4、盗賊ギリアム
「あなた……、何者なの?」
「俺の名はギリアム、只のしがない……」
ギリアムの左手が腰に携えたショートソードの柄を握る。エリスは殺気を感じ取り、剣を握った手に力を入れた。
「盗賊さっ!」
「っ!」
意外にも素早い踏み込みに、エリスは驚きを隠せなかった。
眼前に迫る剣の刃先を見た時には、十mは離れていたであろう距離は、三m以内に縮まっていたのだ。
「いただきっ!」
ギリアムは勝利を確信し、ショートソードを思い切り突き出した。しかし、肉を切り裂く手応えは無く、金属的な衝撃と音が夜の山にこだました。
素早く抜刀したエリスのロングソードが、ギリアムの剣を受け止めたのだ。体に力が入っている所為で少し引きつった笑顔をしたエリスが口を開く。
「お生憎様。あたしの命、そう簡単にはあげないわよ」
「……らしいな」
両者共に、奥歯を噛み締めながら鍔迫り合いをする。そうしながらも、エリスは小声で詠唱を唱えた。
『炎よ 我が声に応え 燃える炎を我が手に宿せ 愚かなる者に灼熱の裁きを』
「ちぃっ! 黒魔術か!」
その詠唱を耳にしたギリアムが素早く後退する。
『フレイム・ハウル!』
エリスは左手を地面に叩きつけた。エリスを中心として半径一メートルほどの陣が地面に浮かび上がる。
その直後、まるで蛇の様にうねる炎が陣から生まれ、それらが地を這いながらギリアムへと襲い掛かった。
ギリアムは何とか当たる寸前でそれを高く飛んでかわし、地上から二~三メートル程の位置にある、太い木の枝へと着地した。
「ぐっ……」
ギリアムは空いた左手で、自らの顔の左半分を覆っている。エリスはそんなギリアムを見上げて笑ってみせた。
「飛び退いたのはいい判断だったわね。本当はあたしの剣にフレイム・ハウルを伝わせようとしていたから、あのまま鍔迫り合いをしていたら、あなた、間違いなくステーキになってたわよ」
「……ふん、笑顔でえげつない事を言うとは、ますます大したお嬢ちゃんだ」
「えげつないのはそっちの方よ。その短剣、切っ先に毒が塗ってあるでしょ?」
ギリアムは、思わず感心して「ほぅ……」と呟いた。
「さっきの鍔迫り合いの時、鼻の奥をツンと刺激する匂いがしたわ……。おそらく、その特徴からして遅効性のある毒草、レッドポイズン草でも刃先に塗りたくったんでしょう?」
「ご名答、その通りだ」
「紙一重で最初の一撃を交わしても、少しでも体を傷つけられれば間違いなく相手はジワジワと体力を奪われて死んじゃうものねぇ……。随分とえげつない真似してくれるじゃないの?」
「褒めるなよ、照れるぜ」
「別に褒めたつもりは無いんだけど、あたしにそんなせこい手は、二度と通用しないと思うわよ?」
エリスが再び剣を構える。その隙の無い構えに、ギリアムは押し黙った。
「成る程。噂どおりの剣と魔術だ……。それに、その両方の連携で来られたとあっては、俺に勝ち目は無いかもな」
ギリアムは覆っていた左手をどけた。
エリスが唱えた炎の攻撃用黒魔術、フレイム・ハウルが、完全に避け切れなかったギリアムの顔の左半分を襲ったのだ。火傷して赤黒く変色した肌が月に照らし出される。
「降参しなさい。二度と聖剣に関わらないって誓えるのなら、このまま見逃してあげる」
「ほざけ、俺が言ったのは、完全な状態のお前には勝てないという意味だ」
「何? この期に及んで、何かトラップでも仕掛けてたって言うの?」
「……そろそろ効いてくる頃なんだが」
「えっ? ……うぐっ」
不意に体を襲った異変に、エリスはその場に跪いた。それを視認した後、ギリアムは木から飛び降り、悠々とした足取りでエリスへと歩み寄る。
「体が……言う事を聞かない?」
エリスの額に汗がにじみ出る。最初の一太刀は確実に受け止めた、その後もギリアムが何かを仕掛けた訳では無いのに、何故……? いくら考えても答えは出なかった。
苦しむエリスを見下ろして、ギリアムは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。
「木の実、美味かったか?」
「ま、……まさか」
「そう、そのまさかなんだな」
懐から木の実を取り出し、それをエリスの前に放った。
目の前でコロコロと転がる木の実を見て、エリスは悔しさに奥歯を噛み締めた。
「お前さんが木の実を拾っていた場所に、俺特製の毒木の実を投げ入れてやったんだよ」
ギリアムは余裕のある表情で続ける。
「普通の奴なら、一個口にしただけで苦しむのに、お前ときたら何個も美味そうにポリポリ食いやがっても効き目が表れない。さすがの俺も焦ったぜ」
「な……何を入れたの?」
「速攻性の毒薬……、にしようと思ったが、入れたのは体が痺れるだけの毒だ。お前みたいなガキを殺す趣味は俺には無いんでな」
「うぐっ……、武器に毒を仕込んでた癖に……」
「おいおい、剣と木の実の毒、両方ともちゃんと解毒剤は用意してあるんだぜ? まあ、それでも最長でニ~三日は体が痺れてまともに動けないだろうがな。その間誰に何をされようが俺は知ったこっちゃないが、運がよければ助かるだろうよ」
「ひ、卑怯者……!」
「戦いに卑怯も糞もねぇよ。これが俺の戦い方だ……そして」
ギリアムは、右足に力を入れ、エリスの腹へと狙いを定める。
「火傷のお返しだ、受け取れっ!」
「あうっ!」
ギリアムの蹴りがエリスの腹を襲う。成す術も無く蹴り飛ばされたエリスは、茂みの中へと転がり込んだ。
体中を襲う痛みと痺れに苦しみながらも、エリスは何とか地面に手を着いて体を起き上がらせようとする。
「お……、女の子のお腹は、蹴ったりしちゃダメだって……ごほっ! お祖母ちゃんが、言ってた……」
「悪いな、これも仕事なんだ」
ギリアムがエリスの側まで歩み寄る、その手には、エリスの手荷であるナップザックが握られている。
「まぁ仕返しも済んだし、元々お前に私怨は無いから。せめてもの情けだ」
エリスの目の前に小瓶を落とす。解毒薬だ。エリスは震える手でそれを掴み、グッと握り締めた。
「じゃあな。運が悪かったと思って諦めるんだな、お嬢ちゃん。人生何事も上手くいかないものさ」
しかしエリスは、踵を返して闇の中にへと姿を消そうとするギリアムの後頭部に、解毒薬が入った小瓶を投げつけ、見事にヒットさせた。
「てめぇ……」
ギリアムは唸りながらエリスを振り返ったが、目の前の光景を見て、目を見開いた。
「はぁ……、はぁ……」
エリスは木にもたれながらも、地に足をつけて立っていたのだ。
「お前……本当に人間か?」
痺れるだけの毒と言っても、木の実一個で、間違いなく大の大人を数時間は動けなくする効果がある。
ましてや、エリスはその毒を仕込んだ木の実を何個も食べたのだ。
指一本動かせないだろうし、死ぬ可能性だってある。にもかかわらず、エリスは立っている。
「大した根性だ、正直言って、かなり驚いたぜ」
「か……、返しなさい! それは、あたしのよ!」
エリスは剣を鞘に収め、毒を感じさせないスピードで、ギリアムへと飛び掛る。油断していたギリアムは、反応が遅れてしまった。
エリスは持てる限りの力を右拳に集め、それをギリアムの腹目掛けて振り抜いた。
「はぁぁああ!」
「しまった!」
鈍い音を立てて、エリスの右ブローが、ギリアムのボディーに突き刺さった。
「がはっ……」
ギリアムは、腹の中の物を全て吹き飛ばされてしまったのではないか? と言う錯覚に陥った。
それ程までに凄まじい一撃だったのだ。凄まじい衝撃に、ギリアムの膝が落ちた。
霞む視線の先。ギリアムはエリスの胸元が紫色に発光している事に気付いた。それと同時に、それがエリスに何らかの力を与えているのだと悟る。
「貴様……それは、一体ぃ、……ぐぁ!」
だが、そんな事は今のギリアムにはどうでもいい事だった。地に跪いたまま、まともに動く事さえ出来ないでいる。
形勢は逆転していた。今度はエリスが、蹲るギリアムを見下ろしている。
「……返してもらうわよ」
エリスが、地面に落ちたナップザックを拾いあげる。エリスはギリアムに背を向けて、その場を立ち去ろうとした。
「ま……待て! 何故止めを刺さない……」
「一応、あんたはあたしに解毒剤を渡してくれたからね、そのお返しよ」
エリスは振り向かずに応える。
「甘いな。もしかしたら、いや、俺は必ずまたお前を襲うぞ!」
「その時は……」
エリスは首だけを回してギリアムを見て、ニッと笑って見せた。
「今度こそ、あたしが全力であんたをぶっ飛ばすわ」
そんなエリスの笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまったギリアムは、俯きながら呟く。
「……変わったお嬢ちゃんだ」
「あんたも相当変わってるわよ、妙に優しい盗賊さん」
それっきり、じゃあねと手を振ってエリスは歩き出した。
「あっ、ちょっと待て! 確かそっちは!」
「へ?」
しかし、五歩目の足を踏み出した時、エリスの体が前のめりに倒れた。
転んだ訳でも、躓いた訳でもない。暗くてエリスには見えなかったが、足を踏み出したその先には、地面が無かったのだ。