旅立ち III
魔女の店を後にしてから、ミスティエルは服装を整えると、冒険者ギルドへと向かった。下町の門の近く、やや古びた大きな建物を見つける。看板には剣と盾をかたどった紋章がある。ミスティエルは扉を開けて、中へと入った。
途端に、周りすべてから突き刺さるように視線が向けられた。もちろんミスティエルのことは皆知っているからだ。あからさまに敵意を向けられていた。
近くに立っていた大男の一人が、ミスティエルの進む方向の前に立った。それを無言で避けようとして、胸ぐらをつかまれる。
「ここに何の用だァ、お姫様よォ。ここはお前みたいな奴の来る場所じゃねェよなァ」
腕で体を持ち上げられて、地面から足が離れるのを感じる。ミスティエルは焦らない。
『ダィ=サルズ』
そう詠唱するやいなや、大男の腕は硬直して、ミスティエルはつかまれた状態から解放される。男は苛立たしそうに腕をさすっている。
「用が無ければ来ませんよ。ええと、私も冒険者になろうかと思いまして」
「貴様みたいなひ弱な女が冒険者ァ? 冒険者舐めてんじゃねェぞ!!」
「少なくとも、私はあなたよりは強いと思いますけど」
ミスティエルは本気だ。思い出された知識と魔術の腕からして、とてもこの男に負けるとは思わなかった。
だが周りでこの言い合いを見ていた冒険者たちは、ミスティエルの発言に笑った。世間知らずの貴族生まれの娘が、また馬鹿なことをほざいているのだと思った。ただ目の前の大男だけは、本気で怒りを覚えたようだった。
いよいよ一触即発の雰囲気だ。さすがに見過ごせないのか、カウンターのほうから受付嬢の一人が仲裁に入った。
「まあまあ、いいじゃないですかー。冒険者ギルドには、ペトス・オルトの伝統がありますからねー。たとえ誰であろうと、来ることを拒んだりはしませんよー」
柔らかく響く優しげな声だ。言葉だけ聞けばミスティエルを受け入けるものだったが、実際には違うだろうなとミスティエルはすぐに感じ取った。
さすがはギルドの荒くれものを扱う受付嬢だけあって、顔に感情を出すことはほとんどしていない。していないが、ミスティエルの思い出した知識にある対人能力は、まるで交渉人か外交官のようにチューニングされていて、人の感情を読み取ることは容易だった。
そうして読み取れた感情は、劣ったものへの侮蔑と、新しい玩具を前にした愉悦だ。この女は相当性格が悪そうだと、ミスティエルは警戒する。
「もう大丈夫ですよ、ミスティエルさま。冒険者の登録を済ませましょうかー。ふふ、自分の名前は書けますか?」
心底見下した感情を見事に隠しこんで、受付嬢は登録申請書をミスティエルに差し出す。もっともミスティエルは隠された感情に気付いたが、せっかくつつがなく冒険者になれるのに、わざわざそれを遮る必要もない。申請書にさっさとサインをする。
「これでいいですか」
「ええ、上手にできましたねー。それで、さっそく仕事をしてみませんか? ああ、仕事の意味はわかりますかー?」
「おおよその流れは分かっているつもりです。依頼の主目的を達成すれば設定された報奨金がもらえる。そうして依頼の斡旋は、主にギルドの事務員が請け負っているんでしょう、例えばあなたのような方ですよね。ただ、詳しいことは知りませんので、教えていただけるとありがたいのですが」
ミスティエルの捲し立てるような嫌らしい言葉に、受付嬢は思わず舌打ちをしかけて、すんでのところで止めた。
「そうですねー。えーと、まずこれがギルドカードです。ここに名前が書いてあってー、隣にある数字が貢献度です。わかりますかねー? 貢献度は依頼を達成すると増えていってー、貢献度が百ポイントごとに百ゴクスの現金と交換できるんですよー。それにー、ポイントを使ってランクの昇格もできてー、そうするとより高いランクの依頼も受けられるようになりますー」
ここまで言うと、いいですかーと受付嬢は確認した。ミスティエルは続きを促す。
「でー、こっちが依頼書です。依頼書には達成すべき目標と守るべき期限、それに報酬となる貢献度ポイントが書かれているんですねー」
「ああ、はい」
「依頼書は私のようなギルド職員がですねー、取り次ぐことになりますー。ふふ、これでも私、重要な役目を任されてるんですよねー」
そういうと目を細める。明らかにマウンティングをされていた。スルーする。
「それで、今ちょうどこんな依頼があるんですよー! 初めての冒険者にちょうどいい、薬草採取の依頼なんですよねー。具体的な依頼内容は、こんな感じなんですー」
そう言って、依頼書の一枚をして微笑む。歪んだ快楽を仮面で覆いつくしたような、実にいい笑顔だった。裏があるだろう、ミスティエルは書面を眺めて怪しい点を探すことを決めた。
「フレン高地中腹にあるキュアハーブの採取ですか。難易度の等級はアイアン級、契約期間は無期限、預り金はなし、要求数は小カゴ一杯分で、達成報酬は千二百ポイント…!? 千二百ポイントって、千二百ゴクスとの交換ですよね。この達成報酬、おかしくないですか」
「あのねー、ミスティエルさま。普通の人間はみんな、こうやって必死に働いて、生活にやっとな金額を稼いでいるんですよー? 冒険者になりたいんですよねー? 甘えた考えをされても困るんですけど」
どうやらミスティエルが報酬の少なさに文句をつけたと勘違いして、受付嬢はいらだちを隠しきれていない。
今までの優しい態度がぶれているのに気づくが、まあ所詮冒険者ギルドの仲介人などこの程度だろうと、無視することにした。
それに、ミスティエルが引っ掛かりを覚えたのは――逆なのだ。この仕事量に対して、あまりに報酬が多すぎる。
危険のない薬草採取を半日もかからずやって、それで一週間分に近い生活費を稼げるなら、だれも大型のモンスターを討伐する危険など冒さないだろう。
脳内にある五年前のキュアハーブの相場を参照しても、この金額で買い取って元が取れるものとは思えない。
今の相場は知らないが、キュアハーブは割とありふれた種類の植物で、簡単にここまで高騰するとは思えなかった。
どう考えても、怪しすぎる。
「でー、やるんですかー? やらないんですかー? 正直これより簡単な仕事なんてないですしー、やらないなら冒険者はやめたほうがいいと思うんですけどー?」
ついに急かし始めた受付嬢に対して、ミスティエルは確信した。やはり怪しい。明らかに危ない橋だ。だがここでゴネても、おそらく別の依頼には代えられないだろうという確信があった。相手はその気になれば、冒険者登録を拒否だってできる。
「わかりました。それ、やります」
ミスティエルは答えた。仕方がない。危険に気をつけてさえいれば、最悪の事態は回避できるかもしれない。
その答えを聞いた受付嬢が笑みを深める。先ほどまでミスティエルが受付嬢にマトモに対応されたことで機嫌を損ねていた冒険者の大男たちも、一気に胸をすかせたように笑った。この怪しい依頼の正体を、彼らも何か知っているのだろうと思った。
それをわき目に確認しながら、ミスティエルは依頼書を分捕ってギルドを後にした。
ミスティエルはそののち、すぐに依頼地のフレン高地に向かった。本当は休みたかったが、何と言っても先立つものがない。おそらく自分の腕なら、薬草採取は普通の初心者よりは早く終わるだろう。さっさと終わらせて帰るつもりだった。
『ダィ=ハスト・ウトゥ=キュアハーブ』
なにしろ魔法の知識があり、腕もあった。普通なら薬草の採取ごときに探索魔法は使わないし、それは使われる魔石の魔力と割に合わないからだ。だけどほとんど魔力を消費せずに発動できるミスティエルなら、魔法は選択肢になりうる。
魔法の結果、キュアハーブが群生する土地をさっさと見つけだしたミスティエルは、黙って採取を始める。
もっとも選別と採取そのものは魔法では自動化できない。それなりの時間をかけてミスティエルが必要な薬草を摘みおえると、すでに昼過ぎではあった。町を出る前に買ってきたパンにかじりついて、少し休憩をとっていると、周囲から地響きがして、近くにいた鳥たちが逃げ出した。何かが来る。
ここは町じゃなくて、危険の多い山の中なのだと、当たり前のことを改めて認識する。
そうして身構えたミスティエル。
――その前に現れたのは、巨大な熊の姿をした、恐ろしい魔獣だった。
圧倒的な殺気を纏った怪物だ。煌々と輝く目に、口を開ければ鈍い歯がのぞいている。人間を捕食対象として、圧倒的な弱者としてしか見ていないのがわかる。それも当たり前だ。
その名はブラッドグリズリー。冒険者にその名を知らぬもののいない、森の恐怖の具現とでもいうべき存在である。




