4. ペットのお仕事
会社から帰ると、そこには最近、天国が広がっている。
「お帰りなさい、つばめちゃん! 今日もお疲れさまでした!」
我がペットにして、うら若き人間の女性でもあるキナコちゃんは、私が帰ってくるなり近くにうろうろとまとわりついてくる。
もう、かわいいんだからあ。
帰る、撫でる、かわいがる。
最近の私の帰宅ルーティーンだ。もちろん手洗いうがいも欠かさないけど。
今日もキナコに膝枕をしてやり、思う存分、髪の毛のふわふわ感を味わっていると、私を見上げたままキナコが口を開いた。
「そういえばわたし、久しぶりにまともなモデルのお仕事が入ったんだ。なんと、新作のスポーツシューズを履いて、足だけを撮影してきます。顔も体も一切写りません。逆になんかムカつくお仕事じゃない?」
かわいそうなキナコちゃん。
売れないモデルのキナコちゃん。
この美しい髪、顔、身体。なぜこのキナコの魅力が世間には伝わっていないのか。
「そっか……でも、きっとそのうち、誰かちゃんとキナコの魅力に気づいてくれて、大きいお仕事ももらえるよ。だってキナコはこんなにかわいいんだよ? かわいいかわいい。キナコはかわいい」
頭を撫でてあげつつ、顎の下をさすさすと擦ってやる。
「んー。つばめちゃんみたいな変態カメラマンさんに気に入られたら、大きいお仕事も入るのかなあ。でもなんかそれ、いやらしいこと要求されたりしそうですね、へへへ」
本物の猫ではないので、ゴロゴロ喉を鳴らす音が聞こえないのは残念だけど、ぼんやりとおしゃべりしているだけで幸せだ。
◇◇◇◇◇
そのキナコがお仕事に行った日。
20時を過ぎても、キナコが帰ってこない。
テーブルに並べた晩御飯はすでに冷めていて、私も正直、お腹が空いた。
ひとりぼっちは寂しい。
両親は私が就職した年には事故で他界しており、兄弟もいない。
人付き合いは苦手というほどでもないが、友達付き合いは得意ではなく、社会人になってからは連絡を取り続けている友人もほとんどいない。
猫のキナコだけが、私の唯一の家族で、唯一の生き甲斐だった。
今は人間のキナコがいなければ、私はまたひとりぼっちに逆戻りだ。
幸せな生活に溺れていくほどに、それを失うことがどんどん怖くなっていく。
もう、寂しいのは嫌だ。ずっと、いつもキナコにそばにいてほしい。
テレビを付ける気にもならず、リビングをうろうろと歩き回ってしまう。
まさか、本当にどこかのカメラマンさんと、いかがわしいことをしてるとか。
さっきから、嫌な想像が止まらない。
うちのペットだぞ。どこの馬の骨か知らんおっさんには渡したくない。
キナコは私の大切な家族なんだぞ。
あられもない姿で、ベッドに横になっているキナコを想像すると、悔しくて悔しくてたまらない。
私以外の誰にも、裸のキナコを見せたくない。
触らせるなんて、もってのほかだ。
落ち着くため、キッチンでやかんを火にかけた。
紅茶でも飲もう。もう4杯目だけど。
キナコに触れるのは、私だけがいい。
でもそんなことを本人には言えない。だって、恋人でもないし。女同士だし。キナコはただのペットだし。
つらい。どうにもイライラが消えていかない。
◇◇◇◇◇
「……ーい。おーいつばめちゃん。キナコが帰ってきましたよー」
耳元で聞こえた声に、ぞくりとして目を覚ました。
どうやら、いつの間にかソファーで眠ってしまっていたようだ。
「ごはん食べないで待っててくれたんですね。うれしいな。……ふふ、すごいヨダレだよ、つばめちゃん」
キナコはまだぼんやりしている私に顔を寄せ、口元をペロッと舐めた。
え!?
今のは、なに!?
びっくりして立ち上がった私を尻目に、キナコはすたすたと洗面所に向かった。
私は口元の自分のヨダレを拭いながら、口元に残ったキナコの舌の感触に翻弄されていた。
これは、ペット的にオーケーなわけ?
いいの? もしかしてちゅーもいけちゃう?
「ふふ、どうしたのつばめちゃん。すごい顔してますけど」
うがい手洗いを済ませたかしこい私のペットは、固まっている私を見てふんわりと笑っている。
暖め直した夕飯を並べ、いつものようにテーブルに並べた。
キナコと食べる夕食。至福のひととき。
「で、結局全身新作のスポーツウェアを着て、走ってる感じの写真まで撮ってもらったんだあ。ふふふ、なんかわたし、急にかわいくなって、彼氏でもできたのかー、なんて言われちゃいましたよ。実際には素敵な飼い主様が見つかったからでしょうけどね」
キナコの帰りが遅くなったのは、モデルのお仕事の撮影で、多くの写真を使ってもらえることになり、予定より長引いてしまったかららしい。
キナコの写真が載る予定の雑誌、3冊は購入決定だ。
見る用、飾る用、切り取ってファイリングする用で。
「良かったね、キナコ。かわいいかわいいキナコの魅力が皆さんにも伝わってきたのかな。私まで嬉しくなっちゃうよ」
心なしかキナコ本人も嬉しそうに見える。ごはんを食べているときは、いつも嬉しそうではあるけど。
「栄養状態が良くなったからか、肌の感じとかも結構調子いいので、そのせいかもです。今日のごはんも最高だし。あ、この肉じゃが、おかわり欲しいなあ」
キナコは肉じゃがをごはんの上に乗せ、肉じゃが丼みたいにしてもりもり食べている。
猫まんまにしては贅沢だね。
「うまうま。……ほら、恋をすると女は綺麗になるって言うから、もしかしたらわたし、つばめちゃんに恋しちゃってるのかも。つばめちゃんとごはん食べるのも、おしゃべりするのも、撫でてもらうのも、全部すっごく大好きですよ」
なんと!
なんとなんと!
「わ、私も! キナコのこと大好きだからね! 全部好き! 好き好き!」
私の激しい求愛に、キナコはお箸を持ったまま、一瞬驚いたような表情をしたが、そのまままた、少し目を伏せて笑った。
「ふふ、ペットとして、でしょう? それじゃあ愛の告白みたいだよ。……へへへ、でもまあ、嬉しいですけど」
キナコはそのまま、少し目を伏せている。
ほとんど初めて見るような表情だったので、そこから感情を読み取ることはできなかった。
まだ数えるほどの日数しか一緒に過ごしていない、ちょっと普通ではない関係性。
きっとお互いに知らないことがたくさんあって、私にはまだ、キナコの気持ちや考えを、きちんと推し量ることはできない。
私の好き好きアプローチに、何か思うところがあったのだろうか。
単純に、同性からの言葉に、気持ち悪いと思っただけかもしれないけれど。
でもその夜、キナコは夜遅く、私のベッドに潜り込んできた。
ロフトで寝ようとしていたはずだが、気が変わったのかな。
一度眠っていた私は、ほとんど無意識にキナコを抱き締め、またそのまま眠りについた。
夢の中で、私はキナコをずっと撫でて撫でて、撫でまわしていた。
口元を舐めてくれたあの感触をまた感じたくて、何度も夢の中のキナコに顔を寄せたが、キナコはまた、食事中に見せた、どこか寂しそうな笑い方をするだけだった。




