第3話 星と丸
−未知流−
「教会なら困ってる人を助けてくれんじゃねぇ?」
慶太はそう言って、さっさと石段を上り始めた。
その教会らしき建物は、私たちが出てきた路地の、広場を挟んでちょうど真反対くらいのところにあった。私たちは、広場の円を半周したようだ。教会の左右には路地を挟んで花屋と集会所のようなものがあった。
十字架やマリア像があるわけでもなく、屋根がモスクみたいなタマネギ型をしているわけでもなく、ゴツゴツした高い塔があるわけでもない。ありふれた切妻屋根の石造りの建物だけど、何となく荘厳な佇まいが教会に見えた。正面の扉の左右と上方にあるステンドグラスのせいかもしれない。
開け放たれた扉が、どうぞご自由にお入りくださいと言ってる気がした。
「待ってよ、慶太」
私も慌てて慶太の後に続いた。
内部は普通のキリスト教会の礼拝堂の様式に近かった。一番奥に祭壇があって、大きな花瓶に花が生けられていた。手前には簡素な木製の長椅子が左右に分かれて十五列くらいずつ並べられている。長椅子はずいぶん使い古されていて、塗りが剥げたり、傷がついたりしていた。左側の前から二列目の椅子の端っこに男女が二人座って祈りを捧げていた。老夫婦のように見えた。
祭壇にも周りの壁にも、神様らしき像や宗教画のようなものは見当たらなかった。代わりに大小の星形と丸の模様が壁や窓のステンドグラスにデザインされていた。
「この、燭台って言うの?蝋燭立て、素敵!」
珍しい形のとても古めかしい燭台が壁のあちこちに設置され、それぞれ三本の蝋燭が立てられている。太い柱が全部で六本あり、その柱にも燭台は取り付けられている。
蝋燭に灯された仄かな明かりと、ステンドグラスから入ってくる陽光で教会の内部は明るく照らされていた。天井は高く吹き抜けになっていて、太い梁と六本の柱がしっかりと屋根を支えている。天窓からも陽が差し込んできていた。
入ってきた扉の他に、左右の壁に二つずつ両開きの扉があった。祭壇も壁も扉も、ゴテゴテとした装飾は一切なく素朴でシンプルだけど、どこか温かみのある教会だ。
「この教会いいなぁ。なんか心が洗われるって感じ?」
慶太が感慨深げにそう呟いた。
「そうだね。すごく歴史がありそう。豪華絢爛な教会って時々あるけど、あんなのよりよっぽどいいね。こんな格好でも受け入れてくれそう」
私は、教会に似つかわしくないジャージ姿を気にしていた。
「俺は、正装だもんな」
確かに学ランは結婚式でも葬式でも通用する。私は慶太の脇腹に軽くパンチを喰らわした。
中央の通路を進むと、祭壇の近くで神父らしき人が優しい微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「言葉は通じるのか?」
慶太が心配そうに耳もとで囁いた。
「異世界なら、通じるはず」
異世界ものの小説や漫画を読み倒している私にはそんな根拠のない自信があった。
−慶太−
広場に面している表の入り口は五、六段の石段を昇ったところにあり、扉は開放されていた。
入ると正面にまた大きな両開きの扉があって、左右にも通路が伸びていた。左右の通路は少し先で奥に続くように折れ曲がっていてその向こうは見えない。正面の扉もまた開放されていてその先は礼拝堂だった。
俺たちはそこに入って行った。
「俺の知っている結婚式場のキリスト教会よりは少し規模が大っきいな」
教会には同僚やら友達やら親戚やらの結婚式で何度も訪れたことがあった。どれも式場に併設されている教会だったから、正式なキリスト教会なのかどうかは怪しいもんだが。
「私も何回も行ったわ」
三十五歳にもなると、同級生は結婚してる奴らの方が多い。
「考えてみたら俺はこれまでどんだけ祝儀を渡してきたんだ!クソっ、回収できないままここで朽ち果てるのか?」
「朽ち果てるとか、不吉なこと言わないでよ」
教会の内部を眺めながら、そんなどうでもいいことを俺たちは喋っていた。小声で喋ったつもりだったが、声は結構響いた。
「キリスト教じゃないみたいね。屋根にも十字架なかったし、キリスト像もマリア像もない」
未知流が壁や天井を見回しながら言った。
「そうだなぁ。イスラムでも無さそう。あの星と丸形の模様がこの宗教のシンボルなんかな」
椅子に座っていた二人が立ち上がり、入り口に向かって歩いて来た。女性の方が俺たちをじっと見つめた後、ニッコリと微笑んで小さな声で何か呟いた。挨拶だったのか、祈りの言葉だったのかよく聞き取れなかった。
二人はそのまま出て行った。
未知流は中央の通路を祭壇の方に向かって歩いて行き、神父か司祭か牧師か教祖か何か知らないが、その教会の人らしき人物にいきなり日本語で話しかけた。
「ここは何という国ですか?」
その人物は、左の胸元に星型と丸を象った金色の刺繍が施された真っ白な長衣を纏い、手には聖書のようなものを携えていた。
年齢は四十くらいか、もっと上かも知れない。長身で綺麗に整えられたブラウンの髪に瞳は深い青で、端正な顔立ちをしていた。彼は低くよく通る声でこう答えた。
「ここはロンデン王国ですよ」
綺麗な日本語だった。
「ロンドンじゃないんかい!」 未知流が小さく突っ込んだ。何でロンドンと思ったの?
「今は西暦何年ですか?」
いや異世界西暦じゃないだろ。
「西暦の意味がわかりませんが、この国ができてから四千年ほど経ちます」
いやそれも分からんし。もういつでもいいじゃん、異世界なんだろ。
「あなた方はどちらからいらしたのですか」
「えっとー、何て言えばいいんだろ。違う世界の日本という国から来ました」
違う世界って、理解して貰えるのか?大丈夫か、そんな説明で?
「はあ、またですか」
その人は意外な返答をした。
「え? ということは、前にも俺たちのような人間が来たことあるんですね?」
俺は思わず未知流の前に身を乗り出して口を挟んだ。
「そうですね。三年くらい前ですか、あなた方によく似た感じの方が一人で訪れて来ました。日本という国だったかまでは記憶していないですが」
「その方は今は?」
「一年くらいここで暮らしていましたが、ある日突然いなくなりました。ご自分の世界にお帰りになったのではないでしょうか」
「帰れたんだ!」
「ここで暮らしてた!」
未知流と俺は同時に叫び、顔を見合わせた。
「あの、図々しいお願いなのですが、ここに置いてもらえませんか」
未知流は俺に目配せしながら神父に頭を下げた。俺も神妙な顔を作り、心の底から低頭した。
「何か仕事があればお手伝いしますんで」
「もちろん構いませんよ。ここは教会です。困った人を助けることはアーマ神の思し召しに叶うものです」
イケメン神父は柔らかい笑顔で快く応じてくれた。ああ、よかった!
「神父様を何とお呼びしたらいいですか」
未知流が尋ねた。
「神父ではないのですが、私のことはルイードと呼んでください。あなた方は?」
「彼女はミチル、俺はケイタです」
「ケイタさんとミチルさんですね。覚えました。お二人の寝所にご案内します」
こうして俺たちは、住む場所を確保した。