駆け出し III
ミスティエルたちは狼を殺し切ったのを確認すると、倒れこんで意識のないベルスを抱えて、拠点の山小屋まで連れて戻っていく。
そうしてベルスを備え付けのベッドに降ろして、ようやく落ち着いてミスティエルとフリアは、ベッドの近くの椅子に座り込んだ。
来ていた羊飼いの人たちは気を遣ったのか、席を外したようだった。
眠ったままのベルスをのぞけば、ミスティエルとフリアの二人だけがいた。
重い空気の中、フリアが口を開く。
「その、魔人だってこと、黙ってて……、ごめんなさい」
消え入りそうな声でそういって、うつむいた。
「別に気にしません。誰にだって、言いたくないことはあると思いますから」
ミスティエルは、居心地悪そうにそう返す。実際、別に気にしてはいなかった。
魔人とは、身体に魔石を持ち、魔力を体内で循環させている人間のことだ。つまり魔物の一種で、人間が魔物化したもの。
単なる動物である狼に対して、その魔物の形態としてナイトウルフなどがいるように、人間のうちで魔力に適応して進化したのが、魔人と呼ばれる存在だった。
今の学問的な解釈はそうだと、記憶からするとそうらしい。
体内に魔石があって、体内から魔力を引き出せることが、普通の人類との主な違い。それ以外は、その生態も知性も、容姿ですら人間と変わるところはない。
だけどそう割り切って考えられ始めたのは、つい最近のことだ。
一昔前までは、魔人といえば悪魔の眷属で、人間の形をして村に紛れ込み、不和を撒く存在だと考えられていた。当然迫害され、排斥され、事件が起これば罪を被されて、殺されるほどに地位は低かった。
そうして今の時代になっても、文明から離れた辺境だったり、あるいは社会的な底辺層では、その偏見は拭い去ることが出来ていない。
「私にそれを言わなかったのは、賢い選択だと思います。世の中には、言わなくてもいいことはあります。ただベルスには、もしかして言ってないなら、言った方がいいと思いますけど」
「その、ベルスはずっと前から、私のことは知ってるわ」
「それなら、問題はないんじゃないですか」
フリアは、ミスティエルの態度が変わらなかったことに、安堵しているようだった。
魔人が普通の人間と違うとは、ミスティエルは思わなかった。
同じだ。同じように考えて言葉を使い、社会で生きるのならば、本質的には何も違いはない。魔法のことを除けば、そこに差を見出すことに意味があるとも思えないし、ミスティエルはそんな違いなど些細ごとに思えた。どっちも変わらない。
それは簡単な理屈だ。人間も魔人も、自分ではない他者など全て、――どうせ最後には裏切るのだ。
たかが人種の違いで、誰かを他の誰かより信じられると思えるほど、ミスティエルはこの世界に対して期待もしていなかった。
記憶と経験のどちらに由来するのかは知らないが、ミスティエルの思考は、結局は最後の一線で人を信用していなかった。その心には、深く猜疑が刻み込まれている。
そのあとも、いつものように会話が弾むこともなく。どこか重苦しい空気に包まれて、ミスティエルもフリアも黙り込んでいた。とうとう居られなくって、ミスティエルは水を汲むと言って部屋の外に出て行った。
小屋を出て、すぐそばの井戸のところまで行くと、近くで草をはんでいる羊たちを見守っている羊飼いたちが、たむろしていた。
「お嬢ちゃん、話は終わったのかい?」
「ええ、まあ」
桶を縄に括り付けて降ろしたりして、井戸の水を汲みだしていると、近くにいた羊飼いがそんなミスティエルに話しかけてくる。
「それにしてもあの女が魔人だったとはな。どこに潜んでるかも分からんもんだ。お嬢ちゃんも知らなかったんだろ、お気の毒さまなこった」
「まあそこらへんは、パーティで話し合って決めることですので。仕事さえできるなら、私は問題ないですし……」
「そりゃ礼儀正しいこって」
どうやら、羊飼いは陰口を言いに来たらしい。あるいは、魔人なんかを飼っているパーティに対する嫌味か。
別に何でもよかった。ミスティエルは適当に受け流す。
「あーあ、まったく。かわいい羊たちに魔が移ったらたまらんな」
さらに見下すような言い草に、ミスティエルは特に腹が立つわけでもなかった。
こういう手合いは、自らの無知から偏見と憎悪を拗らせるものなのだ。一々自分より頭の悪い人間の意見に心を揺さぶられるのも、ばからしくてかなわない。
ただ。きっと、真っ当な人間なら仲間を馬鹿にされて怒りを覚えるべきなのだと、ふと思ってしまった。
そうできない自分が、ひどく情の欠けた人間なのかもしれないと考え始めたら、ミスティエルはそれが苛立った。むしゃくしゃして、目の前の愚民に八つ当たりしたくてたまらなくなった。こうなると、ミスティエルはもう我慢がきかない。
「動物が魔物になるかどうかは流れる血で決まります。生き物が後天的に、魔物に変わることはありませんよ」
今までどおりの丁寧な口調での指摘ながら、その声色には無知な相手を見下すような、若干の嘲りを覗かせている。
唐突に牙を見せたミスティエルに、羊飼いは怒るよりも驚いたみたいだった。
「さて、どうだか。なんだよ……ああ、お嬢ちゃんがそんなに仲間思いだなんて思わなかったんだ。悪かったよ」
それで歯切れの悪い台詞をはいて去っていった。
ミスティエルは少し気の立ったのを落ち着かせてから、水を持って小屋へと戻っていく。
小屋に戻って、ベルスの寝ている部屋に入ると、ちょうどベルスが意識を戻したところだったみたいだ。
ベッドの上で上体を小さく起こして、フリアに支えられている。
「はは、迷惑をかけてすまない。俺はもう大丈夫……ゴホッ」
ミスティエルを見つけて話しかけようとしたベルスは、全然まだ大丈夫ではなさそうで、言葉もとぎれとぎれだった。身体が弱っているのだろう。
フリアが慌てて看護しようとしている。ついでベルスに注意をしている。
「じっとしてて。ごめんなさい、まだちゃんと治ったわけじゃないの」
ミスティエルはその会話を聞き流しつつ、木のコップに汲んできた井戸水の一部を移し替える。
「ああ助かる、水が欲しかったんだ」
フリアのほうに視線を向けると、特に止める様子もない。ベルスは水を受け取って、すぐ口にした。
「ありがと、ああ……う、ぐっ」
一呼吸置いたのち、飲んだ水が引っ掛かったのか、苦しそうにうめいた。フリアが再びベルスの身体を動かして、安静な位置に変えようとする。
そして、ベルスの口からさっき飲んだ水のほとんどが逆流して、吐き出された。
「ベルスっ」
声を上げるフリア。それに、ベルスは未だに咳き込み続けている。
見ていられないと思ったミスティエルは、そのままベルスの上体に触れて、回復魔法を軽くかけることにした。
『ダィ=ラノール・カハラル』
ミスティエルは感覚を研ぎ澄ませる。自らの手からベルスの身体へと魔力の霧が流れ込んで、喉元から肺の部分にまで染み渡るのがわかる。続いて、荒れた体内を穏やかに治す感触があった。
ベルスの体調が良くなったのが目に見えてわかる。本人も気付いたようで、ほお、と整ったため息を一つはいた。
「あぁ……これはいい。かなり楽になった。本当に助かるよ」
「それはよかったです」
ベルスは感心しているようだった。感謝されて悪い気はしないと、ミスティエルも素直に受け入れる。
ガタンと、椅子を引いて立ち上がる音がした。
音を立てたのはフリアだった。側で二人のやりとりを聞いていたのを、耐えきれなくなったようだった。
「ちょっと、その、外に出て……外の風に当たってくるから。ええと、気にしなくていいわ」
こわばった顔をして、思い詰めたようにそう言って、部屋を出ていった。
様子から言えば逃げ出したというのが適切だった。
流石に放っておけなくて、ミスティエルは追おうとして、でもベルスに止められた。
「一人にしてやってくれないか。あいつも、その方がいいと思うから」
流石にそう言われると、追いかける気も起きなくはなる。
それでも、放っておけばいい、というようなことを言ったベルスに対して、ミスティエルは何も思うところが無いわけではない。
「それなら、やめておきます。ただ、意識のない間ずっと容態を見てくれていたのがフリアだってことは、ちゃんと心に留めておいてくださいね。一番心配していたんですから」
「ああ、分かっているさ」
ベルスは一つ間をおいて、目を伏せて小さくそう返した。




