8、エリスの気持ち
そう言って笑うと、エリスはベル達に背を向けて治療室を去ろうとしたが、
「ちょっと待ってよ」
その言葉に、エリスが振り向く。
そこには、ベッドから立ち上がり、エリスの事を真剣な眼差しで見据えているベルの姿があった。
「なんでそんな事言うんだよ。その台詞だと、事が片付いたら、エリスはそのまま黙って何処かに行くみたいな流れじゃないか」
その言葉を聞いたエリスの表情が哀しみの色に染まる。
「あたしは、ここに居るべき人間じゃないのよ。このままこの村に居たら、また聖剣を狙う奴が来て、ベルにも村の人にも、沢山迷惑かけちゃうかもしれない。だから、この件が片付いたら、私はノーティスシティにある実家に帰るわ……」
そう言ったエリスだったが、その表情はとても悲しそうだった。ベルはその事に気が付いていた。
「実家に帰ったら、君は一人ぼっちになっちゃうよ?」
ベルの口から一人ぼっちという言葉が放たれた瞬間、エリスは動揺し、きゅっと拳を握り締めた。
「バカにしないでよ! あたしは一人でも生きていける! ベルなんて居なくても……、一人で生きていけるもん!」
普段は口にしない子供染みた口調で、エリスは叫んだ。
エリスは、遠く離れた実家でひっそりと一人で暮らす事を恐れている。
一人である事に寂しさを感じる自分の弱さを認めたくないエリスは、その事に気付かないふりをしているが、どんなに必死に心の中に押し込めても、堪えきれない感情は表に出てしまう。
「一人でずっと生きていくの?」
「生きていけるもん!」
「きっと、寂しいと思うよ?」
「寂しくなんかないもん!」
「本当?」
「本当だもん!」
そう叫ぶと、エリスは目に涙を溜め、振り返らずに治療室から飛び出していった。
ベルはすかさず追いかけようと足を踏み出したが、昨晩の戦闘により負傷した体が悲鳴をあげた所為で、思わず立ち止まってしまった。
「エリス……」
ベルにはエリスの気持ちが痛いほど分かっていた。
他人に迷惑を掛けたくない気持ちと、一人ぼっちになりたくない気持ち。両方とも、ベルが持っていた気持ちなのだ。
祖父であるイウヴァルトが死んでからというもの、ベルは周りの人間に心配をかけまいと生きてきた。
何でも一人でこなし、何でも一人でできる。そんな姿を周りに見せていれば、皆安心してくれると思っていたのだ。
だが、ベルは心の奥底ではいつも孤独だった。表面上は笑っていても、心の底では泣いていた。人の温もりを欲していた。
そんなベルの前に現れたエリスという存在に、どれだけベルが救われただろうか……。
そんな経験をしたベルだからこそ、今のエリスを放っておく訳にはいかなかった。
ベルは、エリスに救いの手を差し出したいと思っていた。
「……エリス」
ベルは痛む体に力を入れ、歩き出した。
ベルはまず、ファルスの焼け跡のすぐ横に立っている大きな木の下に来ていた。
そこには、幼いベルの為に、イウヴァルトが作ったブランコがぶら下がっている。
ベルはその場に跪くと、月の光と教会から持ち出したランプの明かりを頼りに、素手で木の根元を掘り返し始めた。
やがて掌が捉える土とは違う感触。それは木の箱だった。
「この箱を見るのは、お祖父さんが死んで依頼だから、三年ぶりかな……」
それほど大きくない木箱。リンゴ十個がやっと入るくらいの大きさのそれには、祖父イウヴァルトの遺品が入っている。
それは、イウヴァルトが生前身に纏っていた、壮大な天空を思わせる蒼色のローブだった。
ここにこのローブを埋めたのはベルだ。祖父がいつも身に纏っていたローブを見る度に彼を思い出してしまうのが辛くて、かといって処分する事もできずにこの場所へ隠したのだ。蓋を開けたベルが呟く。
「お祖父さん」
そして、祖父の言葉を思い出す。
『世界の為、人の為、多くの命を救いなさい』
「今が、その時です……。僕に力を」
祖父のローブは、未だ残るイウヴァルトの魔力によって守られていて、埃すら付いていない。ベルはそのローブを羽織った。
ベルの中に、まるで祖父が自分に力を与えてくれているかのような気持ちが湧き上がる。
「よしっ!」
気合を入れる為に自分の両頬を手で叩いた後、魔術書をローブの内ポケットに仕舞い、ランプを片手に暗闇へと走り出した。
ティンクルベリーへと続く山道を、エリスは一人で歩いていた。
三日前は意気揚々とした足取りで歩いていた道も、今はすっかり沈んだ足取りになってしまっている。
エリスは心細くなっていた。
背後の茂みが風で揺れる度に、もしかして! と言う気持ちがこみ上げ、微笑を浮かべながら振り向くが、そこには誰も居ない。それを見て落胆する。そんな事を、何度か繰り返していた。
一人で戦いを挑むの事が心細いのではない、寧ろ、戦いが終わってからの事の方が、エリスの心を蝕んでいた。
自分以外誰も居ない家。そこで一人で暮らす孤独感を、エリスは知っているのだ。そして、またその生活に戻ると思うたびに、エリスの目に涙が押し寄せてくる。
「ぐわっ」
考え事をしていた所為で、エリスは石に躓き転んでしまった。膝にヒリヒリする痛みを感じながらも、地べたにうつ伏せになったまま考える。
何故、自分はこんなにも孤独な持ちに苛まれているのか。以前の自分なら、一人である事になんの疑問も感じなかった筈だ。なのに、何で今更孤独を感じる必要がある? エリスはそう自分に問いかける。
答えは出ない。答えの変わりに出てくるのは、祖母と過ごした辛くも楽しい日々。
そして数日前から感じていた、温かく、優しく包み込んでくれているかのような安心感で満ち溢れた日常。それを自分に与えてくれた青年の顔。
「暗い夜道を灯りも持たずに歩くから転ぶんだよ」
「べ……ベル?」
ハッとなって起き上がったエリスが振り向くと、そこには今まさに思い浮かべていた人物が立っていた。
自分を追いかけて来てくれたベルに、エリスは嬉しくて笑いそうになったが、先程大見得を切って飛び出した自分を思い出して、持ち上がりかけた頬の肉をグッと下げる。
「……」
そして地面にうつ伏せになり死んだふり。