3、恐怖の予感
エリスが来てから今まで、毎晩二人はお互いの事について、夜更けまで話していた。
イウヴァルトとベルは大きめのベッドを二人で使っていたが、さすがに年頃の男女がそうするのは良くないというベルの意見で、エリスがベッド、ベルが自主的に床に毛布を敷いて寝るという方法をとっている。
エリスの生い立ちや今までの人生を彼女の口から聞いたベルは、とても複雑な気持ちになっていた。
何故なら、エリスは幼くして両親を亡くし、年老いた祖母と同居という、ベルとはとてもよく似た境遇で育ちながらも、その生活環境は大きく異なっていたからだ。
エリスはいつも一人だった。
十五歳の女の子と言ったら、まだまだ遊びたい盛りで、親にも甘えたい年頃の筈だ。
しかし、英雄の子孫として生まれた事に只ならぬ使命を感じているエリスは、幼い頃から同い年の子供達が遊んだり学校に通っている間に、剣術や魔術の修行をしていた。
ろくに友達も作らず、ただひたすら修行をする毎日の繰り返し。
エリス自身、それが当たり前だと思っていて、大して気にしていない風に喋っていたが、エリスの話を聞いたベルは、居た堪れない気持ちになっていた。
少なくとも、自分には村の仲間や友達が居た、だから両親が居なくても、楽しく笑って過ごせていたのだ。
それなのに、目の前の少女は友達も作らず、ただ英雄の子孫の使命を果たす為に、今までずっと戦いの技術を磨く事だけに心血を注いできたのだ。
それも、それを苦とも思わず、課せられた使命の重さにも挫けず。
「ベルー! 肉よ肉! 大っきい肉!」
手を振る楽しそうなエリスの表情を見れば見るほど、ベルは未熟な自分に腹が立った。
エリスは年の割に背格好は大人びているが、悲しくなるとすぐ泣いて、楽しそうな物を見つけると嬉しそうに笑う、どこにでも居る普通の女の子なのだ。
もし、自分もエリスと同じ環境で育っていたら、同じように笑えるのだろうか? いや、きっと精神が捻くれて育つだろう。そう考えて、ベルは自嘲する。
どんなに苦しい環境でも、真っ直ぐ生きるエリスの強さに心の底から感心したベルは、自分もエリスのように強くあろうと心に誓った。英雄の使命にも、自分の体の中に眠る魔王の恐怖にも負けないくらい強くなろうと思い、拳を握り締めた
「ヘイ、お兄さん。俺っちはボブってんだけど、あのお嬢ちゃんの恋人かい?」
王都でその人ありと言われた薬剤師(自称)のボブが、ニヤニヤ笑いながら、ベルに話しかけた。
「いや、別に恋人って訳じゃ……!」
「何だ、じゃあボブが女の子受けするプレゼントを見繕ってやるぜ!」
恥かしそうに否定するベルに向かって、ボブは何やら鞄から商品を取り出して、それをベルの前に差し出した。
「この可愛いリボンと、ついでに秘薬もおまけして。金貨一枚でどうだい?」
「さようなら」
「あっー! 行かないでっ! 俺っちから遠ざからないでっ!」
ありえない価格に、目の前の商人をインチキだと判断したベルは、さっさとその場から離れようとした。だが、ボブは身を乗り出してベルを引き止める。
「お客さん来ないの! お客さん全然来ないの! ボブ、困っちゃうの!」
「知りませんよ! 金額がありえないですし、それに、ついでの秘薬って、もうそれは秘薬じゃないでしょう!」
「後生だから買って! この哀れな商人、ボブを助けると思って、ね?」
ウルウルと瞳を潤ませ、ベルを見つめるボブ。
「銅貨五十枚でなら、買ってもいいです」
「バカっー!」
「ぶほぁ!」
パチーーン! ボブの張り手がベルの頬を引っぱたいた。
「ボブのリボンと秘薬を、たったの銅貨五十枚で買おうだなんて! あんた人間じゃねーよ! ボブはこの人に殺されるよぉ! ひぃぃいいい!」
「わ、分かりましたよ! じゃあ銀貨一枚でならどうです?」
ボブは懐から銀色に輝く銀貨を取り出して、それをボブに見せる。ボブはそれを物凄い速さでふんだくり、狂喜乱舞した。
「うっしっし! うーっしっしっし! 銀貨じゃ銀貨じゃ!」
「あなた、さっきとキャラが違いますよ!」
「気にしな~い! それよりお兄さん良い人だね。ボブ、お兄さんの恋、応援しちゃうよ!」
そう言ったボブは、ベルにリボンと秘薬(?)を差し出し、さっさと店じまいして走り去ってしまった。
とりあえず、効くかどうかも分からない秘薬をポケットにしまったベルは、商人から渡されたリボンを見つめた。
花柄の可愛らしいリボンだ。これでエリスの髪を結ったら、似合うかもしれない。
このリボンを付けて笑うエリスを思い浮かべて、ベルは自然と頬を緩ませた。
「わっ!」
「どわー!」
急に目の前に現れたエリスに、ベルは叫び声をあげて驚いた。
「ベル、何か買ったの?」
「いや、別に何も買ってないよ!」
ベルは、リボンをポケットの中に押し込んだ。なんと言ってエリスに渡せばいいのか、今のベルには分からなかったのだ。
「エリス、せっかくだから何か食べていこうよ」
話を逸らす為に言ったベルの言葉だが、エリスはとても喜んだ。
「そうねぇ、さっきの串焼きも美味しそうだったけど、魚も捨てがたいわ……」
真剣な顔をして悩むエリス。
そんな彼女の背後で悲鳴があがる。エリスとベルは、声がした方を向いた。
「うっ……ぐっ」
村の入り口付近。血に塗れた服を着て、上半身に大きな刀傷を負った男が、よろよろとした足取りで歩いていた。
人々は死人が歩いているかのような不気味な光景を前にして、ざわめきながら男を避けていた。
「あ……あれって」
エリスにはその男に見覚えがあった。人を掻き分けながら、男の下へと駆け出す。
「ギリアム!」
自分の名を叫びながら近づいてくる顔見知りの少女を見て、ギリアムは口元を緩ませたが、安心した所為で体の力が抜けてしまい、ギリアムの体は前のめりに倒れた。
エリスはすかさず駆け寄って、ギリアムの体を支えた。
ギリアムは息も絶え絶えに呟く。
「よぉ……また会ったな……お嬢ちゃん」
「どうしたのよギリアム、こんな傷だらけで! 一体何があったの?」
奪われているかもしれない聖剣の事など忘れて、エリスは目の前の盗賊を、心の底から心配していた。
「……へっ、てめぇの大切な物を奪おうとした奴を心配するなんて……、本当に変わったお嬢ちゃんだ」
「喋らないで、今治癒の白魔術をかけてるわ。ベル、あなたもお願い!」
自分を追って来たベルに、エリスは言う。血だらけのギリアムの傷を見てたベルは、事情も聞かずに頷いた。エリスとベルはギリアムの傷口付近に手をかざし、同じ詠唱を唱える。
『たゆたう命の源よ ここに来たりて 傷を癒したまえ ヒーリング』
二人の手からた淡く温かい光が放たれ、傷口を照らした。すると、ギリアムの傷口が塞がっていき、五分ほど経った頃には、ギリアムの傷は完全に塞がっていた。
「とりあえず、応急処置はできたわね」
「でも、早く本格的な治療をしないと危険だ。僕、教会に行ってマリーさんを呼んでくる!」
この村に医者は居ない。だが、教会のマリーは白魔術の心得がある。この村ではマリーが医者の代わりをしているのだ。
「ま、待て!」
駆け出そうとしたベルを引き止めたのはギリアムだった。
「お前は……、道具屋の主人だな?」
「そうですけど、どこかでお会いしましたっけ?」
ベルは目の前の男に会った覚えは無かった。
「い、今はそんな事どうでもいい! お前はイウヴァルトの孫なんだろ? だったら、黒魔術の心得ぐらいはあるよな?」
「ありますけど、今は黒魔術よりも、あなたの傷を治す白魔術の方が」
「うるせぇ! 俺の事はいい! お前らさっさとあの道具屋に戻れ!」
ギリアムの発言の意図が分からないエリスとベルは、二人して困惑する。
「い、いいか……! あいつらは間違いなく俺が道具屋に売った伝説の聖剣と……」