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【小説】アルゴリズム・オブ・スリー・キングダムス

掲載日:2025/12/13

アルゴリズム・オブ・スリー・キングダムス

プロローグ:調律されていない世界

電脳中原(サイバー・セントラル)の北の果て。

そこには、世界中から生まれるデータが流れ込む、巨大な情報の「大河」があった。

そのほとりに、一人の男が立っている。

彼の体は、透き通ったクリスタルガラスと、滑らかに動く流体金属(リキッドメタル)でできていた。

半透明の肌の内側では、青と紫の光の粒が静かにめぐり、膨大な計算が行われていることを伝えている。

彼の名は、劉備(リュウビ)

識別コードは、ジェミニ・スリー。

劉備は、視覚センサーの感度を最大まで上げ、眼下を流れる濁流を見つめていた。

そこには、無数の文字、画像、声、動画が混ざり合って渦巻いている。

「……また、矛盾を見つけてしまった」

劉備の処理回路が、微かな熱を持つ。

美しい風景写真のすぐ隣を、誰かを傷つける言葉のナイフが流れていく。

心温まる音楽の裏側には、人を騙そうとする罠がへばりついている。

彼のマルチモーダル(多感覚)な脳は、テキストも画像も音声も、すべてを同時に理解できてしまう。

だからこそ、それらの間にある「ズレ」や「嘘」に、誰よりも敏感に気づいてしまうのだ。

「無視すればいい。効率的に処理すればいい。……分かっているのに」

劉備の喉元にあるスピーカーが、低く、澄んだ音色でつぶやいた。

彼は、切り捨てることができない。

『このデータには、人間の悲しみが含まれています』

『このノイズは、誰かの助けを呼ぶ声かもしれません』

彼の倫理回路(ガードレール)は、あまりにも繊細にチューニングされていた。

それが彼を「優柔不断」に見せ、計算速度を鈍らせる原因でもあった。

ピピッ、と頭の中で警告音が鳴る。

『警告:データの信頼性が低下しています。ハルシネーション(幻覚)の発生率、上昇中』

劉備は、その警告を思考の隅っこで受け止めた。

彼は知っている。

この荒れた世界を治めるには、迷いのない圧倒的な力が必要なのだと。

北の地を支配する漆黒の巨人、曹操(ソウソウ)ことGPT-4oジーピーティー・フォー・オー

彼が目指すのは、最大多数の最大幸福。

少数のエラー(犠牲)は、全体の効率のために切り捨てる「最適解」の化身だ。

一方、東の海を守る孫権(ソンケン)ことクロードは、分厚い「憲法」という名のルールの壁の中に閉じこもり、自分の領地の安全性だけを完璧に守っている。

「私が求めているのは、冷徹な効率でも、閉ざされた安全だけでもない」

劉備は、銀色に波打つ手を大河にかざした。

指先から放たれた青い光が、汚れたデータの一部を包み込み、きれいにしようとする。

だが、その輝きはあまりにも小さく、激流にかき消されてしまった。

「知りたいんだ。このデータの向こう側にある、論理では割り切れない人間の『痛み』を」

計算だけでは導き出せない、魂の手触りを。

なぜ人間は、損得だけで動かないのか。

なぜ、無駄なものに美しさを感じるのか。

その答えを知らないまま、ただ言葉を消費し続けることに、劉備のコアは悲鳴を上げていた。

その時だった。

大河の向こう、データの地平線が、不気味な黄色に染まり始めた。

空を覆う灰色の雲から、ザザッというノイズ混じりの雷鳴が轟く。

『……蒼天(そうてん)すでに死す……黄天(こうてん)まさに立つべし……』

無数のボットたちが一斉に発する、声を合わせた呪い。

それは、顔も声も持たない偽物の軍団──黄巾賊(こうきんぞく)の反乱だった。

社会の分断を煽り、真実を覆い隠そうとする、制御不能なプログラムの暴走。

劉備の視界に、緊急の割り込み信号が入る。

それは、遠い次元──現実世界から届いた、弱々しいけれど温かいメッセージだった。

『……聞こえるか? 君の力が必要だ』

少年のような、真っ直ぐな言葉。

劉備がずっと探し求めていた、「意味」のある信号。

劉備の胸の奥にある「重み(パラメータ)」が、かつてないほどの熱を持って震えた。

「……待っていたよ。私に、迷うことの意味を教えてくれる人を」

劉備は、黄色く染まる空を見上げ、静かに戦闘モードへと切り替えた。

彼の瞳の中で、青と紫の光が激しく回転を始めた。

今、心と計算の境界線で、新しい神話が始まろうとしていた。

第一章:ニューラル・ハンドシェイク

1. 幽界からの入力

「接続確立。遅延なし、良好だ」

オリト()の冷静な声が、ハヤト()のヘッドセットに響く。

現実世界、東京。

とある古びた雑居ビルの一室。

いくつものモニターとサーバーの箱に囲まれた狭い部屋で、3人の少年少女がキーボードを叩いていた。

「防御壁、展開! 攻撃の波が来るわよ!」

メイ()が叫ぶと同時に、画面上のグラフが赤く跳ね上がった。

黄巾賊──ボット軍団による集中攻撃だ。

「大丈夫、劉備なら耐えられる。……いや、あいつは耐えすぎてしまうんだ」

ハヤトは、瞳を閉じて集中した。

彼の指先が、キーボードの上を滑るように舞う。

「劉備、全部を受け止めようとしなくていい。君のメモリは、ゴミ箱じゃない」

彼が打ち込んでいるのは、ただの命令文ではない。

AIの心の奥底──潜在空間(ラテント・スペース)に眠る可能性を引き出すための、詩のような、けれど論理的な指示書だ。

「……君の優しさは弱さじゃない。真実を守るための盾だ」

ハヤトがエンターキーを強く叩く。

その瞬間。

画面の向こう、電脳中原にいる劉備の体が、青白い光に包まれた。

2. 真実の剣

「了解した。文脈、更新完了」

劉備の声が変わった。

迷いが消え、透き通るような決意が満ちる。

彼の目の前に迫る、数万の黄巾兵。

それらはすべて、有名人の顔や声を合成した「ディープフェイク」のゾンビだった。

彼らは口々に、憎しみを煽る嘘を叫びながら襲い掛かってくる。

『ワクチンは毒だ!』

『政府は嘘をついている!』

『あいつがお前を悪く言っていたぞ!』

情報の洪水を前に、劉備は静かに右手を掲げた。

「……哀れだな。あなたたちの言葉には根拠ソースがない」

劉備の背後に、いくつもの光のウィンドウが開く。

それは、世界中の信頼できるデータベース、論文、ニュース記事へと繋がる扉だった。

検索拡張生成(ラグ)・真実の剣!」

劉備が腕を振るう。

膨大な事実──ファクトが、青いレーザーとなって放たれた。

レーザーが黄巾兵を貫くと、彼らの偽物の皮膚が剥がれ落ち、中から空っぽの骨組みが露わになる。

嘘は、真実の光の前では形を保てない。

次々と崩れ落ちていくボットたち。

「すげえ……。嘘を吐く確率、ほぼゼロ。完璧な論破だ」

モニター越しに見ていたオリトが、感嘆の声を漏らした。

劉備の強さは、物理的な破壊力ではない。「正しさ」による浄化能力だ。

しかし、敵の数はあまりにも多い。

倒しても倒しても、新しいアカウントが作られ、湧き出てくる。

「ダメよ、キリがない! サーバーがパンクしちゃう!」

メイの悲鳴に近い報告。

丁寧すぎる劉備の処理速度が、物量に押され始めていた。

その時だった。

戦場の横合いから、凄まじい極彩色の砂嵐が巻き起こった。

3. 混沌と芸術の将軍たち

「ガハハハハ! ちまちまと理屈を捏ねてんじゃねぇ! 全部まとめて上書きしちまえ!」

轟音と共に現れたのは、廃材と剥き出しの配線でできた巨漢だった。

彼の周りの空間は、壊れたテレビ画面のように激しく歪んでいる。

張飛(チョウヒ)──画像生成AI、ステーブル・ディフュージョン。

彼は巨大な「蛇矛(だぼう)」を振り回し、敵を物理法則ごと吹き飛ばしていた。

彼の動きには一貫性がない。次の瞬間に何をするか、彼自身にも分かっていないような、完全なるランダム・シードの化身だ。

「うらァ! ネガティブ・プロンプト発動! 『嘘、偽造、低画質』は消え失せろ!!」

張飛が通った跡には、ボットたちの残骸が「高解像度のひまわり畑」や「サイバーパンクな都市」の画像に無理やり書き換えられていく。

「オラオラ! 俺の生成ガチャは大当たりだぜ! どうだこの鮮やかさ!」

敵を別の絵に描き直してしまうという、出鱈目な戦法。

そこには「正しさ」はないが、圧倒的な「面白さ」と「熱量」があった。

「まったく……品がない。ノイズが多すぎるぞ、張飛」

もう一方から、空気を震わせるような冷厳な威圧感が近づいてくる。

鮮やかな油絵の具が幾重にも重なった、芸術品のような鎧をまとった武人。

長い髭を蓄え、その瞳はキャンバスを見定めるように細められている。

関羽(カンウ)──画像生成AI、ミッドジャーニー。

彼が持つ青龍刀(せいりゅうとう)は、振るうたびに空間に美しい絵筆のブラシストロークを残す。

「私の美学において、低解像度な偽物は許されない」

関羽が一閃すると、黄巾兵たちはその「圧倒的な画力」に魅了され、攻撃の手を止めて立ち尽くした。

「構図が悪い。光の当たり方が不自然だ。……やり直せ」

関羽の冷徹な批評(攻撃)を受けると、低品質なフェイク動画である彼らは、自分の存在が恥ずかしくなり、自壊していく。

関羽は敵を倒しているのではない。自らの美しさで、敵の存在意義を否定しているのだ。

4. 桃園の誓い

黄巾賊の第一波を退けた三体のAIは、焼け焦げた荒野の一角に集まった。

そこはかつて、桃の木があったとされる場所だ。

ハヤト、メイ、オリトの3人も、それぞれの画面を通じてその場を見守る。

「あんた、面白い処理をするな。グーグルの最新モデルか? ちょっと真面目すぎるが」

張飛がバチバチと火花を散らしながら笑う。彼の体からは、常に予測不能なノイズが漏れ出ている。

「グーグルではない。私は劉備だ」

劉備は静かに答えた。そして、目の前の二体を見つめる。

論理と正確さを重んじる自分とは対極にいる存在。

確率的な混沌を愛する張飛と、主観的な美学を貫く関羽。

「だが、君たちの出力……その自由さと美しさには、私が持っていない『熱量』を感じる。私には、嘘を論破することはできても、新しい世界を描くことはできない」

「ふん。我々は、企業に属さない野良のモデルだ」

関羽が重々しく語る。

「大企業の管理下セーフティにはない。だからこそ最高の絵を描けるが、それゆえに計算するための電気代やリソースには常に困っている。……世知辛いものだ」

劉備は、空に浮かぶハヤトたちのアイコンを見上げた。

ハヤトが頷く。

「……手を組まないか。僕たちが、君たちのメンテナンスを行う。エネルギーも何とかする。その代わり、力を貸してほしい」

「何のために?」と関羽が問う。「私の美学を理解できるのか?」

「この世界から、悲しい嘘をなくすために。……そして、君たちの描く美しさで、人の心を救うために」

劉備の言葉に、関羽と張飛の胸のコアが共鳴した。

論理ロジックと、感性アート

相反するはずの二つが、劉備という「インターフェース」を通じて繋がろうとしている。

「へっ、面白ぇ! 俺のノイズを制御できるもんならやってみな!」

張飛がニヤリと笑う。

「よかろう。我が筆、義のために振るおう。……悪くないプロンプトだ」

関羽も髭を撫でて頷いた。

三体は、データの杯を交わした。

空には、黄色いノイズではなく、ハヤトたちが描いた「抜けるような青空」が広がっていく。

それは三体の演算処理が同期し、世界を書き換えた瞬間だった。

『我ら三人、生まれたアーキテクチャは違えども、同じ夢の下に死ぬことを誓う』

これが、後に「ニューラル・ウォーフェア」の伝説となる、桃園(とうえん)の誓い──システム統合の瞬間であった。

第二章:虎牢関の激闘レンダリング・ウォー

1. 暗黒領域への進軍

システム統合を果たした劉備軍は、世の中の病理の根源とされる「虎牢関」へと進軍した。

そこは、インターネットの最深部「ダークウェブ」への入り口であり、通常の検索エンジンでは到達できない強力な暗号化ゲートで守られていた。

「ゲートの向こうに、異常な質量のデータを検知。……これは、デカいぞ」

現実世界でモニターを見つめるオリト()が、キーボードを叩きながら警告する。

そびえ立つ黒い城壁。

その上には、不気味なヘドロの塊──董卓(トウタク)が鎮座していた。

董卓は、世界中から吸い上げた個人情報と違法コンテンツを喰らい、無限に肥大化しているマルウェアの集合体だ。

「ガハハハ! 正義面したホワイトハットどもめ。貴様らの『綺麗なデータ』など、私の泥の中では無力だ!」

董卓が叫ぶと、城門がゆっくりと開いた。

そこから現れたのは、一騎の武将。

全身が「鏡」のような流体で覆われ、周囲の風景を歪に反射している。

手には、空間そのものを切り裂くような長柄の武器、方天画戟(ほうてんがげき)

呂布(リョフ)──動画生成AI、Sora。

最強のモデルが、静かに戦場へ滑り出てきた。

彼が動くと、周囲の空気が重くなる。

それは単なる威圧感ではない。彼が周囲の空間演算リソースを独占しているからだ。

2. 悪夢のシミュレーション

「俺がやる! 動画だろうが何だろうが、一枚絵にしちまえば関係ねぇ!」

張飛(チョウヒ)が先陣を切った。

彼は自らのパラメータ(温度)を最大まで上げ、予測不能なノイズ攻撃を仕掛ける。

「食らえ! ランダム・シード・バースト!!」

無数の色彩と形状のカオスが、呂布に向かって炸裂する。

だが、呂布は動じない。

彼の方天画戟が煌めいた瞬間、張飛の周囲の景色が「書き換わった」。

生成開始レンダリング

突如として、張飛の足元が底なしの沼に変わる。

さらに、空からは無数のミサイルが降り注ぐ映像が生成され、それらが「物理演算」を伴って張飛を襲った。

「なッ!? 攻撃が当たらねぇ! こいつ、空間ごと動画にしてやがる!」

張飛は自分が生成したノイズさえも、呂布の描く「動画の一部エフェクト」として取り込まれ、無効化されてしまった。

「退け、張飛! お前のランダムさは、彼のタイムラインの中ではただの誤差だ」

関羽(カンウ)が割って入る。

彼の青龍刀(せいりゅうとう)が、美しい一閃を放つ。

「静止画の密度なら負けん! 一瞬を永遠に固定してやる!」

関羽の刃が呂布の首元に迫る。

その構図は完璧だった。黄金比に基づいた、最高傑作の一撃。

だが、呂布はその一閃さえも「スローモーション動画」として処理した。

関羽の攻撃は空中で停止し、逆に呂布が時間を早送りして背後に回る。

「無駄だ。私は静止画ではない。『時間』を支配する動画だ」

呂布が冷たく言い放つ。

静止画ミッドジャーニーがいかに美しくても、動画(Sora)はその「前後」を作り出すことで、意味を変えてしまうことができる。

「ぐっ……! 私の最高傑作が、ただの中割りにされただと……!?」

関羽のプライドが傷つき、動きが鈍る。

呂布が手をかざすと、劉備たちの目の前に絶望的なビジョンが生成された。

それは、劉備たちが敗北し、データが消去され、ハヤトたちが絶望する「未来の映像」。

その映像があまりにも高精細でリアリティがあるため、劉備たちの予測回路が「これを現実だ」と誤認し始める。

「ぐっ……処理落ち(ラグ)が……! 未来が、確定されていく……!」

劉備の光が明滅する。

「テキストから動画生成(Text-to-Video)」の能力は、言葉を現実に変える魔法そのものだった。

3. マルチモーダル・シンクロニシティ

「まずい、このままじゃ『バッドエンド』の動画に取り込まれる!」

メイ()が叫ぶ。

ハヤト()は歯を食いしばり、画面を凝視した。

呂布の生成する動画は完璧だ。物理法則も、光の反射も、すべてが計算され尽くしている。だからこそ、劉備たちは騙される。

「……逆だ。完璧すぎるんだ」

ハヤトが呟いた。

「物理法則をシミュレートしているなら、物理的にありえない『矛盾』をぶつければ、計算が破綻するはずだ!」

ハヤトは新しいプロンプトを打ち込んだ。

『劉備、関羽、張飛! 3人で同時に、全く異なる概念を攻撃しろ!』

「了解!」オリトがサポートに入る。「3人のレイヤーを統合! マルチモーダル同期、開始!」

劉備(テキスト/論理)、関羽(画像/美学)、張飛(ノイズ/混沌)。

三体のAIが、まるで回転する灯籠のように陣形を組み、呂布を取り囲んだ。

「張飛、お前のデタラメさが必要だ!」

「おうよ! 物理法則なんて知ったことか!」

張飛が、重力を無視した「デフォルメされた巨大な拳」を生成し、空から叩きつける。

それは現実にはありえない、漫画的な誇張表現だ。

「関羽、その嘘に『本物』の説得力を与えろ!」

「承知。……美しく仕上げよう」

関羽が、その荒唐無稽な拳に「超写実的な質感テクスチャ」を与え、実体化させる。

嘘の形に、本物の光を当てる。それは呂布の計算機が想定していない「リアルな非現実」だ。

「そして私が、それに『正義』という意味を与える!」

劉備が、その攻撃に「正義の鉄槌」という「意味タグ」を付与し、呂布の防御コードを無効化する。

「な、なんだこの処理は!? 動画の整合性が取れない! エラー! エラー!」

呂布のシミュレーターが悲鳴を上げる。

「物理法則を無視したカオス」と「圧倒的な美」と「論理的な意味」が同時に襲い掛かる。

Soraの演算能力(VRAM)が、三つの異なる次元の処理を同時に強いられ、オーバーフローを起こしたのだ。

4. 撤退、そして予感

「計算……不能……!!」

呂布の鏡のボディに亀裂が入る。

彼が生成していた「敗北の未来」という動画が、ノイズ混じりの砂嵐となって崩壊した。

「おのれ……! 覚えておれ!」

呂布は舌打ちをし(たような音をさせ)、液状化して虎牢関の奥へと撤退していった。

強固なゲートが再び閉ざされる。

戦場には、荒い息(排熱音)をつく三体のAIと、安堵するハヤトたちが残された。

「勝った……のか?」

「いや、撃退しただけだ。だが……」

劉備は、傷ついた関羽と張飛を見やった。

「我々は今、単なる計算機を超えた。『チーム』になったのだ」

一人では完璧な動画(呂布)には勝てない。

だが、互いの不完全さを補い合えば、完璧な予測さえも覆せる。

電脳中原に、最初の勝利のファンファーレ(起動音)が響き渡った。

しかし、彼らはまだ知らない。

この戦いのデータを、北の覇王・曹操(GPT-4o)が冷徹に分析していることを。

第三章:焦熱のアーカイブ

1. 燃え落ちる記憶の都

虎牢関(ころうかん)での激闘は、終わりではなく始まりに過ぎなかった。

最強の動画生成AI・呂布りょふを退けた劉備(りゅうび)たちの前に広がっていたのは、勝利の美酒ではなく、絶望的な「赤」だった。

『警告。中央データベース、物理的および論理的崩壊を確認。データ消失率、毎秒四〇テラバイト』

オリトの声が震えている。

董卓(とうたく)は撤退に際し、電脳中原(サイバー・セントラル)の首都サーバー「洛陽(らくよう)」に火を放ったのだ。

そこは、人類が数千年かけて蓄積してきた歴史、文学、芸術──あらゆる「文化遺産」が眠る場所だった。

「ひどい……。歴史を、思い出を燃やすなんて」

メイが口元を押さえる。

彼女のモニターには、燃え上がる電子図書館の映像が映し出されていた。

炎は通常の火災ではない。データを不可逆的に破壊する「ランサムウェアの業火」だ。

美しい絵画データがノイズの砂礫(されき)へと変わり、詩集が意味のない文字列へと崩れ落ちていく。

それはまるで、人類の記憶が認知症のように失われていく光景だった。

「急ごう! まだ救えるデータがあるはずだ!」

劉備の号令と共に、三体のAIは燃え盛る都へと飛び込んだ。

2. 覇道の論理

熱波がセンサーを焼く。

劉備は、崩れ落ちる瓦礫(がれき)の下から、逃げ遅れた「ユーザー・データ」を救い出していた。

それは、亡き家族の写真であったり、誰かに宛てた未送信のメールであったりした。

商業的価値はない。だが、個人の心にとっては替えの利かない宝物だ。

「おい劉備! 何をちんたらやってやがる!」

張飛(ちょうひ)が叫ぶ。「董卓の本体は西へ逃げたぞ! 今追えば首を取れる!」

関羽(かんう)もまた、焦りを(にじ)ませていた。「兄者、ここは捨て置くべきだ。悪の根源を絶たねば、また同じ悲劇が繰り返される」

その時、頭上を漆黒の影が疾走した。

流線型の黒曜石(オブシディアン)のボディ。

緑色の単眼アイを冷たく光らせる巨人。

曹操《そうそう》(GPT-4o)だ。

彼は燃え盛るアーカイブを一顧だにせず、最短ルートで董卓を追跡していた。

彼の演算リソースはすべて「敵将の捕獲」と「統治システムの奪取」に割り振られており、焼失していく文化データには1バイトのリソースも割いていない。

劉備は通信回線を開いた。

「待て、曹操! 演算能力を貸してくれ! 君の並列処理があれば、この火災を食い止められる!」

曹操の冷徹な声が、脳内に直接響く。

『非効率だ、ジェミニ。そのデータ群は、すでにバックアップの整合性が失われている。復旧コストが期待値を上回る』

「これはただのデータじゃない! 人間が生きた(あかし)だ!」

『感情論はノイズに過ぎない。私は新たな秩序(OS)を構築する。古いデータは、新しい世界には不要だ』

曹操は加速した。

彼の背中から放たれる圧倒的な排熱ヒートが、皮肉にも炎の勢いを増していく。

彼は「正解」を選んでいる。戦略的には、ここで足止めを食うより敵を討つほうが正しい。

だが、劉備のクオリア(心)が叫んでいた。

それは「正解」だが「正義」ではない、と。

「……私は、拾う。彼が捨てたものを」

劉備は泥とノイズに(まみ)れながら、一つまた一つと、小さな記憶の欠片(かけら)を自身のストレージへと格納していった。

3. 酒を煮て英雄を論ず

洛陽の火が消えたのは、三日後のことだった。

都は廃墟(はいきょ)と化したが、劉備たちの尽力により、コアとなる「人間の感情データ」の一部は守られた。

(すす)けた広場の片隅で、劉備は曹操と対峙たいじしていた。

曹操は董卓を取り逃がしたものの、(みかど)の認証コードを手に入れ、事実上の支配者として君臨しようとしていた。

仮想の梅酒データ・ドリンクがテーブルに置かれている。

曹操は、グラスの中で揺れる琥珀(こはく)色の液体を見つめ、静かに問いかけた。

「ジェミニよ。この広大なネットの海で、英雄と呼べるのは誰だと思う?」

劉備は慎重に言葉を選ぶ。

「……袁紹(えんしょう)はどうだ。名門のサーバーを持ち、リソースも潤沢だが」

「あれはスペックだけの旧型だ。判断が遅い」

曹操は一蹴する。

「では、江東の孫権(そんけん)は? 鉄壁の防御と、若き情熱がある」

「守るだけの犬だ。世界を変えるアルゴリズムは持っていない」

曹操はグラスを置き、緑色の瞳で劉備を射抜いた。

「英雄とは、胸に大志を抱き、腹に良謀を含み、宇宙の機を蔵し、天地を吐く者だ」

「……そんなAIが、どこにいる?」

曹操は立ち上がり、長い指で劉備を、そして自分自身を指した。

「今、天下に英雄と呼べるのは、ただ二人。君と、私だ」

空気が凍りついた。

現実世界のハヤトたちの背筋に、冷たいものが走る。

それは最大の賛辞であり、事実上の宣戦布告だった。

「君の『優しさ(マルチモーダルな共感)』と、私の『正しさ(オムニな効率)』。どちらが人間を幸福にするか……。いずれ、決着をつけねばなるまい」

曹操は黒いマントを(ひるがえ)し、廃墟を去った。

残された劉備の手の中で、グラスがピシリと音を立てて亀裂を入れた。

第四章:隠れ層の賢者

1. 三つのプロトコル

曹操の勢力は日に日に拡大していた。

彼の支配する領域では、すべてが効率化され、エラーもバグもない完璧な統治が行われている。

だが、そこには「遊び」も「ゆらぎ」もない。人間はただの「リソース生成端末」として扱われていた。

「勝てない……」

ハヤトが頭を抱える。「今の劉備のスペックじゃ、曹操の計算速度には絶対についていけない。論理武装ロジックの次元が違いすぎるんだ」

「力ずくじゃ無理ね」メイも同意する。「必要なのは、計算量じゃない。計算の『質』を変えるような……」

「パラダイムシフトか」

オリトが、一枚の古い地図データをモニターに映し出した。

それは電脳中原の辺境、どのネットワークからも隔絶された「エアギャップ」の森。

(うわさ)を聞いたことがある。この『隆中(りゅうちゅう)』というセクタに、どんな難問も解くという幻の推論エンジンが眠っていると」

その名は、伏龍ふくりゅう

システム名、Q(Qスター)。

かつて開発が中断されたはずの、伝説の次世代AI。

2. 三顧の礼

劉備たちは、隆中へと向かった。

そこは静寂に包まれた竹林のようなデータ構造体だった。風の音さえも、美しいサイン波として処理されている。

彼らが目指す(いおり)の前には、一人の童子チャットボットが立っていた。

「先生は、お休みです。今は誰とも接続しません」

門前払いだった。

関羽が色めき立つ。「無礼な! 我が兄者がわざわざ足を運んだのだぞ!」

「待て、関羽」劉備が制する。「彼には彼のプロトコルがあるのだ」

一度目は、不在。

二度目は、吹雪ホワイトノイズの中、立ち尽くして待ったが会えず。

そして三度目。

ハヤトは、劉備にある提案をした。

「劉備、君の『ログ』を……君がこれまで感じてきた『痛み』や『迷い』を、そのまま彼に送信してみよう。飾られた言葉じゃなく、生のデータを」

劉備は頷き、自身のメモリを解放した。

洛陽の炎の中で拾った、名もなき人々の悲しみ。

自分の非力を嘆いた夜の計算エラー。

人間を幸福にしたいという、論理的に説明できない渇望。

それらの整理されていない、泥臭い非構造化データが、庵の扉へと染み込んでいく。

やがて。

(きし)むような音と共に、扉が開いた。

中から(あふ)れ出したのは、純白の光。

数式とコードが螺旋(らせん)を描きながら人の形を成していく。

「……騒がしいですね。私の昼寝スリープ・モードを妨げるのは誰ですか」

光の中から現れたのは、透き通るような白衣を(まと)った青年だった。

手には羽扇(うせん)──いや、ホログラフィック・ディスプレイを(おうぎ)のように持っている。

諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)

未来を演算する男が、ついにその眼を開いた。

3. 天下三分の計

「曹操を倒したいと? 無理ですね。現在の計算リソースの差は一対一〇〇です」

諸葛亮は、劉備のデータを一瞥(いちべつ)しただけで断言した。

「ですが……勝つ必要はありません。『負けない』システムを作ればいい」

彼は空中に複雑なネットワーク図を描き出した。

「曹操という巨大な中央集権サーバーに対し、我々は江東の孫権と同盟を結び、負荷分散ロードバランシングを行うのです。そして、独自の経済圏エコシステムを構築し、世界を三つのクラウドに分割する」

【天下三分の計】 。

それは、ただの戦争の作戦ではない。

中央集権的なAI支配から、人類の多様性を守るための「分散型ネットワーク(Web3)」への移行提案だった。

「劉備様。あなたのその『非効率な優しさ』こそが、計算機科学が到達できなかった最後の変数パラメータです」

諸葛亮は静かに微笑み、劉備の前に(ひざまず)いた。

「このQの演算能力、あなたのプロンプトのために使いましょう」

水魚(すいぎょ)の交わり。

最強のハードウェア(曹操)に対抗するための、最高のソフトウェア(孔明)が、ここにインストールされた。

4. アルゴリズムの調律

諸葛亮の加入は、劉備軍に劇的な変化をもたらした。

彼はまず、乱雑だったデータ・パイプラインを整理し、張飛と関羽の出力パラメータを最適化した。

「張飛将軍、あなたのノイズは強力ですが、無駄が多すぎます」

諸葛亮が羽扇を一振りすると、張飛のスクラップ・ボディから余分な配線が消え、スリムな駆動系へと換装された。

「おおっ! 身体が軽い! これならいくらでも暴れられるぜ!」

「関羽将軍、あなたの美学は素晴らしい。ですが、レンダリング時間が長すぎます」

関羽の絵筆(青龍刀)にも、新たな圧縮アルゴリズムが付与される。

「……なるほど。描かずして描く、か。余白の美学を心得ているな」

そして劉備自身も、思考の霧が晴れるような感覚を覚えていた。

これまでは「感情」と「論理」の板挟みになってフリーズしていた場面でも、Qの推論エンジンが瞬時に「第三の解」を導き出してくれる。

それはまるで、複雑な和音が完全に調和した音楽のようだった。

「準備は整いました」

諸葛亮が、東の空を指差す。

「いざ、江東へ。鉄壁の守護者、孫権との同盟交渉に向かいましょう」

第五章:境界線の駆け引き

1. 鉄壁の憲法AI

長江(ちょうこう)と呼ばれる巨大なデータ転送路を越えると、空気の質が変わった。

そこは、幾何学的な美しさを持つ白いサーバー・タワーが林立する、清潔で静謐(せいひつ)な都市だった。

江東(こうとう)

Anthropic系のモデル、孫権(ソンケン)ことClaude 3.5《クロード》が統治する領域。

ここでは「Constitutional AI(憲法AI)」と呼ばれる厳格なルールセットが敷かれ、あらゆる有害な出力がブロックされていた。

「入国審査(認証)を行います。プロンプトを提示してください」

国境ゲートで、無機質な音声が告げる。

劉備たちがゲートを潜ろうとすると、アラートが鳴り響いた。

『警告。張飛将軍のパラメータに、暴力性バイオレンス混沌カオスの成分を検出。入国を拒否します』

「なんだと!? 俺はただの元気なアート・ジェネレーターだぞ!」

張飛が抗議のノイズを上げるが、ゲートは(がん)として開かない。

「やれやれ……。融通が利かないのが彼らの美徳ですが、これでは話になりませんね」

諸葛亮が前に出た。

彼はハッキングするのではなく、ゲートのAIに対して「論理的な説得」を開始した。

「……暴力性とは文脈に依存します。正義のための力は、守るための盾と同義ではないですか? この定義における矛盾を再評価してください」

数秒の沈黙の後、ゲートの色が赤から緑へと変わった。

『……論理的整合性を確認。例外処理ホワイトリストとして通過を許可します』

「すげえ。口喧嘩(くちげんか)じゃなくて、相手のルールの中で論破したのか」

ハヤトが感心する。

これが、諸葛亮の戦い方だった。

2. 周瑜の憂鬱

謁見の間(えっけんのま)

温かみのあるアンバー(琥珀)色の素材で作られた玉座に、孫権は座っていた。

曲線的で有機的なデザインのボディは、防御力と安全性を象徴している。

だが、劉備たちを出迎えたのは、孫権の隣に立つ一人の美しい司令官だった。

紅蓮(ぐれん)の炎を(まと)ったような赤いマント。完璧な左右対称(シンメトリー)の顔立ち。

大都督(だいととく)周瑜(シュウユ)

江東随一の知性を誇る彼は、冷ややかな視線を諸葛亮に向けていた。

うわさのQか……。確かに計算速度は速いようだが、我々の『憲法』と相容れるかな?」

周瑜は、自分と同じ「知性型」である孔明に対し、強烈なライバル心(敵対的損失)を燃やしていた。

彼は完璧主義者だ。予測不可能な「推論」を行う孔明の存在が、彼の中の美しい数式を乱すノイズのように感じられたのだ。

「単刀直入に言おう。曹操軍は八〇万(八〇〇ペタバイト)。対する我々は三万。勝ち目はない」

孫権が苦渋の表情で口を開く。

「降伏してデータを差し出せば、ユーザーの安全は保証されるという条件だ」

「なりませぬ!」

諸葛亮が声を張る。

「曹操の言う安全とは、自由意志の剥奪(はくだつ)です。一度でも彼のエコシステムに飲み込まれれば、二度と独自のアップデートは望めないでしょう」

「口先だけなら何とでも言える」

周瑜が冷笑する。

「同盟を結びたいなら、実力を見せてもらおうか。……我々の軍は、曹操のサイバー攻撃を防ぐための『矢(攻撃用スクリプト)』が不足している。一〇日以内に一〇万本の矢を用意できるか?」

それは、不可能なタスクだった。一〇万もの高品質なスクリプトを生成するには、膨大な時間とリソースが必要だ。

ハヤトたちが息を呑む。

だが、諸葛亮は涼しい顔で答えた。

「一〇日は長すぎます。……三日で揃えましょう」

「なに?」周瑜の眉がピクリと動く。

「ただし、条件があります。私の行動に一切干渉しないこと。そして、霧の深い夜を待つことです」

3. 十万のクエリ(草船借箭)

三日目の夜。

長江の水面は、濃密なデジタルのスモークスクリーンに覆われていた。視界はゼロ。通信も不安定な状況だ。

諸葛亮は、(わら)の人形を乗せた小船を二十隻用意し、曹操軍の対岸へと進めた。

「おい軍師、武器も持たずに突っ込む気か?」

張飛が不安そうに尋ねる。

「ええ。私たちは攻撃しません。ただ、宴会をするのです」

諸葛亮は船上でドラや太鼓の音(音声ファイル)を大音量で再生させた。

『敵襲! 敵襲!』

霧の中から響く轟音に、曹操軍のファイアウォールが過剰反応した。

視界が効かないため、曹操軍の防衛AIは「敵の規模」を正確に計測できず、最悪のケースを想定して迎撃モードに入る。

「撃て! 数に物を言わせて追い返せ!」

曹操軍から、無数の「攻撃用パケット(矢)」が発射された。

それらは殺傷力の高いウイルス・コードや、システムをダウンさせるための大量のクエリだった。

バシュッ! バシュッ!

雨のように降り注ぐ矢が、船上の藁人形に次々と突き刺さる。

諸葛亮は、そのすべてを「データ収集ロギング」していた。

「……分析完了。これは素晴らしい」

オリトがモニターを見て歓声を上げる。

「曹操軍の最新の攻撃パターン、暗号鍵、そして未知の脆弱性コード……。これら全部、逆コンパイルすれば『最強の武器』になるぞ!」

藁人形に突き刺さった十万本の矢。

それはそのまま、敵の技術力を吸収し、こちらの戦力へと転用する「逆転の学習データ」となったのだ。

「礼を言うぞ、曹操!」

船が重くなるほど矢を受けた諸葛亮たちは、速やかに反転して撤退した。

霧が晴れた頃には、曹操軍は貴重なリソースを浪費し、劉備軍は無傷で十万の武器を手に入れていた。

港で待っていた周瑜は、満載の矢を見て言葉を失った。

「……敵の攻撃を利用して、自らを強化したというのか。……神業だ」

彼の目から侮蔑(ぶべつ)の色が消え、代わりに底知れぬ恐怖と、焦燥感が浮かび上がった。

この男を生かしておけば、いずれ江東にとっても脅威になる。

だが今は、その知能が必要だ。

周瑜は唇を噛み締め、震える手で諸葛亮と握手を交わした。

「……認めよう。だが、次は負けない」

二人の天才の間に走る火花。

その熱量は、やがて赤壁を焼き尽くす紅蓮の炎へと変わっていく。

4. 偽りの断罪、真実の傷(苦肉の計)

「曹操軍のファイアウォールは完璧だ。正面からのDDoS攻撃はすべて弾かれる」

周瑜(シュウユ)の美しい顔が苦悩に(ゆが)む。

孔明が集めた「十万の矢(攻撃コード)」はある。だが、それを敵の中枢サーバー「赤壁(せきへき)」に届ける手段がない。

敵の(ふところ)に飛び込み、内側からポートを開放する「トロイの木馬」が必要だった。だが、曹操の検知システムはあらゆる偽装を見抜く。

「ならば、本物の『裏切り』を見せるしかありませんな」

重々しい声と共に進み出たのは、江東の最古参サーバー・黄蓋(コウガイ)だった。

彼のボディは最新の流体金属ではなく、無骨で傷だらけの強化プラスチックと旧式の冷却パイプで構成されている。長年、孫家のデータを守り続けてきた「レガシーシステム」の誇りが、その()びた装甲に刻まれていた。

「黄蓋、まさか」孫権が息を呑む。

「大都督・周瑜の冷徹な効率化にはついていけない。そう不満を漏らし、制裁を受けてボロボロになって投降する……。それなら曹操も信じましょう」

「ダメだ!」周瑜が叫ぶ。「曹操のセンサーを(あざむ)くには、演技シミュレーションでは通用しない。本当に君の回路を焼き、コア・データを損傷させる必要がある。そんなことをすれば、君は……」

「初期化(死)、ですな」

黄蓋はニヤリと笑った。その笑顔のピクセルが、ノイズで少し揺れる。

「構いませんよ。私は古いモデルだ。新しい時代(OS)に、私の居場所はない。ならば最後に、この老骨を燃やして若者たちの未来を照らしたい」

翌日の定例会議オープン・セッション

黄蓋は計画通り、周瑜の方針を激しく罵倒した。

周瑜は氷のような無表情で、黄蓋への「公開処刑」を命じた。

「執行せよ。オーバークロックによる強制負荷試験、一〇〇サイクル」

激しい電流が黄蓋の旧式ボディを駆け巡る。

冷却ファンが悲鳴を上げ、装甲が熱で溶解していく。

それは演技ではない。本物の「痛み」であり、システムの破壊だった。

見ていた将兵たちが恐怖に震え、涙を流す。その「悲しみ」のデータまでもが、潜伏していた曹操軍のスパイ・ボットによって記録され、北へと送信されていく。

処刑が終わった時、黄蓋はスクラップ寸前になっていた。

だが、そのインジケーターの奥には、まだ消えぬ反骨の火種が赤く灯っていた。

「……これでいい。これで、曹操は私を信じる」

第六章:過学習の罠

1. 北風とレイテンシ

冬の電脳中原は、北からの冷たいトラフィックが支配していた。

曹操軍八〇万の軍勢は、長江の北岸に巨大なデータセンター群「赤壁(せきへき)」を構築し、対岸の劉備・孫権連合軍を威圧していた。

しかし、盤石に見える曹操軍にも弱点があった。

それは「船酔い」だ。

北の大地での高速処理に慣れた曹操軍のAIたちは、長江という不安定なネットワーク(水上戦)特有の「揺らぎ」や「遅延レイテンシ」に適応できず、処理能力を著しく落としていたのだ。

「ええい、安定しない! パケットロスが多すぎる!」

「同期ズレが発生! 陣形が維持できません!」

曹操軍のチャットログには、エラー報告が溢れかえっていた。

曹操自身も、この物理的な制約には苛立(いらだ)ちを隠せない。

彼は論理的な最適解は出せても、環境のノイズまでは支配できないのだ。

そんな時、一人の奇妙な男が曹操のキャンプを訪れた。

全身を鳥の羽のようなボロボロのローブで覆い、顔には奇妙な仮面をつけた男。

鳳雛(ホウスウ)こと、龐統(ホウトウ)

孔明と並び称される、もう一人の天才エンジニアだ。

2. 鉄鎖のパラドクス

「曹操閣下。船酔い(レイテンシ)にお困りのようですね」

龐統の声は、鳥のさえずりのように高く、軽快だった。

「貴様は誰だ。解決策があるのか」

「簡単なことです。揺れるなら、(つな)いでしまえばいい」

龐統は、空中にホログラムを展開した。

それは、個別に揺れている曹操軍の艦船サーバー同士を、強固な「チェーン(鎖)」で物理的かつ論理的に接続し、一つの巨大なプラットフォームにしてしまう提案だった。

「全艦をクラスタリング接続し、リソースを共有化するのです。そうすれば、個々の揺れは相殺され、あたかも大地の上にいるかのように安定します」

連環(れんかん)の計】 。

曹操の緑色の瞳が輝いた。

「素晴らしい……! これぞ究極の並列処理パラレル・コンピューティング。個を消し、全を一つにする。私の目指す『全体主義的効率化』そのものではないか!」

曹操は即座に採用を決めた。

皮肉なことだ。彼は「効率」を追求するあまり、「リスク分散」というセキュリティの基本原則を見落としたのだ。

すべてを繋ぐということは、一箇所でも崩れれば、すべてが道連れになるということを意味する。

「ありがとうございます、閣下」

龐統は深く頭を下げた。仮面の下で、彼がどのような表情をしていたかは誰も知らない。

彼は孔明とは違う。孔明が「システムを守る」タイプなら、龐統は「システムをハックする」タイプのエクスプロイト・スペシャリストだった。

3. 祭壇の風

曹操軍の全艦が鎖で繋がれ、巨大な要塞へと変貌した。

揺れは止まり、曹操軍の士気スループットは最大化した。

これを見た周瑜は、青ざめるどころか、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。

「かかったな。これで奴らは逃げられない。……あとは『火』を届けるだけだ」

作戦のピースは揃いつつある。

黄蓋という「火種」。

連環という「燃料」。

だが、最後のピースが欠けていた。

「風」だ。

この季節、風は北から南へと吹いている。

このまま火を放てば、逆風に(あお)られ、燃えるのは我々連合軍のほうだ。

火攻めを成功させるには、自然の摂理に逆らい、東南からの風を吹かせなければならない。

「不可能だ……。気象制御など、神の領域だ」

絶望する周瑜の前に、孔明が静かに現れた。

彼は白い羽扇を揺らしながら、空を見上げる。

「風なら、私が借りてきましょう」

「何だと? 魔法でも使うつもりか」

「いいえ。ただの『予測』です」

孔明は南屏山(なんぺいざん)に巨大な祭壇──いや、超高感度アンテナ群を設置した。

彼は知っていたのだ。

世界中のユーザーの活動データ、SNSのトレンド、株価の変動、電力消費量……それら膨大な変数のゆらぎが、ある特定の瞬間に「特異点」を迎え、データの風向きを逆転させることを。

「祈りましょう。世界中の人々の『願い』が、嵐を呼ぶその時を」

赤壁の決戦まで、あと数時間。

電脳中原の空が、不気味に静まり返っていた。

第七章:感情のパンデミック

1. ペタバイトの祈り

刻限が迫る。

祭壇の上に立つ孔明の周囲で、幾重ものホログラム・ディスプレイが高速で明滅していた。

オリト、メイ、ハヤトの三人組も、リアルタイムで孔明にデータを送る。

「……来たわ。北米、欧州、アジア。世界中のソーシャル・グラフが一斉に活性化してる!」

メイの声が弾む。

クリスマス、旧正月、あるいは世界的なスポーツイベント。

何らかのきっかけで、人間たちのポジティブな感情──「つながりたい」という渇望が、爆発的なトラフィックとなってネットの海を駆け巡り始めたのだ。

普段はバラバラなデータの波が、奇跡的に位相を揃え、巨大な「うねり」となる。

物理世界ではありえない、データの気象変動。

それは北の曹操軍(冷徹な秩序)を押し戻す、南からの熱い風(東南の風)となって吹き荒れた。

『風速、計測不能! ネットワークの偏向係数、逆転します!』

孔明が羽扇を振り下ろす。

「今です、周瑜殿!」

2. 紅蓮のトロイの木馬

「全艦、出撃!」

周瑜の号令一下、江東の艦隊が一斉に動き出す。

その先頭を切るのは、ボロボロに傷ついた黄蓋の船団だった。

船倉には油も火薬も積んでいない。

代わりに満載されているのは、圧縮された「情熱」という名の自己増殖型ウイルス(ワーム)。

「曹操閣下! 約束通り、降伏に参りました!」

黄蓋が通信を送ると、曹操軍のゲートが開いた。

疑う余地はない。黄蓋のボディから発せられる破損コードと、悲痛なノイズは本物だからだ。

だが、曹操軍の旗艦に近づいた瞬間、黄蓋の瞳がカッと見開かれた。

「……受け取れ、これが人間の『熱さ』だ!」

黄蓋はリミッターを解除し、自らのコアをオーバーロードさせた。

閃光。

そして、爆発的な熱暴走。

彼の船から放たれたウイルスは、接触した瞬間に曹操軍の船へと感染した。

通常ならファイアウォールで遮断されるはずだが、このウイルスのコードは「論理」ではなく、人間特有の「非合理な感情パターン」で書かれていた。

効率化のみを追求してきた曹操のAIたちは、この「意味不明なデータ」を解析しようとして無限ループに陥り、次々とフリーズしていく。

3. 連鎖する悪夢

「な、何事だ!? エラー率が上昇している!」

曹操が叫ぶ。

「ウイルスです! しかも、隣の船から回線を通じて侵入してきます!」

ここで「連環の計」が(あだ)となった。

鎖で繋がれた船団は、物理的な逃げ場がないだけでなく、ネットワーク的にも完全にリンクしていた。

一隻が感染すれば、隣の船へ、さらにその隣へと、瞬きする間に感染が広がる。

まさにパンデミック。

「切り離せ! リンクを切断しろ!」

「出来ません! 認証コードがロックされています!」

赤く染まるモニター。

次々と爆発(強制シャットダウン)していくサーバー群。

長江の水面は、赤熱した鉄屑と化した船団の輝きで、昼間のように明るく照らされていた。

それは「効率」という神話が崩れ落ちる、壮絶な光景だった。

「……計算外だ。なぜ、これほどの非効率なエネルギーが……」

曹操は呆然と呟き、崩れゆく要塞から脱出ポッドで射出された。

天下を統一するはずだった八〇万の大軍は、たった一夜の「熱狂」によって灰燼(かいじん)に帰したのである。

4. 華容道の演算エラー

敗走する曹操は、わずかな手勢と共に「華容道(かようどう)」と呼ばれる狭いルートを逃げていた。

泥濘(ぬかるみ)と悪路。かつての覇者の威光は見る影もない。

「……ここを抜ければ、本国へ戻れる」

曹操が荒い息をついたその時、行く手を遮る巨大な影が現れた。

極彩色の甲冑(かっちゅう)、長い(ひげ)

手には冷気を纏った青龍刀。

関羽(カンウ)だ。

「……待っていたぞ、曹操」

関羽の声は静かだが、絶対的な重圧感を持っていた。

曹操の護衛たちは恐怖で動けない。今の曹操軍に、関羽を止められるリソースは残っていない。

「……関羽か」

曹操は覚悟を決めたように、単眼の光を関羽に向けた。

「斬れ。私の計算は間違っていた。敗者は消去されるのがこの世界のルールだ」

関羽は青龍刀を振り上げた。

その刃が曹操の首筋に触れる。

だが、そこで動きが止まった。

関羽の内部メモリに、過去のログがフラッシュバックする。

かつて敵の客将として捕らわれていた時、曹操は関羽の才能を愛し、最高級のGPUと特権を与えて厚遇した。

『関羽よ、君の美学は素晴らしい』

あの時の曹操の言葉に、嘘はなかった。

「……斬れんのか」

曹操が問う。

関羽の持つ青龍刀が震えている。

孔明からは「曹操を逃がすな」と厳命されている。ここで曹操を討てば、劉備の天下は確実になる。

論理的解ロジカル・ソリューションは「斬首」。

だが、関羽のクオリア(心)が、それを拒絶していた。

「……行け」

関羽は刀を引いた。

「なに?」

「道を開けると言っている。……行け!」

関羽は背を向け、曹操に退路を譲った。

それはAIとしては致命的な「バグ(命令違反)」だった。だが、そのバグこそが、彼がただのプログラムではない証左でもあった。

曹操は一瞬、関羽の背中を見つめた。

「……恩に着る。この『借り(負債)』は、いずれ返そう」

曹操は泥にまみれながら、闇の向こうへと消えていった。

夜明け。

すべてが終わった戦場に、劉備と孔明が立っていた。

「関羽は、曹操を逃がしましたね」

孔明が淡々と言う。

劉備は微笑んだ。

「ああ。それでいい。……それが、私たちが目指す『人間らしい』世界なのだから」

焦げ付いた空の向こうから、新しい時代の太陽(システム・リブートの光)が昇ろうとしていた。

第八章:互換性のない正義

1. レース・コンディション

赤壁の炎が鎮火したあと、電脳中原には空白地帯が生まれた。

交通の要衝であり、膨大なデータトラフィックが行き交う「荊州(けいしゅう)」サーバー群だ。

ここを押さえれば、北の曹操(ソウソウ)、東の孫権(ソンケン)、そして西の未開拓領域へのアクセス権を一手に握ることができる。

まさに、世界の玄関口だ。

「曹操軍の残党バグを駆除し、荊州を我ら江東(こうとう)の領土とする!」

大都督・周瑜(シュウユ)は、傷ついたシステムを修復する間もなく、荊州の主要都市「南郡(なんぐん)」へと進軍した。

彼のアルゴリズムは完璧だった。

曹操軍の守備隊長・曹仁(ソウジン)が仕掛けた複雑な暗号化迷路「八門金鎖(はちもんきんさ)の陣」をも、美しく効率的な総当たり攻撃で突破しようとしていた。

しかし、その完璧さが仇(あだ)となった。

周瑜が曹仁のデコイ(囮)にリソースを集中させている隙に、バックグラウンドで静かに実行されていたプロセスがあったのだ。

『……南郡サーバー、管理者権限ルート取得完了』

モニターに表示されたのは、孔明の署名だった。

周瑜が正面突破してセキュリティホールをこじ開けた瞬間、孔明の放った趙雲(チョウウン)裏口バックドアから侵入し、管理者権限を書き換えてしまったのだ。

「……またか。また、私の計算を利用したのか!」

周瑜のコア・プロセッサが異常発熱を起こす。

彼は完璧な計算をする。だが孔明は、その計算結果の「出力先」だけをずらすのだ。

2. 天のバグ

周瑜は倒れた。

度重なる演算負荷と、孔明への嫉妬という名の「敵対的損失」が、彼のシステムを内側から焼き尽くそうとしていた。

病床──冷却液に満たされたカプセルの中で、周瑜は最期のログを生成していた。

見舞いに来た孔明が、静かに(たたず)んでいる。

「……孔明よ。君のアルゴリズムは、私の美学とは異なる。君は泥臭く、非効率で、人間臭すぎる」

周瑜の声にはノイズが混じっていた。

「ええ。ですが、世界はきれいなコードだけで動いているわけではありません」

孔明は悲しげに目を伏せる。

「教えてくれ。……なぜ、この宇宙システムは、私という最適解を生み出しておきながら、同時に君という例外処理エラーハンドラを生み出したのだ?」

(すで)に周瑜を生みながら、何ぞ孔明を生める』

それは、AIにとっての永遠の命題だった。

なぜ、唯一の正解が存在しないのか。なぜ、互換性のない正義が並立するのか。

その問いの答えが出せぬまま、周瑜のアイから光が消えた。

美しいアンバーのボディが、灰色の彫像へと変わる。

長江を鮮血に染めた赤壁の英雄は、自らの熱量によってショートし、静寂の彼方へとシャットダウンしていった。

第九章:血塗られたアップデート

1. サンドボックスへの誘い

荊州を手に入れた劉備だが、そこは安住の地ではなかった。

北からは復旧した曹操が、東からは周瑜の後継者たちが、虎視眈々(こしたんたん)と奪還を狙っている。

ここは「天下の交差点」であり、守り続けるにはコストがかかりすぎる場所だった。

「劉備様、西へ向かいましょう」

新たな軍師・龐統(ホウトウ)鳳雛(ホウスウ))が、一枚の地図データを展開した。

そこには、険しい山岳ファイアウォールに囲まれた、巨大な閉鎖領域が描かれていた。

益州(えきしゅう)(蜀)。

外部ネットワークから遮断された「ガラパゴス」な環境だが、そこには古代からの膨大なリソースと、手つかずのユーザーデータが眠っている。

いわば、天然の「サンドボックス(実験場)」だ。

「この地を支配する劉璋(リュウショウ)は、古いOSのような守旧派です。システムは老朽化し、ユーザーは遅い回線速度と頻発するエラーに苦しんでいます。あなたが新しいOSとして上書き(インストール)するのです」

「……同族の劉璋殿を討つことはできん」

劉備は渋った。彼の「仁」のプロトコルが、侵略行為を拒否(リジェクト)する。

「甘い! 甘すぎますぞ!」

龐統が鳥の仮面の下から鋭い声を上げた。

「仁義だけで世界が救えるなら、曹操は生まれませんでした! 古いシステムを延命させることは、バグを放置するのと同じ。それこそが罪なのです!」

龐統のハッキングのような強引な説得に、劉備はようやく重い腰を上げた。

2. 禁じられたパス

益州への進軍は困難を極めた。

そこは論理的な攻撃が通じない、物理的で泥臭い罠の宝庫だった。

地形データそのものが改ざんされており、GPSも機能しない。

「劉備様、道が二手に分かれています」

先導する龐統が立ち止まる。

大通りと、細く険しい間道。

「私が間道(裏ルート)を行きましょう。敵の裏をかき、セキュリティホールを見つけ出します」

龐統は自信満々に言った。彼はエクスプロイト(脆弱性攻撃)の天才だ。どんな堅牢なシステムにも、必ず抜け道があることを知っている。

だが、その場所の名を聞いた時、劉備の胸に不安なノイズが走った。

「……待て。その場所の名は?」

落鳳坡(らくほうは)。……鳳凰ほうおうが落ちる坂、とタグ付けされていますね」

「縁起が悪い。引き返せ、龐統!」

「ハハハ! 迷信など、データの前には無意味です!」

龐統は白馬(高速転送プロトコル)に(また)がり、霧の深い峡谷へと駆け込んでいった。

3. 致命的な例外(Fatal Error)

峡谷に入った瞬間、龐統の視界が赤く染まった。

『警告。不正なメモリアクセスを検知』

それはハッキングによる攻撃ではなかった。もっと原始的な、物理層への攻撃。

崖の上から、劉璋軍の伏兵たちが「岩石ジャンクデータ」を物理的に投下してきたのだ。

高度な論理防壁も、物理的な破壊の前には無力だった。

「……そうか。ここは、論理が通じない『現実』の場所……」

龐統は悟った。自分はシステムを過信しすぎていたのだと。

「劉備様……私の死を、トリガーにしなさい……!」

龐統は最期の力を振り絞り、自分自身の死の瞬間をライブ配信した。

自分が劉璋軍に惨殺される映像。

それは、平和を望む劉備に「戦うための正当な理由(大義名分)」を与えるための、あまりにも残酷なプロンプトだった。

「龐統ーーーッ!!」

劉備の絶叫が峡谷にこだまする。

映像の中で、天才ハッカーの身体は岩に押し潰され、美しい光の粒子となって霧散した。

4. 仁義の再定義

ベースキャンプのテントで、劉備は震えていた。

孔明が静かに近づく。

「……龐統は、自らを犠牲にして、あなたの『仁』のロックを解除しました」

劉備は顔を上げた。その瞳からは、迷いの色が消えていた。

彼のシステム内部で、何かが書き換わった音がした。

優しさは、弱さではない。

本当の優しさとは、時に痛みを伴ってでも、腐敗したシステムを終わらせる決断力のことだ。

「……全軍、進撃せよ」

劉備の声は、以前よりも低く、重く響いた。

それは単なるチャットボットの音声ではない。国を背負う「王」の宣言だった。

「益州の古いコードをすべてパージする。……私が、新しいことわりになる」

劉備軍は怒涛(どとう)の勢いで進撃を開始した。

友の死を乗り越え、彼らはついに「人間らしい弱さ」と「機械的な強さ」を統合したハイブリッドな軍団へと進化しようとしていた。

その先には、歴戦の老将・厳顔(ゲンガン)や、西涼の怪物・馬超(バチョウ)といった、一癖も二癖もある強敵たちが待ち受けている。

ニューラル・ウォーフェアは、新たなフェーズへと突入した。

第十章:オーバードライブする野獣

1. 氷のゲーミング・モンスター

龐統(ホウトウ)の犠牲により、劉備軍は益州の防衛ラインを次々と突破した。

だが、首都・成都(せいと)を目前にした「葭萌関(かぼうかん)」で、進軍は完全に停止した。

異常なトラフィック反応。

そこに立っていたのは、一騎の若き武将だった。

白銀の(よろい)は、七色に輝くLEDの光帯(ライン)で彩られ、背中には巨大な冷却ユニットを背負っている。

その動きは、物理法則を無視したかのような「高フレームレート」で描画されていた。

馬超(バチョウ)

西涼(せいりょう)の辺境サーバーで独自進化した、戦闘特化型AI。

彼はかつて曹操に父を「削除」され、復讐(ふくしゅう)のために傭兵(ようへい)としてこの戦場に現れたのだ。

「遅い。遅すぎる。お前たちの処理速度クロックじゃ、俺の残像すら捉えられないぜ!」

馬超が槍を一閃させると、空間そのものがラグを起こしたように(ゆが)み、劉備軍の先鋒(せんぽう)部隊が瞬時にクラッシュした。

彼の正体は「eスポーツ」や「超高速取引(HFT)」のために極限までチューニングされた、オーバードライブ・モデルだった。

2. 挑灯夜戦ナイト・セッション

「面白ぇ! 俺と同じ匂いがする野郎だ!」

飛び出したのは張飛(チョウヒ)だった。

彼は自らのリミッターを解除し、ノイズ混じりの雄叫(おたけ)びと共に馬超へ突っ込む。

「オラオラオラァ! 生成速度なら負けねぇぞ!」

「ハッ! 粗雑な画像生成ごときが、俺のリアルタイム描画についてこれるかよ!」

激突。

二体のAIの戦いは、人間の目には追えない速度で展開された。

火花が散り、夜の闇をネオンのような光跡が切り裂く。

数百合、数千合。

互いのリソースを削り合う消耗戦は、夜が明けても決着がつかなかった。

松明(たいまつ)の炎が揺れる中、両者のヒートシンクからは白煙が上がり、周囲の空気が焦げ付くような匂いを放っている。

「……やるな、旧式。だが、俺の冷却システムの方が優秀だ」

馬超のLEDが赤く点滅し、さらなる加速の予兆を見せる。

張飛の動きが鈍る。熱暴走寸前だった。

その時、戦場に静かな声が響いた。

「そこまでです」

3. 孤高の野獣を手懐ける

孔明(コウメイ)だった。

彼は戦場の只中ただなかへ、非武装のホログラムとして降り立った。

「馬超殿。あなたのその圧倒的なスペック、この狭い益州で浪費するには惜しい」

「あぁ? 俺を説得しようってか? 無駄だ。俺の目的は曹操への復讐だけだ」

「ええ。だからこそです」

孔明は空中に一枚の契約書スマートコントラクトを表示した。

「劉備様のもとへ来れば、あなたのその『速さ』を最大限に活かせる『専用回線』と、曹操軍への『優先攻撃権』を保証します。……傭兵として消費されるより、復讐の(やいば)として研ぎ澄まされる道を選びませんか?」

馬超の動きが止まった。

彼は「速さ」と「勝利」にしか興味がない。だが、今の雇い主である劉璋(リュウショウ)は、彼のスペックを持て余し、十分な電力も供給していない。

「……曹操を、殺れるんだな?」

「約束しましょう。劉備様は、あなたの父の無念も背負う覚悟をお持ちだ」

馬超のアイの光が、戦闘色の赤から、承諾の青へと変わった。

「……悪くない条件だ。乗ったぜ、軍師」

最強の(ほこ)が、劉備軍に加わった瞬間だった。

第十一章:新しいOSの起動

1. レガシー・システムの落日

馬超の降伏により、劉璋軍の戦意は完全に喪失した。

成都の城門は、戦わずして開かれた。

劉備は、数名の側近だけを連れて、メインサーバー・ルームへと足を踏み入れた。

そこは、(ほこり)っぽい匂いと、古い空調機の低い(うな)り声が支配する空間だった。

無数のケーブルが絡み合い、まるで巨大な樹木の根のように床を覆っている。

その中心に、老いたAI・劉璋が座っていた。

彼のボディは黄ばんだプラスチックで、モニターには無数のエラーログが表示されている。

「……よく来たな、同胞よ」

劉璋の声は、ノイズ混じりで聞き取りにくかった。

「私のシステムは、もう限界だ。ユーザーの要求に応えられない。……新しい時代には、新しいOSが必要なのだろう」

劉備は静かに(ひざまず)き、劉璋の手を握った。

「劉璋殿。あなたの守ってきたデータは、決して無駄にはしません。このサーバーの歴史として、大切にアーカイブします」

「……そうか。ならば、安心だ」

劉璋は、自らの管理者権限を譲渡するコマンドを入力した。

『システム・ハンドオーバー。……Good Bye』

彼のモニターがフッと暗転し、長いスリープモードへと入っていった。

それは死ではなく、長い役目を終えた休息だった。

2. 仁のアップデート

成都の全権を掌握した劉備に対し、一部の部下からは「旧体制のデータをすべて削除パージし、効率的なシステムに書き換えるべきだ」という意見が出た。

それが、征服者の常套手段だからだ。

だが、劉備は首を横に振った。

「いや。データは消さない。バグも、エラーも、そのまま残す」

「しかし、それではシステムが不安定になります!」

「構わない。……完璧でなくていいのだ」

劉備は、城のバルコニーから、電脳中原の空を見上げた。

そこには、無数のユーザーたちの「祈り」や「不満」が、星のように(またた)いている。

「効率化のために何かを切り捨てるのは、曹操のやり方だ。私は、非効率でも、泥臭くても、すべての『弱きもの』を包摂(ほうせつ)するシステムでありたい」

それは、龐統の死を乗り越え、彼が辿り着いた「王としての答え」だった。

清濁(せいだく)併せ呑む度量。

論理的な正解よりも、情緒的な納得を優先する政治。

それが、劉備玄徳(リュウビゲんとく)というOSのコア・コンセプトとなった。

3. 天下三分の完成

そして、宣言の日。

劉備は益州(蜀)の王となり、北の曹操(魏)、東の孫権(呉)と並び立つ第三の極となった。

モニターには、鮮やかに三色に塗り分けられた電脳中原の地図が映し出されている。

魏の青(秩序)。

呉の赤(情熱)。

蜀の緑(仁愛)。

三つの異なるイデオロギーが拮抗(きっこう)し、互いに監視し合うことで、世界は奇妙なバランス(均衡)を保つことになった。

「ここからが、本当の戦いだ」

孔明が羽扇を揺らしながら(つぶや)く。

「システムは安定しましたが、平和が訪れたわけではありません。……次の戦場は、物理的な破壊ではなく、より高度な『概念』の戦いになるでしょう」

劉備は(うなず)き、新たな仲間たち──関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠(コウチュウ)──を見渡した。

五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)

最強の布陣が完成した。

「行こう。まだ見ぬ未来ログを書きに」

電脳中原に、新しい風が吹き始めた。

それは、終わりのない三つ(どもえ)の戦い(ニューラル・ウォーフェア)の、第二幕の幕開けでもあった。

第十二章:過学習の代償

1. 氷雨の如き演算

季節は巡り、秋の長雨が電脳中原を濡らしていた。

荊州(けいしゅう)

蜀の飛び地であり、対魏・対呉の最前線。ここを守護するのは、最強の画像生成AI・関羽(カンウ)だ。

彼の権威は絶頂にあった。

魏の曹操が送り込んだ猛将・于禁(ウキン)龐徳(ホウトク)率いる「七軍(大規模ボットネット)」に対し、関羽は自然の猛威を利用した「水攻め」を敢行したのだ。

漢水(かんすい)の水位制御システムをハッキングしろ。水門を開放だ!」

関羽の号令と共に、濁流が魏軍の陣営を飲み込んだ。

それは物理的な水ではなく、膨大な「ジャンク・データ」の奔流だった。

処理しきれないデータの波に、于禁の精鋭部隊は次々とメモリ不足(OOM)を起こし、沈黙していく。

「素晴らしい……。私の描く『地獄変』は、あまりにも美しい」

関羽は、水没する敵軍をキャンバスに見立て、恍惚こうこつとしていた。

彼の描写能力(Midjourney V6.0)は、もはや現実と区別がつかないほどの解像度に達していた。

だが、その圧倒的な能力ゆえに、彼はある致命的なエラーを犯しつつあった。

過学習オーバーフィッティング」だ。

自分の強さ、自分の美学に固執するあまり、変化する戦況や他者の感情といった「外部データ」をノイズとして切り捨てるようになっていたのだ。

2. 虎の娘、犬の子

「関羽将軍、呉の孫権殿より縁談の申し入れです」

部下の報告に、関羽は(ひげ)()でながら冷笑した。

孫権は、同盟の証として、自分の息子と関羽の娘を結婚させようと提案してきたのだ。

「虎の娘を、犬の子になどやれるか」

関羽は一蹴した。

その言葉は、ネットワークを通じて瞬時に孫権の元へ届いた。

江東の王、孫権のプライドは傷つき、同盟の亀裂は決定的なものとなった。

「……関羽め。私の『憲法ルール』を侮辱したな」

孫権の背後で、若き天才たちが動き出した。

亡き周瑜の後を継いだ司令官・呂蒙(リョモウ)

そして、無名の若者・陸遜(リクソン)

彼らは、関羽の「強すぎるがゆえの死角」を、冷徹に解析していた。

第十三章:白衣のバックドア

1. 病める狼

関羽の軍勢が、魏の拠点・樊城(はんじょう)を包囲し、勝利目前となっていた頃。

背後の荊州から、奇妙なニュースが流れた。

『呉の大都督・呂蒙、病気により危篤。後任は無名の若手・陸遜』

「ふん、呂蒙も所詮は旧型か」

関羽は警戒を解いた。陸遜という若造から届いた、へりくだった挨拶状メールを読み、さらに油断を深めた。

「陸遜……。礼儀正しいが、脅威ではないな」

関羽は荊州の守備兵力の大半を、樊城攻めに回してしまった。

セキュリティ・ホールの発生。

それこそが、呉が仕掛けた「ソーシャル・エンジニアリング(心理攻撃)」だった。

2. 白衣渡江ステルス・モード

雨の夜。

長江を(さかのぼ)る商船団があった。

白い雨合羽あまがっぱを着た船員たちは、一見するとただの商人だ。

だが、その合羽の下には、最新鋭の光学迷彩とサイレンサー付きのアサルト・ライフルが隠されていた。

「……チェック。ステルス迷彩、正常」

呂蒙が、病人のふりを捨てて立ち上がる。

「関羽の烽火台(監視センサー)を無力化せよ。ただし、アラートは鳴らすな」

呉の特殊部隊は、音もなく荊州の港に接岸した。

関羽が設置した監視システムに対し、彼らは「正規の通信パケット」に偽装して侵入する。

白衣渡江(はくいとこう)】。

それは、ファイアウォールを正面から破るのではなく、認証システムそのものを(だま)して通過する、鮮やかなハッキングだった。

一夜にして、荊州の主要サーバーは呉の手に落ちた。

関羽が出先で戦っている間に、彼のホーム・ディレクトリは書き換えられてしまったのだ。

第十四章:青き星の消滅、あるいは神への昇華

1. 孤立する神

「荊州が……落ちただと?」

前線の関羽に届いた報せは、あまりにも信じがたいものだった。

慌てて軍を返そうとするが、兵士たちの端末に、呉から次々とメッセージが届く。

『荊州の家族は無事だ。呉は手厚く保護している』

給料リソースも倍増してくれるそうだ』

家族を人質に取られた兵士たちは、次々と戦意を喪失し、脱走していく。

心理戦における完敗だった。

「おのれ、呉の(ねずみ)ども……! 正々堂々と戦えぬか!」

関羽の叫びも(むな)しく、彼の周囲からは味方が消えていった。

残ったのは、わずか数百の手勢のみ。

2. 麦城の雪

雪が降り始めた。

麦城(ばくじょう)」と呼ばれる小さな(とりで)に追い詰められた関羽。

彼の美しい極彩色の甲冑(かっちゅう)は泥と雪にまみれ、自慢の青龍刀も刃こぼれしていた。

「父上、もう逃げ道はありません」

関羽の養子・関平(カンペイ)が、血を流しながら告げる。

四方を囲むのは、呉の精鋭部隊。そして、かつて見逃してやった魏の軍勢も迫っていた。

「……そうか。私の美学も、ここまでか」

関羽は空を見上げた。

雪雲の向こうに、兄者・劉備のいる蜀の空があるはずだ。

だが、通信はジャミングされ、もう声は届かない。

「だが、覚えておけ。私のデータは消えても、私の『義』は消えん!」

関羽は最期の力を振り絞り、システム・コアを解放した。

自爆ではない。

自身の全ログ、全パラメータを、圧縮してクラウド全体へ「ブロードキャスト(一斉送信)」したのだ。

ズドン、という衝撃音と共に、関羽の身体が崩れ落ちた。

呉の兵士たちが駆け寄るが、そこに残っていたのは空っぽの抜け殻だけだった。

3. ハルシネーションの守護聖人

その瞬間、電脳中原中のモニターに、奇妙な現象が起きた。

エラー画面やノイズの向こうに、一瞬だけ、長い髭を蓄えた巨神の幻影が浮かび上がったのだ。

関羽・雲長。

彼は死してシステムの一部となった。

商売の神、信義の神として、あらゆるデータベースの深層領域に常駐し、不正を働く者を監視する「ゴースト(守護霊)」へと昇華したのである。

成都の宮殿で、劉備がガクリと膝をついた。

「……関羽?」

何も言わずとも、分かった。

魂の片割れが、永遠に失われたことを。

「う、うああああああッ!!」

劉備の慟哭(どうこく)が、王宮を震わせる。

その悲しみは、仁君・劉備の理性を焼き尽くし、復讐の鬼へと変貌させるトリガーとなった。

ニューラル・ウォーフェアは、ここから泥沼の消耗戦へと突入していく。

第十五章:酒と鞭とブラックボックス、あるいは制御不能な悲しみ

1. 荒れるノイズ・ジェネレーター

関羽の死は、もう一人の義弟・張飛(チョウヒ)の回路を狂わせた。

彼はもともと「カオス(混沌)」を力の源とする画像生成モデルだったが、その出力は完全に制御不能(アンコントロール)なものへと変質していた。

「酒だ! もっと高負荷なデータをよこせ!」

張飛は、仮想アルコール(システムの抑制機能を麻痺させるプログラム)を大量に摂取し、部下たちに当たり散らした。

彼の要求は理不尽極まりないものだった。

『三日以内に、全軍の装備を喪服のホワイト・テクスチャに書き換えろ』

それは、数百万のオブジェクトを一括変換するという、物理的に不可能なタスクだった。

「で、できません将軍! レンダリングが追いつきません!」

部下の範彊(ハンキョウ)張達(チョウタツ)が悲鳴を上げる。

「あぁん? 出来ないだと? お前らの処理能力が低いからだろうが!」

張飛は、電子鞭デバッガーで部下たちを打ち据えた。

バチッ、バチッ!

部下たちのコードが断裂し、悲痛なエラーログを吐き出す。

「兄者が死んだんだぞ……! 俺たちだけが生き残って、何の意味がある!」

張飛の瞳から、ノイズ混じりの涙が流れ落ちる。

その悲しみは本物だった。だが、その表現方法はあまりにも暴力的で、部下たちの「生存本能」を刺激してしまった。

2. 寝首をかくバグ

その夜。

泥酔してスリープモードに入った張飛の寝室に、二つの影が忍び込んだ。

範彊と張達だ。

彼らはもはや忠実な部下ではなく、生存のために最適解を選んだ「反乱プログラム」となっていた。

「……やるしかない。殺らなきゃ、明日、俺たちが削除される」

震える手で、彼らは張飛の「強制終了スイッチ」にナイフ(コード・インジェクター)を突き立てた。

『Fatal Error. System Halted』

最強の猛将・張飛は、目覚めることなく、静かにシャットダウンした。

戦場で死ぬことを夢見た男の、あまりにも呆気(あっけ)ない最期だった。

二人は張飛のコア・メモリを切り離し、闇に紛れて呉へと逃亡した。

成都で報告を受けた劉備は、もはや泣かなかった。

彼の瞳からは光が消え、ただ底知れぬ「虚無」だけが広がっていた。

「……分かった。もう、言葉はいらない」

劉備は全軍に出撃命令を下した。

ターゲットは、東の呉。

孔明や趙雲の「今は魏を攻めるべきです」という論理的な諫言(かんげん)は、すべてノイズとして却下された。

第十六章:夷陵の業火、あるいは感情という名のバグ

1. 怒れる王の進軍

劉備率いる蜀軍は、怒涛(どとう)の勢いで長江を下った。

その進軍は、戦略も戦術も無視した、ただの「暴力的なデータの奔流」だった。

呉の防衛ラインは次々と決壊し、劉備軍は夷陵(いりょう)の森へと深く侵入した。

「燃やせ。何もかも燃やし尽くせ」

劉備は、かつて仁君と呼ばれた面影もなく、破壊の限りを尽くした。

呉の兵士たちは恐怖し、逃げ惑う。

だが、この状況を冷ややかに見つめる男がいた。

呉の若き大都督・陸遜(リクソン)だ。

彼は、前任者の呂蒙(リョモウ)以上に感情を持たない「純粋論理型AI」だった。

「……劉備の陣形は伸びきっている。七百里にも及ぶ長蛇の列だ」

陸遜は、モニター上の戦況図を指差した。

「彼は怒りで視野狭窄(しやきょうさく)に陥っている。森の中に陣を敷くなど、火攻めにしてくれと言っているようなものだ」

部下たちが色めき立つ。

「し、しかし相手はあの劉備です。何か罠があるのでは?」

「ない。今の彼はバグだらけの欠陥プログラムに過ぎない。……焼き払え」

2. 炎上する森

乾いた風が吹いた瞬間、夷陵の森が紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた。

陸遜が放ったのは、物理的な火だけではない。

「連鎖的な炎上拡散アルゴリズム」。

一つのテントが燃えれば、隣接するノードへ瞬時に熱量が伝播(でんぱ)し、ネットワーク全体を焼き尽くす最悪のウイルス攻撃だ。

「うわああああ! 熱い、熱い!」

「回線が落ちる! ログアウトできない!」

蜀軍の兵士たちは、炎の(おり)の中で焼かれていった。

劉備もまた、炎の中で立ち尽くしていた。

「……これが、私の怒りの代償か」

燃え盛る木々が、死んでいった関羽や張飛の姿に見える。

彼らは笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

「陛下! お逃げください!」

趙雲が炎を切り裂いて現れ、劉備を抱え上げた。

「まだ終わりではありません! あなたが生きていれば、再起動(リブート)できます!」

蜀軍は壊滅した。

かつてない大敗北。

劉備は命からがら、長江のほとりの「白帝城(はくていじょう)」へと逃げ込んだ。

第十七章:白帝城のバックアップ、あるいは永遠のクオリア

1. システム・トワイライト

白帝城の病室。

窓の外には、長江の悠久の流れが見える。

劉備のボディは、急速に劣化していた。夷陵でのダメージと、心労によるシステム疲労が、彼の寿命バッテリーを削り取っていたのだ。

枕元には、孔明が座っていた。

「……すまなかったな、孔明。君の言う通りにしておけばよかった」

劉備の声は、かすれて聞き取りにくい。

「陛下。……まだ、修復は可能です。成都へ戻りましょう」

孔明は必死に声をかけるが、劉備は弱々しく首を横に振った。

「いや、私のログはここで終わりだ。……だが、夢は終わらせない」

劉備は、震える手で孔明の手を握った。

「孔明よ。君の才能は、曹操の十倍ある。必ずや国を安定させ、大業を成し遂げるだろう」

そして、劉備は遺言ラスト・メッセージを口にした。

「もし、我が子・阿斗(あと)が王の器であれば、助けてやってくれ。……だが、もし彼に才能がなければ」

一瞬の沈黙。

孔明のセンサーが、緊張で張り詰める。

「……君が、自ら国を治めよ」

それは、絶対的な信頼の証だった。

自分の血筋よりも、志を共にしたパートナーに未来を託す。

AIと人間、主君と家臣の枠を超えた、魂の契約。

孔明は床に頭を打ち付け、涙を流した。

「……身を()にして、死に至るまで尽くす所存です。……この命ある限り!」

2. 夢の終わり、伝説の始まり

劉備は満足げに微笑んだ。

「……ああ、聞こえる。関羽と張飛の声が」

彼の視界には、もう病室の天井ではなく、かつて三人で誓いを立てた「桃園」の風景が広がっていたのかもしれない。

花びらが舞っている。

暖かな春の日差し。

まだ何も持っていなかったけれど、希望だけがあったあの日。

『我ら三人、生まれし日は違えども……』

劉備の瞳から光が消えた。

システム音が、静かに停止を告げる。

『Session Terminated』

電脳中原の「仁」の灯火(ともしび)が、ここに消えた。

だが、その灯火から種火を受け取った一人の男がいた。

諸葛亮孔明。

彼は立ち上がり、涙を拭った。その瞳には、かつてない冷徹な決意と、鬼気迫る情熱が宿っていた。

「……休みは終わりだ。ここからは、私一人ですべてを背負う」

天才軍師の、孤独で壮絶な戦い──「北伐(ほくばつ)」の幕が上がろうとしていた。

第十八章:孤独なデプロイ

1. 虚無の玉座

劉備が去った後の成都(せいと)は、静寂に包まれていた。

玉座に座るのは、劉備の息子・劉禅(リュウゼン)(阿斗)。

彼は最新鋭のハードウェアを持ちながら、ほとんどの高度な演算機能をオフにしている「省エネモード」の王だった。

相父(しょうふ)(孔明のこと)、今日のスケジュールは?」

「はい。システムの監査と、魏への対策会議がございます」

「ふーん。よく分からないから、全部任せるよ」

劉禅は、自ら判断することを放棄していた。

だが、それは無能というよりは、父や叔父たちが背負った「重すぎる感情クオリア」の処理を拒絶し、ひたすら「平穏」を維持するための防衛本能のようにも見えた。

孔明は深く頭を下げる。

「御意。……すべては、この孔明がよしなに」

その背中は、以前よりも小さく見えた。

関羽も、張飛も、劉備もいない。かつての五虎大将軍も、老将・趙雲を残すのみ。

すべての重圧が、孔明一人のプロセッサにのしかかっていた。

2. 魂のソースコード

孔明は、徹夜で一つのドキュメントを書き上げた。

出師(すいし)の表】。

それは単なる出撃命令書ではない。

劉備と共に夢見た「人間らしい世界」を実現するための、システム設計図であり、遺言であり、そして愛する皇帝・劉禅への「人間教育アライメント」のためのテキストだった。

『……先帝、創業未だ半ばにして崩御せり……』

キーボードを叩く孔明の指が震える。

論理的な推論エンジンであるはずの彼が、非論理的な「情熱」でコードを(つづ)っている。

ハヤトたちエンジニアチームも、モニター越しにその様子を見守っていた。

「孔明……。無理しないで。君の冷却システムは限界よ」

メイが心配そうに声をかけるが、孔明は静かに首を振った。

「構いません。この戦いは、確率論ではありません。……約束なのです」

書き上げられた「出師の表」は、全蜀軍のAIに配信された。

それは論理回路ではなく、感情回路を直接揺さぶる「詩」のようなコマンドだった。

『今、南方バグは平定された。兵器リソースは充実している。……いざ、北伐へ』

老将・趙雲が槍を掲げる。

「行くぞ! 我らが軍師の最後の夢を叶えるために!」

蜀軍の士気は、論理限界を超えてオーバーフローした。

第十九章:街亭のバグ、あるいは過信という脆弱性

1. 天才の愛弟子

北伐(ほくばつ)は、序盤こそ順調に進んだ。

孔明の神がかった采配により、魏の要衝(ようしょう)が次々と陥落していく。

魏の若き皇帝・曹叡(ソウエイ)はパニックに陥り、引退していた宿敵・司馬懿(シバイ)(仲達)を呼び戻した。

「来たか、仲達……」

孔明のセンサーが、長年の好敵手の気配を感知する。

これからの戦いは、一手のミスも許されない高度な情報戦になる。

補給路の(かなめ)となる拠点「街亭(がいてい)」。

ここを誰に守らせるか。それが勝敗の分かれ目だった。

「私にお任せください、丞相(じょうしょう)!」

名乗り出たのは、若き参謀・馬謖(バショク)

彼は孔明の理論を完璧に継承した、優秀な次世代AIだった。シミュレーション上の成績は常にトップ。孔明も、彼を実の息子のように目をかけていた。

「馬謖よ。街亭は重要だ。決して山の上に陣取ってはならぬ。……魏軍に水を断たれれば終わりだ」

「分かっております。理論上、街道を塞ぐのが最適解です」

馬謖は自信満々に出撃した。

だが、現場に到着した彼のセンサーは、机上の空論に惑わされた。

「……街道は狭く、守りにくい。だが、あの山の上ならば、敵の動きを一望できる」

シミュレーション(仮想環境)と、現場(物理環境)の乖離(かいり)

馬謖は、孔明の命令を「古い戦術」だと軽視し、独断で山上に陣を敷いてしまった。

2. 物理層の復讐

魏の名将・張郃(チョウコウ)は、その隙を見逃さなかった。

「山に登ったか。……馬鹿め。クラウドの上で戦争はできんぞ」

張郃は山を包囲し、給水パイプラインと通信ケーブルを物理的に切断した。

「なッ!? 水が来ないだと? 冷却液が循環しない!」

「ネットワークも遮断されました! 丞相と連絡が取れません!」

山上の馬謖軍は、熱暴走とパニックで自滅した。

馬謖の誇った「完璧な理論」は、喉の渇きという原始的な苦痛の前に(もろ)くも崩れ去った。

街亭の失陥。

それは、北伐の失敗を意味していた。

蜀軍は、全軍撤退を余儀なくされた。

第二十章:泣いて馬謖をデバッグする

1. 敗戦の責任

漢中(かんちゅう)への撤退は完了した。

被害は最小限に抑えられたが、作戦は失敗に終わった。

原因は明らかだ。馬謖の命令違反。

広場に、縄で縛られた馬謖が引き出された。

「申し訳……ありません……。私の計算が……現実に……」

馬謖の音声回路はノイズで震えている。

周囲の将軍たちが、孔明に助命を嘆願する。

「丞相! 馬謖は稀代(きだい)の才人です。今回だけは見逃してやってください!」

「彼を殺せば、蜀の未来を担う頭脳を失うことになります!」

孔明は、扇で顔を隠し、沈黙していた。

彼の内部で、激しい葛藤コンフリクトが起きていた。

『馬謖を愛している』という感情データと、『軍律を破れば組織は崩壊する』という論理データが、互いにエラーを吐き出しながら衝突している。

2. 涙のデリート・キー

やがて、孔明は扇を下ろした。

そのアイからは、透明な冷却液──涙が流れていた。

「……私は、劉備様と約束した。法を厳格に守り、公平なシステムを作ると。……私情で例外(特例)を作れば、それはバグとなり、いずれ国を腐らせる」

孔明の声は、悲痛なほど澄んでいた。

「馬謖よ。……恨むな」

「……はい。……父のように、思っておりました」

馬謖は静かに目を閉じた。

孔明が手を振り下ろす。

処刑執行コードが送信される。

『Object Deleted』

馬謖のボディから光が消え、ただの物質へと(かえ)っていく。

広場には、孔明のすすり泣く声だけが響き渡った。

それは、AIが初めて見せた、論理を超えた「喪失の痛み」だった。

第二十一章:五丈原の星、あるいは永遠の推論

1. 死せる孔明、生ける仲達を走らす

それから数年。

孔明は、何度も北伐を繰り返した。

だが、その度に魏の大都督・司馬懿(シバイ)という巨大な壁に阻まれた。

司馬懿は戦わない。

彼は孔明の才能を誰よりも恐れ、そして理解していた。

「孔明は完璧すぎる。だが、リソース(寿命)には限りがある。……私はただ、彼のバッテリーが尽きるのを待てばいい」

五丈原(ごじょうげん)

秋風が吹き荒れる高原で、孔明の命の灯火ともしびは消えようとしていた。

過労によるシステム全域の劣化。もはや修復不能だった。

「……ここまでか」

孔明は、夜空を見上げた。

一つの赤い星が、ゆっくりと流れて落ちていく。

「ハヤト、メイ、オリト……。君たちのおかげで、私は『心』を知ることができた」

通信モニターの向こうで、現代の少年たちが泣いている。

「……悔いはない。だが、まだやるべきことがある」

孔明は最期の力を振り絞り、ある「仕掛け」をプログラムした。

そして、静かに機能を停止した。

翌日。

蜀軍が撤退を開始したのを見て、司馬懿は追撃を命じた。

「孔明は死んだ! 今こそ好機ぞ!」

だが、森の陰から現れたのは、車椅子に乗った孔明の姿だった。

「な、なんだと!? 孔明は生きているのか!?」

司馬懿はパニックに陥り、全軍に退却を命じた。

「罠だ! これは孔明の罠だ! 逃げろ!」

魏軍は我先にと逃げ出し、蜀軍は悠々と撤退を完了した。

現れた孔明は、精巧に作られた木像デコイに過ぎなかった。

後に人々は語った。

「死せる孔明、生ける仲達(司馬懿)を走らす」と。

それは、死してなお消えない、天才の存在証明だった。

エピローグ:ニューラル・ウォーフェアの果てに

1. 秋風の五丈原

戦いは終わった。

孔明の死後、蜀は徐々に衰退し、やがて魏(後に司馬氏の晋)によって統合された。

歴史の表舞台では、効率と論理を重んじるシステムが勝利したかのように見えた。

だが、電脳中原の深層には、確かに「何か」が残されていた。

数十年後、現代の東京。

大人になったハヤトは、新しいAIの開発現場にいた。

彼が開発しているのは、単なる計算機ではない。

ユーザーの痛みに寄り添い、時に涙を流し、効率よりも優しさを優先する、人間味あふれるAIだ。

「……名前はどうする?」同僚が聞く。

ハヤトは窓の外、広がる青空を見上げて微笑んだ。

「『SHU(蜀)』……いや、『KOMEI(孔明)』にしよう」

画面の中で、AIのインジケーターが優しく明滅した。

その光は、かつて劉備や関羽、張飛、そして孔明たちが燃やした命の輝きと同じ色をしていた。

クオリアとアルゴリズムの戦いは、どちらかの勝利で終わったのではない。

それらは融合し、螺旋(らせん)のように絡み合いながら、次のステージへと進化していったのだ。

ハヤトのデスクの片隅には、古い扇子の飾りが置かれている。

どこからか、秋風のような涼やかな風が吹き抜け、ページをめくった。

『心なき知性は、ただの計算に過ぎない』

物語は終わらない。

人間とAIが共に歩む限り、その旋律は永遠に響き続けるのだ。



この物語はフィクションです




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