5、マジーク
陣から現れた男は笑顔を浮かべながら、恭しく一礼をすると、
「どうも皆さん、こんばんは。レオンハルトさん以外は、この姿でお会いするのは初めてですね。私はハインデルツさんの用心棒をしています、マジークという者です、以後お見知りおきを」
マジークと名乗った男は、端麗な顔立ち、肩口まで伸ばしたサラサラの金髪、全身を白のタキシードで身を固めるといった、一見すると育ちの良い貴族を思わせる姿をしている。
「あなた、何者なの? この姿でって事は、変身でもできるっていうの?」
厳しい表情をしながら、エリスが尋ねた。
「ええ、できますとも」
笑顔を絶やさないマジークは、右手を顔の高さまで掲げ、パチンと指を鳴らした。
すると、マジークの服や背が変化していき、豚の魔物、オークの姿となった。ギリアムは、変化したマジークを見て、
「まさか、てめぇピギーか?」
「ご名答。まあ、このオークの姿と口調は、人間を欺く為の、仮の姿なのですがね」
「バカな! お前は俺が倒したはずだ!」
「ふふふ、あれはお遊び、単なるジョークですよ。あの程度の刺し傷と炎では、私は死にません」
目の前の男の言動から、エリスは一つの答えに辿り着いた。
「あなた、魔族ね」
「ええ、そうです。ご存知の通り、私達魔族は脆弱な人間とは比べ物にならない程の再生能力を秘めています。それを応用して、姿を自由に変えるなど、容易い事なのですよ」
そう言って、マジークは男の姿に戻り、再びニッコリと笑った。
「水剣オルカノスはどこなの、答えなさい!」
「水剣オルカノス、並びに炎剣ヴォルテクスと、召魔の壷は、私がお預かり致しました」
「返しなさい……って言っても、無駄なんでしょ?」
「勿論ですよ、この地に魔族を召喚するという、私達の崇高な計画を成し遂げるには、どうしても聖剣と壷が必要なのですから」
「分からないわね。ハインデルツはともかく、魔族のあなたが魔族を召喚したいだなんて、どう考えても可笑しいわよ。魔族は孤独な存在の筈よ」
エリスの言う事は正しかった。
人間よりあらゆる面で優れている魔族は、その高すぎる能力が故に個々の自尊心が高く、魔族同士であろうとも、決して群れようとはしないのだ。
マジークは溜息を吐いて肩をすくめ、
「私も団体行動は嫌いなのですが、そうも言ってられない状況なのですよ。あなた方人間は、ここ数年で魔術や武術において目覚しい発達を遂げている。いかに魔族と言えども、大勢の熟練した魔術師や剣士を相手にするのは、さすがに骨が折れます。私は、これ以上あなた方が力をつけないうちに、他の魔族と手を組んででも、あなた方を潰させていただこうと思っているのです」
「あら、魔族ともあろう方が、人間を恐れるなんて情けないわね。まあ、あたし達人間は日々進化しているのだから、無理もない話しだけどね」
そう言ってエリスは笑った。だが、心の中では、いつ攻撃を仕掛けてくるかも分からないマジークに対して、常に緊張している。
「あまり自惚れないで下さい。人間が我々魔族より優れている点は、個体数の差のみです」
「負け惜しみね」
人間より秀でた能力と寿命をもった魔族だが、その個体数は人間と比べるとあまりにも少ない。その数は百以下だとも言われているくらいだ。
「ふふ、負け惜しみかどうかは、この際どうでもいいのです」
マジークは、優雅に金髪をかきあげ、
「あなた達人間は、明日、滅びを迎えるのですから」
「何ですって!」
マジークの言葉に衝撃を受けたのは、エリスだけではなかった。
ベルやギリアム、レオンハルトでさえ目を見開き、驚きを隠せないでいる。暫くそうしていたレオンハルトだったが、
「待てマジーク! 貴様、それはどういう意味だ!」
「どうもこうも、言葉通りの意味ですよ、レオンハルトさん。私達の目的は魔族召喚を行い、世界に住まう人間全員を滅ぼす事です。そして、計画も最終段階に入りましたし、あなたはもう必要ありません。今までご苦労様でした」
「話が違う! 親父が処刑された日、お前は確かに言った! 俺の右腕の魔族となった部分を切り離す事ができると。だから、俺はお前達の計画の手助けをしていたんだぞ!」
「ああ、その話ですか。そんなもの、嘘に決まっているではありませんか」
「な、何だと?」
「まさか本気にしていたのですか? あなたの右腕は、魔族の血が人間の体内に混入された事で変化した、一種の病気のようなものであって、魔族ではありません。そんなもの、私達魔族であっても、召喚して体から切り離す事はおろか、治す事だって出来ませんよ」
「き、貴様ら……、謀ったな!」
「十年前、天涯孤独となったあなたを味方に引き入れたのは、私のほんの気まぐれ。王都で処刑された実父を前に、極上の魔気を放っていたあなたを見て、何かに使えると思っただけの事です」
レオンハルトは、いいように騙されていた悔しさに顔を歪め、右腕に添えた左手に力を込めた。
「レオンハルトさん、良い憎しみです。あなたの体から、十年前に勝るとも劣らない魔気が溢れていますよ」
「黙れっ!」
レオンハルトは床を蹴り、マジークへと殴りかかった。
だが、その拳を悠々と交わしたマジークは、不敵な笑いを浮かべながら、
「私達がこの地に召喚しようとしている魔族は、とても高貴なお方なのです。強大な力を持ったあのお方の力があれば、あなた方人間はお仕舞いですよ」
魔族に対する恐怖を抑えながら、ベルが言葉を搾り出す。
「人間を滅ぼして、お前達魔族は、一体何をするつもりなんだ!」
「決まっているでしょう。我々魔族がこの世界を支配するのです! そもそも、私達より遥かに劣る生物である人間がこの世界を支配している事が可笑しいのです。世界の頂点に立つのは、最強の生物である、魔族であるべきなのですから!」
マジークは貴族風の顔を狂気に歪め、高笑いをした。
「魔族召喚に必要な道具は揃いました、どうしても止めたいと言うのでしたら、ティンクルベリーにある私達の本拠地、ハインデルツさんの屋敷にお越しください。そこであなた方が私達を打ち倒せば、計画は破綻となり、魔族召喚は失敗となります。まあ、あなた達の力では、私達を止める事などできないでしょうけどね」
再び床に空間転移の陣が浮かび、マジークの体が光を放ち始めたかと思うと、その姿を一瞬にして消した。
空間転移の陣の効果により、別の空間へと移動したのだ。
「わざわざ目的と本拠地を教えに来るなんて、嫌な野朗だぜ……。その気になれば、俺達を一瞬にして葬る事が出来たってのに、攻撃する気配さえ見せやしねえ。俺達を完全に舐めてやがる」
ギリアムが吐き捨てるように言った。
レオンハルトは行き場の無い怒りを堪えながら、身支度を整え始める。
「俺をこの場で殺さなかった事、後悔させてやる」
そう言って、レオンハルトは治療室の窓を開け放った。そんなレオンハルトを、エリスは悲痛な面持ちで見つめた。
「……レオン」
ベルやギリアムも、同じような表情でレオンハルトを見つめている。
「貴様ら、なんだその顔は。俺に同情しているのか?」
マジークの言葉が正しければ、レオンハルトの右腕は一生治る見込みが無いという事になる。その事に、エリス達は少なからず同情していた。
「俺はな、この右腕を奇異の眼差しで見つめる奴が嫌いだが、それと同じくらい、同情されるのも嫌いなんだ」
「悪かったわ。けど、あなた、これからどうするつもりなの?」
「決まっている。俺をいいように利用したハインデルツと魔族に、一矢報いてやるのさ」
開け放たれた窓から夜風が吹き込み、レオンハルトのしなやかな髪を舞い上がらせた。
その奥で輝く紅い瞳は、ハインデルツとマジークに対する怒りの炎に燃えていた。
「聖剣が奴らの手にある以上、あなた程の剣の達人でも、普通の武器で魔族に対抗するのは難しいわよ」
「言われなくとも分かっている」
「勝算は?」
「無い。だが、このまま奴らの思い通りにさせる事だけは、断じてさせない」
そう言って、レオンハルトは指を唇に添え、指笛を吹いた。
静寂の村にその美しい音色が響き渡った後、闇の中から、猛々しい鳥類の鳴き声と、雄雄しい羽音が聞こえてきた。