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星と丸の王国  作者: 藤木美佐衛
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第21話 指紋と足跡

 –未知流−


 朝の礼拝が終わって、信徒が三々五々帰って行った後、ルイードは祭壇の片付け、私は、信徒の靴跡で汚れた床の拭き掃除をしていた。


『雪の月』はそろそろ終わりに近づいて来たけど、残雪があちこちに積み上がっていて、道路は雪解け水でぬかるんでいた。


「まもなく雪も無くなって、道路が乾けばここの掃除も楽になりますから」

 ルイードが申し訳なさそうに言った。

「すぐに拭けば簡単に落ちるので、そんなに大変ではないです」

 雑巾を挟んだモップを動かしながら、ルイードの気遣いに感謝する。


 拭き掃除は、そんなに辛くはないのだけど、汚れた雑巾を洗う作業の方が辛い。極寒の冬の水は冷たい。クイックルワイパーが欲しい。もっと言うなら拭き掃除ルンバが欲しい。


 その時、寒気を防ぐために閉じられていた正面の扉が開き、一人の女性が飛び込んで来た。


「ルイード様!」

 マリエンヌだった。

 彼女は、慌てた様子でルイードのそばに駆け寄った。

「マリエンヌ様、どうなさったのですか!」

「夫に勘づかれてしまったかも知れません」

「クリスタン卿に?何を?」

「私が夫に隠れて出かけている事をです、ああ、でもここに来ていることはまだ‥‥‥」

「しかし、私たちは、その、後ろめたいことは何も‥‥‥」

「そうなのですけど‥‥‥とにかく、もうここには来れなくなると思います。その事をお知らせしようと思って」

「分かりました。くれぐれもクレスタン卿に妙な疑いをかけられないようにお気をつけてください」

「はい、ルイード様にはご迷惑がかからないように致します。今日はロイスの顔を見てすぐに帰ります」


 ちょっとの間だけ二人はお互いに見つめ合った後、孤児院の方に向かって行こうとした。私は見なかったふりをするのに必死だった。その時、また突然扉が開いた。


「ここで何をしている、マリエンヌ!」

 声の主は乱暴に扉を閉めると中央の通路を大きな靴音をたてながら祭壇の前の二人に近寄って来た。


「クリスタン卿!どうして⁉︎」

 その乱暴な男はマリエンヌの夫のクリスタン卿だった。私は初めましてだったが、慶太から聞いていた通りの見た目だった。

「お前の様子がおかしかったから、後をつけて来たんだ」

「なんて事を!」


「貴様は‥‥‥ははあ、その顔、思い出したぞ。ここは貴様の教会だったのか。お前らはまだ通じていたんだな!」

 クリスタン卿はルイードを指差して声を荒らげた。

「違います。私たちはそんな‥‥‥」

 マリエンヌは、ルイードを庇うように前に出た。

「黙れ、この売女ばいため!」

 クリスタン卿は、マリエンヌの頬を平手打ちした。

「やめなさい!」

 ルイードは、打たれてよろめいたマリエンヌの身体を抱き留めて言った。

 ルイードが命令口調で話すのを初めて聞いた。

「これは俺の女だ。何をしようと俺の勝手だ、来いっ!」

 クリスタン卿は、マリエンヌの腕をつかみ、引き摺るようにして入って来た扉の前まで行った。


「くそ牧師め、覚えてろよ!」

 彼は扉から出て行く際にそんな捨て台詞を吐いた。

(牧師じゃねーし)

 ルイードは握りしめていたこぶしを開いて左胸の上に置き、祈りの言葉を口にした。



 –慶太–


「すげ〜な」

 未知流から事件の顛末てんまつを聞いて、最初に持った感想がそれだった。

「なんかドラマみたいでしょ」

「マリエンヌは、ここに来れなくなる事を言いに来たんだよね。それがあだになった」

「後をつけて来るなんて、クリスタン卿もよほど嫉妬深いね。なんかおかしい、きっと男と逢ってるんだって疑ったんだろうけど」

 未知流はため息をついた。

「そして、ルイードと会ってることを初めて知った」

「二人は全然プラトニックだったのに」

「まぁ元カレだしな、しかも自分よりだいぶイケメン」

「マリエンヌが心配だよね、ビンタされたんだよ!多分あんなの日常なんだよ」

 その時の様子を思い出したのか、未知流は両腕を抱きしめて身震いした。

「覚えてろよって言ったあの顔、怖かったぁ」


「ルイード、大丈夫かなぁ」

「命を狙われるとか?」

「あり得るんじゃね?


 その懸念は的中してしまった。


 それは二日後の夜更けのことだった。

 ルイードは、いつものように夜のお祈りを捧げていた。

 ローザン地区教会は、夜遅くまで扉に施錠せじょうしていない。夜、祈りに来る人たちのために開けられているのだ。

 そして、司教のルイードが最後に一人でお祈りを捧げた後、施錠する。


 ルイードは祭壇に向かって祈りを捧げていた。

 後ろの扉が開く音がして、振り向くとフードを目深まぶかに被り、口元を布で覆った男が立っていた。

「お祈りですか」

「‥‥‥はい。よろしければ」

 男はくぐもった声で答えた。

「どうぞ、こちらに」

 ルイードは、見知らぬ男を招き入れた。


 男はルイードに近づくと、いきなり上衣の中から何かを取り出してルイードに向けて突き立てた。ルイードは咄嗟とっさけたが、右の脇腹に刺さってしまった。男が取り出したのは刃物だった。ルイードの白い長衣が見る見る赤く染まっていった。

「何をするのです!」

「くそっ」

 男は脇腹の刃物を抜いてまた振りかざした。


「やめなさい。ここは教会ですよ!」

 ルイードは大声をあげながら男の腕をじ上げた。男は刃物を取り落とした。

「くそっ」

 二度目の失敗を男は悔しがった。

 男はルイードを押し倒して馬乗りになり、首に手をかけた。


「そこで何をしている!」

 騒ぎを聞きつけたノーディン院長が横の扉から飛び込んで来た。院長の部屋は礼拝堂の祭壇に一番近い。声がよく聞こえたのだろう。

「くそっ」

 フードの男は三度目の失敗を呪う言葉を残し、入って来た扉から走って出て行った。


「誰か、誰か来てくれ。司教が刺された!」

 院長の叫び声で、教会に寝泊まりしている全員が礼拝堂に集まった。


 ルイードは無事だった。脇腹の刺し傷は浅かった。


「知らない男でした」

 傷を布で抑えながら院長が訊いた問いに、ルイードはそう答えた。

 院長とジュールがルイードを部屋に運んで行った。長老も心配してついて行った。


 俺が床に落ちている刃物を拾い上げようとしたら、未知流が叫んだ。

「触らないで!」

 未知流はその刃物をじっくり眺めて言った。

 木製の柄のついた刃渡十五センチほどのナイフだった。

「重要な証拠よ。ほら指紋がくっきり残ってる。慶太、厨房から綺麗な布巾を持って来て。あ、待って、紙の方がいいかも。紙も持って来て」

「分かった」


 俺はまず自室に行って、紙を一枚取り、それから厨房に走った。

 厨房で使う布巾は、一日の終わりに煮沸してから干している。綺麗に乾燥した布巾を二、三枚持って来て紙と共に未知流に渡した。


 未知流は、慎重にナイフの柄に残った血染めの指紋に紙を押し付けた。

「ほら、大っきい指紋取れた。親指かなぁ」


 未知流は次に中央の通路に残っている足跡を辿たどって入り口まで行った。外はまだ雪解け水でぬかるんでいて、泥のついた男の足跡で床は汚れていた。


 床の色が濃いオーク色なので、足跡は見えにくかった。未知流は壁から燭台を一つ取って手に持った。俺も真似をした。

 未知流は礼拝堂の扉を出て、外の扉の近くで座り込んだ。

「あった!」


 外の扉の内側に足跡がくっきりと残っていた。足跡は礼拝堂の方を向いているから男が外から入って来た時の足跡だろう。入って一歩目の足跡が幸い綺麗に残っていたのだ。

 未知流は今度は布巾のシワを丁寧に伸ばして、ゆっくりと慎重に足跡に押し当てた。


 滑り止めの溝が沢山彫られた雪道用の左の靴跡だった。

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