ぼくらの謎解きデイズ3:雪山ツアーのはずが、クセが強すぎる3人の大人たちとのデスゲームに巻き込まれちゃった件
分厚い調査ファイルが、安物のデスクに山と積まれている。グラスの中の氷はとうに溶け、バーボンをぬるい水で薄めていた。現在追っているのは、大企業の重役の娘の失踪事件。状況証拠はすべて、素行の悪い半グレ集団が娘を連れ去ったと示している。あまりにも綺麗に、教科書通りに。それが罠だと頭では分かっているのに、突破口がどこにも見つからない。行き詰まり、だ。
この感覚には覚えがある。完璧に仕立て上げられた悪役たち。周到に用意された、分かりやすい筋書き。そうだ、あの時もそうだった。俺たちが初めて、本物の狂気と対峙した、あの冬の山荘。すべての歯車が狂い始めた、あの事件も……。
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あの日、僕たちは、IT企業の若き社長・金剛寺さんが企画した雪山ツアーに参加した。
僕たちクラスメイト八人を乗せた最新鋭の雪上車がたどり着いた場所は、まるで地球ではないどこか遠い星のようだった。
目の前に広がるのは、純白という言葉すら陳腐に聞こえるほどの、完璧な雪の世界。
聞こえるのは、仲間たちの弾んだ息づかいと、新雪を踏みしめる心地よい音だけ。木々の枝には、まるで砂糖菓子のように雪が積もり、自然が作り出した精巧な芸術作品のようだった。
「すごい……」
誰かが呟いたその声すら、この瑠璃色の静寂に吸い込まれて、まるで聖堂に響く祈りのように聞こえた。僕たち「東京少年探偵団」――リーダーの僕ユウタ、冷静沈着な理論家のタカシ、ガジェットの天才ヒロキ、そして紅一点で鋭い観察眼を持つアカリ――の4人にとって、この冬休み最高の冒険が、今、始まろうとしていた。
この時はまだ、誰も想像していなかった。この美しすぎる景色が、血と裏切りに満ちた悪夢の舞台へと変わることなど。
記録的な大雪が、僕たち子供八人と三人の大人、そして唯一の現地スタッフである管理人・五十嵐を、文明社会から完全に孤立させた。空は鉛色の吹雪に閉ざされ、美しい山荘は、脱出不可能な監獄と化した。
そこにいた唯一の現地スタッフ、五十嵐という男が、最初からすべての歯車を狂わせていた。50歳になるというのに、その拙い言動は、僕たちに生理的な嫌悪感を抱かせた。
すべてが、異常だった。
山荘のリビングで自己紹介をした時、事件は静かに始まった。五十嵐は、僕たちの仲間であるリナちゃんだけを、ねっとりと濡れたような目で見つめ、獣のような荒い息を漏らしたのだ。
「んーひ、ひ、りひ、リナちゃんは……ぁか、可愛いねぇ…ふふ…ふぅーっ!」
リナちゃんが恐怖に顔を引きつらせ、僕の後ろに隠れる。
その瞬間、五十嵐の瞳に、嫉妬と憎悪の炎が燃え上がった。彼は僕を睨みつけた。明らかに、彼は異常な興奮状態にあった。
この男は、信じられないほど愚かでもあった。
「ぼくがあ、あたかい火をつけてあるよぉ」
五十嵐はそう言って、暖炉に薪をくべ始めた。だが、湿気でじっとり濡れた薪ばかりを選び、新聞紙の丸め方もデタラメで、火をつけると黒い煙が逆流してリビングは瞬く間に煙に満たされた。
「けほっ、けほっ! なんだこの木は!ダメな木でしゅね!」
薪のせいにして喚く五十嵐を見て、冷静なタカシが静かに口を開いた。
「五十嵐さん、その薪は乾燥していません。それに空気の通り道を作らないと燃焼効率は上がりませんよ。」
タカシがテキパキと薪を井桁に組み直し、乾いた焚き付けを使ってあっという間に綺麗な炎を燃え上がらせる。その見事な手際に、僕たちは感嘆の声を上げた。だが、五十嵐は悔しそうに顔を歪め、誰にも聞こえないような声で呟いた。
「でもぼくは六百八十三回がんばったことあるよ?はいぼくの勝ち!」
その意味不明な勝利宣言に、僕たちはただ顔を見合わせるしかなかった。
本当の事件は、その夜に起きた。
僕たちの仲間で、少し乱暴なところがあるトオルが、リナちゃんにパシリを命じた。
「リナ!俺のジュース持ってこいよ!」
その傲慢な態度に僕が注意しようとした瞬間、五十嵐がぬっと現れ、トオルの肩を掴んだ。
「ぼくもー!」
「な、なんだよオッサン!キモいんだよ、離せ!」
トオルがその手を振り払い、一人で娯楽室へ向かったのが、僕たちが彼の元気な姿を見た最後だった。
一時間後。娯楽室から、あの化け物じみた五十嵐の甲高い絶叫が響き渡った。
「あ、あああー、死んでるよー?後ろからゆっくり近づいてぎゅーって首を後ろから絞められてちゃんと死んだよー!」
あまりにも具体的すぎる状況説明。僕たちが恐怖に駆られて駆けつけると、その光景は、五十嵐の言葉そのものだった。
トオルは死んでいた。
部屋の中央に置かれた重厚な革張りのアームチェアに、深く腰掛けたまま。まるで、ただ盤面を睨んで長考しているかのように。しかし、その目は大きく見開かれ、絶望の色を浮かべて虚空を睨みつけていた。顔はうっ血して不気味な紫色に変色し、苦悶の表情が凍り付いている。
「外傷は…ないな」
ガジェットの天才、ヒロキが持参したミニライトで遺体を照らしながら呟く。だが、僕の目は、トオルの首筋に走る、一本の、あまりにも細い線を見逃さなかった。まるで髪の毛が一本貼り付いているかのような、微かな圧迫痕。
「これは…ピアノ線か何かを使った、絞殺だ」
犯人は、トオルの背後から、彼がチェスに集中している一瞬の隙を突いて、細いワイヤーで一気に絞め殺したんだ。これは、ただの衝動的な殺人じゃない。冷徹な知能と、トオルを抑えつける強靭な腕力を持つ者による、計画的な犯行だ。
その場にいた五十嵐は、きょとんとした顔で僕たちを見て言った。
「けーやくてき? 知ってるよ!ケーキ?ほっとけ、ほっとけ、ホットケエキ!わはははは!」
「…い、五十嵐さんが犯人、という可能性は?」
アカリが小声で僕に尋ねる。だが、タカシが即座に首を振った。
「それはない。絶対にありえない」
僕も、タカシの意見に心の底から賛成だった。なぜなら、五十嵐はあまりにも愚かすぎたからだ。こんな手の込んだ殺人が、この男にできるはずがない。
その瞬間から、僕たちの目に、悪魔のように映ったのは、あの「マトモそうな」三人の大人たちだったんだ。
三人の大人の態度は、僕たちを絶望の淵に突き落とすのに十分すぎた。
元刑事だという厳つい顔の氷室さんは、トオルの死体を一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「子供が一人減ったのか。じゃあ、少しは、静かになるかな…」
僕たちが恐怖と混乱で騒いでいると
「うるさい。子供は黙ってろ」
と一喝する。その鋭い目は、まるで僕たち全員を心の底から軽蔑しているようだった。仲間の一人が
「ひどい!」
と食ってかかると、
「子供の正義感ほど、見ていて嫌になるものはない」
と冷笑を浮かべる。この人は、僕たち子供が憎くてたまらないんだ。生意気なトオルを殺す動機なんて、十分すぎる。
IT社長の金剛寺さんは、殺人事件が起きても、株価の確認をやめなかった。
「へえ、あの黒田建設の御曹司のトオルくん、ねぇ。なるほどねえ、これは株価に影響出るかなあ?」
僕たちが恐怖に震える前で、彼は電卓を弾き始めた。
人の命が消えたというのに、この男の頭の中は金勘定だけ。金のためなら、邪魔な子供を殺すなんて、きっと朝飯前なんだろう。
人気イラストレーターの森園さんは、僕たちがパニックになっていても、巨大なヘッドホンをつけたまま、我関せずとスケッチブックに何かを描き続けていた。氷室さんと金剛寺さんが言い争いを始めると、心底嫌そうな顔で立ち上がり、こう呟いた。
「あーしには、関係ないんで…」
彼女は、この世の全てを拒絶しているようだった。僕たち子供の存在も、騒がしいこの状況も、すべてが邪魔で、許せない。静寂を取り戻すために、うるさい子供を一人ずつ消していく…。そんな動機だって、ありえるかもしれない。
僕たち小学生は確信していた。犯人は、この三人の大人の誰かだ、と。
トオルがいなくなった夜、僕たちはリビングの大きな円卓に集まった。みんな、恐怖と悲しみで押し黙っていた。このままじゃダメだ。リーダーとして、僕は勇気を振り絞って口を開いた。
「みんな聞け!トオルは死んだ。すごく怖い。でも、だからこそ、僕たちは一つにならなきゃダメだ!」
タカシが、冷静な分析で僕の言葉を補強する。
「犯人は、僕たちの恐怖や混乱を狙っているはずだ。僕たちがバラバラになったら、思う壺だよ」
「そうだぜ!」
熱血漢のヨシキがテーブルを叩いた。
「犯人が誰だろうと、ぶっ飛ばしてやる!」
みんなの目に、少しずつ光が戻ってきた。僕は、みんなの手をテーブルの中央に集めさせた。八つの小さな手が、一つの塊になる。
「誓おう。何があっても、僕たちは仲間だ。疑い合わない。助け合う。そして、必ず七人で、ここから生きて帰る!」
大人たちは、自分たちのことで精一杯で、食事の準備なんてしてくれなかった。空腹と不安が、僕たちの体力を奪っていく。
「よし、僕たちで作ろう!」
ヒロキの提案で、僕たちはキッチンに忍び込んだ。それは、絶望の中の、ちょっとした冒険だった。
アカリが即席の司令塔になる。僕とヨシキは重い小麦粉の袋を運び、タカシは科学実験のような精密さでコンロの火力を調整した。女子チームが作るスープのいい匂いがキッチンに広がり、ヒロキがドローンを飛ばして「上空からの映像、異状なし!」なんておどけて見せる。
出来上がったのは、形は不格好だけど、最高に美味しいホットケーキと温かいスープだった。みんなで一つのテーブルを囲んで、笑いながら食べた。氷室さんは遠くから僕たちを見て舌打ちし、金剛寺社長は「食材の原価は…」なんて呟いていたけど、僕たちの心は、温かかった。
腹ごしらえを終えた僕たち探偵団は、捜査を再開した。
「僕が全体の指揮を執る。タカシはプロファイリング担当。ヨシキは僕たちの護衛。ヒロキは、その秘密兵器で何かできないか?」
僕の指示に、ヒロキはニヤリと笑って、指先ほどの大きさのワイヤレスカメラを取り出した。
「これを壁の隙間にでも忍ばせれば、大人たちの会話を盗み聞きできるかも」
「アカリは、みんなの顔をよく見てて。誰かが嘘をついてないか、その洞察力で見抜いてほしい」
僕たちは、真剣だった。僕たちは、無力じゃなかった。自分たちの頭と力で、この謎に立ち向かっている。その事実が、僕たちに勇気をくれたんだ。
二日目の夜、吹雪はさらに勢いを増し、山荘を激しく打ち付けた。停電も頻繁に起こり、暖炉の頼りない火だけが僕たちの視界を照らしていた。大人たちはそれぞれの部屋に閉じこもり、リビングは僕たちだけの聖域になった。
あまりの静けさに、誰かが静かに泣き始めた。その涙は、みんなの心に伝染しそうだった。
その時、アカリが、そっとスケッチブックを開いた。
「…見て。これ、去年の夏休みに、みんなで秘密基地を作った時の絵」
そこには、泥だらけになって笑っている、僕たち八人が描かれていた。死んだトオルも、憎らしいくらい満面の笑みで写っている。
「楽しかったね」
「あの時、ヒロキが木から落ちてさ」
「トオルが一番慌ててたよな」
「リナちゃんが作ったおにぎり、しょっぱかったー!」
一つの思い出が、次の思い出を呼び覚ます。僕たちは、暖炉の火がパチパチと燃える音を聞きながら、僕たちが積み重ねてきた、かけがえのない時間のことを語り合った。悲しみと恐怖が、温かい思い出に少しずつ溶けていく。
その時だった。震えるリナちゃんの手を、仲間の一人、ケンジがそっと握った。
「俺がみんなを守るから!」
その、あまりにも純粋で、力強い一言。
だが、その光景が、闇に潜んでいた悪魔を呼び覚ましてしまった。厨房から飛び出してきた五十嵐の目が、嫉妬の炎で赤黒く燃え上がっていた。
「ぼくのほうがつよいよ!」
ケンジが
「うるさい!お前みたいな大人より、僕の方がずっと強い!」
と睨みつけると、五十嵐は顔を真っ赤にして、ケンジの胸を突き飛ばした。
そして、耳を疑う言葉を絶叫した。
「ぼくのママの方がつよいもん!」
50歳のオジサンが、小学生相手に「ぼくのママの方が強い」と本気で叫んだのだ。その光景は、恐怖を通り越して、もはやグロテスクな喜劇だった。
「…犯人は五十嵐だ。もう、いい。間違いない。」
ヒロキが、震える僕たちの前に立ち、五十嵐と対峙した。
それは、何の証拠もない、完全なハッタリだった。だが、僕たちをこれ以上危険な目に遭わせないための、ヒロキの捨て身の賭けだった。
「五十嵐さん、あなたがやったんですね。トオルを殺して、僕たちも殺すつもりなんでしょう」
その言葉は、悪魔の最後のスイッチを押してしまった。
「だってママはぼくにふぁみこんの先生って言ったから学校で高橋先生はうさぎごやでもいったのに?二つのうちどっちでしょう!どっちで、しょうたいむ!」
五十嵐は、何かを語りながら、ポケットから殺虫剤のスプレー缶を取り出した。トオルを殺しただけでは飽き足らず、僕たち全員を始末するつもりなんだ。
「…ぼく後ろからギュッて七時くらいにギュッて首絞めてないよ?六時三十分だから七時じゃありませんー!首絞めたっていう方が首絞めたんだよ?」
五十嵐は、支離滅裂な言葉を叫びながら、自らの犯行を認めた。
五十嵐が狂ったように叫んだ。
「あ!のどかわいたのどかわいた!みんなでオチャチャ飲も!ね!オチャチャ飲も!お茶茶いれてくる!」
五十嵐は、走ってキッチンへ向かうと、五つのマグカップに毒々しい色のオレンジジュースを淹れてきた。僕が静かに尋ねた。
「毒入ってますよね。ぼくたちは飲みませんよ。」
だが、五十嵐の愚かさは、僕たちの想像を遥かに超えていた。
「じゃあぼくお手本みせるから、そのあとちゃんと全部飲んで!」
五十嵐はそう言って、僕の目の前にあったカップをひったくった。
「はい勝ち!はーい勝ち勝ち!かちかちやま!カチカチ山だよ!わ!知らないんだ!せてんしらずだ!」
勝利を確信した五十嵐は、高らかに宣言すると、奪ったカップの中身を一気に飲み干した。
そして、時は、止まった。
「わ。」
五十嵐の喉から、蛙が潰れたような声が漏れた。
彼の手からマグカップが滑り落ち、床に叩きつけられて甲高い音を立てる。
五十嵐は自分の喉を掻きむしり、信じられないという目で、タカシと、自分が飲んだカップと、そして、タカシが自分の手元に残していたカップを交互に見た。
五十嵐は、僕たちのうちの誰に毒を飲ませるかというゲームに夢中になるあまり、間違えて本物の毒入りカップを手に取ってしまったのだ。
「リナ…チャン……結婚するって、約束、したのに……結婚!ガハッ…ゴフッ…!」
五十嵐は、最愛の少女の名前を呼びながら、口から血の泡を吹き、床を転げ回った。
それは、あまりにも惨めで、滑稽で、そして、自業自得な、世界で一番愚かな悪党の最期だった。
五十嵐が絶命した後、山荘には静寂が戻ってきた。救助隊が到着するまでの数時間、僕たちと三人の大人は、初めて、本当の言葉を交わした。
「悪かったな、怖がらせて」
最初に口を開いたのは、氷室さんだった。彼は探偵手帳から、一枚の古い写真を取り出した。そこには、幼い女の子が屈託なく笑っていた。
「…昔、ある事件で子供が一人死んだ。犯人は、最後まで反省すらしなかった。それ以来、俺は、子供が嫌いになったんじゃない。子供を傷つけるクズどもが、許せなくなっただけだ」
彼の目は、僕たちではなく、死んだ五十嵐を、殺さんばかりの怒りで睨んでいた。彼が冷徹だったのは、犯人への怒りで我を失い、僕たちを危険に巻き込まないようにするためだったんだ。
「ま、僕も褒められたもんじゃないけどね」
金剛寺さんは、パソコンの画面を僕たちに見せた。そこには、数億円という金額の送金完了通知が表示されていた。
「僕の故郷に、廃校寸前のボロい小学校があってね。悪どい連中から巻き上げたこの金で、あいつを建て直すんだ。僕みたいなのが、子供たちの未来に投資するなんて、笑えるだろ?」
彼は、初めて金勘定ではない、悪戯っぽい笑顔を見せた。この人は、初めから、子供の味方だったんだ。
最後に、森園さんが、涙を浮かべながらとスケッチブックを差し出した。スケッチブックに描かれていたのは、僕たちだった。殺されたトオルも、みんな、笑っていた。騒いだり、はしゃいだりしている、生き生きとした姿が、そこにあった。
「…人が、争うのが、嫌いなだけ。あーしは、本当は、みんなに、笑ってて、ほしかった…」
彼女が他人を拒絶していたのは、繊細すぎる心が、誰かの悪意や憎しみに耐えられなかったからだ。
僕たちは、何もわかっていなかった。
見た目や、ほんの少しの言動で、勝手に大人たちを悪魔だと決めつけていた。
本当の悪魔は、一番愚かで、一番無害に見えた、あの男だったのに。
僕たちは、仮面を外した三人の優しい大人たちと一緒に、静かに、夜が明けるのを待った。
鉛色の雲の隙間から、瑠璃色の光が差し込みはじめた時、僕たちの冬は、終わりを告げた。僕たちは、一つの死を乗り越え、ほんの少しだけ、大人の世界の複雑さを知った。
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ぬるくなったバーボンを一気に呷ると、あの雪山の冷気が蘇るようだった。 あの山荘で俺たちが学んだこと。それは、本当の悪魔は、決して悪魔の顔などしてはいない。時には救いを求める子供のような顔で、誰もが侮り、見過ごす場所に潜んでいる、という真実だ。
俺はデスクに広げた調査ファイルに目を戻す。重役の父親が提示した「悪役」である半グレ集団。その背後関係ばかりを追っていた。だが、あの山荘の大人たちのように、彼らはただの目眩ましだとしたら?
本当の狂気は、もっと別の場所に……。
思考が閃光のように突き抜ける。ファイルの隅にある、一枚の家族写真。依頼人である重役と、失踪した娘。そして、その二人から一歩引いた場所で、存在感を消すように、だが確かに写っている、病弱で、誰もが「無害」だと決めつけていた母親の姿。
俺は立ち上がり、くたびれたコートを掴んだ。 行き詰まっていた事件の、錆び付いた扉に手をかける。
さあ、仕事の時間だ。
俺は事務所のドアを開けた。