後
てっきり灯火式を見てから帰るものだと思っていたら、フィオーリは先に帰ると言い出した。
「なんやの?せっかくなんやし、見てから帰ればいいのに。」
「すいません。おいら、どーしても行きたいところ、あるんっすよ。」
フィオーリはけろっとしてそう言うと、にこにこと手を振った。
それから、当然のようにマリエの手をつかんだ。
「じゃ、行きましょうっか。」
「なんや、嬢ちゃんも連れて行くんか?」
グランは不満そうな顔になる。
「そりゃ、そうでしょ?
ね、聖女様。」
嬉しそうに同意を求められて、マリエはちょっと困った顔をしながらも頷いた。
「まあ、嬢ちゃんがそう言うなら、しゃあないけどなあ。」
「まあた、マリエを危険な目に合わすんじゃないだろうね?」
ミールムはフィオーリを睨んで言った。
「そんなこと、しませんよ。
じゃ、そういうことで。」
フィオーリはそう言い残すと、マリエの手を引っ張って駆け出した。
市場で少しだけ買い物をしてから、フィオーリがマリエを連れて行ったのは時計塔だった。
昨日、迷子になったマリエを探すために上った時計塔だ。
街のどこからでも見える時計塔は、近くで見上げると、とてもとても高かった。
「ここに上ると、街全体がよく見えるんっす。
昨日も、聖女様をちゃんと見つけられましたしね。」
なるほど、とマリエがうなずくのも待たずに、フィオーリはマリエを抱き上げた。
「今から、ちょっとだけ、走ります。
しっかりつかまってください。」
え?と聞き返す暇もなかった。
フィオーリは勢いをつけると、塔の壁を駆け上がり始めた。
積み上げたレンガの、ほんの僅かなでっぱりに、ひょいと足をかけては上っていく。
「っと、とと。」
わずかにバランスを崩し、足を踏み外したけれど、すぐに片方の手で、屋根の庇にぶら下がった。
「すいません、びっくりさせて。
あ、大丈夫っすか?」
「あ。あはははは・・・」
マリエは怖いのを通り越して、笑い出していた。
なんとか時計塔の屋根の上にたどり着いたのは、ちょうど、金色の夕日が赤く染まるころだった。
「今日の花火は、絶対、ここから見るのがいいと思ったんっすよね。」
その意見には大賛成だった。
しかし、それにしても、この場所は、風が強く吹いていて寒い。
冷たいマリエの手を、フィオーリは、ぎゅっと握って、自分のポケットに突っ込んだ。
体温の高いフィオーリは、手もポケットも、ほかほかとあたたかかった。
神殿の屋根よりもまだ高い時計塔のてっぺんで、マリエは遠くの景色を眺めた。
世界は色を失い、闇へと沈んでいく途中だった。
灯火式の前には、街もなるべく灯りを消すことになっている。
それは、大精霊の降臨する前の、闇に沈んだ世界の再現だった。
やがて、完全に太陽が没すると、街のあちこちから、厳かに歌う声が響いてきた。
灯火式の始まりだ。
フィオーリもマリエも、その場所で共に歌う。
歌が終わると同時に、神殿に灯が灯り、それがみるみる、街中に広がっていく。
フィオーリも、背負い袋から、燭台をふたつと、灯火式用の灯だねを取り出した。
さっき、屋台で買ってきたものだ。
「おいらの故郷じゃ、灯火式は家族全員集まって、順番に自分以外の誰かに灯を灯すんっす。
その人の幸せを願いながら、ね。
そうすれば、みんな、誰かに自分の幸せを願ってもらえる、ってわけっす。」
フィオーリはマリエに燭台を渡すと、そこに灯だねの灯を灯した。
「聖女様の未来に、精霊の導きと恩恵がたくさんありますように。」
マリエはつけてもらった灯をフィオーリの燭台に移した。
「フィオーリさんの未来に、精霊の導きと恩恵が、たくさん、ありますように。」
街にも無数の灯が灯る。
それはゆらゆらと揺れて、世界に希望をもたらした精霊たちのようだ。
がらん、がらん、と神殿の鐘が鳴り響き、どぱんっ、ぱんっ、と夜空に花火が上がった。
「をを~~。見事っすねえ~~。た~まや~~~!!!」
「タマヤ?」
フィオーリの掛けた声にマリエは首を傾げた。
「ああ、遠い遠い国でね、そう言うところがあるんですって。
昔、そこから来た人が、しばらくうちの郷に住んでいたことがあって。
そのときに、いろいろ教えてくれたんっすよ。」
マリエはフィオーリの故郷の、あの親切な人たちのことを思い出した。
異国の旅人でも、あの郷ならさぞかし居心地がよくて、つい長居してしまったのだろう。
「ほら、おいらたちって、食いしん坊でしょ?
その人は、変わった異国の食べ物もたくさん知ってて。
その作り方、教わったりして、すぐに仲良くなっちゃったんっすよね。
そうそう!昨日のリング焼き。
あれは、その人の故郷の食べ物だ、って言ってました。
お祭りのときに食べるものだ、って。
お箸の使い方も、その人に教えてもらったんっすよ。
棒二本あればいいっすから、なかなか、便利なんでね。
けっこう、重宝してます。」
フィオーリはにこにこと話しながら、ずっとむこうの遠くを見つめた。
「おいら、その人に憧れててね。
そんでもって、いつか、その人みたいに、あちこち旅をしてみたい、って。
ちょっとだけ思ってたんっすよね。
もっとも、そのときには、自分が郷を出るなんて、あり得ないとも、思ってましたけど。」
運命って、分かんないもんっすねえ、とフィオーリはしみじみ言った。
「だから、今のこれって、実は、子どものころからの夢の叶った状態?
なのかもしれませんね。」
フィオーリの旅の始まりは、決して、楽しいものじゃない。
オークに攫われて、無理やり故郷から引き離されたのだから。
けれど、そんな状況でも、いつの間にか楽しんでしまう。
それこそが、フィオーリの強さの理由かもしれない。
「聖女様、おいらこの先、どこまでも聖女様についていきます。」
視線を戻したフィオーリは、マリエの目を見つめてそう言うと、にこっと笑った。
つられてマリエも微笑み返すと、フィオーリはもっともっと、にぱっと笑った。
そのとき、強めの風がぴゅう~と時計塔の上を吹いた。
フィオーリは首をすくめて、うっひゃ~と叫んだ。
「いつまでもここに長居してちゃ、寒いっすね。
けど、おいら、これだけはここで食べたいって思ってたんっすよ。」
そう言って取り出したのは、小さなカップに入ったアイスクリームだった。
「昨日、これ売ってる屋台を見つけて。
もう、絶対絶対、これ、今日、食べたい、って。」
「ア、アイス、ですか?」
マリエは思わずそう聞き返していた。
ただでさえ寒いのに、寒さが増したようだ。
「一口だけ。
一口だけでいいっすから。」
懇願するように、フィオーリは両手を合わせてみせる。
「・・・は、はあ・・・」
一口なら大丈夫かな?とマリエは思った。
フィオーリはさっさとカップの蓋をとると、首にかけた銀のスプーンを取り出した。
「はい。あーん。」
フィオーリは、きらきらしたスプーンの先に、ほんの少しだけ載せたアイスを差し出した。
昨日、さんざん、あーんと食べさせられていたマリエは、条件反射のように口を開いた。
「あ。甘・・・
う、うーーーっ、やっぱり、寒い、ですぅ。」
じたじたと思わずその場で足踏みをしてしまう。
フィオーリは、うひゃひゃ、と笑うと、残りのアイスをがつがつと自分の口に運んだ。
「うっひゃ~~~、こおる~~~。」
そう叫んでから、けたけたと笑う。
マリエは、やれやれという顔になる。
こんな状況で笑えるなんて、やっぱりフィオーリは、いろいろと最強だ。
「あのね、聖女様、いいこと、教えてあげましょうか?」
フィオーリは悪戯の成功した子どものような顔をしてそう言った。
「おいらの郷の結婚式はね、お互いのスプーンで、お互いに何か食べさせ合うんっすよ。」
「・・・はい?」
たった今、フィオーリのスプーンで食べさせられたのを思い出して、マリエは目を丸くした。
こんな抜き打ちで結婚式なんて、いきなり言われても困る。
フィオーリは楽しそうにうひゃひゃと笑いだした。
「あ、でも、大丈夫っす。
聖女様のスプーンはまだ使ってませんからね。
今のだとまだ、結婚式は半分だけ。」
「半分だけ、って・・・」
結婚式に半分もなにも、あるものだろうか?
「だからこれは、なんっつーか、おいらの気持ち、っつーか、覚悟?っす。」
「覚悟?」
「まあまあ、聖女様も、いつか気がむいたら、おいらに、あーん、してくださいっす。」
まあ、他のやつに、あーんなんか、させませんけどね、とぼそりと呟くのが、聞こえた気がした。
「じゃ、見つかったら怒られそうですし、そろそろ降りますかね?」
フィオーリはけろっとしてそう言った。
その途端、マリエは嫌な予感がして、背筋がぞくっとした。
「あの、どうやって降りる・・・」
「昨日やってみせたでしょ?」
「・・・・・・やっぱり・・・・・・」
嫌な予感は的中だった。
「大丈夫っすよ?
あれ、うちのチビどもが大好きなんで、よく抱えてやってやりますから。」
フィオーリは手早くマントを両手足に括りつけている。
「あの、フィオーリさんの弟妹さんと、わたくしとは、体重とか、その・・・」
フィオーリのことが信用できない、とは言わない。
けれども、怖いものは、怖い。
「大丈夫。いっつもチビたち三人くらい、いっぺんに抱えて飛びますから。
大勢いて、何回もやるの、大変じゃないっすか。
それに、早く早くって、喧嘩しますからね。」
おチビさん三人なら、わたくしよりも重いかしら・・・
マリエは頭のなかで計算を始めた。
けれども、その答えの出るより前に、フィオーリはマリエをひょいと抱き上げた。
「じゃ、ね、いきますよ。
しっかりつかまってくださいね?」
「えっ?」
「大丈夫。だいじょーぶ。」
「ええーーーっ。」
凍り付くような冬の夜空に、マリエの叫び声とフィオーリの笑い声とが、響き渡っていた。
今日はクリスマス当日。メリー クリスマス!です。
なんとか、ぎりぎりセーフ、でしょうか?
どうぞ、よいクリスマスをお過ごしください。
読んでいただきまして、有難うございました。