手紙
―リミア姫―
ギュレンシュタイン皇国の都ワーレンハインは国土の北東に位置している。半島の付け根にあり、海路、陸路の要衝で貿易の中心都市でもある。その都の中央に巨大な城があり、皇帝と家族が住んでいる。
もちろん、わたしもそこに住んでいるけど、この城の中のわたしは偽物だ。
淑女のふりをして過ごす偽物。
動きづらい服で、舌がねじれそうになるほどお上品な喋り方をして、特に興味がない宝石やドレスに「可愛い」「綺麗」と声をだし、見てくれだけの男を「素敵な殿方ね」と周囲と意見を同じくし……疲れるの。
イダニオは、愚痴るわたしを笑ってくれる。彼を始めとする、わたしの側近騎士達は、戦場でのわたしを知っているから、こういう愚痴を聞かせても平気だ。本当のわたしを見ているから、何も問題がない。
彼らのほうから、戦争が終わる度に「これで苦行が始まりますね」とからかってくるほどだ。
今日は朝から貴族の娘達が集まる花見会に参加し、お昼は食事会に出て……残すのならこれだけの量の食事を用意するなと思う。戦場で戦う兵士達に、もっといい食事を取らせてあげたい。
食後のデザートを食べつつ、そう考えるわたしは、隣席のアリスに声をかけられた。宰相の娘で、皇国でも大きな諸侯の家のお嬢様は、なにかとわたしに張り合おうとする。皇帝を父にもつわたしでも、選帝侯のご令嬢には丁寧な対応をしないといけない。両家の関係に響くと問題だからだ。そういう気遣いを、アリスはどう勘違いしているのかわからないが、わたしに勝ちたいらしい。もちろん、戦って勝つというものではなく、貴族社会の中の人気で勝ちたいというものだ。
「リミア様、ご結婚相手とはもう二度もお会いになられたのでしょう?」
「ええ」
「それにしてもお気の毒。あの斑鳩王子とは、わたくしも自分のことのように腹立たしく思っておりますの」
思ってねぇだろ、この女は……。
「ありがとう。でも、国の為に仕方なく会っているだけ……同盟が結ばれれば、縁談は断ろうと思っています」
「断るのですか?」
なに? 文句あるの? あんたも今、腹立たしいと思うと言ったほどの相手よ?
「リミア様、それはいけません。皇帝陛下のご息女たる貴女が、個人の感情で国をおかしくしてはいけません」
ははぁん……結婚させたいのか。
しかし、わたしのこれまでの縁談に、「姫が国の為に犠牲になるなんておかしいです」と言っていたのは……なるほど、相手が凛々しい殿方で、皇国でも有名な貴公子達だったからか……つまり、アリスはブサイクのもとへとわたしを追い出したいわけだ。そして、ブサイクを夫にもつわたしを笑いたいわけだ……
「お気持ちはわかります。とてもわかります。あの醜さで有名な王子が相手ですもの! 頭の中もきっと顔と同じで作りが悪いのですよね? それはもうお気の毒ですわ。しかし、だからこそ、リミア様が嫁ぎ、彼の国に恩を売ることで両国の関係が良いものになると思いますの」
「いえ、彼はべつに――」
わたしの言葉をさえぎるアリス。
「いえいえ、なりません。断るなど絶対になりませんよ。皇国のことはしっかりとわたくしのお父様を始めとする選帝侯が支えて参りますので、ご安心くださいませ」
「……それは安心しました。ですが、わたしが言いたいのは――」
「わかっております。仰りたいことはよくわかります。リミア様の悔しさ、腹立たしさはよくわかって――」
「聞きなさい」
わたしはよく喋る女を止めて、一呼吸し、口を開く。
「斑鳩王子はたしかに醜男ですが、教養のある方です。貴方の仰りようは彼に失礼です」
「……リミア様」
「はい?」
「素敵! 醜い男でも、ご自分の夫となる方をお立てになるとは淑女の鑑ですわ!」
わたしは苦笑を笑みに変えて誤魔化し、皆に会釈をしてその場を離れた。
アリスめ……。
斑鳩は頭いいのよ。将棋でわたしに勝ったもの!
それを馬鹿扱いして……。
城の中を急ぎ歩くわたしは、近衛兵に驚かれる。それを無視して自室に入り、窓を全て閉じて、「馬鹿!」と叫ぶと枕を殴った。
ドアを叩く音。
「姫」
イダニオ。
彼が入り、わたしを見る。
「どうしました?」
「……いえ、お怒りになって室に飛び込んだところを見てしまったもので」
「……アリスに腹がたったの」
「ミレーネ選帝侯の……」
「斑鳩はブサイクで頭が悪いと……彼は、頭は悪くない。わたしに将棋で勝ったのだから……それに芸術論や戦争論はわたしと会話できるほどだった。それを馬鹿扱いしたのよ」
「……ぷ」
「何で笑うの?」
「失礼しました」
「もういい……一人にしてください」
「かしこまりました」
室で一人となり、わたしは寝台に寝転がる。お行儀が悪いと言われることも、今は一人だ。
楽しくない。
戦争に行きたい……。
わたしはここで、彼と将棋をしている光景を脳裏に描く。
将棋、楽しい。
また、斑鳩と将棋がしたい。
―斑鳩王子―
無事に、収穫祭を執り行うことができた。この祭事は我が国で最上位に位置する三つの祭のひとつで、新年祭、即位祭、そして収穫祭だ。即位祭は新しい大君が即位する時に行われるので、年間の予定には入らない。
それにしても、この収穫祭を俺がしなければならないほど、兄上達の仲違いは問題なのだ。というのも、収穫祭を執り行うのは、次の大君に就くだろうと言われている王子なのだが、これを兄上達のどちらかに任せると、両派が争いはじめてしまうわけである。
数年前から、俺が取り行っている。
父上が、「お前しかおらんから」と言い、たしかにそうだと引き受けた。
疲れた。
まだ昼前なのに眠い。
少し横になろう。
自室で、床の用意を自分で行った俺は、ゴロリと寝転がる直前、気付いた。
リミアにもらった耳飾りが壊れないよう、外して、寝床の脇に置かれた箱にしまう。
次に会った時、壊したと言ったら殺される……。
いや、次はないのか。
それにしても、いつ、縁談の断りがされるんだろうか。
襖がすらりと開き、爺がいた。
「どうした?」
「夢梨姫がお見えです」
「……眠ろうと思っていたのに。客間に」
「はい」
俺は伸びをして、耳飾りをつけて、客間に向かう。こういうおしゃれに憧れていたが、ブサイクのくせにと過去に言われてからはしなくなった。それでも、やっぱりしたかった。だから、リミア姫にもらったということで、言い訳がたつからできる今はちょっと嬉しい。
ブサイクだって、オシャレをしたいし、人を好きになるんだよ。
それを、子供の頃からブサイクのくせに、ブサイクのくせに、チビのくせに、チビのくせにと言われて、大きくなって嫁を探せと言われて探せば、ブサイクのくせにとまた言われ……慣れたと言いたいほどに言われたが慣れない!
訪ねてきた夢梨姫も、過去、俺にブサイク、チビと言った女だ。できれば会いたくないから避けてきたのに、どうして訪ねてきた?
俺はフラれた相手と会いたくないんだよ!
忘れない。
嫁探しの一年間、断られまくった俺は、子供の頃から一緒に遊び、仲がよかった夢梨ならと思い、結婚を申し込んだ。しかし、ブサイクでチビは嫌だと断られたのだ……。
俺は、幼馴染までそう言うかと悲しくなり、断られまくっていた時は流れなかった涙も、その晩は流した。
悲しい……過去が蘇る。
なんで会いにきたんだよ!
大和の男は、一六になったら一七までに自分の嫁を探す決まりがある。ここで相手と約束し、双方の家族が認めれば、年上のほうが二〇になった時に夫婦になる。
誰が決めたんだよ!
俺みたいな男には不利じゃねーかよ!
脳内で決まり事を作った誰かに文句を言った俺は、客間に佇む女性の後姿を見た。
「待たせて申し訳ない」
俺が詫び、上座へと座る。
夢梨姫はひれ伏していた顔をあげた。
今は王族と貴族の娘。
子供の頃は一緒に遊んだんだが……結婚を断られるまでは、会う度に会話をしてたんだが……くぅ。
「お久しぶりです、斑鳩様」
「突然の用向きとは?」
「……用がなければ訪ねてきてはいけませんか?」
何だ?
「わたくしのところに、斑鳩様がギュレンシュタインから妻を娶るという話がきまして、それは本当であろうかと思い、確かめに参りました」
「ああ……大和の男でありながら嫁がいないまま二〇になった俺は、隣国の皇帝陛下にとっても気の毒であったのだろうな」
「本当なのですか」
姫は驚いたようだ。
俺は、断られるだろうとつけくわえる。
「しかしながら、隣国の姫君にとっては迷惑な話ゆえ、断られるだろう。ご本人も、そのおつもりであると口にされた」
「……さようでございましたか」
なんだ?
なにがおかしい?
笑うな……もう、俺を虐めないでくれ……。
「もういいか? 大事を朝から務めて疲れている」
逃げようとした俺は、ずいっと前のめりになった夢梨に驚く。
「な……何だ?」
「まだ話は終わって……斑鳩様、その耳飾りは?」
「これは、隣国の姫君にもらったのだ。お土産にくれた」
「……」
おい……ブサイクだってオシャレしたいんだ!
いいだろ? いいじゃないか……。
「斑鳩様」
「はい……」
「その隣国の姫というのは、かのリミア皇女で間違いございませんか?」
なんだ、知ってんのか。
いろいろ調べて、ここに来たのね? 何が狙いだ? いや、どうやって俺を笑い者にしようと企んでいる?
だいたい、お前に断られたことで、俺は「幼馴染にも断られた気の毒な男」と散々に笑いものになった。しかも、お前は周囲から「本当に断ったのか? 間違いなら早く正せ」と言われて「間違いなく断った。同情でもお断り」と言ってさらに俺を笑いものにした女だ。
何を企んでやがる?
夢梨が言う。
「聞けば、リミアという女は、皇帝の娘でありながら剣や魔法で戦うことを好み、戦場では兵達と同じく地べたで寝て……そのような者が斑鳩様にふさわしいわけがございませんでしょう?」
「……いろいろと誤解はあるようだが――」
「そもそも、野蛮な兵と一緒の場所で寝るなど……乙女を奪われているに違いない女をあてがわれるなんて」
「失礼だぞ」
「斑鳩様、きっと皇帝は、貴方にその女を嫁がせて、この国を乗っ取るつもりなのですわ」
「それは困るが……断られるから大丈夫」
「耳飾りを、断る相手に送りますか?」
どういう意味?
「仮に、わたくしが相手の方に、例えば失礼がないよう土産を持たせるならば、食べてなくなるものに致します」
「はぁ……」
「耳飾りを用意するなど、それは選ぶところから、相手の方に似合うかなどと気配りをして――」
「いや、つけておられた耳飾りを外して、俺にくれたのだ」
夢梨が固まる。
そして、次はズイっと俺ににじり寄って来た。
恐い……。
「ちょっと、離れてもらえるか?」
「斑鳩様! 自分の耳飾りを相手に渡すなど、それはもう貴方に恋をしていますと伝えてきているようなもの! なりません! 外してください!」
夢梨が俺の耳に手を伸ばす。
抵抗した。
「やめろ。耳を千切る気か!」
「なりません。すぐに外してください」
「いいだろ! 俺だってオシャレしたいんだ」
「なりません!」
「やめろ」
「斑鳩様は次の大君になられる方! 今朝の収穫祭を執り行うお姿をみて、皆が斑鳩様ならばと感心するほどの御方です! すぐに外してください」
お前、乱暴なことをしつつ、すごいことをぶっこんできたな!
「待て。皆が俺を? どういうことだ?」
「外してくれればお話し致します」
俺は耳飾りを外して、「さ、話せ」と促す。
夢梨の話はこうだ。
ここ数年、収穫祭を執り行う俺を見ていた豪族や貴族の中で、どちらの兄にもついていない者達が、「争いあう愚かな者達よりずっとご立派だ」「大君も、だから斑鳩様に任せておられるのだろう」「先日の、ギュレンシュタインとの争いも戦になることなく収められた手腕は立派だ」「次の大君に斑鳩様が就いてくだされば、この国はもっとよくなるのに」「皆で嘆願せぬか?」「そうしよう」「そうしよう」ということがあったと。
「やめてくれ……」
「斑鳩様、皆の期待を一身に背負うご不安、よくわかります。わたくしは幼い頃から一緒に育ち、貴方様のご立派なところをいつも拝見しておりました。大変なご苦労をされるものと思いますが、きっと貴方様なら立派に務められるはずです。わたくしも、及ばずながらお支え申し上げます」
お支えもうしあげます?
「どういう意味だ?」
「わたくしは、斑鳩様の妻になっても良いと思っています。あの時は……恥ずかしくて、照れくさくて断りましたが、でも本心ではありません。ずっとお慕い申し上げております」
目の前がくらくらする……。
「斑鳩様、さ、一緒に両親のところに参りましょう」
「ちょっと待て。俺はもう疲れていて」
「若!」
客間の外から爺の声。
神の声かと思った!
爺は、客間の外で畏まると述べる。
「神器の手入れのお時間です」
わかっている。
それはもう祭が終わってから済ませてある。
爺は、俺を助けてくれたのだ。
俺は、夢梨姫に詫びをいれて客間を出た。
自室に戻り、ついてきた爺に言う。
「助かった」
「いえ、若がお困りであろうと……しかし、あの夢梨姫にはお気をつけください」
「わかっている」
あいつ……俺が次の大君になる芽が出たから、来たんだ。
あんな性格どブス、断ってくれて良かった!
……それに、リミア姫のことを兵達とヤりまくっているなんて、あまりにもひどい言いようだ。
待てよ……あいつ、きっと俺の妻になるとかなんとか、言いふらしかねない。
「爺、夢梨を探ってくれ。いらんことを言いふらしていたら、止めてくれ」
「承知しております」
爺は頼りになるよ。
俺は、耳飾りを箱にしまい、寝床に大の字となった。
二人で将棋をしている光景を思い出した。
楽しそうに笑うリミア姫は、たいそう美しかった。
俺のするつまらない話にも、おもしろいと言って付き合ってくれた。
もし、仮に、本当に、万が一にでも、あの人と仲良くなれたら……いや、あの人を妻にできたらと思う。
次の瞬間、剣をもって敵を斬る姫を想像した……。
返り血ドバー……。
戦場に出るんだもんなぁ……あの人。
こわ……。
そういえば、耳飾りのお礼をしていないな……。
あの時、別れ際、耳飾りをくれた時の彼女がとても綺麗で、でもどこか可愛らしく見えて、別れ惜しそうにしてくれているように思えて、だから大京に遊びに来ませんかと誘いそうになってしまい、それを慌てて隠して逃げてきたから、ちゃんとお礼をしていない。
はぁ……俺はこうやって勘違いするブサイクなんだと、思われるのが嫌で、逃げたわけか……。
相手の親切を勘違いするのは、女性にそういうことをされたことがないからだよなぁ……。
お礼、ちゃんとしておこう。
手紙、出しておくか。
―リミア姫―
斑鳩から手紙が届いた時、わたしは家族で昼食をとっていた。
父上が、侍女から手紙を受けとるわたしに言う。
「リミア、斑鳩王子はどうだ?」
「ご立派な方とお見受けします。彼の知性、謙虚さは皇国でもそうは見つけられませんでしょう」
母上が微笑む。
「あら……てっきり、ケチをつけて断ると思っていたのに、随分と認めておりますこと」
「断るつもりですよ」
「は?」
「え?」
両親が目を丸くしている。
「縁談はお断りしたいと思っております」
はっきりと言った。
ずっと、いつ言おうかと迷っていたことを口にすると、気持ちがスッと楽になる……はずなのに、ならないのはどうして?
気持ち悪い。
「姉上は、世界一の男性と結ばれるのが夢なのよね?」
妹の笑みに、わたしは笑みで返したが、ひきつっているのがわかる。
皇太子たる、兄上が威厳に満ちた表情で言う。
「リミア、お前は、縁談を断ろうとしているのに、斑鳩殿から届いた手紙は嬉しそうに受け取る……何を気にして縁談を断るのだ?」
「……嬉しそうでしたか?」
家族全員が頷く。
皆、そろって、乱れなく、頷く……。
弟が、明るい声を出す。
「あー! 姉上、好きなんだ! でも、好きだと言ったら恥ずかしいから、言わないんだ!」
「ち! ちがいます!」
誰があんなブサイクでチビ……と口にしようとしたけど、頭の中に描いた斑鳩の笑顔のせいで、できなかった。
わたしは、自分でも混乱しながら、でも確かなことを口にしようと決めた。
「しょ……将棋が上手なのよ。斑鳩殿は将棋が得意なのです。わたしも皇国では、つきあってくれる相手がおらず」
「あれは女がするものではない」
父上の苦言……。
「だから、斑鳩殿としかできないから……」
「いい、いい。言い訳はいいのよ」
姉上が笑い、わたしの髪を撫でる。
「いいわけじゃありません、姉上」
「はいはい、じゃ、好きな将棋をする為に、仕方なく斑鳩殿と会えばいいじゃない。縁談を断ったら、相手は会う理由がなくなるから、会えなくなるわよ?」
「……そうですよね」
「そうよぉ……仕方なく縁談の断りは引き延ばしておけばいいじゃないの」
「そうです。仕方なく引き延ばします」
「では、次はいつ、将棋をさすの?」
「ま……まだ決めていません」
「じゃ、早く手紙を書いて、決めちゃいなさいな」
「そ……そうします。お先に失礼します」
椅子から立ち、そそくさと室を出た時、後ろで家族の楽し気な笑い声があがる。
この一瞬で何があったのかと気にしつつも、手紙を早く返さねばと室に急いだ。