3、現れた刺客
エリスは薄暗い山道を進んでいた。
それほど広くない道の脇には草木が鬱蒼と生い茂っていて、不気味な雰囲気を漂わせている。
しかし、エリスはそんな事はまったく気にしていなかった。
「ぽりぽり」
気にするどころか、小腹が減ったエリスは、先ほどズカズカと茂みに踏み入り、落ちていた木の実を十個程拾って、それを笑顔で食べながら歩いていた。
既に日が変わっているが、夜明けにはまだ時間がある。この分だと、夕方前にはウィンドヘルムに着けるだろう。そう思うと、自然とエリスの歩く速度が速くなる。
『……』
「……」
ふと、エリスの歩みが止まった。
ティンクルベリーの酒場を出た時から感じていた違和感が確実なものとなる。
一瞬だが、チクリと背中を刺した小さな殺気に、エリスは自分がつけられているという事に感づいた。
気配からして、人数は一人。
少し思案した後、エリスは微かな笑みを浮かべた。そして、握っていた最後の木の実を胸の高さまで放り、落ちてきたそれを右手で受け止め、軽く握り締めてから、
「……そこっ!」
エリスは素早く身を翻し、振り向きざまに握っていた木の実を、十m程離れた茂みへと投げつけた。葉と枝の揺れる音と共に、木の実が茂みの中へと吸い込まれる。
そしてエリスは、
「居るんでしょ、どっかの誰かさん?」
暫くの沈黙の後、茂みから音を立てて真紅のマントを羽織った男が出てきた。
今はフードを被っていないが、間違いなく、酒場でエリスの持ち物を奪おうとした男だった。
しかし、当のエリスはその男の顔をよく見ていなかったので、その事に気付いていない。
投げつけられた木の実を右手で受け止めた男は、それを手の中で弄びながら口を開く。
「いつからだ?」
「酒場を出た時から薄々気がついていたわよ」
「大した奴だよ。尾行されていると分かっていて、こんな人気の無い山に足を踏み入れるなんてな」
「別に。気配からして大した事なさそうだったから、襲われても簡単にやっつけられるかなって思ってただけよ」
「言ってくれるぜ」
「けど、こそこそ後をつけられるのが好きって訳じゃないわ。それに、影から人の事を観察するいやらしい視線にも、うんざりしてきた頃なのよ」
「ほぅ、だとしたらどうする?」
「これ以上あたしを付回す気なら。あんたを……、倒す」
エリスはロングソードの柄を右手で握り締めた。そしてゆっくりと身をかがめ、いつでも抜刀できる体制をとる。
「まあ待て、こちとら長い間お前を探していたんだ。そう邪険にするなよ」
男は、その悪人面には不釣り合いな笑みを浮かべ、両手を広げながらエリスの方へと一歩踏み出した。
しかし、それ以上足を踏み込む事はしなかった。
言わずとも、『それ以上近づいたら、斬る』と、エリスの目と構えから出ている殺気が物語っているのだ。
「……」
「……仲良くお話って訳にもいかないか」
やれやれといった風に、木の実を懐に仕舞った後、男の顔から笑みが消えた。
切れ目から覗く鋭い視線がエリスへと向けられる。
「最初に一つだけ聞いておこう、お前、アレを持っているな?」
「抽象的すぎて何の事だか分からないわ」
エリスは構えたまま、厳しい口調で答えた。
「……五十年前魔王を討ち滅ぼした聖剣の一つで、どんな屈強な魔族も一太刀で切り裂くと言われる、炎剣ヴォルテクス」
その言葉が男の口から吐き出された瞬間、エリスの顔色が変わった。
「やはり、お前が持っていたのか」
「……さぁ、何の事だかさっぱり分からないわ」
「惚けても無駄だ、さっきの酒場でお前が持っているのを確認した」
「だったら聞くなし……じゃなくて、あたしの武器はこのロングソードのみよ。これをその聖剣と見間違えたのかしら? だとしたら今すぐ白魔術で目を治療したほうがいいわね」
エリスは笑みを浮かべながら、首を傾げて見せる。
「裏の世界じゃ有名な話だ。天空の魔術師 イウヴァルトを探し求めるガキが、行く先々で伝説の聖剣を振るい魔物を倒している……てな。勿論、その聖剣らしからぬ特殊な形状の事も知っているぜ」
「……くっ」
確かに、エリスは旅をしている途中、魔物の脅威から人々を救う為に何度か聖剣を振るっていた。
それでも数える程で、周りに聖剣を狙う怪しい輩が居ない事を確認してから使っていたのだ。
まさか、ここまでバレているとは思っていなかったエリスは、己の甘さを悔やんだ。
伝説の聖剣と言われるだけあって、エリスの持っている炎剣ヴォルテクスは、凄まじい力を秘めている。だからこそ、ここぞと言う時にしか使わない。
そうしなければ、炎剣ヴォルテクスを欲しがる人達が出てくる。
最悪の場合、自らの存在を脅かす武器を煩わしく思っている魔族が出てくるかもしれない。
そういった面倒事を避ける為に、『出来る限り、炎剣ヴォルテクスは使わない』、そうエリスは祖母と約束をしていた。
「バレてるみたいだから正直に言うけど、持ってるわよ、その伝説の聖剣」
「よこせ……って言っても、くれないんだろ?」
「うーん、どうしようかしら。事と次第によっちゃ、あたしあげちゃうかもよ?」
「ふん、見え透いた嘘を吐くな」
「やっぱり、分かっちゃうわよね」
聖剣を求める人なんて、よっぽど正義感に溢れた善人か、それを使って何かよからぬ事を企んでいる悪人くらいしかいない。
言動からして、目の前の男はどう見ても後者だ。そう感じ取ったエリスは、この男が何をしようとしているのか知るために、鎌をかけたのだ。
「まあ、そうだな。強いて言うなら金儲け……だな」
「お金ですって?」
「聖剣を欲しがっている変わった奴がいてよ、そいつが、聖剣を持ってきた者には、破格の報奨金を出すって言うんだ。てな訳で、俺にはどうしても聖剣が必要なんだよ」
男の視線がエリスの足元に置かれたナップザックへと移る。エリスはそれを遮るかのように、すり足で体をスライドさせてナップザックを隠した。