9、約束
「ほら、立てる?」
地面に顔ごと突っ伏して死んだふりをするエリスを無視して、ベルはランプの灯りを揺らしながらエリスの前に回りこんた。
そして、空いてる方の手をエリスへと手を差し伸べる。エリスはゆっくりと顔を上げ、
「ひ、一人で立てるわ」
エリスはその手を握らずに、地に手を着いて立ち上がった。
その顔は口を尖らせて、どこか拗ねてるような表情だった。
「あーあー、エリスの服埃だらけじゃないか」
「別にいいわよ」
「女の子なんだから、少しは身だしなみに気を遣おうよ」
苦笑しながら、ベルはエリスの服をポンポンと優しく叩いてやる。
エリスの服から小さな土煙が舞い、やがて完璧とは言わないまでも、服は綺麗になっていた。
「エリス、膝擦りむいてるよ」
「へ、平気よこのくらい」
「平気なもんか」
ベルは口の中で小さく詠唱を済ませると、手をエリスの擦りむいた膝へとかざした。
「ベル、何で来たの?」
跪いて自分の傷を治すベルを見ながら、エリスは尋ねた。
「何で? 何でって……それは」
ベルが少し考えた後、口を開く。
「やっぱり、エリスの事が心配だったんだよ。放っとけないよ」
「放っといても、あたしは平気だって言ったでしょ」
「でも、放っといたらどこかに行っちゃうんでしょ? 僕はそんなの嫌だからね」
「どうして、どうしてそんなに私に構うの? あたしは普通の女の子とは違って、お洒落だってしない、料理だってできない、戦う事しか能の無い女の子なのよ! ……そんなあたしと居たって、ベルだってつまらないでしょ!」
エリスはグッと拳を握り締めた。
そんなエリスの脳裏に、遠い過去の記憶が思い起こされる。
故郷の村で、自分は伝説の英雄の子孫だ! と言って、戦いの修行をしていたエリスは、いつの間にか村の子供達から戦闘オタクの変わり者として見られていたのだ。
『エリスが居ると、つまんねーよ!』
「っ!」
不意に思い出してしまった遠い記憶。
剣術の修行の合間にエリスがちょこっとだけ村の子供達とおにごっこをして遊んだ時、あまりにも卓越したエリスの身体能力にあっさりと勝負が決まってしまい、その事を面白く感じなかった子供達は口々にそう叫んだ。
エリスに恐怖感が芽生える。
もし、ベルにつまらないと言われたら、自分はどんな顔をすればいいのだろうかと考える。
しかし、ベルが口にした言葉は、
「エリスが居ると、楽しいよ」
エリスは目を少し見開いて驚いた。
「う……嘘つき」
「本当だよ。現に君が来てから、僕は騒がしくも楽しい日々に充実してた」
ベルはエリスに向かって優しく微笑む。
「僕の家さ、両親いないし、お祖父さんも死んじゃったから、一人だと何だか物足りないんだよね」
傷を治し終えたベルは立ち上がり、エリスの頭にポンと手を置く。
「……ベル」
「だからさ、故郷に帰るなんて言わないで、ここに居てよ。僕の店は燃えちゃったけど、また新しいお店を建てるからさ。そしたら、今度は道具屋だけじゃなくて、色んな事ができるお店にしよう! きっと、その方が楽しいよ。エリスは何がしたい?」
「あ、あたし?」
「何かあるでしょ? エリスのやりたい事とか、興味のある事」
ベルの突然の提案に、エリスは口をパクパクと開閉させながら困惑していた。言うか言わないか少しの間考えたエリスは、やがて小さな声で呟いた。
「お……、お……」
「お?」
「……お花屋さん」
それを口にした瞬間、エリスの顔がカーッと赤くなった。
別に恥かしがる程の趣味ではないが、剣術と魔術一本で生きてきた自分には少女的すぎて似つかわしくないのだと、勝手にエリス自身が決め付けてしまっていたのだ。
「花屋か……うん、いいね! 可愛らしくて、エリスにとっても似合ってるよ」
「そ、そうかな?」
思わずエリスの頬が緩む。
「だから、帰るだなんて言わないで、ここに居ようよ。ううん、エリスに居て欲しいんだ」
エリスとベルの視線がぶつかる。ベルの真剣な言葉と瞳に、今までの悩みが吹っ切れたエリスは、薄い笑みを浮かべてたかと思うと、テクテクと歩き出した。
「エ、エリス?」
エリスがベルから少し離れた場所で止まり、そのまま背を向けた状態で言う。
「週に三回は、晩御飯をシチューにしてくれる?」
「いいよ」
「お肉、沢山よそってくれる?」
「もちろん」
「あたしに、料理教えてくれる?」
「お安いご用さ」
それを聞いたエリスは、満面の笑みを浮かべながら、ベルへと振り返った。そして、
「なら、考えといてあげるわ」
「じゃあ、考えさせといてあげるよ」
そう言って、お互いに暫く笑いあった。一頻り笑った後、これから成すべき事を思い出し、お互いゆっくりと頷きあう。
「行くわよベル、目指すはティンクルベリー! 休憩は少なめでいくから、覚悟してね」
「うん、頑張るよ!」
迷いの無い心で、エリスとベルは走り出した。
暗くデコボコした山道は、二人の体力を確実に奪っていったが、それでもベル達は歩みを止めはしなかった。
一連の騒動に決着をつけるために、そして何より、悲劇が起こることを知らずにいる、この地に住む人達の為に。
時刻は早朝三時。タイムリミットの日没まで、残り十四時間。