食卓戦争─惨状─
「昼はパスタよ。ツナパスタね」
母は言った。
俺はそれを聞いて落胆した。
母は料理が上手ではないが、特段下手というわけではない。不得手だがレシピ通りに作ることができるし、味付けのアの字も知らないわけではないのだ。
なぜ落胆したのか、単純明快。レシピ通りにしか作ったことがないからだ。
基本レシピに齟齬があるとその斜め上を行く回答を多々する。
不味ければそのまま。不味いことを忘れ、次へ。切り替えが早いと言えば聞こえはいいが、実態はトンデモ料理の万国博覧会である。
──そのツナパスタ本当にツナを使うだけで済むのか?勘弁してくれ、最近血圧がなぜか上がってるんだ!
「コホン。母さんマジかよ。ツナの味付けはどうするよ。前みたいに塩味にもの言わせたビーフジャーキーみたいな味付けは勘弁だぜ」
俺は平静を装って答える。心中の怒りを表に出さないよう咳ばらいをし、気持ちを整える。これが荒波蠢く社会に対抗する生存戦略である。
「あなた......文句ばっかりね。別にいいのよ。強制ではないもの。共生はしていいてもね」
(うまくねぇからな)
母の歯牙にもかけない物言い。言動には大人の余裕を感じさせ、駄洒落すら見せる。それが大人の余裕だと言わんばかりに。なんだか癪に障った。
「なぁ母さんや、ここは折衷案として二人で作ろう、痛み分けだ」
目の前にいる大人の鼻を明かしたくなり、こちらもオトナの対応に出る。
「あなた前々から私に任せると言ってるじゃない。自分の思い通りにならないから、前言撤回といったやつかしら、ふふぅ」
母の目は生き生きしており、こちらを小馬鹿にするよう鼻で笑っている。
(あぁ昼下がりなんで俺は母とこんな話をして、笑われるのか、俺が悪いのか......いや俺が悪いな)
確かに母からすれば、せっかく手塩にかけた料理を端から文句言われてら、虫の居所も悪くなるな。
「はぁ、悪かったよ母さん」
しかし、母のしたり顔はやはり悔しい。だが今は劣勢。
素直に謝ろう、が、少しの抵抗を一つまみする。ただではやられんぞ。
この抵抗を後に後悔。"それ"がいけなかった。
「あなた今ため息をしたわね! さっきから言ってるでしょうが! 別々に食べてもいいって! 再三言っているのに、まるで自分は強制されているって顔......。お生憎様、私、馬鹿に付ける薬も、厚顔無恥のバカ野郎に出す料理も一切ないわ!」
俺がが謝るや、否や、凄い早口で捲し立てる。
──母さん俺が本当に悪かったよ。感謝している。でもね......新鮮さがと言って、しめじを生焼けギリギリで出したり、生肉を切った後のまな板を水洗いだけにしないで! 腹こわしてるんよ......こっちは。さらに辛くなった生姜焼きを無言で俺の皿に入れるの......やめて! 血糖値逝っちゃううぅ。
てか今馬鹿って2回も言ったよな......とんでもねぇよ死体うちだよぉ!
何なのプロイセンなの?お前FPSで屈伸煽りしてるだろおぉ!
抵抗しても無駄だな。これ。俺は母の歯に衣着せぬ物言いに、辟易し、白旗を上げる。慎重にそして冷静にだ。
「母さんすみません。母さん料理は最高です!! 母さんの料理で寿命は延び、持病が解消され、彼女もできました。母さん最高!! 母の母による母のための料理!! いよー平塚らいてうの生まれ変わりー!!」
しまった......これじゃ煽っているみたいじゃないか。世辞に世辞を重ねた賛称はさながら政治家の演説のようになっている。
(大丈夫だよね? 撃ってこないよね?)
俺は勢いづいた気を落ち着かせ次の言葉を待つ。
「あなた彼女できたの? 良かった......本当に......。彼女なしで高校を卒業したと聞いて、心配していたのよ? 大丈夫? 相手に迷惑をかけていないかしら?」
次の瞬間、母から放たれた言葉は責め苦でも、説教でもない。自らの息子を本気で按じる、慈母のような優しい言葉だった。
ピシャリと心臓が跳ね上がる感覚。
頬撫でる一粒のしずく。その訳は、この暑い部屋のせいなのか、それとも突然の尋問に肝を冷やしたからか。
──しまった、母はネットに疎かったのだ。完全に忘れていた。
「すみ......ませんでした」
「あぁ......嘘......なのね」
母は悲しい息を零し、噛みしめるように言った。どうやら愚息の見当違いの謝罪で、全てを悟ったようだ。
冷たい涼風が二人の間に沈黙を運ぶ。
風はそれまでのサボりを取り返すかのように吹き抜ける。
(舌の剣は命を断つ......か)