4、ベルの怒り
ズドォォォ……ン!
何処かで爆発音が轟く。ベルには、この音に聞き覚えがあった。
「これは……、炎の黒魔術ブラスト・バーン! でも、こんな危険な術、一体何処で?」
「くそっ、遅かったかっ! おいお前ら、さっさと行けぇ! でないと、手遅れになるぞ!」
ギリアムが悔しそうに奥歯を噛み締める。その視線の先では、もくもくと、黒い煙が朱色の空へと上っている。
「あ……、あの方角は、もしかして!」
ベルの全身から血の気が失せる。
考えるよりも先に、ベルの足は動いていた。
「僕のお店……、お祖父さんから受け継いだ、大切な……! 大切な!」
全速力で走り、ようやく店の前に着いた時、ベルは絶望に打ちひしがれた。
地面に膝をつき、握った両手の拳を地面に叩きつける。
「うぁぁああああ!」
夕日と同じ色の炎が荒れ狂う中、ベルの店が燃えていた。
イウヴァルトとの想い出が詰まった家が見る見る炎に飲み込まれていく様を見て、ベルは堪らず絶叫した。
「諦めるのは早いわ!」
追いついたエリスが、店の前で止まり、詠唱を唱える。
『清澄なる流れを司りし力よ 大いなるその力を今ここに アクア・フロード』
エリスの目の前に現れた陣から、大量の水が勢いよく流れ出た。
まるで雪崩のようなアクア・フロードの水が、店の窓やドアから店内に侵入し、炎を沈下させる。
しかし、そこに残った建物は、辛うじて店としての原型は留めているものの、全てが焼け焦げ、人が住めるような状態の物ではなかった。エリスは悲痛な表情をする。
「酷い……、一体誰がこんな事を」
「ウゴァァ!」
「っ!」
焼け爛れた店の中から一つの影が飛び出す。それを見たエリスは反射的素早く後方へと飛び退いた。
ズドォン! 先程までエリスが立っていた場所が、音を立ててへこむ。
そこには、丸太を削って作ったかのような、大きな棍棒がめり込んでいた。
エリスの判断は正しかった。あのままボーっと突っ立っていたら、間違いなくエリスの体はぺしゃんこになっていただろう。
「ウゴァァァアア!」
「……トロル!」
盛り上がる青紫色の筋肉。二mを優に超すその巨体を見て、エリスは呟いた。
魔術で作られた、怪力が自慢の魔物、トロルだ。
「でも、どうしてこんな奴がここに?」
魔物を魔術で精製するには、かなりの技術と魔力を要するのだ。
「それはですね、あっしが連れてきたからですぜぇ」
エリスの疑問に答えた主は、道具屋ファルスの真向かいにある家の屋根の上に居た。エリスは目の前のトロルを警戒しながら、後ろを振り返る。
「お初にお目にかかりやす、あっしはピギーと言うものでさぁ」
「自分に名前をつけるなんて、随分と自己顕示欲の強い魔物ね」
魔物とは、人や魔族が魔術によって作り出した存在で、主人と本能にのみに従い、戦う為だけに作られた生き物で、ピギーのように自己を持った魔物は珍しいのだ。
ただ、自己が有ろうが無かろうが、魔物は例外なく、死ぬと同時に、その身が灰となって朽ちてしまう仕組みになっている。
「ブヒヒっ! あっしに自己がある事に、相当驚いているようですねぇ」
「確かに驚いたわ。けどね、自己を持った魔物は許せても、ベルの店を燃やした事は許せないわ」
エリスが剣を抜き、屋根の上で不敵に笑うピギーへと、その切っ先を向けた。
「いやはやそれは申し訳ない。けどあっし達には、時間がないんでさぁ。探し物を見つけるには、これが一番手っ取り早い方法だったんでねぇ。ついつい魔術で店を燃やしちまったんでさぁ」
「何ですって?」
「おっと、お喋りの時間は終わりですぜぇ」
ピギーが右手を上げると、そこかしこの家の影から、身長一メートルにも満たない小さな緑色の魔物、ゴブリンがぞろぞろと姿を現した。腰にボロボロの布を巻きつけただけの格好で、各々が錆びた剣や槍なんか装備している。
その数およそ三十匹。それらがエリスとベルをグルリと一周して取り囲む。
「あっしらはこれから探し物をしなけりゃならないんで、邪魔者には消えてもらいますぜ」
ピギーは鼻を鳴らしながらニヤリと笑う。
「そうだね」
「ブヒッ?」
呟いたのはベルだった。
「邪魔者には……消えてもらおうかな」
俯いたまま微動だにしないベルの周りに、半径五メートル程の巨大な黄土色の陣が浮かび上がる。
『大地よ 我が声に応え その怒りをここに示せ 愚かなる者を 我の前から滅せよ』
「ちょ、ちょっとベル、いくらなんでもそれはやりすぎじゃ」
エリスの言葉が全く聞こえていないベルは、術名を口にする。エリスは慌ててベルの側へと駆け寄った。
『グランド・スピアー!』
ベルの声に呼応して、陣が眩い黄土色の輝きを放つ。やがて地響きと共に大地から幾数本もの土の槍が突き出した。それらが、ベル達を取り囲んだトロルとゴブリンを襲う。
一体、また一体と、甲高い悲鳴をあげ逃げ惑うゴブリンの体が土の槍にその身を貫かれる。
数秒後、ゴブリン達の群れとトロルは、あっという間に灰となって消えてしまっていた。
そして、術によって地面から突き出した土槍も、その効力を失って、ただの土となって崩れていく。
「今のグランドスピアーは、人間の魔力容量を明らかに超えてやがりますぜぇ……。まさかあの小僧がイウヴァルトの……」
ピギーは小さな目をこれでもかと言うほど見開きながら呟いた。
「ベル、怒ってる?」
エリスは俯いたままのベルに問いかける。ベルは涙の浮かんだ顔を上げて、
「怒ってるよ」
「だよね」
涙を拭って立ち上がったベルは、厳しい眼差しをピギーへと向けた。
「許さないぞ、お前っ!」
「どうやら、あっしはちぃとばかしあんた達を甘く見ていたようでさぁ……」
険しい表情と眼光をベル達に見せつけたピギーは、家々の屋根に飛び移りながら、撤退していった。
「逃げたようね」
エリスは剣を鞘に納めて呟く。そして、夕日に照らされてたファルスの焼け跡を見つめて、
「ベル? その、お店の事は……残念だと思うわ」
「いや、いいんだよ。こんな事でクヨクヨしてられないからね」
ベルはニコっと笑って見せた。実際、ベルの怒りと絶望は既に鎮まっていた。
「ベル、無理して笑ってない?」
「そんな事ないよ。こうして冷静でいられるのも、エリスのおかげだよ」
どんなに辛い現実でも、それを物ともせず生きてきたエリスのように強くなる。
先程そう誓ったベルは、燃やされたなら、また新しく建て直せばいいといった風に、つらい現実に負けないで、前向きな考えをしていた。
「あれ? あたし、なんかしたかしら?」
「エリスが居なかったら、店を焼かれた僕は立ち直れなかったと思う、ありがとう」
ベルは笑顔でエリスの頭を撫でた。少しびっくりしたような表情をしたエリスは、少し経ってたから、か細い声でベルに問う。
「何で頭撫でるの?」
「いや、何となく。嫌だった?」
「子供っぽく見られそうだから嫌」
「じゃあやめる?」
「……や、やめる」
そう言いながらも、エリスの頬は、ほんのりと紅潮していた。




