吾輩はタンクである。デスはまだ無い。
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どこで生まれたかと問われれば、古びた修練場の隅で、身の丈ほどもある無骨な大盾をあてがわれた時と答えるほかない。
世の冒険者という人種は、甚だ情緒的で、かつ非合理的な生き物である。剣を振るえば英雄になれると信じ、魔法を唱えれば万能になれると錯覚している。
彼らにとって戦場とは「勇気」を証明する舞台なのだそうだが、吾輩に言わせれば、それは大きな間違いである。戦場とは、純然たる数学的空間であり、有限なる資源と、それをいかに効率よく勝利への糧に変換できるかという演算の場に過ぎない。
吾輩の装備は、一見すればただの鉄の塊である。金色の装飾もなければ、伝説の加護もない。しかし、この盾の表面に刻まれた無数の傷跡こそが、吾輩の戦歴を何よりも雄弁に物語っている。
現在、吾輩の公的な戦歴における死亡回数、いわゆる「デス数」は0である。
これは決して、吾輩が臆病ゆえに後方に引き籠もっているからではない。むしろ逆だ。吾輩は常に、誰よりも敵に近い場所に立っている。敵の鼻息が兜の隙間から入り込み、死神の鎌が喉元をかすめる距離――それが吾輩の定位置だ。
では、なぜ死なないのか。
答えは単純である。吾輩が死ぬことは、チームにおける視界と物理的障壁が同時に消失することを意味するからだ。タンクが倒れた後の後衛職など、殻を剥かれた蟹も同然である。勝利という絶対的な解に到達するために、吾輩が生存し続けることは、前提条件なのだ。
かつて、吾輩がまだ駆け出しの「肉の壁」に過ぎなかった頃、ある若きタンクがいた。彼は「味方の盾となって死ぬのが本望」と嘯き、劣勢の戦場で華々しく散っていった。
その死顔は満足げであったが、結果はどうだ。盾を失ったチームは三分持たずに瓦解し、彼が守るべきだった村は灰燼に帰した。死んで満足するのは自己満足の極みであり、プロの仕事ではない。
吾輩はその時、骨の髄まで理解したのだ。生き残ることこそが、タンクに課せられた唯一の義務であり、最大の貢献であると。ゆえに吾輩は、勝つために、絶対に死なないのである。
「おい、タンク! さっさと前に出ろ! 敵のメイジが詠唱を始めているだろうが!」
背後から飛んでくるのは、パーティーリーダーであるアルスの怒声である。彼は「戦士」という役割を、単なる破壊の免罪符と勘違いしている。
アルスは典型的な、火力の数字だけを信奉する短絡的な男だ。自分が攻撃できているのは、吾輩が敵意を一身に集め、彼が攻撃に専念できる「完璧なタイミング」を確保しているからだという事実に、一向に気づく気配がない。
今日、吾輩が選んだ装備構成は「対魔法耐性」に特化したものである。昨夜、敵の編成を偵察した結果、主力は魔術師軍団。物理防御を固めるのは、雨の日に日傘をさすような愚策である。
吾輩は愛用の盾を軽く叩く。この盾は、北方の凍土で採取された『氷晶鉄』を練り込んだ特注品だ。物理的な硬度こそ鋼鉄に劣るが、魔法攻撃への耐性においては右に出るものはない。装備の選択が勝敗に大きく関わることは自明である。
「アルス殿。焦りは禁物である。敵のメイジが詠唱しているのは、こちらを誘い出すための囮だ。」
吾輩は盾を構えたまま、左右の茂みに視線だけを走らせる。
「今、不用意に距離を詰めれば、茂みに潜んでいる敵の暗殺者に、君の首は容易く刈り取られるだろう。」
「一歩引いて、敵のスキルが空振るのを待つのが正解である」
「あぁ!? んなもん、お前が挑発で引き付けりゃ済む話だろ!
タンクなら、黙って突っ込んで死ぬ気で俺を守れ!」
吾輩は深く溜息をついた。
これだから素人は困るのである。彼らはタンクの役割を「ダメージを受ける肉の壁」だと勘違いしている。だが、真のタンクの仕事は、敵のスキルを「無駄撃ち」させ、味方が最も火力を出しやすい「完璧なタイミング」を作り出すことにある。
吾輩の盾は、味方を守るためにある。それは事実だ。しかし、味方が「自殺志願者」のごとき無謀な突撃を敢行する際、それに付き合って心中する義務までは負っていない。
そもそも、支援職の魔力残量、敵のスキルの再発動時間、周囲の地形による回避率の補正――それらを一切計算せず、ただ「勇気」という名の中身のない言葉を叫んで突っ込むのは、戦略ではなく単なるギャンブルである。
吾輩はリアリストである。
勝率が5割を切る勝負に、貴重な命という資産をベットする趣味はないのである。




