
「……ふふふ、まったく、最近の人間は、簡単に魔族を倒すだの、滅ぼすだのと口にする」
顔を伏せて、クツクツと笑ったマジークだが、
「人間風情が、魔族を舐めるなぁああ!」
紳士的な口調すらも捨て去ったマジークは、とてつもない殺気に満ち溢れていた。
「ちぃ!」
その危険性を察知したレオンハルトが、エリス達の下へと後退する。
「レオン、あたし達は屋敷の中……。おそらく、ハインデルツが持っている聖剣と召魔の壷をなんとかするわ! その二つさえ取り戻せば、魔族召喚は行えないはず。ここはあなたに任せていい?」
「行きたいなら勝手に行け。前にも言ったが、お前達は邪魔だ」
「あなたって人は、本当に嫌な奴ね!」
不機嫌な顔をするエリスに流し目をしたレオンハルトは、
「ハインデルツの居る部屋は、玄関から入り、ひたすら真っ直ぐ突き進んだ場所にある」
「……レオン、あなた」
「さっさと行け。目障りだ」
エリスとベルは、レオンハルトに小声で感謝の気持ちを伝えると、マジークの横を突破して屋敷内へと駆け込んだ。
「意外だな、奴らを簡単に通すなんて」
「彼らがここを突破する事も、計画の内です」
「計画……か。この十年間、俺はお前達の言葉を信じて生きてきた」
レオンハルトは無表情だが、目だけは、鋭くマジークを見据えていた。
「計画の為と言われれば、人を殺め、エルフの里から水剣オルカノスをも奪った」
「あなたが扱い易い人間で助かりましたよ。おかげで計画がスムーズに進行しました」
「その扱い易い人間の手を借りなければ何もできない魔族が、お前だ」
その言葉を聞いたマジークは、侮辱された怒りを感じながら舌打をして、
「人間の分際で、偉そうな口を叩くな」
「あまり人間を舐めるなよ」
言葉を言い終えた後、両者は共に飛び出し、激しい戦いの火蓋が切って落とされた。