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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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異世界恋愛系(短編)

だってあなたは、私の愛するひとではありませんから。

「わたしは、聖女メアリーと結婚することにした。よって、お前との婚約を破棄する」


 長年仲睦まじかった婚約者ユリシーズから突然の婚約破棄を言い渡されたアンは、思わず固まってしまった。婚約者、婚約破棄と言っているが、アンはもう随分前から、花嫁修業のためにユリシーズの実家である侯爵家に移り住んでいる。書類上はいまだ婚約者だが、実質的には既にユリシーズの妻も同然の関係だった。


「あら、これは王命でしてよ。断るなど、不敬というもの。王国の臣民であれば、ご理解いただかなくては」


 ころころと笑っているのは王族の姫君であり、今代の聖女であるメアリーだ。彼女は頬を染め、ユリシーズにしなだれかかっている。聖女は純潔が求められているはずだが、ふたりの様子はあまりにも親密過ぎた。


「……承知いたしました。それでは、荷物をまとめてまいります」


 王命を覆すことなど、誰にもできはしない。震える声で、承諾の意を伝えるだけで精いっぱいだ。それでも涙を見せることなくその場を辞そうとした彼女を止めたのは、ふたりの婚約の解消を待ち望んでいたはずのメアリーだった。


「あら、それは早合点が過ぎるというもの。わたくしは、そのような狭量な人間ではありません。そなたには、そなたにしかできないことをお任せしようと思っておりますの。ですから屋敷にこのままとどまっていただきたいのです。まあ、本妻用の寝室からは出て行っていただきますけれど」


 美しい、けれどどうにも棘があるように思われる微笑みを向けられて、アンは背筋が冷える。


「それは、私にメアリーさまの侍女として仕えるようにということでしょうか?」

「いいえ、そのような意地の悪いことなどするはずがないでしょう。そなたには、これからユリシーズとの子を産んでもらうのですから」

「……申し訳ありません。何か聞き間違えてしまったようです。もう一度よろしいでしょうか?」

「まあ、大切なことは一度でしっかり理解してくださいませ。アンには、これからわたくしの代わりに、お子を産んでもらうつもりです。そうですね、少なくとも6人は欲しいですわ。侯爵家の後継ぎとなる長男、後継ぎのスペアとなる次男、聖女の後継ぎとなる長女、後継ぎのスペアとなる次女、それから他家との婚姻に必要な三男と三女。本当は王家への養子に出す子どもも欲しいのですが、連続で産むことは難しいそうですし、隔年で何人産めるのかしら。侍医に相談してみましょうね」


 さらりととんでもないことを言われて、アンは返事ができなかった。妊娠出産は命がけだ。出産の際に命を落とす妊婦は決して珍しい話ではない。それを聖女は、アンに少なくとも6回は命じようというのか。


「申し訳ございません。なぜ、メアリーさまは私にそのようなことをお命じになるのでしょうか」

「だって聖女というものは純潔を求められるものですもの。いくら運命の相手とはいえ、この身は神に捧げられしもの。白い結婚は守らなければなりません。けれど、侯爵家の後継ぎを親戚から迎えることになるのは、あまりにも寂しいでしょう? わたくしだって、ユリシーズの血を引く子が欲しいのです」

「であれば、どなたか希望者を募った方が……」

「そもそも、そなたはユリシーズのことが好きなのでしょう? それならば、そなたに任せるのが一番ではございませんか。そなたは愛するひとに抱かれて、愛するひとの子どもを産む。ユリシーズは、子どもの確保と肉欲の発散ができる。そしてわたくしは、ユリシーズと血の繋がった可愛い子を育てることができる。みんなが幸せになれる素晴らしい道ではございませんか」


 何ひとつ悪いと思っていないのだろう。にこにこと微笑まれて、アンは鳥肌が立った。この女は狂っている。けれど、周囲の誰も彼女の言動に問題を感じていないらしい。王族だからか。聖女だからか。あるいはその両方か。


「もしも、断ると申し上げたならば……」

「まあ、アンったら。なんてわがままなのかしら。わたくしが我慢して、ユリシーズとのまぐわいを許可しているのですよ。そなたはそのお情けを泣いて喜ぶべきなのではありませんか。わたくし、借り腹を抱くのに情けは不要、子種だけ授けてできるだけはやく閨事を終わらせてほしいなどとは申しません。これだけでも、過分の慈悲でしょうに」


 なんという侮辱だろうか。これほどまでに清々しく、アンの尊厳を踏みにじっておきながら、それを喜べと言われてもどうすればよいのだろう。しかも聖女は、これをアンへの侮辱ではなく、慈悲だとまで言ってのけた。自分の手で育てられなかったとしても、愛する婚約者の子どもを産むことができるならば至上の幸福だろうと言われて喜ぶ女が、この世界のどこにいるというのか。


「愛されていないとわかっている相手に身体を開くことなどできかねます。そして、産んだ子どもが取り上げられるとわかっていて妊娠を望む母親などこの世におりません。どうぞ聖女さまの御心に沿う方をお探しくださいませ」

「なんという無礼な! わたくしがここまで譲歩しているのですよ。ユリシーズ、あの女を捕まえてくださいませ! 離れに閉じ込めて反省させるのです!」

「いやっ、離して!」


 そのままアンは屋敷の使用人たちによって拘束され、離れに監禁されてしまった。



 ***



「アンさま、どうぞお召し上がりください」

「……必要ありません」

「毒も、催淫剤も入っていないと誓います。必要ならば、自分が毒見をいたしましょう。今は、まずしっかりとお食事を摂って体力を温存するときです。さすれば、隙をつくこともできましょう」

「……あなたは、何を言っているの?」

「大丈夫です。自分を信じてください」


 絶望に打ちひしがれるアンだったが、数日後、監視の目を盗んで逃亡することに成功する。彼女の逃亡を手助けしたのは、見覚えのない使用人。顔に大きな火傷がある、背の低い小太りな男。屋敷の連中からは醜男(ぶおとこ)と端的に呼ばれていた者だ。今まで屋敷で過ごしていた中で気が付かないはずのない容姿である。それならばこの男は、聖女が神殿から連れてきた下男ということになるだろう。その下男がなぜアンのことを助けてくれるのか理解に苦しんだが、このまま離れに閉じ込められていては、ろくでもない未来しか待っていない。そのためアンは、下男のことを完全には信用できないまま、ともに逃げ出すしか他に選択肢はなかったのである。


 逃げ出した先は、とある町の外れにある小さな家だった。下男の家なのかは、下男に聞いても教えてくれない。しかも彼は自分の名前さえ教えてくれなかった。


「名前がわからなければ、呼ぶこともできないではありませんか」

「呼ぶ必要がございません。アンさまからの名づけも求めません」

「……それでは、『あなた』と呼ぶよりほかに仕方がないではありませんか」

「それで十分でございます」


 なぜかひどく満足そうな下男の様子に戸惑いながら、アンの新しい生活は始まった。男はアンを連れて逃げ出してきたが、アンの夫を名乗るつもりはないらしい。小さな家で寝室はひとつしかないが、下男はアンにその寝室を使わせる。そして自分は扉の外で護衛のように休むのだ。そんな風にしていては疲れもとれないだろうに、下男は仕事を探してきて昼間は外に働きに出かけてしまう。まるで屈強な騎士のような生活様式だ。


 アンは自分も何かしようとするが、生粋の貴族のお嬢さまであるせいで何をしていいかわからない。野菜の皮むきならできるかと思ったものの、ざっくりと手を切る始末。おろおろとしているところに、下男が帰宅してひどく叱られてしまった。何もしなくてもいいと言われるが、自分も手伝いたいのだ。下男にばかり負担をかけて申し訳ないとアンが涙をこぼせば、下男はそれならばと刺繍の内職の仕事を探してきてくれた。


 刺繍はアンの特技である。貴族ならではの豪奢な刺繍はこの辺りではなかなか手に入らないものらしい。意外にもアンの刺した刺繍はそれなりの値段で引き取ってもらえるようになり、家計に余裕もでてきた。しかしふたりの生活が軌道になっていたある日、アンは体調不良で倒れてしまったのである。


「アンさま、お医者を呼んでまいりました」

「何をしているのです。そのようなことにお金を使うなんて」

「アンさまのお身体が一番でございます」


 どうやっても食事を摂ることができず、何を口にしても吐いてしまう。みるみるうちにやつれたアンを心配して、下男は町医者を連れてきてしまった。申し訳ないがお帰り願おうとするアンを、下男は久しぶりに叱りつけた。基本的にこの下男が怒るのは、アンの身を心配しているからだ。そして、下男の言うことはもっともだという町医者により、アンは渋々診察を受けることになる。そしてアンは自分が妊娠していることを知ったのだった。


「まさかアンさま、このままお産みになるおつもりですか?」

「当然です。あなたこそ、何をおっしゃっているのですか?」

「一時の気の迷いで、あのような男の子を産むなど。とても賛成できません。命を落とすやもしれぬのですよ!」

「わかっています。それでも、この子を授かった時のユリシーズさまは、確かに私のことを愛してくださっていました。あの日、婚約破棄を告げた見知らぬ他人のような方とは違うのです」


 アンの言葉に下男は低い唸り声をあげた。


「お子は産むだけで終わりではないのです。養育するには信じられないほどの時間とお金、気力と体力、そして責任が必要です。アンさまには、そのお覚悟がございますか?」

「だからこそ、あなたが一緒にいてくれてよかったと思っています。私にもしものことがあれば、生まれてくる子どものことを頼めますか?」

「……アンさまがお望みになるならばこれからも自分がおそばにいることをお許しください」

「本当にありがとう。そして、ごめんなさい」


 アンは、自分がずるい女であることをわかっている。だが、下男は謝る必要などないと首を横に振った。どうせ自分は誰とも結婚するつもりなどない。アンとその子どもが幸せに暮らす手伝いができるのならば、本望であると言ってのけた。戸惑いつつも、その申し出を受け入れるアン。そこでなぜかアンは、かつての頼りがいのある婚約者ユリシーズの面影を見たような気がした。



 ***



 生まれてくる子どものために、さらに必死に働く下男。下男はまとまった金を手に入れるために、魔獣狩りに参加することを決めたらしい。


「危険です。そのようなことに手を出す必要はありません! あなたにもしものことがあったら、どうするのです」

「それならばそれで、慰労金が支払われます。当面の生活費が手に入って万々歳です」

「そのようなこと、許しません。あなたは、必ず生きて帰ってきてくださらなければ」


 大した武器もないのに危険だと止めるが、罠を使って手伝いをするだけだと言って男は出かけていく。けれどその夜、下男は魔獣に襲われ、瀕死の重傷で家に運ばれてきた。医者を呼ぶものの、手の打ちようがないと言われる。もしもこの状態で助ける方法があるならば、それは神殿の聖女による癒しが与えられた時だけだと聞かされてアンは頭が真っ白になる。


「どうしてあなたは、そこまでして私たちを助けようとしてくれるのです。私はあなたに、何も返せないというのに」


 医者たちが帰った後、熱と痛みにうなされる下男の看病をしながらアンは涙を流す。普段、ベッドを譲ろうとしても断固拒否し続けてきた男は、今回ばかりは何の抵抗もしなかった。そもそも意識がないのだから、抵抗のしようがない。けれど泣いてばかりいても仕方がない。アンは立ち上がると、台所で薬草を煮詰め始める。痛み止めとなる薬を作っているのだ。飲み薬にも塗り薬にも使うことができる。少しでも、下男の苦痛を和らげてやりたかった。


「どうやらお困りのようですね」


 うかつにも鍵をかけ忘れていたらしい。勝手に入り込んできた訪問者の顔を見て、アンは顔を引きつらせた。聖女メアリーと元婚約者ユリシーズだ。


「一体、どうやってここが?」

「わたくしが気づいたのは、こちらのハンカチの話を耳にしたからですわ。夫婦円満になる、加護付きの刺繍入りハンカチでしたかしら? うふふ、ただの噂かと思いきや、本当に加護の力を持っているのですもの。もしかしてアンは、そこの醜男とねんごろになりましたの? 本当に困ったお方ですこと。それならばわたくしの提案通り、借り腹になっておけばよかったではありませんか。一体、何がご不満だったのかしら」


 理解に苦しみますわと、頬に手を当ててメアリーはため息を吐く。それを聞き、アンは絶句するしかなかった。それでもなんとか、唇を動かして問いただす。


「それで、このような場所まで何をしにいらっしゃったのでしょう?」

「アンのお腹の中には、ユリシーズとのお子がいるのでしょう? ああ、しらを切っても無駄です。わたくしには、そなたの魔力もユリシーズの魔力もわかります。そのふたつが混ざり合ったものが、その腹の中にいることも」


 慌ててお腹を押さえるアンを見て、メアリーは唇を吊り上げる。


「その子をわたくしたちに差し出すならば、下男の命を助けてあげましょう。見たところ、あの下男を救うことができるのは、わたくしの癒しの力だけ。よいではありませんか。そなたはそこの醜男を助けることができる。わたくしは、ユリシーズの子を持つことができる。子どもが欲しいなら、醜男に子種をもらったらよいでしょう? ああ、それとも、借り腹の話を受けますか? まあわたくしを裏切ったのだから、これからのユリシーズとの閨事は、そこの醜男の前で行うようにいたしましょう。それならば、そなたたちふたりを侯爵家で受け入れても良いのですよ」


 地獄のような提案をされて、誰が答えることができるだろうか。アンは唇を噛みしめたまま薬草を煮詰め続ける。そこで下男が目を覚ましたらしい。何やら大きなものが落ちた音がしたかと思ったら、起き上がれるはずもない怪我だというのに、下男は這いつくばってアンのもとまでやってきた。


「無理をしてはいけません!」

「あのふたりに、何もされていないか? 大丈夫だ、ちゃんと守る。心配、するな」


 うわごとのように何度も繰り返しながら、アンをふたりから守るようにその背に庇う。


「まあ、なんと惨めなことですこと。これから自分の命を助けるために、愛した女がかつて愛した男に股を開くところを見ることになるとは、欠片も考えてはいらっしゃらないのですね。本当に滑稽だわ。ねえ、ユリシーズ。赤子がいても行為はできるのでしょう? このままわからせた方がよいのではなくって?」


 聖女とは思えぬ聞くに堪えない言葉。けれど、アンの心が揺れることはなかった。だって、アンの目にはもっと大切なものが映っていたのだから。小さい頃、自分を野犬から守ってくれた婚約者の姿。その面影が全然似ていないはずの下男に重なる。やはりずっと感じていた違和感に間違いはなかった。納得したアンは、覚悟を決める。どのような結果になろうとも、自分は大切な家族を守らねばならないのだ。煮詰めていた薬草の鍋を聖女と婚約者に向かって投げつけた。


 元婚約者は気が付いたはずが、聖女を庇うことはなかった。むしろ、わざとのように彼女を前に押し出したように見えた。あまりの熱さに悲鳴を上げ癒しの力で自身の火傷を治療しようとするが、一向にただれた肌が治る様子は見えない。泣き叫ぶ彼女を、元婚約者は満足そうに抱きしめるばかりだ。


「なぜメアリーの申し出を断る? お前はわたしを愛しているのだろう?」

「だってあなたは、私の愛するひとではありませんから」

「自分を支えてくれた下男にほだされたか」


 あざける元婚約者に、アンは首を横に振る。


「だから先ほどから申し上げているではありませんか。あなたは私の婚約者などではありません。私が昔からそして今も愛している本当の婚約者は、ここで死にかけている彼なのです。魔法使いの魔法は、契約を交わした者以外に見破られたら解けるのでしょう? 帰ってきて、ユリシーズ」


 その瞬間、下男の身体はみるみるうちに美しい婚約者の姿に変わった。不思議なことに怪我もすっかり癒えている。そして火傷にもだえ苦しむ聖女メアリーの隣では、醜男が火傷の跡を晒しながら「おそろいになった」と喜んでいた。



 ***



 火傷跡のある醜い下男を見て、聖女が悲鳴を上げた。


「思い出したわ! お前はあの時の!」

「ああ、ようやく気が付いてくださいましたか。嬉しゅうございます。ええ、あの時、あなたさまによって、火だるまにされた神官でございますよ。まあ、今は神の理を離れた魔法使いの身となっておりますが」


 下男もとい魔法使いは、神殿に仕える神官だったらしい。もともとはとある名門貴族の令息であったが、容姿が醜く、人付き合いが苦手だったこと、薬学が得意で魔力が豊富だったこともあり神官の道を選んだのだとか。


 そんな彼は昔から、聖女というものを大変尊敬していた。恵まれないものに癒しの力を与える女神の化身。そんな幻想を抱いていたのだ。しかし、実際のところ彼が聖女に与えられたのは、恩恵ではなく耐えがたい苦痛のみだった。


 魔法使いは自身の見目がよくないことを重々承知していた。そのため普段は使用人専用の通路を使っていたくらいだ。不幸だったのは、好奇心旺盛だった聖女が、その通路に入り込んだこと。薄暗い道を歩くためにランプを持っていたメアリーは、偶然出会った魔法使いのあまりの容姿の醜さゆえに驚き、ランプを投げつけてしまったのである。


 その場ですぐに癒しの力をふるえば、その身は元に戻っただろう。けれど、聖女は逃げ帰り、動けなかった魔法使いは、その後騒ぎに気が付いた使用人に発見されるまで放置された。そして、この揉め事に関わりたくないと王族側から突きつけられたことで癒しの力で怪我を治すことはできなかったのである。


 さらに不幸なことに、火傷の傷跡を残したまま神官として働き続けてしまうと聖女が姿を見るたびに傷つくからという理由で、魔法使いは神殿から放逐された。使用人としてさえ残ることを許されなかったのは、王家の意向と神殿の忖度が働いたのだろう。


 そこでこの男は、魔法を会得してしまった。魔術ではなく、魔法を発現させた男は、それでも静かに過ごしていたのだ。大怪我を負わされ、神官としての道を断たれながらも、きらきらと輝き続ける聖女を見られるだけで幸せだった。彼女が、幸福そうな恋人同士を引き裂いてその隣に立ちたいと願わなければ。


 自分は醜いからどうなっても仕方がない。だがあのような美しい恋人たちを不幸にする聖女は、本当に綺麗なのだろうか。もしも彼女が醜いのならば、彼女を自分のものにしても許されるのではないだろうかと。


 その頃ユリシーズは、何度断っても聖女にすり寄られる現状に頭を抱えていた。しかも神殿が王族に働きかけたことにより、王命が下されてしまう。どうしようもない、いっそアンを連れて夜逃げするしかないのではないかと考えているところに、魔法使いが訪ねてきたのだ。


 そして魔法使いは、ユリシーズに契約を持ちかけたのである。彼が求めたものは、婚約者の麗しい外見だった。それを差し出せば、アンとユリシーズを見逃してやろうというのだ。もちろん交換するのは、あくまで上っ面のみである。


 最初は魂の器そのものである身体の交換を考えたものの、他人の魂であっても自分の身体を聖女に触れられたくないというユリシーズの意見と、聖女が愛した肉体ではなく醜い自身の身体で聖女に触れたいという魔法使いの利害が一致した形だった。財産をユリシーズに渡さなかったのは、嫌がらせなどではない。美しいふたりなら、どんな未来に繋がっていたとしても乗り越えられるだろうと魔法使いは純粋に信じていたのだ。


「なぜ、わたくしは癒しの力を使えないの? 聖女には癒しの力が効かないなんて、そのようなこと聞いておりません!」

「聖女さま。あなたが最初にご自分でおっしゃっていたではありませんか。聖女が聖女でなくなる条件を、もうお忘れで? あの熱い夜をなかったことにされるのは、寂しいのですが。まあ、時間はたっぷりとございますから。たくさんの思い出を積み重ねていきましょう」

「嫌、嫌なの。お願い、許して!」

「赦すも何も、自分は何も怒ってはおりません。むしろ、心の底からあなたを愛しているのです」


 半狂乱になった聖女を抱え、火傷跡をさらした魔法使いは煙のように消えてしまった。



 ***



 アンとユリシーズは、懐かしい侯爵家に帰ってきていた。不思議なことに、侯爵家の使用人たちには、聖女と魔法使いが過ごしていた日々の記憶はないらしい。おそらく魔法使いにとっては、侯爵家などどうでもよく、お家乗っ取りを企むつもりなど毛頭なかったのだろう。彼が求めていたのは、ただメアリーだけだったのだから。


 焦がれ続けたメアリーを完全に手中におさめることができたのならば、自分の縄張りに戻る方が都合がいい。そう判断したに違いなかった。横暴だったはずの王家も、傲慢だったはずの神殿もなりをひそめている。何はともあれ、アンもユリシーズもこれ以上、彼らにかかわるつもりなどない。


 外はもうすっかり冬景色。温室の中、柔らかな光を浴びながらふたりは午後のひとときを楽しんでいた。


「あのような醜男になった挙句、平民の中でも下層の生活しかさせてやれずに済まなかった」

「まあ、何をおっしゃるのです。昔から、騎士らしくなくても構わない。どんなに醜く、みっともなくても、生き残った者の勝ちだ。あなたはそうおっしゃっていたではありませんか?」


 アンの返答に、ユリシーズが口元を緩めた。


「もしもあの時、君がわたしに気が付かなったならば」

「怖いことをおっしゃるのはやめてくださいませ。それに私が、ユリシーズさまに気が付かないはずがないと思わないのですか?」

「もちろん、信じているとも。だからこそわたしは、この分が悪すぎるように見える賭けに乗ったのだから」


 少々重いかもしれない愛は、腕に抱えた赤子の重さと同じくらい心地よくて愛おしかった。

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