1. 私のペットは女の子
私は、人間の女の子をペットにしている。
1LDKペット可の安アパートで、私とペット、女同士ふたりっきりで暮らしている。
「よし、さあキナコ。晩ご飯できたから、手を洗っておいで」
自慢になるが、うちのペットはとってもかしこい。
1日3食おいしいご飯をあげて、毎日たっぷり1時間くらい撫でてあげれば、あとはトイレもシャワーも自分で済ませてくれる。
「お、もうそんな時間ですか。ちょっと待ってね、このゲームのセーブだけさせて下さい。へへ、ごっはん! ごっはん!」
何より、無茶苦茶にかわいい。
ふわふわの髪の毛を撫でてあげれば、気持ちよさそうに目を細めるし、眠っていると、3日に一回は私の布団に潜り込んでくる。
「なんと、今日の晩ご飯は、キナコの大好きなオムライスだよ!」
もちろん、頭がおかしいことを言っている自覚はある。
倫理的に、人様に言えない生活をしているのは間違いない。
「わあ! ケチャップは絶対ハートの絵にして下さいね!」
女の子同士で一緒に暮らしていることまでは、全然問題ないだろう。
何なら同性愛的な見方をされても、それは別に今のご時世、ありえなくもない話だし、私自身も特に偏見はない。
「お、ちゃんとお手々洗ってきたね? えらいねえキナコちゃん。よしよし!」
でも私は、人間の女の子を、猫として、ペットとして飼っているのだ。
柔らかくて、温かい、私だけのかわいいかわいい猫ちゃん。
法律に触れてはいないと思うけど、絶対に人様にバレてはいけない、私のあまりにも大きな秘密の生活が始まってから、もう二週間ほどが過ぎようとしている。
◇◇◇◇◇
この生活の始まりは、二日酔いの頭で迎えた土曜の朝だった。
休日の朝なのに、切り忘れた目覚まし時計の音がして、私は目をほとんど開かないまま停止のスイッチを押した。
腕の中から、柔らかくて、温かい生き物の気配がする。
大好きな、私の猫ちゃん。
「ん……。エサはちょっと待ってねキナコちゃん。あと5分だけ……」
キナコはだいぶ前に保健所から引きとった、私のかわいいかわいいペットだ。
毛の長いふわふわした猫で、私が寝ているときは妙にぴったり引っ付きたがり、今もその柔らかい毛並みのしっぽで、私の顔をくすぐっているみたいだ。
二日酔いの気持ち悪さが、すうっと和らいでいくのを感じる。
私はその腕の中のふわふわを撫でながら、顔をうずめてキスをした。
いつぶりだろうか、こんなに幸せな朝は。
だってキナコは、1ヶ月くらい前に……。
あれ?
キナコは老衰で、ちょうど1ヶ月ほど前にこの世を去った。
それ以来、私はなんだか、生きている理由が感じられないまま、ひとりぼっちの夜と、ひとりぼっちの朝を繰り返していた。
あれ?
じゃあ、今この腕の中にいるのは……。
「……ん、んー。ふああ」
私の腕の中で、かつての飼い猫、キナコそっくりのきな粉色に染められた、ショートカットの髪をした女の子が、まだ目をつむったまま、それこそ猫みたいに、あくびをしながら背を伸ばしていた。
……なにこれ。
ていうか、私もこの子も、なんで服着てないの?
全く、何も、昨日の夜のことが思いだせない。
冷や汗が急にどっと噴き出した。
昨日の金曜日は、キナコがこの世を去ってちょうど1ヶ月だった。
それを意識すると、どうしても寂しさに耐えられなくなって、キナコが居ない家に帰るのが辛すぎて、一人で会社帰りに居酒屋へ入ったことまでは覚えている。
で、誰だこの子は。
腕の中の女の子は、まだ目をつむったまま、むにゃむにゃと体を動かしはじめた。
やばいヤバイやばい!
起きちゃうよこの子起きちゃう!
ていうか、女の子の裸ってこんなに柔らかいの?
ていうか、やっぱり昨日の夜、この子とそういうことしちゃったのかな? 私も一応女なんだけど?
身動き一つ取れずに固まっていると、ついに、腕の中の女の子と目が合った。
ビー玉みたいに、つるんとした瞳。
やっぱり、キナコと同じだ。吸い込まれそうに、きれいな目。
「……どうも、おはようございます、おねーさん。あの、ごめんね? 猫ちゃんじゃなくて」
う……。ど、どうしたらいいのこれ……。
寝起きだというのに、不思議なくらい透き通った女の子の声。
私の腕に収まったままの、柔らかい体の感触。
大きく響く、自分の心臓の鼓動。
どう考えても、ヤバめな現実だ、これは。
「あの……おねーさん。昨日のこと、たぶん覚えてませんよね? だったら、わたし帰るけど、シャワーだけ貸してもらえますか? その……結構汗かいちゃったし」
キナコそっくりの女の子は、起き上がってするりと私の腕から抜け出した。
猫とは違って、その裸はあまりにも艶かしくて、私はそちらを直視できない。
「う、えっと、シャワーはもちろん大丈夫。部屋を出て右手がお風呂場だから、遠慮なく使っていいけど」
「……ふーん。じゃ、ありがたくお借りしますね」
女の子はこちらを振り返りもせず、風呂場へ歩いて行った。
細い体、長い手足は、女同士でもドキドキしてしまうくらいにきれいなのに、どうしてか、そんなところまでも、もう今は会えない猫のキナコにそっくりだと思ってしまう。
風呂場からシャワーの音がし始めた。
私もとりあえず急いで、棚から取り出した下着と部屋着を身につける。
やっぱり私、昨日の夜あの子に、あれやこれや、いやらしいことをしてしまったのかな?
最近ずっと、猫のキナコ以外に恋はしていなかったけど、その欲求不満の行き先を、まさか女の子にぶつけてしまうなんて。
しかもあの子、結構若そうな感じがした。
まさか、まさか未成年ではないよね? たぶん二十歳は越えてると思うけど……。
ああ、とにかく逮捕はダメ。逮捕は嫌だ……。
考えても、結局何もわかることなんてない。
とにかく、あの子から少しでも昨日のことを聞き出さないと……。
私は小賢しくも、話の糸口を掴むため、タオルやらを抱えて脱衣所の扉をノックした。
「あ、あの。タオルここに置いておくね? あと、下着とか、新品があったからそれも。サイズは合わないだろうけどごめんなさい」
……何の返事もない。
猫のキナコだったら絶対に嫌がるシャワーだけど、その女の子は普通に使っている感じの音が聞こえる。
少し、大好きだったキナコに似ているような気はしたけど、まあ、そりゃそうだ。
その子がキナコの生まれ代わりだとか、女の子に転生してくれただとか、そんなアホなことは流石にありえない。
おかしな考えは頭から消して、キッチンに戻り、まだ残っている二日酔いを少しでも楽にするため、水道の水をコップに注いで一気に飲み干した。
キッチンと繋がっているリビングの床には、脱ぎ捨てられた私のしわくちゃになったスーツやら下着やらの下敷きになって、見覚えのない女性用の衣服も散らばっている。
半開きになっているカーテンからは、少し遅い朝の光がわずかに差し込んでいた。
昨日、この部屋で私はいったい何を?
「上がったよ。あ、下着とシャツ、ありがとうございました」
後ろから聞こえた透き通った声に、思わずびくりとしてしまった。
この女の子、すごくスタイルがいい。極端に背が高いわけではないけれど、ほっそりしてしなやかな体をしている。
例えるなら、猫みたいな。
その子に渡した安物のはずのTシャツが、えらくお洒落に感じた。
下は、下着だけしか着ていないのが、女同士のはずなのに、どうしてかすごくエロチックに見えてしまう。
私は自分のいやらしい視線を隠すように、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、お客様用ということでその子に手渡した。
「あの、良かったら下着とかはそのままもらってくれていいから。それで、あの……」
「ねえおねーさん。一応、もう一回聞くけど。昨日のこと、覚えてないんですよね?」
女の子は、ペットボトルの蓋を開けながら、猫みたいにまっすぐにじっと、私を見つめてくる。
すごく整った顔立ちだ。
なんだか、鼻の形もどこか、猫のキナコに似ている気がしてしまっているけど。
「ご、ごめんなさい。何にも思いだせなくて……。でも、あの、もしあなたが覚えてるんだったら」
私の言葉に少し目を伏せて、女の子はどこか寂しそうに笑った。
「結構です。いいよ、覚えてないならそれで」
その子は、ほんの一口くらいしか口をつけなかったペットボトルをキッチンに置き去りにして、リビングに散らばったままの自分のズボンに足を通した。
表情は、暗い。
うわあ……。やっちゃったなあ……。
たぶんすごく、機嫌を悪くさせちゃったみたいだ。
そういえばキナコも、自分がして欲しいことに私が気づいてあげられないと、すごく機嫌を悪くして違う部屋に逃げていったりしてたなあ……。
いや、何考えてるんだ、私。
この子は、私に怒ってるんだぞ、たぶん。
もしかしたら私は、昨日の夜この子に、愛してるだとか、付き合ってだとか、そういうことまで口走っていたのかも。
「……じゃ、帰りますから。ごめんね、最後に変な空気にしちゃって」
何も聞けないまま、パニックになっている私を横目で見て、その子は失望したような暗い表情で玄関に向かう。
後ろ姿は、どう見たって人間のそれなのに、ふわふわできな粉色の髪も、するりとした歩き方も、どうしてなのか、かつての飼い猫、キナコの姿がダブって見える。
最期の瞬間まで、私のそばにいてくれたキナコ。
猫なのに、私から離れて死を迎えようとはしなかった。
ずっとずっと、一緒にいたかったけど、もう今は、写真や動画の中でしか、会うことはできない。
「キナコ!」
私は思わず叫んでいた。
自分の口が、勝手に動いたみたいだった。
キナコそっくりな女の子は、私の方を振り返って、どうしてか今日初めてのふわりとした笑みを浮かべてくれた。
「ご、ごめんなさい。……最後に変なこと言うけど、あなた、キナコじゃないんだよね?」
言葉が、勝手に出てきて止まらない。
どうしてか、涙まで溢れてくる。
馬鹿か私は。
若い女の子を家に連れ込んでおいて、急に何を言い出しているんだ。
「……ふふ。おねーさん、昨日の夜も、おんなじこと聞いてましたよ。残念だけど、わたしはただの人間。おねーさんのペットとは、何にも関係ない、ただの人間です」
女の子は、くるりとこちらに戻ってきて、その両手で私の涙をぬぐってくれる。
私、なんで泣いているんだろう。
……キナコに、キナコに会いたいよ。
「ねえおねーさん、わたしがそのきな粉ちゃん? とかいう猫ちゃんの代わりになってあげてもいいんですよ?」
女の子は、鼻と鼻がひっつきそうなくらい私に顔を寄せて笑った。
キナコにまた会えるの?
いや、そうじゃない。代わりって?
「な、あなた何言ってるの?」
「ペットだよ。わたしを、あなたのペットにしてみませんか?」
女の子は、きな粉色の髪をまたふわりとかきあげて、私の目を見つめている。
どういうわけか、その表情はさっきまでとうってかわって柔らかくなっていた。
私は頭の中が猫のキナコの姿でいっぱいになって、何も言葉が出てこなかった。
急にその子は、わざとらしく床に四つん這いになった。
キナコがエサをねだっていたときを真似しているみたいに、その子は四足歩行になって、こちらを見つめたまま、私の足に自分のきな粉色の頭を擦り付けてきた。
「昨日の夜に、おねーさんが言ったんですよ? わたしをペットにするんだーって。覚えてないなんて、飼い主の風上にも置けないね、ご主人様?」