47話:夢
しかし、すれ違いざま、ロルは窓枠に置かれた彼の左手が不自然に震えていることに気づいた。
「オーランド神父、左手がどうかなさいましたか?怪我でも?」
温文雅致な微笑みに一瞬だけ驚きが混じったが、彼は潔く長袍から手を出し、目の前に差し出した。
「さすがはマフィロさんですね。エイヴァが言っていた通り、実に見事な観察眼だ」
オーランドが軽く持ち上げた左手は、今も指先の震えが止まらない。何らかの衝撃による後遺症のようだ。
しかし何よりも目を引いたのは、震えそのものではなく、彼の指に嵌められた指輪だった。青い宝石が微かな光を放っている――どう見ても魔道具だ。
それはロルの心にある「ただ者ではない」という確信をさらに強めることとなった。
「実は先日、うっかりある子供に怪我をさせられてしまってね。もちろん彼に悪気があったわけではありません。私は彼を責めるつもりはありませんし、名前を明かすこともありませんよ」
彼の視線は窓の外、下の庭園へと戻った。
「子供は本来、楽しい環境で育つべきものです。彼らが今のようにずっと笑っていられるのなら、それはとても美しい光景だと思いませんか?」
褐色の瞳を細め、母親が我が子を見守るような慈愛に満ちた表情で彼は笑った。
その視線を追うように、ロルも庭園に目を向けた。
鬼ごっこは終わったようで、子供たちは皆ライラの周りに座り込んでいた。
少女の膝の上では一人の女の子が楽しそうに笑い、ライラは優しく絵本をめくりながら物語を読み聞かせている。
声までは聞こえないが、きっと上手なのだろう。彼女を囲む子供たちは皆、一心に耳を傾けていた。
その光景は、世の中の喧騒や悩みの一切を追い出したかのようで、ただ楽しそうな子供たちと、その中心で優しく語るライラだけがそこにいた。
降り注ぐ陽光が、彼女の元々灰色がかった髪を銀白色に輝かせている。風に揺れるその姿は、息を呑むほどに眩しかった。
「……確かに、綺麗ですね」
ロルが低く応じると、オーランドも小さく頷き、左手を再び長袍の中へと隠した。
「それに、私が怪我をしたのもあの子のせいだけではありません。私の体が弱すぎることが原因の一部でもありますから」
「魔力が少なすぎるせい……ですか?」
「その通りです。マフィロさんの観察力には、本当に感服いたしますよ」
実は観察というより、今回の問いかけは推測に近かった。
おそらくオーランドの境遇が、自分とどこか似ていると感じたからだろう。
ロル自身は魔力が稀薄なだけでなく、完全にゼロだ。だからこそ、オーランドの無力さには共感できる部分があった。
ライラの力が年齢と共に増し、まだそれを上手く制御できなかった頃、自分は本当によく彼女に怪我をさせられたものだ。自身は気にしていないが、そのたびにライラはひどく自責の念に駆られていた。
だからこそ、ロルは普段サボりながらも、それなりに体を鍛えているのだ。
「いえ、私も同じような問題を抱えているので、お気持ちは分かります。……私の知り合いに、魔力が稀薄な人のための訓練を専門にしている医者がいます。もしよろしければ、龍王祭が終わった後にでも診てもらってはいかがですか? 私の名前を出せば、それなりに融通も利きますよ」
オーランドに親近感を覚えすぎたせいか、ついお節介を焼いてしまった。だが、いきなり医者を紹介するのは失礼だっただろうか……。
しかし、オーランドは静かに笑った。
「本当に、優しい方ですね。では、マフィロさんのお言葉に甘えさせていただきましょう」
彼は再び手を胸に当て、深く感謝を示した。
ロルの中での神父に対する印象は、これ以上ないほど高まっていた。
これこそが、聖教帝国 が言う「最も神に近い下僕」というやつか。凄まじい気品だ。
「では、後ほどエイヴァに医者の情報を送っておきます。休養のお邪魔をして失礼しました」
「こちらこそ、ありがとうございます。短い間でしたが、とても楽しい時間を過ごせました」
挨拶を終え、ロルは廊下の突き当たりにある部屋へと向かった。エイヴァの下心通り、扉には鍵がかかっておらず、そのまま木製のドアを押し開けて中に入った。
中に入ると、そこは小さいながらも強烈な個性を放つ部屋だった。可愛らしいクッションやぬいぐるみが、筋肉を鍛えるためのダンベルや器具と混在している。壁にはアイドルのポスターのように、私の写真が貼られていた。
ロルはそれを見なかったことにし、机の上に置かれた可愛いシールだらけのメモ帳を手に取った。
部屋を出る際、ついでに鍵をかけておいた。
廊下にオーランドの姿はなく、おそらく部屋に戻って休んでいるのだろう。
階段を降りる途中、絵本を抱え、肩にシャティを乗せたブートと出くわした。ロルはついでに数冊の絵本を持ち、共に庭園へと向かった。
「ロル先生、どうしてこちらに?」
「エイヴァに頼まれものをね。ああ、そうだ。さっき、あなたたちに同行しているオーランド神父と少しお話ししましたよ」
「オーランド様ですか! 尊敬すべきお方でしょう! 神父でありながら、威張ったところなんて微塵もないのです!」
その名前を聞いた瞬間、ブートはシャティを振り落としそうなほど活気づいた。慌てて女の子を地面に降ろし、彼女が他の子供たちと一緒にライラの元へ駆け寄るのを見届けると、ブートは照れくさそうに頭を掻いた。
「随分と彼を慕っているんですね」
「当然です! オーランド様は私の恩人なのですから!」
憧れのアイドルについて語るかのように、ブートは満面の笑みを浮かべ、自分の顔にある傷跡に触れた。
「この傷は、昔、馬車が横転した時にできたものです。命は助かりましたが、顔は台無しになってしまいました」
ブートの話によれば、その事故に陰謀の類はなく、単なる路面の整備不良によるものだった。純粋に運気が悪かっただけだ。
「この傷のせいで、聖教帝国で仕事を探しても門前払いばかりでした。……まあ、責めるつもりはありません。こんな傷のあるオークを牧師にしたいなんて、誰も思いませんからね」
顔の傷は若気の至りの喧嘩によるものではなく、事故によるものだった。しかし、オーク族であるブートがそれを言っても、信じてくれる者は少なかったのだろう。
「オーランド様だけが、そんなことを全く気にせず、優しく受け入れてくださったのです。それで私は気づきました――良いことをし続けていれば、いつか必ず良い人が助けてくれるのだと!」
彼は嬉しそうに言った。
「オーランド様のお傍でずっとお支えすること、それが今の私の夢です! ロルさんは? 夢はありますか?」
その問いは、意外なほど重く、静かな湖面に投げ込まれた石のようにロルの心に波紋を広げた。
(夢、か……考えたこともなかったな……)
これまでは、自分とライラの生活を安定させるだけで精一杯だった。
「夢、ですか……今は、ライラを大学まで卒業させることでしょうか」
「おお! 現実的で素晴らしい夢ですね!」
だが、その先は? ライラが結婚するまで? ……いや、それはまだ遠い未来の話だ。それに、信頼できる相手でなければ絶対に許さない。
では、その前にある自分自身の夢は?
今の生活には、それなりに余裕ができたはずだ。
夢を追う、か……。
脳裏の奥底に一つの答えがよぎったが、ロルはすぐにそれを思考の隅へ追いやった。
自分の右手は、無意識のうちに胸元を強く掴んでいた。
(夢……。意外な難題だな……)




