駆け出し V
翌日、小屋の周りをミスティエルたちは探し回り、昨日追っ払った狼の群れを追撃しようとしていた。
先日の戦闘で狼の群れの戦力をだいぶ削っていた。だから、こっちから打って出るのにはちょうどよかったのだ。
「ねえベルス、本当に動いて大丈夫なの? 痛みとかない?」
「大丈夫大丈夫。一晩寝てほら、完全に復活したからな。フリアのおかげだ」
身体を動かしつつ、ベルスは笑いながらそう言う。
「そう、……もし無理してるなら、また吹っ飛ばすからね」
「それは笑えないぞ」
フリアとベルスの間には、ギクシャクとしたところはないようだ。こっちの関係は安心だ。
ただ問題なのは、今回の依頼者である羊飼いとの関係だ。今日もこの一帯の地理の案内で羊飼いの一人がついてきていたが、昨日からずっと、あからさまに距離がある。いまだに、魔人に対する偏見は根強いのだろう。
「まだ夏は始まったばかりだ。巣があるかもわからん。見つかってくれるといいんだがな」
羊飼いが話しかけてくる。ミスティエルを選んで話を通そうとしているのが目に見えて分かった。
「巣が見つからなくても、群れの長と子連れのメスを狩れれば大分マシになるでしょうね。とにかく探すことです。どこか当てはあるんですか?」
「まあ、無くはない。春に狼の群れを追っ払ってもらったとき、そいつらが棲みついていたところがある」
だから新しくきた狼共も、似たような場所を根城にしている可能性がある、と羊飼いは言う。
ミスティエルも可能性はあるだろうと思った。ついていくほかないだろう。
歩き回ること数時間。運が良かったのか、ミスティエルたちは探していた狼の群れに出会えた。
目の前の狼たちは、ミスティエルたち相手に正面を向いて威嚇している。
ただ襲いかかってこない。それは向こうも、昨日の戦いで力の差を理解しているからだろう。狼は賢い獣だ。
「さぁ、お礼参りといこうか」
そう言って敵意をむき出しにするのは、ベルスだった。昨日の戦いで一番傷を追っていたためか、やたらと好戦的だ。
熱くなってるなぁ……とミスティエルは少し呆れる。でもまぁ、魔物に対し容赦するつもりはミスティエルにもさらさらない。
「ちょっと下がっていてくださいね。あまり前に出ると、危険ですよ」
そう羊飼いに告げる。まあ彼らとて狼には慣れているし、まったくの非戦闘員というわけでもないが、用心してもらうに越したこともない。
すでにベルスは先頭に出て、戦いを始めている。フリアも魔石を取り出し、羊飼いの護衛に回ろうとしている。あとはミスティエルだけだ。
少し考える。昨日の戦いでめぼしい戦士の狼を倒したからか、今相手している奴らの体格はそこまで大きくない。そしてその振る舞いからも、戦い慣れてなさそうなのがわかる。だとすれば、強いやつから順番に狩っていくのが効率的だろうと考えた。
『ダィ=ボスプ・マスト』
詠唱も手慣れたものだった。ミスティエルは先手を取って、魔力を使ってぶんなぐってやる。
その一発で、狼は完全に怯んだ。やはり戦いには慣れていないようだ。引き寄せた流れを逃さないためには、素早く強烈な一撃を食らわせてやればいい。
『ダィ=ザルク』
続けて唱えたのは雷の魔法。わずかな時間で用意できる、一文節の荒削りの魔法だ。それに魔力を多めにかけて、前へぶっぱなす。
――命中だ。当たったナイトウルフは魔物特有の黒い血を流して地に伏した。低いうめき声をあげる。
急所に狙いを定めたつもりはなかったが、一撃で動きを止められたのは幸いだった。あとはナイフで、とどめを刺しておく。
ベルスのほうを見ると、そっちも狼を一匹仕留めているようだった。難もなく、といった感じだった。
ミスティエルからすると、その仕事をこなす姿には好感が持てた。彼の剣術についても、評価をまた上方に修正する必要があるかもしれない。
さて、残る狼はあと四匹か。ここからは不意打ちではなくなる。どう立ち回るか、慎重になる必要がある。
「気を付けてくれよ。どうやら狼たちは引く気配がない。この先に何か守りたいものがあるんだろう。となると、こいつらの親玉が出てくるかもわからねえ」
フリアに守られている羊飼いが、大きめの声でパーティ全体に注意を促す。
「ああ、そうだな!」
羊飼いのほうを振り返ってベルスがそう言った。その動きにあわせ、彼の持つ剣はきれいな円弧を描くように半周回った。そうしてそのまま、終着のところにいる狼へときれいに剣が入る。
これは効果的な一撃だ。しばらく戦えばそのままベルスの勝ちに終わるだろう。
ずっと彼のほうを眺めている暇があるわけでもない。ミスティエルはそう思いなおして、自分の仕事へと移る。
オオカミを麻痺の魔法でダウンさせてやって、戦いを優位に進めてやろうと考えた。そのためにまず魔力を場に行き渡らせる必要があり、特に戦闘中にやるにはだいぶ気に集中する必要がある。……だから、ミスティエルは少なくとも直前まで気づかなかった。
低く大きなうなり声が聞こえ、次の瞬間にはこちらへ突っ込んでくる強い殺気を感じる。それでようやく、ミスティエルもベルスも振り返った。振り返った方向には、フリアとそれから無防備になった羊飼いがいる。
そして何より、――狼どもの群れの長がいた。それはシルバー級の冒険者殺し。ナイトウルフ・アルファと呼ばれる個体だ。それが目先にいた。人間が一目見てかなわないと思うほどの、歴戦の戦士の雰囲気をまとい、数秒の後にまさにフリアたちを食い殺そうとしながら。
羊飼いは、恐怖から笑いを抑えきれず、口をガタガタと開けながら声を漏らす。
「はは、畜生、出やがった。アルファだ。捕食者だ。おれ、俺はまだ、死にたくねえ――」
『ダィ=ニエル!』
それにかぶせる様に、フリアの声が聞こえた。続いて、魔力が爆発するような、ドカンという衝撃が伝わる。この前と似ているそれに、ベルスも羊飼いも身構えた。……ミスティエルだけは、身構える様子もなく見守っている。
そうして発動した魔術は、しかし暴走した様子はなかった。水の形をした魔力は一直線に束になって、そのままナイトウルフ・アルファの体を貫いた。いやそれは正確ではなく、――消し飛ばしたといったほうが正しい表現になる。
たった一撃だ。一撃で、身体の三分の一を無造作に削られた狼の長は、命までも削り取られた。
「助かった、のか……?」
「ええ」
思わずつぶやいた羊飼いの言葉に、フリアは一言そう返した。それでようやく実感がわいてきたらしい。
「……その、助かった。あんたのおかげで生き延びられたよ」
今までの態度の手前、バツが悪そうにそういう羊飼い。それに対し、フリアは吹っ切れたように笑って言い切った。
「これが私の仕事だからね。気にしないで」
ああでも拝んでくれる分には自由だからね、なんなら金をくれてもいいよと、そう冗談めかして言うフリアに、羊飼いもどうやらほだされたみたいだった。
さっきまでの距離感は、多少は解消されたようだった。
それで残った狼どもはといえば、自分たちのボスが一撃で惨殺されたのを見て、いよいよ勝ち目をなくして逃げ出したみたいだ。これでこの戦いは勝ったといっていいだろう。あとは残党どもを追い立てるのみだ。
ミスティエルたちはそのあと数時間かけ、逃げ出した狼どもを追い、芋づる式に見つけた子育て中のメスと狼の子供たちを駆除しきっていた。これで仕事は完了だ。さすがにここまですれば、しばらくは狼が襲ってくることもないだろうと羊飼いたちは言う。
早朝から行動を始めていたために、まだ時刻は昼下がりといったところだった。これなら今日中にリーフティオスの町に帰ってもいいかもしれない。山小屋に一度帰ったのち、腹を満たし荷物を整えたら発つことにする。
小屋でフリアが羊飼いを助けたことが広まったのだろう、羊飼いの人たちは昨日に比べてだいぶ友好的な雰囲気に変わっていて、小屋から発つときには厚い見送りを受けた。あとついでに報酬とは別に、羊毛を編んだハンドタオルをもらっていて、それがミスティエル的には大満足だった。平民の世界だと、基本的に雑に処理した麻を編んだような布しか手に入らないので、いかんせんガサガサで、ミスティエルからすれば慣れなくてストレスではあった。大切に使おうと誓う。
山を下りる途中、さっきのことが気になったのだろう。ベルスがフリアに尋ねる。
「ナイトウルフの群れのボスを倒したときの魔法、あれは何だったんだ? ちゃんと制御できてたし、暴発したってわけじゃないよな」
「ああ、あれね。原理的には暴走と同じで、身体の魔力を使うんだけど、うーん……説明が難しいかな。昨日の夜、見張りの時にミスティエルに使い方を教えてもらったんだ。実戦では初めてだったけど、うまくいってよかったよ」
そう言って、フリアはミスティエルに目配せする。魔術のことになると饒舌になるミスティエルが、解説に入った。
「ええと、普通の魔術だとまず魔石から魔力を外に引き出して、それから詠唱で声に出して魔術を起こすじゃないですか。でも暴発するときって詠唱に魔力の引き出しが間に合わなくて、それで近くの魔石だったり、魔人だったら体内に巡る魔力から無理に魔力が引き出されて暴走するんです」
そこで一回ミスティエルは話を区切る。フリアは分かったように頷いていて、ベルスは分かってないように頷いている。
「だけど、暴走してる時でも少しだけなら、無理に引き出された魔力を操作できるんです。だからわざと暴発気味に魔力を出して、それを後から制御するというか。簡単に言うと、普段とは魔術発動の順番を逆転させるってのがさっきの魔術なんですよ」
利点は圧倒的に発動速度が速いこと。それから術者の集中力を超えた規模の魔法でも、起動自体は出来るっていうのが長所なんです、とミスティエルは言う。
「なんだかわからないけど、凄いことをやってるんだな……」
残念ながらベルスは理解を放棄したみたいだった。まあ彼は魔術師じゃないし、感性的な部分は伝わらなくて当然ではある。
そんなことより、ベルスには疑問に思ったことがあったのだ。
「というか昨日の夜特訓したってことは、もしかして寝てないのか」
「私は普通に仮眠をとってたけど、そういえばミスティエルは一睡もしてなかった気がする……大丈夫?」
そういうとベルスもフリアも驚いたようにミスティエルを見る。ミスティエルは少しだるそうに言い返す。
「そういえばそうですね、でも大丈夫です。子供のころ祖父から、寝るのは軟弱者だけだ、なんていわれてた気がします。一晩徹夜したくらいでどうにかなるほど、私はヤワではなくて――」
と言ってる口とは裏腹に、ミスティエルは身体がグラっときた。
どうやら疲労を意識したらダメだったらしい。ミスティエルの意識が急に飛び始め、視界が徐々に暗くなる。
謎の記憶はともかく、そもそも数か月前までお嬢様の生活をしていたくらいだし、別にミスティエルの身体は特段強くもない。むしろ弱い。
「それはそうだけど、これだけ激しく動き回ってたら話は別だよ。危ないからほら、俺が担ぐからさ」
「えーそれは駄目。ノーを突きつけまーす。ここは私が運ぶから、ほら乗っかって! ……うわ、ミスティエル軽い!」
朦朧とする意識の中、ミスティエルはフリアの背中に自分を預けて、ただ寄り掛かった。
それはとても気持ちが良く、引きずり込まれるような心地で、何か、自分にはもう二度と手に入れられない何かが、すっぽりと手の内に入ったように、そう錯覚するようだった。
「ミスティエル、本当に、……ありがとね」
完全に意識が落ちる直前。本当に小さな声で、フリアにそう言われたのを、ミスティエルは耳にしたような気がした。