38話:呪い
「シャティ! 本当にすまない……っ!」
二階のカフェで、ブートは小さな影衣族の少女を強く抱きしめ、激しく揺さぶりながら、後悔と安堵の感情をその声に滲ませた。
ロルは二階のテラスにもたれかかり、すっかり桃色のオーラに包まれてしまったういういしい二人を眼下に見やり、隠そうともせずに口元を緩めた。
「兄さん、さっきカナイには私達のことを他言しないようお願いしておきました。彼女も承知してくれましたよ」
隣の階段から上がってきたライラは、全速力で駆け上がってきたせいか、少し息を切らしていた。
「じゃあ、これで仕事は終わりだ。カナイがどんな子かも分かったんだし、これ以上の野暮な真似はやめて、二人をゆっくり楽しませてあげよう」
ロルが背伸びをして体を伸ばすと、ライラも同意するように小さく頷き、それから階下で繰り広げられる初々しいやり取りを見て、くすりと笑い声を上げた。
あとはデートが終わった頃合いを見計らって、ゴブオに「カナイはいい子だ」とメッセージを送ってやるだけだ。
ゴブオたちがエスカレーターで二階へ上がってくるのに気づくと、ロルとライラは急いでカフェの影に隠れ、ブートの元へと向かった。
「本当に、本当にありがとうございました! 貴方達は私の大恩人です!」
ブートは感動の涙を流しながら感謝の言葉を連ね、熱心にロルの手を握り、何度も上下に振った。ライラはその傍らで、シャティにもうはぐれないよう、優しく言い聞かせていた。
「どうお礼を申し上げたらいいか……」
「気にしないでください。元々、私達から手伝いを申し出たことですし、おかげで私達も得るものが多くありましたから。今回は見返りは求めません。ですが、覚えておいてください。何か悩み事や依頼があれば、私達『ハイム道具屋』が全て引き受けます。詳しい場所はこちらの名刺を」
手際よく店を宣伝し、ついでにライラお手製の名刺を差し出すロル。彼は、ブートが将来的に最後の依頼人になる姿を、すでに確信していた。
全ては計画通りだ。
名刺を受け取ったブートは、まるで聖遺物でも拝むかのような、敬意の入り混じった眼差しを向けた。
「これほどの大愛……貴方達はもしや、聖書に記されている救世主と女神の再来では……」
「やめてくれ。貴方は私が知っている誰かに、どんどん似てきているぞ……」
エイヴァのような人物は、一人で十分だ。両側から崇められたら、たまったものではない。
ブートと別れた後、二階のゲーム店にいるゴブオたちに見つからないよう、ロルとライラはそのままカフェで食事を摂ることにした。
食事の最中、ロルは例の破れたクロークを取り出すと、指先で布地をなぞり、そこに刻まれたかすかな文字を見つけ出した。
『願わくば高潔なる王よ、下僕が進んで我が身を捧げん、どうか忠実なる奴隷を授けたまえ』いかにも呪いのための詠唱詞だ。
「兄さん、それがさっきの敵の……?」
「ああ。読むなよ。この手の呪いは、ただ口にするだけで身体に影響を及ぼす」
ロルはライラに一瞥させたが、完全な詠唱内容は決して見せようとはしなかった。
「呪いは、使用が厳しく禁じられているのではなかったですか?」
「そうだ。何重もの試験を通過したごく一部の者だけが、呪いを研究し、使用する権利を許されている」
ロルのように身体に呪いが宿っている個体は、本来なら捕らえられて研究対象とされるべき存在だ。それが今こうしていられるのは、マリーナ嬢が彼を守ってくれたおかげだった。ロルに関する呪いの報告書は最高機密扱いになっているようで、マリーナほどの階級でなければ、彼が呪われていることなど知る由もない。
「危険はありませんか?」
ライラは破れたクロークを見て不安げな表情を浮かべたが、ロルはすぐにその懸念を打ち消した。
「大丈夫だ。これはまだ低級な呪いに過ぎない。召喚された使徒が傷つけば、使用者も傷を負う。使い方を間違えれば、使用者自身が命を落とす諸刃の剣だ」
「兄さんは、本当に詳しいですね」
「私の雇い主は、薬の材料を研究する以外に、いつも呪いのような気味の悪いものを研究したがるからな。この一年、彼女の下で働けば、嫌でも叩き込まれるさ」
呪いの種類や詠唱詞は、対象によって変化することがある。自身に呪いが宿っているがゆえに、ロルはこの一年、マリーナから呪いに関する膨大な資料を無理やり押し付けられてきたのだ。
「どうせ、これも私達が担当する領分じゃない。後で連邦警察に引き渡せばいいさ。せいぜい、祭さんにメッセージを送って注意を促しておくくらいだ」
数日後、ロルはハイム道具屋でゴブオからのメッセージを受け取った。
彼はカナイを龍王祭に誘うことに成功したが、まだ二人は「恋人」ではないという。
(一体どうしたら、これほど好意を露わにしている状況で、お互いの気持ちに気づかないでいられるんだ……)
やりきれない思いのロルだったが、隣でカナイからのメッセージを眺めていたライラが、「人それぞれ、付き合い方の形があるってことでしょうね」と微笑むのを見て、言葉もなく嘆息を漏らすのだった。




