皇都
―斑鳩王子―
ギュレンシュタインとの間で、オシロ湾の漁業権を巡って揉め事が発生し、現地の海軍同士が小競り合いを起こした時、血気盛んな兄達を心配した俺は、交渉で解決させるべく働いたが、その時、今の自分を予想することができたなら、もうちょっと違う方法を考えていたと思う。
そう……思う。
鹿取兄……。
剣兄……。
弟は悲しいのであります!
あんたらの為に、健気に尽くした俺を殺そうとしやがって、クソども!
爺の部下! 爺の部下達を殺しやがって!
……つらい。
俺が助かった日、まだ俺は寝ていたが、リミア姫と臣下が、俺を助けた場所周辺の捜索を行ってくれていた。そこで、爺の部下達が勇戦し戦死していたことが、彼らの死体から判明している。
彼らが、落馬した俺を守る為に懸命に戦ってくれていたから、俺は、連れ去られる前に、姫に助けてもらえたのだ。
爺が、騒動がおきてすぐにギュレンシュタインの皇帝に亡命を相談してくれたおかげで、ギリギリのタイミングで間に合ったのだ。
姫が、急いで駆け付けてくれたから、俺は生きていられる。
彼女に感謝を伝えたら、こう言われた。
「そうよ。わたしが大変な思いをして駆け付けたのですから、それに感謝を示すべく、さ、一局」
揺れる馬車の中。
ギュレンシュタイン皇国の都へと向かう俺は、移動中、リミア姫と将棋をさしている。
彼女はとても機嫌がいい。
将棋をそこまで好きでいてくれるのは嬉しい。
大和発祥なのだ。
歩を動かした俺の手をみて、姫が考え込む。
強いな……何でもないような手に見せかけての、歩の前進だったのだが、何かあると勘付かれた。
「斑鳩殿は、歩を動かすのがお上手ね」
「ありがとうございます。将棋が好きで、やりこむと歩という駒のことをとても考えるようになりまして……」
「そうですね。歩、は大切ですね」
リミア姫が、銀を動かした。
馬車は、将棋の邪魔にならないよう、ゆっくりと進んでいる……。
俺達の時間も、ゆっくりと、流れている。
目の前の、美しい隣国の姫君を見る。
彼女も、俺を見ていた。
「ふふふ……」
微笑むリミア姫は、とても美しい。
「私の顔になにかついてました?」
「いえ、どんな手を打ってくるかと貴方を見たら、貴方もわたしを見ていたから……頭の中は覗かせません」
「……失礼しましたぁ」
俺は、角を動かした。
斜めに斬りこみ、銀と桂馬の隙間を刺す。そして、こちらの歩と銀を活かす。
姫が、不機嫌な表情となる。
俺は、頭をかいて、詫びを示した。
―リミア姫―
ワーレンハインに到着した際、都の中は大変な騒ぎになっていた。
大和王国で後継が命を狙われ、ギュレンシュタインに逃亡。大和は二人の兄弟で内戦。
この報に、民草までもが騒ぎ、ある者は「今こそ大和侵攻を」と叫ぶ。うんうん、それはわたしも望むところなんだけど、準備しないとね。
斑鳩を助けることができて、安堵し、将棋を楽しみつつ王宮に帰った時、出迎えの貴族や役人達の数が多いと思っていたら、父上が姿を見せた。
周辺国の王族が来た時も、玉座でふんぞり返っているのに、斑鳩には出迎えをするんだ……気に入ってるな? それで、わたしとの縁談を彼にもちかけたのか……それほど、オシロ湾での漁業権交渉の場で斑鳩は活躍したの? そういうことか……。
斑鳩が馬車から降りた。
彼は、すぐに片膝をつき、父上に礼を尽くす。
その彼を、自ら歩み寄り、抱き起し、労う父上を見て、わたしだけでなく、居合わせた廷臣たちも目を見開いて驚いていた。
ひそひそと囁くあう様子から、衝撃と動揺の大きさがわかるというものです。
「この度は、私の為に皇女殿下、騎士の皆様を遣わしてくださいまして、ありがとうございました」
「なに、婿殿に何かあっては一大事だからな」
父上……婿殿というのはちょっとどうかと……。
「リミア、照れている場合ではない。室にご案内せい」
照れてない!
か……顔が赤いのは、婿殿と勝手に決められたことに対する怒りよ!
父上に命じられ、斑鳩を王宮の中へと誘う。すると、貴族の子弟たちの姿も見えた。おそらく、わたしの相手がどんなブサイクなのかを確かめに来たのだ。
想像以上のブサイクでびっくりしたでしょ!
わたしも、最初はびっくりしたもの!
でも、男は見てくれじゃないのよ!
器、中身よ!
……いや、別に庇いたいわけじゃない……。
あ、アリスだ。
笑ってるわ、あいつ……。
あ、わたしを見て、また笑った。
腹立たしい。
見てくれだけの性格どブス……いや、わたしも人のことは言えないが、彼女に対しては心の中で言うのはかまわないと思う。
わたしは王宮を斑鳩に案内した。
彼は、大京の城よりも大きいですと感心しきりだ。
「大きな図書室ですね」
「ええ、十万冊あります」
「すごい! やはり、本というものをどう扱うかによって、その国の文化的成熟と、教育水準がわかるというものです。本を疎かにする国は、栄えることはありませんでしょうね」
「文字、言葉、先人たちの苦労の賜物……この図書室は、いつでも使ってくださってかまいません」
「いいのですか?」
「もちろんです。貴方は父上のお客様ですから」
斑鳩はそこで、何か不思議な表情となる。
「どうしましたか?」
「……いえ、そうか、私は陛下の客分になるのですね?」
「はい。亡命中はそうなりますでしょう。ただ、いつまでもというわけにもいかないと思いますので、いずれ、皇国でそれなりのお立場になられると思いますが……」
「……」
「ご不満がおありですか?」
答えない斑鳩を、わたしは図書室の中に誘い、椅子に座らせた。
隣に、わたしも掛ける。
二人掛けの椅子に並んで座った時、後ろにぞろぞろと護衛の者達がいることを思い出した。
「イダニオ、もう結構よ。解散しなさい」
「は!」
騎士達が、意味ありげな笑みを残して去っていく……。
あの笑みはなんだ?
「姫……」
「は……はい」
「陛下に、今後についていろいろとご相談したいと思い……姫から、陛下にそれとなく日時のご相談をして頂けないでしょうか?」
「ええ、わかりました。でも、そう遠慮することないと思いますが? 斑鳩殿は、父上にとても気に入られているように思います。会いたいと申されれば、応じられると思いますけど……」
「いえ、私はあくまでも陛下の情けを受ける身ですので……」
「貴方はとても謙虚ね……でも、本当はどうなのかしら? 謙虚なだけの人を、父上が目にかけることはないと思いますので、こんなことを申しますが、どうなのです?」
「……いえ、謙虚というより、身の程をわきまえるということがしみついています」
「身の程?」
「姫、私はとても悪い見た目でしょう?」
そうね。
そう思うわ。
でも、貴方の価値は見た目じゃないのよ。
「ええ、そう思いますが、斑鳩殿はそれでいいと思いま……見た目が悪いままでいいという意味ではなくて……」
説明が難しいなと、困っていると彼が笑う。
「いえ、いいんですよ。でも、この外見があるから、今の私がいるんです」
「どういう意味です?」
彼は微笑む。でも、その微笑には影があった。
なんだろう?
気になる……。
彼のことを知りたいわたしは、その笑みの裏にあるものを知りたい……。
……。
…………。
べ……べつに知りたいというのは、将棋の好敵手として認めているからで、父上に認められているからで、特別な意味があるわけじゃ――
「姫」
「は……はい」
混乱を止めてくれたのは、斑鳩殿の声だった。
返事をしたわたしに、彼は言う。
「人は、過去によって作られると思うってことです」
「……難しいわ……それより、今、思い出したのですが、斑鳩殿、わたしといる時は、改まって、私、とご自分のことを仰る必要はありませんよ。先日、俺、と言ってましたよね? どうぞ、普段通りに」
「……すいません、つい」
「いいのです。俺、でいてください。なんだか、そのほうが斑鳩殿に近づいた気がして安心します」
「……ありがとうございます。では、姫との間だけ、俺、にしますね」
「どうぞ」
「……案内、再開してもらっていいですか?」
「あ……忘れてました」
二人で笑い合い、図書室を出た。