そして山となる
子供の頃、山にじいちゃんが住んでいた。
俺達はそのじいちゃんを「山ジジイ」と呼んでいた。
昔話で山に住んでるババアをヤマンバと言うから、爺さんは「山ジジイ」と言う訳だ。
早い話が、今で言うホームレスみたいなものだ。
浮浪者が出るからその山には近づくなと大人は言っていたが、子供はそう言われれば普通に行く。
そして大人たちが毛嫌いするじいちゃんは、変人だったけど変態ではなかった。
山に入る俺達を奇声をあげて追いかけ回したりもしないし、子供に変な悪戯をするなんて事もない。
俺らがいようがいまいが気にしないし、いたらいたらで、「ああ、おまんらか。元気やな」「あっちさいぐな、まだ雨で泥濘んどる」「あんま神社の方にさいぐな。最近、グレた兄ちゃん達がおるから」とか声をかけてくれたりもした。
見た目もそこまで小汚くなく、なんと言うか、むしろ仙人みたいな人だった。
はじめは大人達が危険認定しているから、怖いモノ見たさで見に行った。
でも別に危険そうでもないし、俺らに別に興味もなさそうだし、普通に山で遊ぶようになった。
たまに危なそうな所を注意してくれる感じだった。
そんな感じで俺らの方もじいちゃんを気にしなくなった。
気にしなくなったと言うか、山に山ジジイがいるのが当たり前という感覚だった。
だから見かけると普通に声をかけたり、挨拶したりするようになり、そうなれば普通に話したりもするようになった。
じいちゃんは、聞けば山の事なら大体の事は教えてくれた。
カブトムシなんかをを探していたら、ついてこいと言われてついていくと、一本の木を教えてくれた。
太陽が登ってラジオ体操の前にこの木にくれば、好きなもんか捕れると言う。
確かに樹液が出ていて虫が好みそうな気だった。
そして続けてこう言った。
「欲をかいて夜になんか来たらいかん。山には夜には別の顔がある。おまんらみたいな小童は簡単に喰われちまう。かと言って昼間は見ての通りだで。ハチも寄ってくるよて、子供だけで近づいたらあかん。」
と、そう言い残すとそのままふらっとどこかに行ってしまう。
次の日、夏休みのラジオ体操の集まりの前に俺達が来てみると、じいちゃんの行った通り、たくさんの虫が捕れた。
そのままラジオ体操に行ったから、皆にどこで獲ったのかさんざん聞かれたが教えなかった。
じいちゃんになんで山にいるのか聞くと、色々あってなぁと言われた。
色々って何?と聞くと、生まれた時から貧乏で、働いても貧乏だったからだと言われた。
お金がないから山に住んでいるのかと聞くと、貧乏だと人に蔑まれるからその事に疲れたのだと言われた。
「山には恵みもある。その恩恵でジジは生きとる。だが山は怖い所でもある。特に夜の山はな。普通の世界じゃねぇ……。山は怖い。住んどるジジが言うんだから嘘じゃねぇ。……だでも、ジジには人の方が怖かったでよ。」
山は怖いところだと、あまり簡単に山に入ったらいけないと、特に夜の山は昼間とは全く違いとても恐ろしいところだから来てはいけないと、さんざん俺らに話してきたが、じいちゃんにはそれよりも他人の方が怖かったらしい。
俺たちは何かとじいちゃんに相談するようになった。
俺らの拙い言葉をまずは黙って聞いて、じいちゃんは言うのだ。
「誰かに価値を決めさせんな。おめぇの価値は、おめぇが一番わかっとる。人がどう思おうと、おめぇの価値はおめぇで決めるだよ。」
「間違うな。戦う相手は誰かじゃねぇ。いつだっておめぇ自身だ。ひでぇ事を言ったヤツを憎くて気が狂いそうになってもな、その時、戦うべきなのは憎んでる相手じゃねぇ。相手を引き裂いてやりたいと思うおめぇ自身と戦うんだ。相手を許す必要はねぇ。だが、そんなヤツの為に醜くなる自分と戦え。自分の価値を思い出せ。自分の価値はおめぇが決めんだ。どんだけみっともなくもがいたっていい。苛立ちを吐き出す為に汚い言葉で吠えたっていい。だがな、忘れんな。戦う相手は誰かじゃねぇ、おめぇだ。そしておめぇの価値を決めんのもおめぇだ。塩梅つけて自分自身と上手くやってけ。」
「貧しさは人を愚かにする。それは確かだ。貧乏って話じゃねぇ。心の話だ。金のないヤツは学ぶ環境もないで、いい仕事にもつけん。そしてそんな事が理由で周りから差別される。そしてそうやって周りが価値を下げてくる。だが惑わされんな。周りがどう思おうと、何と言おうと、陰口叩かれようと、おめぇの価値は変わってねぇ。貧しさに飲まれんな。金がねぇからって心まで貧しくなったら飲まれる。それが貧しさが人を愚かにするって事だ。」
「誰かにヒデェ事を言う。何でかわかるか?そうやって自分の価値を高めようとしてんからだ。他人にヒデェ事を言って相手の価値を下げれば、自分の方が優れて見えっからだ。だから相手にヒデェ事を言う。それはヒデェ事に見えっけど、当たり前の事だ。自覚がないだけで、おめぇも、ジジも、人間は誰だってそういう一面を持っとる。自分の価値を確かめたいからだ。そしてより良い結果を望むからだ。当たり前だ。誰だって自分に高い価値を望む。そういう風に他人から見られたい。人間として当たり前の事だ。だが、それが本当に価値ある「価値」なのか、たまにそれを思い出す気持ちは忘れんな。」
「アホか。たっけぇブランドモノで上から下まで身を固めてるヤツを見てみろ。だいたいはただの成金かババアだ。一流に囲まれる事が一流にする訳じゃねぇ。何故そうなのか理解してからでなけりゃ意味がない。そして一流だってはじめは名も無きものだ。下に見ているものの中にも価値あるものはある。全てを見下すな。本当の価値を見失う。」
「成功者の教えを学ぶのはいい事だで。でもな、それを盲信したって意味はねぇ。人は皆、ひとりひとり違うもんだ。だから全く同じに猿真似したって同じ結果にはなんねぇんだ。それはその人の成功方法なんだって事は覚えとけな。100人中、97人に効く優れた薬だって2人には効かねえ。1人にとっては毒だったりもする。優れた言葉も同じだ。学ぶべきもんは学んで、自分の中に自分に合うように取り込めなけりゃ、効くモンも効かん。」
じいちゃんの言う事は、簡単なようで難しかった。
でも妙に頭に残って、未だにふとした拍子に思い出す。
やがて年齢が上がると、自然と山に行く事も減った。
進学すればさらに山からは遠ざかった。
久しぶりに実家に帰ってきて、山に行ってみた。
けれど当然、もう、じいちゃんに会う事はなかった。
それとなく親に聞いてみた。
そうしたら「そんな話もあったわね」とすっかり忘れている様だった。
もうここ十年ほどそんな事も言われなくなっていたらしい。
俺は次の日、また山に行った。
山で死体が見つかったとか、山から追い出されたとか、誰かが連れて帰ったとか、そう言った話もなかった。
何となく、それを不思議にも思わなかった。
じいちゃんは山になった。
死んだとかそういう事でなく、多分そのまま山になってしまったのだろうと、妙に納得していた。
そもそもじいちゃんが本当に人だったのかと聞かれると、多分としか答えられない。
それぐらいじいちゃんは俺にとって山の一部だった。
山の中の当たり前だった。
じいちゃんは山になった。
俺は今でもそう思っている。