秋の河辺で君を待っていた。
永年生きてる男の子と、少女話。
いつからか分からない。過去に置いて来てしまった記憶を手繰り寄せることも無くただその場所に留まっていた。もう元号は何回か変わったんじゃないだろうか。何度かそう思ったくらいには、そこにいた。
そんなとある年のとある日。その日は快晴だった。太陽が眩しくて目が焼けてしまいそうなくらいなのに、痛覚も気温上昇も感じなかった。人間じゃないんだなぁと改めて自覚していた時、僕の目の前には白くて鍔の大きい帽子を被った女の子がいた。その子はまるで生きてる感じがしなかった。真っ白な髪に色素の薄い目の色。白い肌に涼やかな声。けれど、その高い体温が生きていることを表していた。
「お姉さんは、ずぅっとここに居て飽きないの?」
沈黙を嫌ったのか。少女はそう言った。
「……飽きるも何も、移り変わっていく世界に飽きるも何もないよ。世界は毎日違うんだ。世界はビデオみたいなものだから」
「ビデオ?うーん…始まりと終わりがあって、移り変わっていくから?」
「…きみは賢いんだね。でも、そんなお嬢ちゃんにひとつだけ。僕はお姉さんじゃないよ」
「そうなの?」
純粋な目を僕に向けて、心底不思議そうにする。あなたのどこがお姉さんじゃないの?とでも言うような目をしていた。そして、僕の目を見る。彼女は僕が嘘をついていないと思ったのか、納得したような顔をして、今度は「じゃあ、なんて呼べばいいの?」と僕に訊いてきた。それは君が考えることじゃないかな?と言うほど、僕は意地悪じゃない。だから例えを提示した。
「お兄さんでいいよ」
「うん。それで、お兄さんさんはどうしてここにいるの?」
「……此処から離れられないからだよ」
少女は少し悩むように唸って、僕の目を見る。そして、彼女は僕が真実を言っているかどうかを確かめてから「離れられないって?」と訊いてきた。
「うん。もうどこにも行けないんだ」
少女はまだ納得いかないようで、眉を顰める。そんな顔も愛らしいとさえ思うのは僕の性格が捻くれているからだろうか。真剣に考えてる子どもで遊ぶのが楽しいと思えるのは、僕がそれだけ永く生きてきた証拠なのかもしれない。
「うーん…どうして?」
「なんでだと思う?」
質問を質問で返しちゃだめじゃないと言いながら、彼女は真剣に考えて的はずれな答えを僕に提示した。
「脚を怪我しているの?そうなふうには見えないけど、もしそうなら病院に行けば治るわよ。お金がかかっちゃうけど…」
まだ敬語も知らない一桁の年齢の少女がそんなことを知っている時代になったのか。僕は空を少しだけ仰ぎ見た。そして彼女の思い付いた答えを頭の中で反芻する。脚を怪我したの?
「残念、ハズレ。僕は脚なんか怪我してないよ」
そう言うと彼女は少し安堵したような表情を見せる。ころころと変わる表情が面白くて、僕は思わず笑ってしまった。少女はすぐに訳が分からないというような不思議な顔をする。何とも言えない顔でも、可愛らしいものは可愛らしいんだなと思いながら、また質問をする。
「じゃあ、どうしてだと思う?」
少女はまた考え込む。そしてすぐに閃いたように顔を明るくさせ、僕の顔を見た。
「分かったわ!動けないのね!」
動けない、か。……言い得て妙だなと思ったのがいけなかったのか、僕の口からは「そうかも」という曖昧な肯定の一言が出てきた。少女は僕のその答えを聞くと嬉しそうに笑った。そんなに自分の予想が当たって嬉しかったのだろうかと思うと、僕もつられて笑ってしまった。
「ふふふ、当たった?」
「うん、当たりだよ」
「やった!でもお兄さんは何で動けないの?」
生き物にとって一番大切な臓器。僕のそれがもう動いていないんだと説明したら彼女はどう反応するのだろうか。そんなことを一瞬考えるが、すぐにやめてまた考える。言わないほうが良さそうだ。幼気な少女を怖がらせる訳にはいかない。今がどうかは知らないが、少なくとも僕の時代での子どもの大半が僕みたいな存在を怖がってしまうのだ。だから僕は真実を言うことはしない。
「……内緒」
「うーん…話題がなくなっちゃった。お兄さん寂しそうだったから、お喋りして寂しさを無くしてあげようと思ったのに」
その発言は予想してなかったので、面食らってしまう。どうせ退屈していたし、彼女の話は面白いので承諾した。彼女は僕の隣に座って、それから沢山僕に質問してきた。好きな食べ物とか遊びとか趣味とか特技とか。僕のことを何も知らないのによくそんなに他人を疑いもせずに個人情報をぽんぽんと出せるなと感心してしまうほどだった。この少女に危機感は無いのだろうか。少し怖くなる。いつからこんなにこの世界は警戒が緩くなったんだろう。いや、まあ、犯罪者が減って世界が緩くなったのならいい事かもしれないのだが。
「お兄さんの好きな食べ物はなぁに?」
「そうだなあ……。チョコレートは好きだよ」
「チョコ?じゃあ、今度買ってきてあげる!あとねえ、お兄さんが好きなことは何?」
「読書かなあ。あとは歌うこととか、散歩することとか……」
彼女は僕の言ったことを反復する。まるで忘れないように、大切なものをしまうための引き出しにそっと入れるみたいに。そして、何かを思いついたように顔を上げて、僕に向かって嬉しそうに笑って口を開いた。
「じゃあお兄さんは、将来わたしの大好きな人になりそう」
花のように笑う彼女は、やっぱりどこか他の子ども達と違ってお淑やかだった。
「お兄さんだとなんだか距離が遠い気がするわね、おなまえはなんて言うの?」
「……アララギ、鈴蘭とかに使われる蘭で、あららぎ」
「すずらん?白くて小さなお花のこと?わたし、まだ漢字読めないの」
そういう少女に、僕は地面に指の腹を当てて字を教えて上げた。二人で何度も何度も何度も練習してると、そういえば僕の名前はこうだったと実感が湧いてきた。残念ながら下の名前は覚えていないけれど。もうずっと呼ばれることがなかったから。
「そうだわ、わたしの名前も教えてあげる。わたしのおなまえはね……」
ゆっくり丁寧に書こうとするせいでガタガタになる丁寧と言われれば丁寧な子どもらしくて可愛い字で「ほしくら心灯」と、読み上げながら綴った。名前だけ漢字なのは、両親が書いてるのを見た事があるからか、それとも名前だけ漢字で書けるように練習させられたのか。僕には分かり得ないけれど、少し感心した。
「心灯、いい名前だね」
「そうでしょっ?」
心灯ちゃんは嬉しそうに照れながら笑う。またその笑顔が可愛らしくて僕もつられて笑ってしまう。心灯ちゃんが嬉しいと僕もなんだか嬉しくなって笑ってしまうのだ。面白いなあ。本当に、人間は不思議で面白い。世辞やおべっかで名前を褒められることなんてよくあることなのに、そもそも考えたのはご両親なのに、ちょっと褒められただけでこんなに嬉しそうにできるなんて。やっぱり僕には人間というのが分からない。こんなに長く生きていても理解できない。
脆くて簡単に壊れて簡単に死んでしまうのに、感情を持っているだけでこんなにも強かになれる。それとも単に僕にそれが備わっていなかっただけなのか?今の僕には分からないけれど。
少女、心灯ちゃんはその後もその小さな脳みそで思いつく限り、とにかく沢山お喋りしてくれた。聞いてる限りお話が得意な子ではない。むしろ彼女はきっと、話しを聴く方がずっと得意だ。けれど、いつも聴いてばかりで誰にも話せないからというように、沢山溜め込んでいたものを吐き出すかのように舌と口角を動かした。
たまに話すのに飽きると、何か話して!と強請った。まるで我儘なお嬢様のようだった。
段々と空がオレンジ色になってきた。そろそろ帰ろうかと心灯ちゃんは立ち上がる。またね、と小振りに手を振って去っていく心灯ちゃんの背中は凄く小さくて、とにかくとっても小さいのにどこか大きくて輝いているような感じがした。
その次の日も心灯ちゃんはやってきた。来る日も来る日も僕のところに通っていた。けれど、彼女が中学生になる頃にはぱたりと来なくなってしまった。僕はその時初めて、人間という生き物に興味を持ったのかもしれない。いや、心灯ちゃんだけに興味を持っていたのだろうか。
少しでも寂しいとか思ってしまったのか?この僕が?永い間ずっと何も感じなかったのに。ただ、それ以上に何も感じなかっただけなのだ。だから僕も五日目くらいにはいつものようにぼうっとして過ごすのを再開したのだ。そしていつも通りの毎日を送っていった。
そんな生活が続いた時、久しぶりに彼女がやってきた。彼女はとても大人びて、あの頃の敬語も知らない少女は居なくなっていた。僕は何も変わっていないのに、彼女はすごく変わっていた。それに寂しさを覚えた。ずっと昔に慣れてしまったはずなのに。
彼女は高校生の立派な女性になっていた。久しぶりに来たと思ったら、彼女の制服は僕の知らない制服で、少し大人びた化粧をしていて、口調も変わっていた。彼女の変わっていたところはそれだけじゃない。彼女は、僕のことが見えなくなっていた。
よく言われていたことだ。子どもに見えるものが、成長すると見えなくなる。例えばモスキート音とかも、子供にしか聞こえないもののひとつである。そう、彼女は成長していた。分かっていたことだった。彼女と初めて会うよりもずっと前から。僕はそんな当たり前のことを忘れていた。
やっぱり僕は、ずっとひとりぼっちの幽霊だった。
それなのに、心灯ちゃんの呟いた「蘭さん…」という呟きに、やっぱりこの世界に繋ぎ止められてしまった。
僕は弱い幽霊だ。成仏もできず期待を振り切れないまま存在してしまう弱い幽霊だった。
酷く淋しい終りになってしまったので、また心灯ちゃんが認識できるようにと星に願っています。鈴蘭でも食べたのでしょうか




