10. 旅館の夜に
温泉はまさに天国だった。
いやらしい視線を隠すことをあきらめた私は、もうどうにでもなーれ! という気持ちで、キナコの入浴シーンをしっかりとこの目に焼き付けておいた。
露天風呂は風が気持ち良く、前のお客さんも入れ違いに出ていったので、広々とゆったり、のんびり入浴できた。
実際のところ、裸のキナコに意識のほとんどが向いていたので、どんなお風呂だったか、ほとんど覚えていないけれど。
そして今は、部屋食の準備が整えられていくのを、窓際の謎スペースの椅子に座って待っているところだ。
実はこの謎スペース、広縁、というらしい。
なぜか知っていたキナコがさっき教えてくれた。意外な豆知識である。
旅館の従業員には明らかにちらちら見られているけれど、私はお構い無しにキナコを床に座らせ、足の間に挟んで髪を撫で撫でさせてもらっている。
「つばめちゃん、お腹空きましたねえ」
撫でられたまま、上目遣いに私を見つめるキナコの瞳は、ビー玉みたいに透き通っている。
「うん。あ、ほらお刺身も出てきたよ。美味しそうだね」
やっぱり部屋食にして良かった。
早くキナコと二人っきりになりたい。キナコのかわいさを独り占めしたい。
準備が出来たと言われ、席につき、一応飲み物を注文しておく。
旅館の飲み物は妙に高価だが、なんとなく注文しなきゃならないような気にさせられてしまう。
「ねえつばめちゃん! 早く食べましょう!」
かわいさだらけの我がペット。お風呂上がりの浴衣姿がたまらない。
「うん、ほら食前酒で乾杯しよ? はい、乾杯!」
小さな小さなグラスに入れられた梅酒はとても美味しく、食欲をそそられる。
キナコも満足気な顔だ。
そういえばキナコがお酒を飲むのは初めて見るかも。いや、居酒屋で出会ったみたいだから、おそらくそのときも飲んでいたのだろうけど。
さっそく前菜に箸をつけようとしたキナコは、前菜に良くある謎のゼラチンをつんつんして、ちょっと嫌そうな表情をしていた。
かわいすぎて、すでに撮影した食事中の写真は三枚目だ。
キナコの反応が良かった白身魚のお刺身を私の分もあげる代わりに、キナコが嫌がって食べようとしないゼラチンっぽい何かをもらってあげた。
「はいキナコ、こっちのお刺身もあげるよ。はい、あーん!」
目をキラキラさせて嬉しそうに口を開けるキナコを見ているだけで、もう、胸いっぱいおなかいっぱいだ。
たくさんの料理が並んだ机が邪魔で、キナコに触れないのがつらいところだけれど。
辛抱たまらず席を立ち、キナコにすりよっていくと、ちょうどタイミング悪く、旅館の従業員が部屋に入ってきた。
旅館のごはんに良くある、鉄板焼き用の固形燃料に火をつけにきたらしい。
早く出ていけ……。
早く二人っきりにしてくれ……。
「つばめちゃん、旅館の人も来てるのに、お行儀悪いですよ? 早く席に戻って」
……残念、くっつき失敗。
「つばめちゃんって、ときどきお店の人とかにすごく冷たいですよね。今も料理の説明してくれてたのに、わたしのほうばっかり見てるし」
すまないね、キナコのことでいつも頭がいっぱいなんだよ。
料理の締めに、なぜか後から出てくるお米を食べ、お腹がパンパンになったところから、さらに豪華なデザートのプレートまで平らげた。
キナコはイチゴのムースが気に入ったようだったので、これ幸いと一口はあーんしてあげた。
私サイドとしては、さりげなく間接キスを堪能したのである。
食後、片付けられていく食器を横目で見ながら、私達はまた、窓際の謎スペースで、のんびりと食後のお茶を飲んでいた。
あれ、この場所の正式名称はなんだっけ。さっき教わったばかりなのに、もう忘れた。
まあいいけど。
私の中ではこの場所の正式名称は、謎スペース、に決定だ。
「いやあ、おいしかったですねえ。つばめちゃん、このあとはどうします? せっかくですし温泉もう一回入ってもいいですけど、お腹がパンパンだからなあ……。とりあえず少しのんびりしときますか?」
おやおや、大チャンス到来。
パンパンになったキナコのお腹をさすりながら、私は心の中でニヤリと笑った。
「イ、イイネ! スコシ、ユックリシヨウ! ソウシヨウ!」
思わずロボット的なしゃべり方になってしまった。
あわよくば、先ほどの温泉の続きで、キナコのやわらかおっぱいをさわさわと。
さらにあわよくば、その先まで……。
食器の片付けが終わると、入れ替わりに旅館の人が入ってきて、お布団を並べて敷いてくれた。
しかもぴったりとくっつけて。
圧倒的感謝。
キナコは旅館の人が出ていった瞬間、そのふわふわのお布団にダイブしていった。
敷き布団の上にゴロンと転がったキナコは、そのお布団みたいにふんわりした表情でこちらを向いて微笑むと、両腕をいっぱいに広げて、ハグのポーズをした。
「ほらつばめちゃん、やっと二人でのんびりタイムですよ。ほら、早くこっちにきてよ」
はだけた浴衣から、キナコの長くてすべすべの足が覗いている。
それを見て、もう私の辛抱は限界に達した。
「ん、つばめちゃん、もう、ちょっと胸触りすぎですよう。」
「だ、だって柔らかいから! キナコのおっぱいが悪いんだよ、このもっちりふわふわが!」
「ちょ、ちょっとそこは……。んん、まあ、いいですけど」
「ふああ! しゅごい! キナコのここ、しゅごいよお!」
めくるめくお触りタイム。
こんなに幸せな世界があったなんて……。
キナコに嫌われないように現状維持、なんて昨日までは考えていたのに。
毎日毎日、キナコへの想いが強くなっていって、とてもではないが抑えきれない。
ふわふわのおっぱい。
触らずにはいられない。
しかもこれは、なんというかもう、このままその先まで攻めこんでしまってもいいのでは?
調子に乗った私は、キナコに馬乗りになって、強引に唇を奪う作戦に打って出ようとした。
しかしキナコは、私に押し倒された体勢のまま、すっと私の口を自分の手のひらで覆って、またいつかのように、少し目を伏せ、寂しそうに笑った。
「……つばめちゃん、これ以上は、恋人同士でやることですよ」
やっぱり、だめなの?
私にはもう、こういうときのキナコの気持ちが全くわからない。
誘ってみたり、拒絶してみたり。
気まぐれな猫みたいだけど、キナコは結局のところ、人間の大人でしかない。
何か、私の感じ取れていない想いがあるんだろう。
だけど、今日はここまできてNGですか?
あんまりだよ。涙がでてくる。
「くうう……。ねえ、なんで? 私の恋人にもなってくればいいじゃん! ペットは恋人以上、家族以上でしょう? ペットになれるのに、なんで恋人にはなってくれないの?」
必死の形相の私を見て、キナコは驚いたように目をぱちくりさせたが、すぐに笑顔になり、そのままこらえきれないように、吹き出して声を出して笑い出した。
「ふふふ、すごいなあ、つばめちゃん。最初に会った日とおんなじみたいなこと言ってますよ」
キナコは私の両目ににじんだ涙をごしごしとぬぐってくれた。
目が合う。吸い込まれそうな、ビー玉みたいに透き通ったキナコの瞳。
「……いいよ。つばめちゃん、大好きです。全部、なんだって、いっぱいしてくれていいよ」
キナコのきれいな唇が、私の唇に触れる。
電気が走ったみたいだった。
私はそのキスの感触で、あの、キナコに出会った日のことを、泥酔していたあの夜のことを、いくらか思い出していた。




