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忘れ去られた令嬢は、魔族の王の妃となる

作者: 風遊ひばり


「今、外はどうなっているのでしょうか……」



 私は独り、屋敷の地下の薄暗い牢獄の中で呟いた。


 戦争とは悲惨なものだ。

 あらゆる非人道的な行為が肯定され、逆に善意が否定される世界になる。


 今私が、地下の牢屋に閉じ込められているように。










 私が生まれた『グラシエル王国』は、以前より魔族によって建国された『アントロス王国』との戦争が行われていた。


 戦争が始まったのは、私が幼い頃の話だ。

 辺境伯の爵位を持っていた私の家は最前線となり、貴族令嬢として育てられていた私の暮らしも一変してしまった。



 『戦争』というものが何かなんて、幼かった私には分からなかった。けど、それが良くないことであること、そして、戦争によって周りの皆がおかしくなっていった(・・・・・・・・・・)のは、身に染みるほどに感じたのだ。


 『優しい子になりなさい』と諭していたあの人は、どうして魔族への怨嗟を漏らし続けるのだろう。

 『暴力はダメだ』と私に言い聞かせていたあの人は、どうして魔族を殺すのだろう。



 どうして……怪我をしていた魔族の子を助けた私は、どうして地下牢に閉じ込められるのだろう。『困っている人には手を差し伸べなさい』と言っていたのは、私のお父様なのに。



 それ(・・)が起きたのは、私が6歳の時だった。

 戦争の激化で外にすらまともに出られなかった私は、使用人たちの目を盗んで屋敷を抜け出したのがきっかけだ。


 鬱屈した日常から逃げ出し、冒険者の気分で周囲を歩いていた私の目の前に、その人物は現れたのだった。


 私より少し上ぐらいの年齢にも拘わらず、それに似合わない鋭い目には、真紅の瞳が覗いている。浅黒い肌、尖った牙や耳、そして、彼が纏う深く黒い魔力……。



「ま、魔族……」


「っ……!」


「ひっ……!」



 思わず声を漏らした私の声に気が付いたのだろう。

 瞬時にナイフの切っ先をこちらに向け、構えを取った彼の剣呑な雰囲気に、私は小さく悲鳴を漏らす。



「人間の子供……いや、油断はできないな。人間はどんな姑息な手だって———くっ……」


「あなた……怪我をしているの……?」



 苦しそうに表情を歪める彼の足元は、赤黒く濡れていた。魔族は人間よりも生命力が強いとはいえ、その出血量では、すぐにでも手当をしないと命の危険があるだろう。



「怪我してるんでしょ? 私に見せて———」


「来るなっ……! 人間は信用できない!」


「でもっ、そのままじゃあなたが死んじゃうっ」


「うるさいっ! そう言って俺に近づいて止めを刺そうという魂胆だろう? 人間に殺されるぐらいなら、俺は自死を選ぶ!」


「ダメぇっ!」



 もう助からないと悟ったのだろう。

 私に向けていたナイフを逆手に握り直した彼は、自らの首にそれを振り下ろす。


 そこに飛び込んだのに、深い考えはなかった。

 ただ、傷ついている目の前の彼を助けたい……その思いだけだ。


 私の腕に、熱い痛みが走る。

 彼が持っていたナイフで切れたのだろう。貴族家で育てられた私にとっては、初めて感じるほどの強い痛み。


 それでも私の頭にあったのは、自分の身体より彼の無事だった。


「なっ、何を───」


「動かないで……"我らが母たる女神アリューシアよ、彼の者に安寧を"───」


 自死を選ぼうとする彼を抱き止め、私は魔法を唱える。幼い私の僅かな魔力では、傷が少し小さくなる程度。


 それでも、彼が助かるならっ!



「何をっ───」


「はっ……はっ……ごめんなさい、全部は治らないみたい……」



 辛うじて、彼の出血は止まったようだ。


 あっという間に魔力がなくなり、私は激しい眩暈に襲われる。そんな私が倒れる直前、ふらりと揺れた私の身体を、今度は彼が支えてくれた。



「……人間、なぜお前が俺を助ける?」


「だって……困ってる人がいたら手を差しのべろって、お父様が言っていたもの……」


「お前は人間で、俺は魔族だ。敵同士なんだぞ!?」


「人間だとか魔族だとか、関係ないの……みんな必死に生きているんだから……」


「……魔族も人間も、同じ命だと言うのか?」


「えぇ、そうよ」



 彼の紅い目が、大きく見開かれる。

 私はその目をじっと見つめていた。



「俺の名は『アルテマ』という。この恩は一生忘れない」


「あっ……」



 彼の手がぎこちなく、しかし優しく、私の手に触れる。

 すると、彼の魔力が私の手を包み、私の手の甲に、不思議な紋章が現れた。



「いつかまた、必ず会おう」


「う、うん……」



 そう言って去っていく彼の背中を、ぼぅっと眺める。

 腕に怪我の痛みも忘れ、なんとなく彼との繋がりができたようで、私は嬉しかった。



 その瞬間を、私を探しに来た使用人に見られていなければ、どれほど良かったか。



          ♢♢♢♢



「アリゼ、私に呼ばれた理由は分かるか?」


「な、なんでしょうかお父様———」


「しらばっくれるな!」 


「ひっ……!」


「お前が魔族の男を治療し、逃がしたことは知っているのだぞ! そうだろうベルタ!」


「はいっ、旦那様! 屋敷を抜け出したお嬢様を探しに行くと、お嬢様が魔族の男と親し気に話し、逃がす瞬間に遭遇したのです! これが証拠です!」



 そう凶弾する使用人のベルタは、あろうことか私の腕を掴み上げ、お父様の前に晒す。そこには、アルテマによって付けられた紋章が刻まれていた。



「あぁ、何ということだ! まさか私の娘が魔族に誑かされるなんて……!」


「わっ、私は怪我人を助けただけで———」


「たとえ子供であろうと、魔族との繋がりは許されない……しかし、『辺境伯の娘が魔族との繋がりを持ち処刑された』ともなると、辺境伯の信頼は……どうすればいいのだっ」


「私はお父様の教えに従っただけで———」


「旦那様、提案があります。全て、なかったことにしてしまいましょう」


「どういうことだ?」


「幸い、彼女はデビュタント前ですし、次女のアルナ様もまだまだ幼いですから。彼女をどこかに閉じ込めておき、アルナ様を一人娘として育てれば……」


「あぁ、|存在しなかったことにする《・・・・・・・・・・・・》のだな。それは良い考えだ。おい、誰かこいつ(・・・)を連れていけ」


「はっ!」


「お父様!?」


「何か幼い声が聞こえる気がするが、それは気のせいだ。私の娘は、アルナしかいないのだからな」



 衛兵に腕を掴まれる私に一切視線を向けず、それでいてわざとらしく私に聞こえるようにそういうお父様に、私は絶望した。


 私はお父様の教え通りに困っている人を助けただけなのに、どうして———



          ♢♢♢♢



 それから十数年。

 長く続いていた戦争は、魔族側(アントロス王国)の勝利に終わった。


 ただし、それはアントロス王国がグラシエル王国を壊滅させたわけではなく、代替わりした新たな魔王が、凄まじいばかりの力と知略で攻めあげ、グラシエル王国がアントロス王国の事実上の属国になるという調停を結ばせたのだ。


 『魔族の国の属国となる』……その事実に絶望の淵に立たされたグラシエル王国民は、しかし新たな魔王に救われることになった。


 なぜなら、アントロス王国は、戦後復興に必要な資金や資材をグラシエル王国に提供したのだ。


 まさかそんな施しが受けられると思っていなかった国民は、新たな魔王に感謝を述べながら復興に励むことになった。


 そんなある日の事だ。



「旦那様! こんな手紙が……!」


「手紙だと? たかが手紙でそんなに騒ぎ立てるな」


「しかしっ、これをご覧ください!」


「これは……っ!」



 上等な紙を使い、厳密に蝋封されたその手紙の差出人は、『アルテマ・アントロス』。現在のアントロス王国を治める、魔王本人だったのだ。


 震える手で中を確認した辺境伯は、今度は歓喜に震えることになった。

 手紙には、『辺境伯の娘を迎えに行く』という旨が書かれていたのだ。



 一体どこでどう魔王の目に留まったかは分からないが、戦争に負けた今、魔族側の有力者、それも王家との繋がりが得られるとなれば出世は確実。


 しかも、魔王様の方から娘を求めてきたともなれば……わが辺境伯は、グラシエル王国の王家と同等と言っても差し支えないほどになれるはずだ。



「アルナ! アントロス王国の魔王が、お前を迎えに来ると言っておるぞ!」


「本当ですか!? 準備しませんと……」


「あぁ、何と良き日だ! まずは魔王を迎えるためにドレスや装飾品を新調しなければ……アルナ、何としてでも魔王を喜ばせるのだぞ!」


「お任せください、お父様! あぁ、どんな方なのかしら———」














「ようこそ御出でくださいました、陛下」


「エーデルハイト辺境伯、突然の来訪ですまない。だが、いち早く迎えに行かなければと思ったのだ」



 数日後、現れたのは魔王アルテマ本人であった。

 辺境伯と比べて遥かに若いにも関わらず、その鋭い眼には力強い信念が宿っており、纏うオーラは思わず平伏してしまうほどのものであった。


 見上げるほどに背が高く、近衛兵にも引けを取らないほどの屈強な肉体。そして、ひしひしと感じる強大な魔力は、この魔王一人で人間を滅ぼせるのではと思えるほどの……


 心の底から彼が敵ではなくて良かったと、辺境伯は冷や汗を流した。



「さっそく彼女に会わせてくれないだろうか?」


「もちろんでございます! アルナ、こちらへ」


「はい、お父様。初めまして、アントロス陛下、私はアルナ・エーデルハイトです」



 新調した純白のドレスの裾を軽く摘まみ上げ、優雅にカーテシーをする。アルナも12歳になるレディだ。そういったマナーは一通り身に着けている。


 練習通りに名乗ることができたアルナと、それを見ていたエーデルハイト辺境伯は、自信に満ちた表情だ。


 その様子を見ていた魔王アルテマは……なぜか黙ったまま顔を顰める。



「陛下、どうなさいました?」


「私が手紙に書いた娘は、彼女ではない。王家の紋章(・・・・・)が刻まれた娘だと伝えたつもりだったが?」


「い、いえ……わがエーデルハイト家には、娘はアルナしかいませんが……」


「そんなはずはないだろう。私自身が与えた紋章だ。あの時は他に方法がなく、彼女の手に直接与えることになったが……今も魔力の繋がりはある。居ないとは言わせんぞ」


「っ……それはっ」


「お父様! 私はそんなこと知りませんわ! あいつ(・・・)の紋章が、王家のものだなんて———」


「なっ、アルナ! お前は黙りなさい!」


あいつ(・・・)とは? 娘は何か知っているようだが? エーデルハイト辺境伯、全て話すが良い。隠し立てすれば……分かるな?」


「ひっ……は、はい……承知しました、こちらへ……」


「アルナ……と言ったな、お前も来い」



 有無を言わせぬ魔王のプレッシャーに、辺境伯は従わざるを得ない。

 もうすでに、終焉は間近に迫っていた。












 冷たく、暗い地下牢に、数人の足音が響く。

 こんなところに誰かが来るなんて、滅多にない。

 なんの用事があるのだろう?


 ……また、私で鬱憤晴らしをするつもりなのだろうか。

 もう、痛いのは嫌だ……



 鍵が開けられる音に、私はビクッと肩を震わせる。

 部屋の隅に小さく蹲り、膝を抱え、なるべく見ないように。

 助けを求めたところで、誰も手を差し伸べてくれないのだから———



「———あぁ、間違いない……約束、果たしに来たぞ」



 その声を聞いた瞬間、脳裏に蘇ったのはあの時(・・・)の光景。

 ずっと忘れていた、私の人生の分岐点。


 随分時間がたっているのに、なぜか私は確信があった。



「アル……テマ……?」


「あの時、君に命を救われたアルテマだ。今日ようやく迎えに来れたんだ」



 顔を上げた私は、彼の大きな体に包まれる。

 大きくて硬くて、でもあの時(・・・)と同じように暖かくて……。


 もう枯れてしまったと思っていた涙が溢れ、視界が霞む。



「色々聞きたいことはあるが、まずは無事で良かった。本当に……」


「どうしてっ……」


「私が『必ず会おう』と言ったのだ。まさか口だけだと思っていたわけではあるまいな?」


「そんな……そんな昔の約束でっ」


「私にとっては大事な約束だ。泣きたければ泣くが良い。私が全て受け止めてやる」


「あり、がとうっ……!」



 彼の胸に顔を埋め、私は嗚咽を漏らす。

 私の背に回された彼の腕が、力強く私を抱き締めた。



          ♢♢♢♢



「ところで、彼女の境遇について説明してもらおうか、エーデルハイト辺境伯」


「そ、それはっ……」


「あの時、両国が戦争中だったことを考えれば……大方、私を助けた彼女の行いに対する断罪だったのだろう?」


「わ、私は決して間違ったことなど———」


「そんなことはどうでもよい。我が紋章が刻まれたものを、貴殿が閉じ込め、隠し、粗雑に使ったことには変わりない。それも、紋章が王家のものと知りながら、な……」


「っ……!」


「ディアール」


「ここに」


「グラシエル王へ話を通せ。エーデルハイト辺境伯を取り潰しにするようにな」


「なっ……それはあまりにも横暴です!」


「横暴か? 自身の娘も守れない奴が、領民を守れるとは思えない。他の者に領地を任せた方が無難だと判断したまでだが」


「ですがっ———」


私の妃となる者(・・・・・・・)をこんな風に扱っておいて、不敬罪で手打ちにならないだけましだと思え」



 その場に膝から崩れ落ちる辺境伯。

 魔王との繋がりが得られると思っていたら、まさか爵位を失うことになるとは思わなかったのだろう。


 辺境伯は力なく項垂れたまま動かず、アルナはまだ状況が飲み込めておらずオロオロするばかりだ。



 そして、状況が飲み込めていないのは私も同じだった。



「待って、アルテマ。妃って? 不敬罪って? 辺境伯にそう言えるアルテマって何者なの?」


「なんだ、知らないのか? 私は魔王アルテマ……アントロス王国の国王である。そして、君は今日から私の妃となるのだ」


「えっ……えぇぇぇぇぇぇっ!?」


迎えに来た(・・・・・)と言った時点で察してほしかったのだが」


「いやっ、いきなりそんなこと言われてもっ……ご、ごめんなさい! 私ずっと失礼な口調でっ」


「構わんぞ。君であれば気にしない」


「そ、そう……?」


「あぁ……少し落ち着いたか?」


「まだあまり事実を飲み込めていないけれど……あなたが変わらなくて、少し落ち着いたわ」


「それは良かった。では、今更になってすまないのだが……名前を聞いて良いか? どうしてあの時に聞いておかなかったのかと、ずっと後悔していたのだ」


「ふふ……私はアリゼよ」


「ではアリゼ、改めて君に婚約を申し込む。私と結婚してくれないか?」


「はい、喜んで!」



 長い歴史の中で、人間と魔族の間で婚約が成立したのは、今この瞬間が初めてであった。


 アルテマとアリゼの婚約は魔族と人間を繋ぐ架け橋となり、のちに複数の種族が共存する巨大な国家を作り上げることになる。


 二人は幸せな家庭を築き、未来永劫歴史に語り継がれる大国の、初代魔王と王妃となったのだった。



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