51話:アレンパ広場
中町区の盛り場は、今日という日は喧騒に近いほどの賑わいを見せていた。
行き交う人々で溢れる通りには活気が満ち、昨日まで準備中だった屋台は今や全てに灯が入り、あちこちから威勢のいい呼び込みの声が響いている。
友人同士で笑い合い、恋人たちは指を絡めて歩き、家族連れは楽しそうに屋台の食べ物を分け合っている。
道端に立ち、手首を返して時間を確認する。約束の午前十一時が近づいていた。
つい先ほど、マリーナから「お見舞い」のメッセージが届いた。文字は一言もなく、ただ一つのハートマークと、二本のナイフの絵文字だけが並んでいた。
ライラと仲直りできたとしても、その後でマリーナにこっぴどくお仕置きされることは、ほぼ確定と言っていいだろう。
理不尽だとは思うものの、自業自得だという自覚もある。自分は苦笑しながら、反省の意を込めた返信を送るしかなかった。
その時、人混みを縫うようにして素早く動く、見覚えのある姿が目に留まった。
「ロルさん! 遅れてすみません!」
龍人族の男が手を振りながら駆け寄ってきた。その顔には、爽やかだがどこか慌てたような笑みが浮かんでいる。
「謝る必要はありませんよ。まだ約束の時間前ですから」
今日のクリスは、黒いジャケットにパンツという装いだった。スーツのような堅苦しさは消え、カジュアルながらも洗練されたファッションだ。
一見すれば普通の青年に見えるが、その生地をよく観察すれば、一目でそれが高価な代物であると気づかされる。
クリスと合流したことで、ロルはライラの件を一旦心の中に封印し、目の前のことに集中することにした。
「では、行きましょうか。午後五時までは時間が取れますから」
「わあ、わあ……どうしよう。私、本当に友達と一緒に龍王祭を回るなんて……」
「いや、元々の約束ですから。そんなに驚かなくてもいいでしょう」
慌てふためく様子は彼の整った顔立ちには似合わず、どこか滑稽ですらあった。
周囲の通行人のほとんどが、この端正な顔立ちに気づいていない。これが龍人族固有の特性なのだろうが、その原理は実に興味深いものだ。
「分からないのです! 私はこの三百年もの間、一度も友達と出かけたことがなかったのです。窓の外の群衆を眺めながら、『いいなあ』と思って、一人でひっそりと涙を流すことしかできなかったのですから!」
「……悲しすぎる話をさせてしまってすみません。それで、目的地はどこですか?」
涙ながらに返答に困る悲劇を語るクリスに、ロルは彼の肩を叩いて強引に話題を切り替えた。
二人は人の流れに乗って通りの奥へと進んでいった。この一帯は、ロルが普段活動しているエリアよりもずっと清潔で、人々の服装も洗練されている。
何しろ中町区の繁華街の中心だ。上町区に近い地理的条件を考えれば、これほどの衛生状態と治安維持がなされているのも当然と言えるだろう。
「友達とのショッピングと言えば、やはりアレンパ広場でしょう! この付近の中町区で最も賑わっている百貨店だと、ネットでも評判でした!」
「アレンパ広場ですか……。私は一度も行ったことがありませんね」
「えっ! ロルさんは行ったことがないのですか!?」
「ええ。あそこは中町区でも物価が頂点ですから。私には手が出せませんよ」
アレンパ広場――中町区最大級の百貨店の一つだ。
その規模は噴水広場を遥かに凌ぎ、七、八倍もの広さを誇る。六棟以上の高層ビルが連絡通路で繋がれ、人々はその間を自由に行き来しながら、心ゆくまで買い物を楽しむことができる。
吹き抜けの天井は「壮観」の一言に尽きるほど雄大だ。エスカレーターが縦横に交差し、多種多様な店舗が並ぶその光景は、一見すると際限がないように思えた。
際限がないのは店舗の種類だけではない。商品の価格設定もまた、ロルには到底手の届かないレベルだった。
「では、今日は私にお金を出させてください! どんなものでも、ロルさんに買って差し上げますから!」
アレンパ広場に足を踏み入れた瞬間、クリスは両腕を広げ、天真爛漫な笑みを浮かべた。
彼が心から喜んでいる様子を見て、ライラの件で張り詰めていたロルの神経も、ようやく少しだけ解きほぐされた。
しかし、喜ばしいのは山々だが、釘を刺しておくべきことはあった。
「やめてください。それでは友達ではなくなってしまいます」
「友達ではない……のですか!?」
「友達というのはもっと対等な関係です。どちらか一方が過剰に尽くしてしまえば、その関係はいずれ変質してしまいます。これは、恋愛においても同じことですよ」
ロルはそう言いながら、クリスに考え込む隙を与えないよう、当てもなくエスカレーターへと足を進めた。
彼の手に、付箋がびっしりと貼られたノートがあるのを見つけてしまったからだ。
「それから、その彼女とのデート計画みたいなノートも仕舞ってください。友達同士の買い物はもっと気楽なものです。何を見るか決めるのではなく、目についたものを見る。回りきれなかった場所があれば、また次に来ればいいんです」
「……夢を見ているのでしょうか。……次、があるなんて……」
友達同士ならもっと適当でいいんだと伝えたかっただけなのだが、クリスは感極まって涙を流していた。彼の歩んできた人生を思うと、同情せずにはいられない。
「泣かないでください。……ただ、そのノートを少し貸してください。夜にライラともう一度ここへ来るので、予行演習をしておきたいんです」
あえて失礼な動作で彼のノートをひったくったのは、話題の方向を変えるためだった。
ところが、クリスは目を丸くし、急所を突かれたかのように激動した。
「わ、私が、ロルさんのお役に立てるというのですか!」
「……まあ、追々良くなっていくでしょう」
「怒ってもいいんですよ」と言いかけて、彼にはきっとその意味が通じないだろうと思い、ロルは言葉を飲み込んだ。
そうして二人は気ままに歩き始めた。時には店を素通りし、時には一人が店内の小物に興味を惹かれて時間を費やし、時には一つの商品の需要と価格について議論を交わす。
友達同士の買い物とは、これほどまでに気楽で心地よいものなのだと、ロルはクリスに教えようとしていた。




