西島佳代は恐怖している
ざらざらした冷たいコンクリートの壁の角を掴み、ひっそりと身を隠しながら眺める。靴で砂を踏みしめる音、ブレザーの衣擦れ音さえも殺す思いで、あの少女を観察する。
裏庭への出入り口近くで、西島佳代は泣いていた。
目を腫らして、まるで何かを後悔するように、踞り泣いていた。目の前の焼却炉が燃え盛り、上に延びるパイプから黒煙が立ち込めている。
ひとつ、何かを握りしめている。
何だあれは?棒?
その棒に何かが垂れ下がっている。何だあれは?
目を凝らしても見えないため、スマートフォンのカメラズームを使用した。
「邪魔だ」
「...!!!」
小声でそう言い、タッチスクリーンを利用して、クロノを画面の端に寄せる。何かを訴えているように暴れているが、音声を出さなければ聞こえない。
あれは、ストラップ!
大人気ゲーム『スターポケット』通称スタポケのキャラクターのストラップだ。ということは、あれはスタポケのシャープペンシルで間違いなさそうだ。僕も古いシリーズなら持っていた。
だが、何故そんなものを握りしめて泣いている?
ここからでは流石に観察しきれないな。仕方がない。スマホをポケットにしまう。
僕はこの学校において、自身の名誉の立場を理解してはいるが、この異常な光景を目に、何もせずにはいられなかった。
誰の目にも留まらず、一人で涙を流す事が見過ごせなかった。
重い足を...
前に...
出す!
「あ、あのぉ、何を...」
「え、ひっ!」
「あ、あはは、へへ」
へへへじゃねぇ!滅茶苦茶どもってしまってるじゃないか!ひきつってるんだろ?鏡見るまでもないわ!
相手も「ひっ!」だよ!
背を向けて顔だけこっち見てるよ、あの子の本能がいつでも逃げられるように出方を窺ってるよ!
こんなの初対面の人間に表す態度じゃないよ!
内心突っ込みを入れながら、自身の平静を保つように努める。大丈夫、突っ込める程度には安定してる。
「そこで何してるの?
そのぉ、何か、燃やしてる?」
「あ、貴方に関係ないですよね?」
体勢は変えない。僕ってそんなに怖いか?拒絶されるって悲しいなぁ。
だが、会話は出来ている。これはいける。
「大丈夫、僕は誰にも話さない。約束する。」
両手を腰辺りまで下ろし広げる。自分が無害であることを強調するんだ。
「で、でも、」
少女の潤んだ目が、手元のペンに落ちる。
「僕は一人だ。大丈夫、誰も見ていない。何なら壁に手をつこう。」
そう言って、手を校舎のコンクリートについた。
「ふふっ、強盗じゃないんだから、ふふっ」
よし、緩んだ。
このままいけば話が聞ける。
ボト。
「ん?」
「へ?」
スマホがポケットからずり落ちた。それだけなら良い。
か、カメラ戻すの忘れてたぁーっ!!!
画面は至近距離で地面を写しているが、シャッターボタンが画面に表示されている。
「や、やっぱり!」
西島さんはすぐさま出入り口に駆ける。まずい、このままだと話が聞けない。
そして何がまずいって、このままでは事情を聞けない以上に、また僕の社会的名誉が下げられる!
それは、まずい、メンタル的に死ぬ!
何も考えられず、僕は叫んだ!
「スタァー!ポケットォー!」
「...は?」
彼女はきょとんとした。思わず足が止まるほどに。
「それ、スタポケの筆記具だろ、僕も昔のバージョンを持っていたからわかる。そうか、君はジュピタータイプが好みなのか。良いよな、特に真っ赤に照れる時が可愛いんだよな。」
ペンに指差し、僕は話を続ける。
「スタポケは、一人の少年と一匹の星形の小さなモンスターが旅をして、共に成長していく物語だ。
特に終盤の、お互いの気持ちが通じ合って、言葉を交わさなくても行動が噛み合うシーンは、確かに魅力的だよなぁ、心が繋がっていると思えるよ。」
しかし、
「だが、そんなものは幻想だ。
僕たちは人間だ。人間は言葉で意思疏通ができる。思いが通じるなんて嘘っぱちだ。
だから話してくれ、頼む。言葉にしないと、自分が苦しいことは伝わらない。
君の悲鳴を形にしてくれ。
でないと、誰も救われない。」
頭を下げた。
何に必死になってるのか分からなくなるな。僕は一体何のために、彼女の奇行の真意を突き止めようとしているんだ。僅かに広角が自嘲気に上がる。
女の子の涙のためか?
僕はそんなに主人公だったか?
いや違う。
僕は嫌だ、ここで悲しむ人間を見捨てる事は、過去に自分に手を差し伸べなかった人間と同列になるから。
僕は助けを求めなかった。その他の人間すべてを信じられなかったから。
人が助かるためには、時には伸ばされた手を掴む勇気がいる。そして、その掴む力は自分が出さないといけない。
だけど、
時に人は自分自身で自分を追い詰める。一人になろうとする。孤独であろうとしてしまう。
自分を救うためには、自分の力が必要なのに。
僕はそれを知っている。
だから、
「君が助かるために、その手助けをさせてほしい。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
熱意というものを信じていた訳ではなかった。強いて言えば完全なる自己満足からの行動だったのだが、僕の思いはどうやら西島佳代に通じたらしいことはわかった。
「今朝、こういったメールが届いたんです。」
恐る恐るメールを見せてくれた。
見せられたスマホ画面を覗く。
「
西島佳代
雪村楓の筆記用具を
10/19の朝、廃棄せよ。
達成されなかった場合、裏の裁きが下るだろう。
裏サイト管理人
」
「うらさいとかんりにん?
誰それ?」
うーんと、西島に向かって首を傾げる。だが西島はえっ!?ときょとんとした。
「知らないんですか?この学校の噂」
「噂...」
天を仰ぎ、思い出す。
はて、そんなの...
あったわ。そういえば。
時を越えてからの数週間、聞き込み調査(陰口調査)を行ってた時、そんなのを小耳に挟んだ記憶が微かにある。
ターゲットの下駄箱に指令の手紙を入れ、誰かを貶めさせるあれだ。
その時は気に留めていなかった。何分手がかりが無さすぎて、何が手がかりなのか分からなかったからなぁ。「生徒会長には裏の顔が...」とか、
「人の心を見透かす占い師が...」とか、
そんなまことしやかな噂が行き交っているんだ。砂漠に落ちる一粒の砂金を引き当てるのと同じだな。無理ゲーだよな。
学校裏サイトとは、学校非公認のサイトである。内容は主に胸くそ悪いものばかりなので、聞かない方が良いだろう。
でも調べたい!といった、「押すなよ!」なボタンを押したくなる、「怖いもの見たさ」という人間の本能を駆り立てる存在である。
そんな裏サイトがこの学校に存在していたとは。あったのは微かに記憶にあったが、そんなの見たくないじゃん?「検索してはいけないワード」並みに調べたくないじゃん?
「はぁ、なるほど。このメールに従ったわけだ。確かに、これは下手に話せないわな。」
自分は手を下さず、他者を利用して目的を果たす、か。なかなかの悪じゃあないの。やり口が汚いのを度外視すれば、この手腕はそこそこ悪くない。
それに、
顎をに手をあて考える。
この管理人は、僕の考察していた「影響力のある人間」に該当するかもしれない。時空を歪ませた改竄者かもしれないのだ。正体を突き止める価値はある。
つまり、彼女の問題を解決することは、僕の目的とも合致する。好都合だ。
ま、もしかしたら違うかもだけれど、その時はその時だ。まずは行動しないと、何事も進展しないだろう。
考え事をしていると...しまった。西島さんをほったらかしにしてしまった。会話経験の乏しさがここで出たか。ポケーっと固まっている。コミュニケーションをとらねば。
「え、あー、おっほん。」
とりあえず話す内容を考えるために、適当な感嘆を入れたのだが、うわー、わざとらしい。心のなかで自嘲しつつ、僕は目を見て不敵に笑う。
「ちょっと考えがある。」