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イチゴのタルト

赤いのがいい。


 赤くて甘い、イチゴのタルトが食べたい。


 同僚たちのあまりに不毛な会話を聞き続けて思考が飛ぶ。この会話は何順目だろうか。どうして誰もそもそもの間違いを指摘しないのか。この会話を繰り広げている愉快な彼らを普段は贔屓している管理職すら、今回の件の判断の遅さに激怒している。


「やっぱりこっちの方がいいって、僕が報告してきますね!」


 よくない。絶対によくない。二転三転した方針を保護者にどうやって説明するのか。それでも意見すればなぜか新人だと嘲笑われるのだから、もう彼の数分先の未来を思って口を出すのはやめた。


 口元をひくつかせる管理職を視界の端で捉える。彼以外の意見なんて、彼にとっては空気も同然。何を言ってもこうなっていた。いじめをなくそうとか、この空間(職員室)でいじめと酷似したことをしている人間がいるんだからどの口がと思ってしまう。この状況に歯痒さを覚えていた春はもはや遠い。


 隣のデスクの職員がチラリとこっちを見た。憐れむ目線にもはや返す気力もない。どちらかといえば常識的な彼はこの職場でのセーフポイントだ。


「大丈夫ですか」


「大丈夫です。今日は早く帰りたいです」


 自分の意思が及ばないことはとりあえず置いておいて、とにかく今は目の前の書類に向かった。


 ★


 ――赤いのがいいな。


 今はこれしか考えられなかった。


 完全に日が沈んだ空の下で車のエンジンをかける。


 ツヤツヤと光っている赤をひたすら想像して門の外に出た。


 街灯も少ないこのへんは、帰りに運転するのにいつも不安が付き纏う。しかしいま胸が苦しいのは夜の暗さだけが原因ではないだろう。


 赤くて甘いタルトだけを求めて今日をこなした。無情にも、車の時計はケーキ屋の営業時間外の時刻を示している。


 シルバーの軽は狭い道を難なく滑る。なんの障害もなく進んでいく車。自分の道は全てに阻まれているような気さえするのに。このまま真っ直ぐに滑り続けてしまえばどうなるのかなんていう黒い霧のような考えは、スピードを少しだけ上げて振り払った。


 無事に霧を追い払ったが、信号が赤になり止まってしまった。霧が追いつき始める。どうにか気分を変えなくてはと思っていると、コンビニが目に入った。


 蛍光灯の光が、ガラスの窓から力強く溢れている四角い箱。これから帰る真っ暗なアパートの自室とは対照的だと皮肉に思いながらも、その存在は不快ではなかった。


 自分でも驚いたことに、わたしはほとんど躊躇いなく、高いから、勤務地の近くだからと、普段は寄らない店の駐車場に車を入れた。


 ★


 膝の上にあるのは安っぽいパッケージに入ったショートケーキと、コンビニのブランドが書かれているコーヒーだ。


 田舎特有らしい広大なコンビニの駐車場。そこの、店の正面から少しズレたところに止めた車の中。命を燃やしているかのように光を発しているコンビニを見据える。


 レジで立っている店員。眠そうにドアをくぐるトラックのドライバー。雑誌を立ち読みしている男。大学生らしい女は、酒類のコーナーを物色している。


 光る箱を見ながら、甘い、甘いだけのショートケーキを容器から出して口に運ぶ。フォークはもらわなかった。掴んだケーキは形が崩れて、小指と薬指の間からクリームがこぼれ出た。


 口いっぱいの生クリームと薄いスポンジを咀嚼する。甘いだけだ。ペラペラのスポンジケーキが上顎に張り付く。それらをコーヒーで流し込んでから、汚れた口と頬、そして手をもらったお手拭きで拭った。綺麗になった手でもう一度顔を擦ってから、エンジンをかけてハンドルを握る。


 21時35分。


 次の休みには、絶対にイチゴのタルトが食べたい。

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