10、秘められた力
男がそれを振り下ろした時、剣から嵐をも凌ぐ烈風が放たれた。
その風が逃げ遅れたエリス達の体に細かな傷をつけていく。
男の剣から発せられた凄まじい剣圧が、真空の刃となって襲ったのだ。
エリス達は身を屈め、強風で体が飛ばされないよう踏ん張る事だけで精一杯だった。
「くそ……、調子に乗りやがって!」
ギリアムが歯を食いしばりながら剣を握り締める。
反撃の機を狙っているのだ。やがて風が止み、ギリアムの待っていたチャンスが訪れる。
「よし、今だっ!」
ギリアムが飛び出す。しかし、そんなギリアムの姿を見たエリスの脳裏に、最悪の光景が浮かび上がる。
「ギリアム待って! あれは!」
「この、クソッタレがぁ!」
エリスの声は、ギリアムに届かなかった。
ギリアムは全身をバネにして、男との間合いを一気に詰めた。男はそんなギリアムに冷たい視線を向ける。
「愚かな」
男は呟くと、もう一度剣を振り下ろした。先程より威力を増した烈風が、寸前まで迫っていたギリアムの体を押し退ける。
「がああああああ!」
ギリアムの体は軽く吹き飛ばされ、まるでボールのように、地面を激しくゴロゴロと転がった。
やがて、飛ばされた場所から遠く離れた場所に生えている木にぶつかり、ギリアムの動きは止ったが、彼の意識は既に根こそぎ奪われていた。
「な、なんだよアレ!」
「……水剣オルカノス」
「オルカノスだって! それって、エリスが言ってた伝説の聖剣の片方の……?」
「そうよ。実際に見るのは初めてだけど、一度だけお祖母ちゃんに聞いたことがあるわ。炎剣ヴォルテクスと並び称されるもう一本の伝説の聖剣は、あたしの持っているヴォルテクスと同じ形状をしていて、使用時には美しい水の刀身が現れるらしいの」
「で、でも! 何であいつが聖剣を持っているんだよ!」
「分からないわよ! お祖母ちゃんが言うには、聖剣を二つ同時に持つと、あまりにも強大な力になりすぎて危険なんだって! だから、片方の炎剣ヴォルテクスはお祖母ちゃんが持っていて、もう片方の水剣オルカノスは、エルフの里に封印して、わざと二つを離しておいたのに……!」
「簡単な事だ。俺が盗んだのさ、エルフの里からな」
「なっ!」
男の体が消えたかと思うと、次の瞬間、その姿はエリスの前にあった。
男が剣を上段に振りかぶる。エリスは無駄だと分かりつつも、手に持った古びた剣を頭の上に掲げ、来るであろう凄まじい一撃を受け止める体制をとった。
「終わりだ」
男の剣が振り下ろされる。水剣オルカノスとエリスの剣がぶつかった瞬間、エリスの手にした剣が砕け散った。
折れたのではない、刀身が粉々に砕け散ったのだ。しかし、オルカノスは止まらず、そのままエリスの肩へと降りかかる。
「ぐっ! うあああああっ!」
エリスの肩にオルカノスが滑り込むように侵入する。最初は痛みすら感じなかったエリスだが、その傷口からワンテンポ遅れて血が噴出した頃に、肩から全身を突き抜けるかのような痛みがエリスを襲った。
「やめろおお!」
我を忘れたベルが、男へと殴りかかる。
「邪魔だ」
「ぐぁ!」
男の蹴りが、ベルを返り討ちにした。弾き飛ばされたベルの体が地面に転がる。
男は、痛みに耐えているエリスに視線を戻し、
「まだ意識があるのか、しぶとい奴だ」
男の膝がエリスの腹に打ち込まれる。
「かはっ!」
エリスの体がくの字に曲がり、小刻みに体を痙攣させた後、倒れこもうとする。しかし、男はエリスの首をグロテスクな右手で掴んで持ち上げた。
「あっ……ぐ」
ぐったりとしたエリスの体が、紐で吊るされたかのように宙に揺らぐ。
「あたしは……負け……ない」
震える両手で男の右手を掴む。今のエリスにできる最後の抵抗だ。
しかし、男は変わらない無表情で、エリスの心臓へと狙いを定めた。
「今度こそ、終わりだ」
ダメか、そう思ってエリスはぎゅっと目を閉じた。だが。
『炎よ 我が声に応え 燃える炎を我が手に宿せ 愚かなる者に灼熱の裁きを』
「何っ!」
不意に聞こえてきた詠唱に、男は声がした方を振り向いた。
『フレイム・ハウル!』
詠唱を唱えたのはベルだった。ベルの目の前に現れた赤い光を放つ陣から、巨大な炎が吐き出される。それは、まるで意思を持っているかのようにうねりながら、男へと襲いかかった。
「バカな! これがフレイム・ハウルだと?」
勝利を目前にしながらも、男は気絶寸前のエリスを放り投げて後退する。それほど目の前に迫った炎の威力が凄まじかったのだ。
「ベル……、やるじゃない」
薄れゆく意識の中、ベルの攻撃を見たエリスは感心して呟き、ゆっくりと目を閉じた。
普通のフレイム・ハウルは、蛇の形をした炎なのだが、ベルの放ったそれは明らかにそれ以上、まるで竜のように激しく、猛々しい炎だった。
男が避けても、炎は執念深く男を追いかける。鬱陶しく感じた男は舌打をして、逃げるのを止めた。そして、水剣オルカノスを構え迎え撃つ。
「うぉぉおおお!」
男の体を激しい衝撃と熱気が襲い、オルカノスの水と、フレイム・ハウルの炎がぶつかり合った。
「舐めるなぁ!」
男が剣を振り抜くと、フレイム・ハウルの炎は完全に消え去ってしまった。だが、男も相当の体力を注ぎ込んだらしく、大きく肩で息をしている。
「き……貴様!」
「エリスを傷つけるな!」
男とベルの視線がぶつかる。かなりの距離はあるが、それでもお互いの表情は見て取れた。
男はベルの顔、それも額の部分が怪しく光っている事に気付いた。ベルの額には、エリスの胸元に現れた封印の陣と同じものが浮かび上がっていた。
「お前を、倒す!」
「……面白い、やってみろ」
ベルが両手を突き出して構える。男は大技が来る事を悟り、剣を構えて力を溜める。
『溶岩より生まれし竜よ その猛々しき息吹 尽きる事なき獄炎として 我の前に立ちはだかりし敵に 大いなる裁きを与えよ』
ベルの目の前に現れた陣が凄まじい赤い光を放つ。
『ドラゴニック・フレイム!』
炎の黒魔術の中でも最強と言われる魔術、ドラゴニック・フレイムが陣より放たれた。
だが、この魔術も通常のドラゴニック・フレイムとはケタ違いの威力をしていた。まるで雪崩のような炎が、射線上の地面を焼け焦がしながら男へと襲い掛かる。
「オルカノォォオス!」
男が叫びながら、全身全霊を込めた一撃を放つ。
振りかざした剣を振り下ろしただけのように見えるが、水剣オルカノスが激しく光り、その刀身を何倍にも増幅させているのだ。
男の剣とベルの炎が爆発音を轟かせながらぶつかり合う。
あまりの衝撃に男の足が地面へとめり込むが、ベルとてそれは同じ事だった。両者とも歯を食いしばりながら、押しつぶされそうな衝撃に耐える。
「負けるかああ!」
「おのれぇええ!」
ベルと男の叫びが響くなか、勝負は終わりを迎えようとしていた。
ぶつかり合っていた水と炎が弾け飛び、そこから生まれた衝撃と閃光が辺りを駆ける。
男とベルは互いに堪えきれず、遥か後方へと吹き飛ばされた。
「うああああ!」
ベルの意識は、そこで途絶えた。
数分ほど経った頃、あまりにも激しい音と衝撃に、心配になった村人達が何事かと松明片手に様子を見に来た。
静寂の中、地面にはベル、エリス、ギリアム、黒ずくめの男の四人が横たわっていた。
そして、ベル店にあった聖剣と壷は、何者かによって持ち去られた後だった。