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嫌悪への感謝
自己嫌悪というのは非生産的である、と誰かが言っていた。僕はそれによく納得した。他の人たちが必ずと言っていいほど持っている後悔という自責も、僕はすっかり放棄してしまった。理由はとても簡単。自分自身を愛しているから。
しかし何でもかんでも許容する訳ではなく、僕は今ここにいることを感謝しながら、良き教訓としてそれを大切に預かっている。捨て去るのは自責だけ。何だかこの感じは寓話にも似ている気がする。愛すべきもの達……
それでも嫌悪はやってくるものである。苦しみという言葉はこういうことのためにあると思った。それは様々なものの為に捧げられる苦しみで、自己陶酔にも似た哀れみをよく連れてきた。嫌悪に首元を刺されるような感覚で、いつも涙が溢れてくる。食べること飲むことを忘れて。空腹はその時僕の最も親しい友の一人になった。ああ、なんて美しく可憐なんだろう。
ちなみに、そんな友の中でも僕の最愛であったのは、もちろん若さと、死と、愛であった。