2、ウィンドヘルム村の日常
ベルの住むウィンドヘルム村は、静かな田舎だが、美味しい農産物と、暖かな気候が評判で、三百人程の村人が平和に暮らしている。
この村は、『中央広場』『北側』『南側』という、三つの区域に分けられる。
その説明をするには、まず丸い円を思い描く、それがウィンドヘルム村の全体図だ。そして、その丸の中心が村の中央広場。ちょっと小粋な噴水がある開けた場所というだけで、特に面白みのない場所だが、村単位での行事は全て中央広場で催される。
そして、横一直線に丸の中心を横断する川で、上と下、北側と南側に分けられる。
北側は、商店や住居が多く存在するが、南側は建物が少ない、畑と放牧地が広がる静かな場所だ。北は住居、南は農業と、多くの人が使い分けている。因みに、道具屋ファルスは南側の最南端に位置する。
村の最南端から先には行けない。何故なら、そこは人の手が行き届いてない森林が鬱蒼と広がる場所で、その奥には天を貫く山脈が聳え立っているのだ。
「太陽の光はいいなぁ、浴びているだけで、幸せな気分になれる」
ベルは、南側の川沿いを、弁当片手にのほほ~んとした表情で歩いていた。そんなベルを見た一人の女性が、
「あら、ベルではありませんか」
「マリーさん、こんにちは」
ベルは道中に建っている教会の前で足を止めて、教会の庭に居る女性、マリーに挨拶をした。
「こんにちは、ベル」
マリーは、笑顔でベルの挨拶に応えた。
マリーは、腰まで伸びたロングヘアーを三つ網にして一本に束ね、顔には大きな丸眼鏡、服は常に長袖のブラウスとロングスカートを着るという、お世辞にも色気がある格好とは言えない、三十三歳(独身)だ。
本人は歳の事を気にしているが、見た目と肌は二十代と見間違えてしまうほど若々しい。何より、その笑顔と豊満な胸は、村の若い男たちの憧れの的なのである。
「今日は学校の日ですか?」
「ええ、そうですよ」
ヒビの入った石造りの壁と、薄汚れたステンドグラスが特徴的なこの教会は、マリーの住居でもあり、村唯一の教育機関と医療機関として機能している。
週に三回、村の子供達が、教会前の芝生に複数設けられた木製の長椅子に座り、教師であり、白魔術師でもあるマリーの授業を受けているのだ。
元々は彼女の叔父がこの場所で教鞭を振るっていたのだが、十年以上も前に、その叔父は隠居してしまい、それからはマリーが村の子供達の面倒を見ていた。
「ベル兄ちゃ~ん!」
子供達が目を輝かせながらベルに手を振る。ベルも笑顔で子供達に手を振り返した。
ここに集まる子供達にとってのお目当ては、授業の前に配られる教会で焼かれたクッキーなのだが、基本的に素直な子供ばかりなので、一同真面目にマリーの話を聞いている。
それに、授業と言っても、最初の十分間、簡単な読み書きと計算を教えるだけで、後は各地にまつわる伝承や伝説、昔話を聞かせるといったものなのだ。
そんな事もあって、子供達にとって学校とは、お菓子を食べながらお話が聞ける楽しい場所と認識されている。
「ベル、貴方も聞いていきますか? 今日は魔王デストロスのお話ですよ?」
「五十年前、この大陸に降臨した魔王デストロスを、ロキ・アルヴァート十四世国王陛下が、聖剣で打ち滅ぼした話でしょう? もうかれこれ百回以上も聞きましたよ」
ベルも幼い頃は、当時十代だったマリーの授業を受けていたのだ。
「ベル、魔術の修行は順調ですか?」
「はい、朝晩欠かさず魔術の勉強をしています」
「ベルのお祖父さん、イウヴァルト様が亡き今、この村を外敵から守るには、貴方の黒魔術が必要不可欠です。頼りにしていますよ、ベル」
「任せてください」
ベルは胸の前でグッと拳を握り締めた。そして、物心つく前に死んでしまった両親に代わって、商売のイロハと、魔術の基礎を自分に教えてくれた、優しくて、ちょっと抜けていてるイウヴァルトお祖父さんの顔を思い出した。
三年前、八十歳の誕生日を目前に、イウヴァルトは老衰で他界してしまった。
その祖父が死に際にベルへと呟いた、『世界の為、人の為、多くの命を救いなさい』という言葉は、今でもしっかりとベルの心の中に残っている。
だからこそベルは、イウヴァルトの代わりに、様々な脅威から村の人々を守ろうと決心し、毎日欠かさず魔術の勉強をしているのだ。
しかし、イウヴァルトが死んでから今日まで、この村の平和が揺らいだ事は一度もない。
「ベル兄ちゃん、俺に格好良くて強い魔術教えてくれー、どっかーんって岩とか爆発させるやつ」
「あたしもぉ」
「ごめん皆、僕これからお昼ご飯だからまた今度ね」
「ずりぃぞ兄ちゃん! いつも今度って言って、結局教えてくんないじゃんか!」
「そうよそうよぉ!」
子供達がそろって文句を垂れるが、ベルは大して気にしていなかった。
祖父であり、魔術の師匠でもあるイウヴァルトに、無闇やたらに魔術を教え広めてはいけないと言われてきたのだ。
簡単な魔術と言えど、人を殺しかねない威力を秘めた術もある。その事を理解しているベルは、しっかりと祖父の言いつけを守っていた。
「じゃあマリーさん、僕行きますので」
「ベル。クッキーは毎日焼いているので、いつでも遊びに来て下さいね」
ベルは微笑むマリーに一礼した後、子供達のブーイングの嵐を背中に受けながら、その場を去った。