逃亡
―斑鳩王子―
リミア姫にお礼の手紙を出して十日後、姫から手紙が届いた。
早くないか?
何か、失礼でもあったか……庭のリンドウを押し花にして送ったが、もしかして気に入られなかったか……?
たしかに、耳飾りのお返しには雑すぎたかもしれない。
手紙を封から出すと、長い……。
これが全部、責めの言葉だったらつらい。
あ……あれ?
お礼の手紙か……あの姫、綺麗な字だな……自分の字の汚さが恥ずかしい。
リンドウ、喜んでくれたようだ。花言葉? 知らなかったが、なんだか花言葉にかけて喜んでくれているみたいだ。
リンドウなら今の季節、いくらでも咲いているから、また送ってあげよう。
次、いつ将棋をさしますか? お会いできる日を、とても楽しみにしてお待ちしております……か。
将棋が理由でなければ、あの人からこんなことは言われないだろうな……。
俺がもっと美男子なら、背も高ければ……。
「若」
室の外から声がした。
爺だ。
珍しく、外から声をかけてくれた……。
「どうした?」
「宮から、使いの者が」
「客間に通してくれ」
宮――両親から使いの者が来た。
おそらく、ここ最近、大京を中心に広まる例の噂の件だ。
俺が、次の大君になる。
はっきり言う。
迷惑だ!
生まれた時から、三男の役割を全うしてきたんだ。大君になる兄上の補佐をすべく、あれこれと交渉や面倒なことを裏で引き受けてきたんだ。これからもそうして、あまり目立たず、裏方として生きたいんだ。だってさ、貴族や豪族のあの兄上達への接し方、ひどいもんだよ? 自分達が有利になるように、兄上達がどうなろうとおかまいなしだもの。それにのせられるほうも問題があるけど、でもそこは、子供の頃からチヤホヤされて、天狗になった兄上達と、お前は弱いし期待しないとされた俺の差で、客観的に見れるから俺はこうなだけで、仮に、兄上達のようにされていたら、どうなっていたかわかったもんじゃない。
そして大君になれば、文句ばかりの豪族や、金がかかることしかしない貴族たちとの付き合いをしなきゃならない。
だから、噂であっても、そういうことは言ってくれるな。
巻き込まれる……
客間に到着すると、上座に使いの者がいる。
俺は、下座で伏せた。
「お待たせいたしました」
「うむ」
相手は、父上の側近で、右大臣の業平卿だった。
えらい人がきた……。
「斑鳩殿、そなたのおかげで隣国との同盟、近々締結される」
「それはようございました。大君様、皆様のお力あってのことです」
「ご謙遜を……彼の国の皇帝が、斑鳩殿を認めておいでだ。で、本題であるが……」
「は……」
胃が痛い。
断られたな? これは縁談は断られたという報告だ。
苦しい。
リミア姫、もう少し、会って話をしたかった。
ブサイクですが、お話くらいはいいでしょうに……
業平卿が厳かに言う。
「新年祭と、即位祭を同時に取り行い、その儀の執り行いを、斑鳩殿に任すと大君様はお決めになられた」
……?
「は?」
「斑鳩殿、次の大君は、斑鳩殿だ」
業平卿は、そこで一礼すると、腰を折って進み、客間の外、廊下に出て平伏する。
そして、一度顔をあげ、笑顔を見せると、言った。
「斑鳩の君、おめでとうございまする」
えー!
「ま……まままま」
「それでは御免」
業平卿は、優雅な足取りで去る。
「うそだろぉおおおおおおぉおおおおぉぉぉおお!」
叫んだ。
―斑鳩王子―
やばい!
やばい……やばいやばいやばいやばい……。
大変なことになった。
いや、次の大君に指名されたこともそうなんだけど、もっと大変なことになった。
兄上達の兵が、俺の屋敷を取り囲んでるの!
辞退しろ! て怒鳴ってるの!
やだやだ!
殺されるの嫌だ!
絶対、辞退しても殺すじゃん!
「若! 用意ができました」
爺! 頼りになる!
「こちらへ」
俺は爺に連れられ、屋敷の中を素早く移動する。
屋敷には、次の大君に指名されたあの日の翌日から、宮中の警護衆がつめてくれていたが、その倍以上の兵に囲まれては無駄だ。しかも、宮の両親や右大臣、左大臣は、兄上達に捕まって、大変なことですよ、これは!
クーデターです!
ああ、耳飾り、置いてきてしまった……。
「爺、耳飾りを取りに戻ってもいいか?」
屋敷の蔵から地下道へ出たところで問うた俺は、初めて爺の恐い顔を見た。
「ごめん、言いません」
「お急ぎください」
急ぐ。
でも、足、速くないから……
「大京から西へ逃げまする」
爺の言葉に、俺は驚く。
「ギレンシュタインに?」
「僭越ながら、この騒動が起きてすぐ、爺にて彼の国に使者を発しました」
「それで?」
「保護を求めたところ、皇帝陛下より、是非お越しくださいとお返事を賜りましたと部下から報告があったのが今朝です」
「よく連絡とれたね」
「それが我らの仕事です」
爺、俺はもう本当に爺がいてくれて良かったと思う。
俺が脅えている間に、すぐに防御の手配をしてくれて、逃亡先まで確保してくれたんだもの! 包囲されていた四日間、大変だったけど、爺はもっと大変だったんだな?
「爺、俺がだらしないばかりに迷惑をかけて……すまない。ありがとう」
「若、そのようなお声をかけてくださる方は、王族にあって若おひとりです。だからこそ、爺は若をお助けします。助かってから、もう一度、若の口から感謝を聞きとうございますれば、今はお急ぎを」
「急ぎます。速攻、走ります」
地下道を出て、岩礁地帯に出た俺達は、そこに隠されていた馬車に乗り込む。
ごめんね。
俺が、乗馬苦手なばかりに、こんな目立つものを用意させて。
周囲には爺の部下達がいた。
皆、片膝をついて俺を迎えてくれた。
「若、お急ぎを。我ら、必ず若をお守りいたします」
ありがとう。
ありがとう。
ありがとうございます!
二頭立ての馬車が走り出す。
安心できたのも、走り出して二刻ほどだった。
すぐに追っ手が迫ってきた。
爺の部下達が、戦う音が馬車の中まで聞こえてくる。
途中、馬車は矢を受けて、馬がやられて転倒した。
馬車から這い出ると、爺が俺の手を掴む。
「こちらに」
爺は、無事な馬を馬車から切り離すと、自分が操り、俺にしがみつけと言った。
爺の部下達が、その場に残り追っ手と戦う。
振り返る。
悲鳴は、追っ手からあがったとわかった。
逃がすな! 追え! と恐い言葉がずっと聞こえる。
「若! しっかりと爺に捕まって!」
「はい! はいぃ」
そこで、飛来した矢が俺の肩に刺さった。
俺は痛みで声をあげる。
直後、爺にしがみついていた手がほどけた。
馬から転がり落ちる中で、走馬燈のように記憶が蘇る。
ブサイク、ブサイク、チビ、チビ……
嫌な記憶ばかりだ。
リミア姫の笑みが浮かんだ。
「また将棋をしましょうね」
こう言った時の、彼女の輝く笑顔が蘇ったが、すぐに消えて、闇となった。
―リミア姫―
わたしは、父上からその事変を聞いた時、我が耳を疑った。
「大和で内乱だ。次の大君に斑鳩王子が指名されたが、これを良しとしない長男、次男と彼らを支持する勢力が軍を動かした。斑鳩王子の側近から、我が皇国への亡命希望を受け取った」
「え?」
斑鳩が大君? いや、内乱? 斑鳩が危ないの? どういうこと?
混乱を無視して、父上が言う。
「すでに斑鳩王子の屋敷が包囲されつつあると聞く。使者を介しての報だ。今はもう包囲されているだろう。彼は我が国との国境、平戸に逃げる手はずだ。お前、軍を率いてお迎えにあが――」
わたしは最後まで聞かず、返事すらせず、その場を離れると騎士達を集める。
「すぐに出られる騎兵のみで行きます」
「替えの馬を途中の町に用意なさい」
「兵站など不要。斑鳩殿をお迎えしたらすぐに退きます」
「その際、追っ手が戦闘を望むであれば蹴散らします。許可はわたしが出します。存分になさい」
慌ただしく皇都を出た時、騎士を含める騎兵の数は一〇〇と少し。
駆けに駆けた。
途中、何度も馬を替えて。
休む余裕など、わたしにはない。
だって、斑鳩が危ないのだから。
斑鳩が危ない。
斑鳩が大変。
斑鳩が、わたしを待っている。
急ぎに急いで、平戸付近まで迫った時、兵数は一〇〇をきっていた。
斥候を放ち、報告を待つ間、馬を替える。
「斑鳩王子のお姿、見えませぬ!」
「探せぇ!」
怒鳴っていた。
騎兵達が、慌てて駆け出す。
「大和領内に入ります!」
わたしは、国境を問答無用で突破した。
後々、これが問題になろうがどうなろうが関係がない。
後のことなど、今がなければないのだから。
「騎影!」
イダニオの声に、わたしはその方向を見る。
全員で駆けた。
その騎影は、老人が操るもので、斑鳩の近くにいた人だとすぐにわかる。
「斑鳩は!?」
わたしの怒声に、老人が悲痛な叫びをあげた。
「ここより東、半刻もかからぬところで落馬され、わたしは助けを呼びに――」
わたしは彼の言葉を最後まで聞かず、馬を走らせる。
騎士達が続く。
間に合え!
間に合え。
間に合え……
間に合って、お願い!
斑鳩を助けたいの!
「姫! 敵!」
イダニオが、その集団を見つけ、すぐに馬をグンと走らせる。鞭を打たれた馬が嘶き、それに続けとわたしも加速した。
敵の集団は、わたし達の登場に驚いたように固まり、反応ができていない。
そこに、人馬一体となった我々の突撃が為される。
一瞬で勝負がついた。
「斑鳩ぁ!」
わたしは、逃げ出す敵の去った後、地面に転がる彼を見つけた。
馬から飛び降り、走り、駆け寄り、彼を抱き起こす。
斑鳩の右肩に、矢が刺さっている。
急所ではない。
傷は?
他には?
大丈夫?
生きてる?
息はしている……。
息はある!
よかった……。
よかった!
「姫! 敵がまた迫ってくるかもしれません!」
「イダニオ! 彼を馬に乗せる。手伝って」
わたしは、わたしより背が低いくせに、しっかりと重い斑鳩に笑う。
笑うことができた。
―斑鳩王子―
頭いてぇ……。
どこだ?
目覚める。
というか、寝ていた?
包囲された間、寝れなかったから……。
肩、すっごく痛い!
くそ……捕まったのか……。
「若!」
爺!
爺だ。
涙でぐしゃぐしゃの爺がいる。
「若、申し訳ございませぬ。申し訳ございません」
「爺、いや、ありがとう」
俺は寝台に寝かされていた。
寝台の脇で、ひれ伏す爺に立ってくれと言いつつ、ここはどこだと疑問を口にする。
「ここはどこだ?」
「ここは……」
爺が答える直前、扉が叩かれ、開かれると、軍服姿のリミア姫がいた。
凛とした姿で、ドレス姿の彼女は美しいが、今の彼女こそ、本当の立ち姿なのだろうと見惚れる。
リミア姫が微笑みながら俺に歩み寄ると、爺の肩に手を置き口を開く。
「この人がいなければ、斑鳩殿は連れ去られていた。落馬した貴方を助けていては間に合わぬと判断し、わたし達が待つ平戸に直行し助けを求めて来られたのよ。斑鳩殿、彼に感謝しなさい」
優しい口調のリミア姫に、爺の涙顔に、俺は両目を閉じる。
二人が、助けてくれたのだとわかる。
いや、爺の部下達や、リミア姫の臣下の人達が、俺を助けてくれたんだ。
爺の部下……。
「爺、こうしてはいられない。お前の部下を助けに行こう」
「若……」
「早く、急ごう」
「……」
無言となった爺の代わりに、リミア姫が言う。
「斑鳩殿は、丸二日、寝ておられたの……」
愕然とした。
血の気が失せるとは、このことだと感じた。
俺を、逃がす為に大勢を死なせた。
だが、悲しみよりも強い気持ちがある。
怒りだ。
この怒りは、こんな目に遭ったからじゃない。
爺の部下達を思うから、腹が立つ。
こうまで、人を殴りたいと思うなんて、これまでなかった。
歯がカチカチと鳴る。
怒りすぎて、身体が震えている。
「斑鳩殿……ここはサンデール……貴方と最後に将棋をさした町だから、皇国側の町……これから一緒に皇都に来て頂きます」
俺は、リミア姫を見た。
彼女は、まっすぐに俺を見つめる。
その表情は、とても儚い。
たぶん、俺が怒っているのがわかっているんだ。
それでも、俺を皇都に連れていくと、俺に伝える必要があるから、このような表情なんだろう。
「部下を多く失った俺から、貴女は怒りのぶつけ先をとりあげるのですか?」
「申し訳ございません、斑鳩殿……わたしは何より、貴方の安全を第一に考えねばなりませんので……」
俺は深呼吸し、リミア姫から視線を逸らした。
「ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い申し上げます」
彼女は、俺の手を優しく握った。
驚く。
見ると、彼女の顔が、目の前にある。
泣きながら、微笑んでいた。
「ようございました……ご無事でよかった……斑鳩殿……貴方のご無事を喜ぶわたしを、どうかお許しくださいますよう……」
俺は、たまらなくなり、許しなく、彼女を抱きしめる。
抵抗されなかった。
怒られもしなかった。
彼女は、俺の背に両手を回してくれた。
「リミア殿、助けてくださり、ありがとうございました」
「……将棋の相手が、いなくなっては困りますから……斑鳩殿は、普段……ご自分のことを俺と言うのですね……」
彼女の言葉に、俺は少しだけ、口端を弛めさせてもらえた。
彼女の髪の柔らかさが心地よくて、俺はしばらく、こうさせてもらいたいと思う。
「姫、すいません。しばらくこのままでいいですか?」
リミアは優しい声で答えてくれる。
「いいですよ……特別に、斑鳩殿だから許しましょう」




