捉えた世界
僕は近眼だった。詳しく言えば近視性乱視であるが、僕は頑なにメガネをつけることを嫌った。理由は色々あったが、その中でも一番は目が疲れるからであった。だから、学校にいる時にも必要な時にだけポケットから取り出して、用が済んだら外した。コンタクトは、昔親にまだ早いと言われてからそのまま、使ったことは無かった。
これは小学校の頃に限るが、授業や集会の時、前で話している人だけが特段大きく感じられることが僕にはしばしばあった。首を振っても常にその人だけが大きくあり続けるかと思えば、急にその人だけが遠くにいて話しているような感じを覚えることもある。焦点は固定されているのに、周りの世界だけが歪んでゆくような視点で、何より不思議なのは、それには一切のコントロールが効かないという点であった。しかし、その時既に僕はその感覚を自覚し、少し不思議な面白い体験のようにすら思っていた。クラスメイトはいつも退屈そうな顔をしていたから、僕は皆が体験するものなのだと早々に理解して、別に人に話すこともなかった。しかし、友の間で思い出話として交わされる一連の体験談の中に、その僕の不思議な体験を聞くことはなかった。
時は過ぎて今からつい二年前ほど、著しく視力を落とした僕はその数ヶ月前にメガネを新しくした。その頃の僕はマンションの階段に昇って夜の街を眺める時の安らぎを知り始めていた。音楽を聴いたり、本を読んだりしながら夜風にあって涼しんでいた。
その時僕はたまたま、目を擦ろうとしてメガネを外した(この頃にはメガネをつけざるを得ないほどになってしまった)。そこで開かれた視点は、見たことの無いような巨大なカレイドスコープの中にあった。ぼんやりとした光の雫が幾つも幾つも輝いて見えた。確かにその光景は美しかったけれど、少し前まで僕の見ていた世界とはあまりにもかけ離れ過ぎていた。僕は急に広い悲しみを知った気がした。
ーー現実というのは、目に見えるこの世界というのは、どうも確実なものでは無いらしい。その僕の生涯にわたる大きな発見は、そういった緻密な経験の重なりに由来していると思う。僕は確実な世界というのが存在しないと言いたのでは無い。何故ならそれは、今も僕らの最も近くに……