9、聖剣
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。
「やぁぁあ!」
「ふんっ!」
エリスと男が鍔迫り合いを始めた。両者は体を震わせ、ありったけの力を剣に込める。
「くっ……!」
互角……いや。僅かにエリスが押されている。
お互いの実力は拮抗しているように見えるが、男はまだ全力を出し切っていない事が、エリスには直感的に分かっていた。
事実、必死なエリスの表情に比べて、男は幾分か余裕のある表情をしている。
「太刀筋はなかなかだが、まだ無駄な動きが多い……。踏み込んだ時に体の重心がぶれている」
「っ!」
祖母にも言われたエリスの癖を指摘され、エリスの表情が険しくなる。祖母に言われるのはいいが、他人に言われると頭にくるのだ。
「うるさい!」
エリスは男の剣を弾き返し、剣を上段に構えた状態で一歩踏み込む。そして、勝負を決めるつもりで渾身の一撃を繰り出した。
「せぇぇええい!」
エリスが剣を振り下ろした時、剣と剣の衝突音とは明らかに違う金属音が響いた。
「くぅっ!」
エリスは自分の剣の刃を見て、悔しさのあまりうめき声をあげた。
ひゅんひゅんと空を切って宙を舞った刀身が、ザクリと地面に突き刺さった。エリスの剣の上半分だ。エリスの剣は、その真ん中辺りを、綺麗に切断されていた。
「諦めろ、お前の負けだ」
「まだよ!」
エリスは半分になってしまった剣を構え、抵抗する意思を見せる。
「今のお前には何もできまい」
「おっと、俺がいるのも忘れてもらっちゃ困るぜ」
自らの背後から聞こえた声に、エリスは表情を明るくさせる。
「ギリアム、無事だったのね!」
「そう簡単にくたばってたまるかよ」
ギリアムが不敵に笑った後、男に聞こえないようエリスに呟く。
「道具屋がお嬢ちゃんの聖剣を取りに行っている、それまでの辛抱だ」
「聖剣……! あたしの剣がここにあるの?」
「ああ、あるぜ。だからそれを受け取ったら、一気に勝負を決めてくれよな」
「任せて。それより、あたしの味方なんかしていいの?」
「心配すんな。俺はもう、奴らとは手を切った。俺がここに居るのは、俺の意思だ」
「そうなの? でも、一応お礼は言っておくわ、ありがとう」
希望が見えてきたエリスは、自信満々の表情で頷いてみせた。
「ギリアム、馬鹿な男だ。あのまま逃げていれば助かったものを」
「へっ、この前は手加減してくれたってのか?」
「手加減をしたつもりはない。ただ俺は、お前のしぶとい生命力だけは評価している……だが、二度目はないと思え」
男の構えを見て、本気で来る事を感じ取ったギリアムが舌打ちをした。
そして、隣に居るエリスの剣の有様を見て、ギリアムは自分の剣をエリスへと放る。
「使いな!」
「ありがと!」
ギリアムは自分の剣をエリスに与え、自らは足元に落ちているゴブリンの剣へと目をつけた。
それを足で自分の目の前まで蹴り上げたギリアムは、器用にもその柄を握ってみせる。
「いくぜぇぇ!」
ギリアムが飛び出す。それと同時にお得意の突きを男に向けて放つが。あっさりと避けられ、ギリアムの剣が空を切った。
「半死人に用は無い、失せろ!」
「がはっ!」
負傷をしたギリアムの動きは、男の目から見たら止まっているも同然だった。
悠々と攻撃を見切った男の上段気味の蹴りが、ギリアムの頭をなぎ払う。
だが、攻撃を受けて吹き飛ばされながらも、ギリアムは笑っていた。自分の囮という役目を、見事に果たせたからだ。
「これならっ!」
ギリアムの後方で、すかさずエリスが叫ぶ。
「何っ!」
男がここに来て始めてその表情を驚きへと変えた。ギリアムの後ろに隠れて突っ込んできたエリスの姿に、男は気付く事ができなかったのだ。
下段に構えたエリスの剣が、男の右腕へと襲い掛かる。
「どうだぁぁあ!」
「ちぃ!」
クリーンヒット。男の右腕にエリスの剣が当たる。……だが。
「えっ?」
エリスの剣が振り抜かれる事はなかった。
剣が男の腕に深くめり込んだまま、まるで刀身に石でも当てているかのようにピクリとも動かない。
「ぐっ……、離れろっ!」
「あぅ!」
男の左拳がエリスの顔面を捉える。
エリスは思わず剣から手を放し、体をよろめかせながら、数歩後ずさった。すかさず、ギリアムがその背中を受け止める。
「おい、どういうこった? あれは間違いなく腕の一本は切れててもおかしくない一撃だったぜ? まさかお嬢ちゃん手を抜いたんじゃ?」
「そんな訳ないわよ、手を抜いたらこっちがやられるわ」
「ぐぅ……ぉぉお!」
男は苦悶の表情を浮かべながら、自分の腕に刺さった剣を抜き取り、それを地面へと投げ捨てた。
「攻撃を与えた瞬間、何か岩のような……硬い物の衝撃を感じたわ。おそらく、腕の中に何か仕込んでいたのよ」
「……何も仕込んでなどいない」
男が苦しみに顔の筋肉を引きつらせながら答えた。
「何ですって?」
「この腕は紛れもない、生身の腕だ」
「嘘よ!」
「本当さ」
そう言って、男はマントを脱ぎ捨てた。
黒い半袖のシャツを着た男の右腕には、男の右手の指先から肩口にかけて包帯が巻かれていた。
「あ、あれは……」
エリスが驚いたのは包帯ではなかった。自分が剣を打ち込んだ時につけたと思われる、男の右上腕部の包帯の切れ目。そこから、何やら紫色の気体が漏れている事に気が付いたのだ。
「魔気ね……、それもかなり高純度な」
魔気。魔力と同じ、一種のエネルギーのような物だ。この世界に住む生物の負の感情が目に見える形になったもので、魔族の力の源でもある。
「でも、何だってあの男の腕からあんなものが出ているのよ……」
魔気とは通常人の目には見えないもので、それを目に見えるよう具現化させる事は、魔族にしかできないとされている。
「ちょっとあなた! その包帯の下に何を隠しているの! 見せなさい!」
「後悔するなよ……」
男の左手が包帯に触れた。
包帯には何かしらの魔術がかけられていたらしく、男の意思に反応して、怪しく光ってみせた。
数秒の間、包帯はそうして光を放っていたが、やがて光を失うと同時に、ハラハラと男の腕から滑り落ちていった。
「なっ、なんなのアレは!」
「すっかり忘れてたぜ、お前の腕は特別だったんだよな……」
エリス達は男の右腕を見て、吐き気を催すほどの嫌悪感を抱いていた。
「どうした、見せろと言ったのは貴様だぞ?」
男がニヤリと笑う。笑うと言うより、どこか自嘲しているかのような笑みだ。
男の右腕は悲惨なものだった。まるで腕の皮だけを引ん剥いたかのように、体の組織や筋肉が丸見えで、所々に小さくて鋭利な棘のような物がその腕に生えていた。
ヌラリと月明かりに光るそれは、まるで自ら意思を持っているかのように、男の心臓の鼓動にあわせて、筋肉を膨張縮小させている。
「お前達も、コレを見てそんな顔をするのか」
男の赤い目がエリス達をにらめつける。
未だかつて無い殺気がエリス達の体を突き抜けた。その時、
「エリス! ギリアムさん!」
ベルだ。腕にギリアムが売った剣を抱え、戦場となっている場所から若干離れた場所に位置するファルスの出口から出てきたベルは、そのまま一直線にエリス達の下へと走った。
「道具屋、遅ぇぞ!」
「すみません! でも、ちゃんと持ってきましたよ、聖剣!」
聖剣。その言葉を聞いて、その場に居合わせた全員の眉がピクリと動く。
「ベル! 聖剣を私に!」
エリスがベルへと手を掲げながら叫ぶ。それを見たベルは笑顔で頷くと、三日前ギリアムがベルに売った古びた剣を、エリス目掛けて思い切り放った。
一本の剣がクルクルと回りながら夜空を舞い、少女の手へと渡る。
そして、やっと戦場へと駆けつけたベルは、乱れた呼吸を正す事もせず、興奮した面持ちでエリスへと言い放つ。
「エリス! さぁ、今こそ君の力を存分に発揮するんだ!」
「……」
「エリス、どうしたのさ?」
「何、このバッチィ剣」
エリスが呆けた顔で尋ねる。だが、その言葉を聞いてベルもまた呆けた顔をした。
「何って、君が探してた伝説の聖剣じゃないの?」
「いや、あたしの聖剣は何と言うかもっとこう、犬に向かって投げたら喜んで拾ってきそうな棒状の……」
「ええええええええ!」
ベルが叫ぶ。まさかあの意味不明、用途不明の棒が伝説の聖剣だったとは、夢にも思わなかったのだ。当の聖剣は、ベルの金庫の中でほったらかしにされている。
ギリアムはベルが予想外の物を持ってきた事に驚きながら、
「おい道具屋! あれは路銀の足しにするつもりで宝石と一緒に売った、普通の剣だぞ!」
「だだだ、だって聖剣って言うから、僕はてっきりその剣が伝説の聖剣だとばかり……」
「道具屋、お前知らなかったのか? 俺はてっきり、お嬢ちゃんから聞いてるもんだとばかり……」
「あたしはてっきりギリアムが教えているんだとばかり……」
エリスとギリアムは顔を見合わせて、「何をやってるんだお前は! ちゃんと教えておけよ!」と、責任を擦り付けるような表情を、互いに交差させている。
「悪いが、下らない遊びに付き合っていられるほど暇ではない」
男は冷たい視線をエリス達に向けながら、持っていた剣を鞘に収め、左手を懐に潜らせた。
その手に握られているのは、鉄製の棒。エリスの言う聖剣とよく似た物だった。それを見たエリスの表情が一瞬にして驚きに変わる。
「あ、あれは!」
「我が意思よ、水の刃と化せ!」
男が叫ぶと同時に、棒の先端から一m程の水が噴出し、剣の形となる。
まるで、水色がかった透明の剣を思わせるそれを、男が振りかざす。エリスはそれを見てすかさず叫んだ。
「皆逃げて!」
「無駄だ」