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捨てられ姫は竜狂い  作者: 兎の毛
冒険者編
1/20

目覚め I

 ウィステス王国の中でも有数の都市であるフルミヴェン。その領主の館では夜会が行われていて、今まさに盛り上がりを迎えたところである。

 そんな夜会の大広間の隅で、甲高い声を上げて、身分の低い令嬢を怒鳴りつけている姫君がいた。その名はミスティエル・レイティア・フルミヴェン。他でもない、この都市を治める一族の一人娘である。



「貴女、ノイに媚を売っていたと聞いたわ! ノイは私の婚約者なの、知っているでしょう! 許されると思っているの!?」


 ともすれば会場に響き渡るほどの声。どうして騒いでいるのかといえば、男女関係のもつれだろう。顔を真っ赤にして、ミスティエルは怒りをぶつけている。


「その……、私は……違って……」


 しかし一方の怒鳴り付けられている令嬢は、心当たりがないようで、しどろもどろになっている。


「うるさい、うるさいっ! 貴女みたいな成り上がりの娘なんて、お父様に言えば、すぐにでも潰してやれるんだからっ!」


 その様子に更に苛立ったミスティエル。大声を出してわめいている。

 その後ろで、付き従う女の一人が意地の悪い笑みをこぼした。この女、ラーミアは近くの町の貴族の娘で、つまりミスティエルの取り巻きの筆頭だった。

 そして見るからに、彼女がミスティエルをけしかけて、身分の低いこの女をいじめさせていた。周囲の誰からも、それは明白だった。


「あんまり調子に乗ってると、許さないわ!」


 しかし本人はといえば、そんな取り巻きの意図に気付くこともない。

 相変わらず激昂するミスティエルは、さらには手に持っていた飲み物を彼女に向けてぶちまけた。

 周りの人はそれを横目に見て、それでも驚くこともなかった。いつもの癇癪が始まったなと冷めた目で眺めている。

 よくある事なのだ。こんなことは初めてではなく、気性が荒く我慢の効かないミスティエルを上手くおだてて、取り巻きのラーミアの良いように動かすことは、今までに何度もあった。

 そんなために、社交界でのミスティエルの評判は、はっきり言えば最悪に近いくらいであった。



 ミスティエルは、血筋は悪くない。両親はといえば、父であるオルタスは名高い剣の英雄レイトスの息子であり、母のトスティアは王族の血を引き、その気品と慈愛から聖女と謳われた姫である。付け加えれば、ミスティエル自身が侯爵家の令嬢という立場にある。

 容姿も悪くない。父親譲りのよく形の整った顔立ちに、母親譲りの美しく澄んだ紫の瞳と、光を受けて輝く銀色の髪。もし黙って姿勢を正していたならば、その高価な服飾品を抜きにしてすらも、王国中に叶うもののいないほどの美貌である。


 だが、それがミスティエルへの称賛の全てだった。

 上流階級の中での彼女への評価はといえば、身体だけは大きい、躾のなっていない幼児、といったところだ。つまるところ、ミスティエルは十六歳という年齢と比べて、余りにも振る舞いが幼すぎた。

 上流の世界で必要となる礼儀作法を殆ど身に着けておらず、行動の端々に幼稚さを見せつけ、自分の感情を隠すという事もできない。それに言葉を交わせば口を付くのは低俗な噂話と自らへの虚飾で、その思慮の浅さと見識の狭さが露わになる。

 まったく侯爵家の娘に相応しい教育を受けてきたとは思えないほどで、実際に彼女を教えてた家庭教師は、あまりの出来の悪さに皆逃げ出したとの噂もある。

 それでも心根が清ければよかったものを、しかし夜会での趣味は身分の低い者をいびることと、婚約者に品も無くつきまとうことばかり。

 箱入りやら深窓やらの言葉では誤魔化せないくらいには、悪い意味で周囲から浮き上がった存在だった。


 そんな訳で今回の騒動を眺めていた夜会の参加者も、もういつものお姫様の癇癪だと分かっていたので、見て見ぬふりをしていて、ただ彼女の機嫌が収まるのを待っている。

 しかし今回は珍しく、それでは終わらなさそうだった。

 話題となっていたミスティエルの婚約者のノイムスが、ちょうどその場に顔を出したからだ。


「私の婚約者が迷惑をかけてしまって申し訳ない。あとで私の方から、お詫びはさせてもらいたい。どうかそれで許してはもらえないだろうか」


 状況をすぐに把握したノイムスは、出来るだけ優しげな口調でそう被害者の令嬢に語りかける。だがそれが不味かったらしい。

 ミスティエルはそれを見て、怒りを昂ぶらせた。


「っっ! 私のノイに、そんな馴れ馴れしくされてっ……何様のつもりよ!」


 そう言い切るやいなや、ミスティエルはその令嬢の顔を叩いてやろうとして、思わず手が出る。だがその手が届くことはなかった。ノイムスが手首を掴んで止めたからだ。


「いい加減にしないか、ミスティエル。君は場を弁えるべきだ」


 ミスティエルは普段、強い口調で叱られることなど絶対に無いから、一瞬たじろいだ。だけどその程度では怒りは収まらない。


「だって! この身の程知らずが私のっ! 私はノイのために……ノイだって私以外の女など嫌でしょう!?」


 ノイムスは思わず表情をこわばらせる。一見して周りにはバレないくらいには抑えたが。そのままミスティエルの瞳を覗き込むように目を合わせて、怒りを抑えるように、声色だけ柔らかに言い返した。


「なあミスティエル、君とは少し……思い違いがあるようだ。夜会が終わったら、二人きりで話し合おう。大切な話をしなければならない。」


 よく観察すれば、ノイムスの嫌悪は透けて見える。そのくらいには、彼はとても苛立っていて、感情を隠しきれてはいなかった。だが鈍感なミスティエルがそれに気付くことは無かった。

 ミスティエルは勘違いしはじめた。二人きりで話し合う大切なこと、ついに正式にプロポーズを受けて、いよいよ結婚するのだと思い込んだのだ。長年の気持ちを汲んでくれたことに、舞い上がった。


「そ、そうね……! 二人きりで、話し合いましょう、ふふっ」


 一転して上機嫌になったミスティエルは、もう怒ってはいない。

 今までいじめてた令嬢が、ノイムスに連れられて共に去っていくのを見ても、もはや気にしていなかった。夜会の終わりが楽しみになって、それ以外はもう頭にないほどである。

 そんなミスティエルを、彼女の勘違いを見抜けていないラーミアをはじめ取り巻きたちは、気味悪そうに眺めていた。



 そうして、夜会が終わる。あのあとミスティエルは、上機嫌になって外聞もなく騒ぎ回っていたので、空気にあてられてわずかにのぼせているくらいだった。

 ノイムスはそんな彼女に少しためらった後に声をかけて、それで貸し切った部屋へと連れて行く。ミスティエルは浮足立った気持ちで付いて行って、二人きりになった。


「ねえノイ。もう言ってもいいのよ。二人きりで話がしたいって、そういうことなのでしょう?」


 ミスティエルはずいと身体をノイムスに寄せて、純真な笑顔を向けてそう言った。ノイムスは思わずのけぞった。そうして頬を緩めるミスティエルを鬱陶しそうに見つめながら、厳しい声で切り出した。


「はっきり言っておくが、私は君に恋愛感情など持ってはいない。何故そう思ったのかは知らないが、勘違いされては困る」


 そう言い切ると、ノイムスは静かにミスティエルを見つめる。ミスティエルは何を言われているかわからず固まって、でもそのあとに言い返した。


「え……? あ……。いや、照れているのよね。知っているわ。今更そんな振りしたって、私は騙せないのに!」


 そうして面白い冗談を思いついたかのように笑い声を立てたミスティエルを見て、短気なノイムスは再び苛立ったが、まだ彼は必死で冷静さを取り繕って、声を出す。


「不愉快だ。君のそういうところが、不愉快だと言ってる。私は率直に言って君のような人間が嫌いだ、ここまで言えば、察しの悪い君でも――」


 突き放すように言うノイムス。それで本気で言っていると理解したミスティエルは、その言葉を最後まで聞かずに遮って、大声で叫んだ。


「――黙りなさい! 黙って……黙れっ! ノイはそんなこと絶対に言わない! 六年前、盾の丘(リデン・フルート)で愛を誓い合った時からずっと、ずっと! 私たちは恋人で、あなたは私のために尽くしてくれる、確かにそう言ったの! 私のことが嫌いなんて、絶対にウソに決まってて、そんなことは言うのなんて、いくらノイでも、絶対に、許さないっ!」


 突然の豹変だった。ノイムスはあまりのことに、気圧されて押し黙った。ミスティエルは、こんなに意志の強い人間だったのかと、彼の片隅では疑問が浮かぶ。だが同時に、彼女の妄想の根の深さを知っているので、納得もしていた。

 黙っているノイムスを見て、一度言葉を吐き出し切って落ち着いたミスティエルは、こんどは静かに語り始めた。


「ねえ、あなたも覚えているでしょう。六年前、ノイは困っている私に手を貸してくれた。こわい怪物がいることをあなただけが信じてくれて、ふたりで化け物をやっつけたじゃない。そうして盾の丘の夕焼け空の下で、愛していると言い合ったのよ?」


 ノイムスにそんな記憶はない。ノイムスだけではなく、周囲のだれもが知らないと言っている。それに盾の丘(リデン・フルート)は王族以外は入れない聖地だ。客観的に考えても、そんなところに二人で入れるわけがない。くだらない戯れ言だ。

 ただ彼女の中だけでは、真実のようになっていて、いくら言い聞かせてもまったく聞こうとしなかった。深く矛盾を指摘すれば、いつだって癇癪を起こした。

 ノイムスはミスティエルの妄想癖にうんざりしていた。もちろん彼女の意地の悪い性格も、品のない振る舞いも、あまりに欠落した知性も嫌いだった。ただそのどれよりも、この妄想癖が、心底嫌いだった。


「くだらない作り話だ。現実を見るべきだろう」


「いいえ、ノイも知っているはずよ!」


 ここまでくると、ノイムスは耐えられなかった。今度はノイムスがキレる番だった。


「いい加減にしろよ! お前の妄想癖に付き合うのは、もう限界なんだよ! 俺はお前の存在に耐えられない。婚約は家同士の取引で、お互いの利益のために我慢しなきゃいけない部分があるのは分かってる。でも本当にもう無理なんだよ。当たり前に貴族令嬢としての努めを果たすだけのことが、どうしてできない! 政略結婚だ、多少の瑕疵だったら見逃してた。でもお前は酷すぎる!」


 そこまで言い切ったノイムスは、多少は冷静になった。彼の性格はだいぶ短気だけど、少なくともミスティエルよりはマシだ。

 ミスティエルは彼の怒気におののいていて、その一方でノイムスの少しだけ間をおいて、さらに言葉を続けた。


「なあ、婚約破棄をしよう。双方に生じる不利益については、全部俺がなんとかする。だからもう、俺に近づかないでくれ、俺にかまわないでくれ。頼むから」


 ノイムスは清々しい顔で言い切った。

 ようやく現状を理解したミスティエルは、一瞬息をのんだあと大声で泣きだして、あらん限りの罵倒をノイムスに投げかける。

 それを彼は無視して、まったく堂々と部屋の外に出て行った。つづけて彼の代わりに入ってきた、いつもミスティエルの世話をしているメイド――ザローテが、いまだ喚き続けるミスティエルを連れ出した。



 しばらく自分の部屋の中で物に当たり散らし、ザローテを散々に罵倒し、あるいは暴れまわったミスティエルは、ようやく落ち着くと父のオルタスのもとへと向かうことにした。

 当然、ノイムスとの婚約のことである。ミスティエルはあそこまで言われても、ノイムスのことを愛していた。それに冷静になって考えれば、彼のあの反応も照れ隠しだったのかもしれないと、ミスティエルは今になって思い始めていた。

 ザローテに詰め寄るようにして父オルタスの居場所を聞き出す。どうやら執務室にいるらしい。ミスティエルはいつも部屋に籠っていて、外出する時もメイドが付き添っているので、館の構造がわからない。仕方なくザローテを連れて、オルタスのもとへと案内させた。


 執務室につくと、父だけではなく母のトスティアもいた。これはいいことだと、ミスティエルは訴えた。


「ねえパパとママ、ノイが私との結婚が嫌だっていうの。きっと気の迷いだわ。早く結婚したいから、なんとかしてほしいの!」


 事情の説明もなく、唐突にそう言われた父と母は、しかしすぐに言いたいことを理解したようだった。というのも、彼らのもとにはすでに、ノイムスから婚約破棄のお願いがされていたからだ。そうして、彼らはもうすでに結論を出していたようだった。


「ミスティエル、あなたはノイムスと結婚しても、きっと幸せになれないと思うの。お互いに相性が悪いのよ。婚約はやめにしましょう?」


 トスティアがそう優しく告げると、ミスティエルは信じられないことを聞いたかのように固まって、また怒り出した。


「ママまで私に歯向かうというの!?」


「そうじゃないわ、でもねミスティエル、あなたの振る舞いのせいで、フルミヴェン家の評判も良くないの。今回は諦めてほしいわ、わかるでしょう? いい子だから」


 その母の言葉に、耐えきれないようにミスティエルは吠えた。


「うるさいっ! 思い通りにならないなら、何もいらない! ノイも、ママも、パパも! みんないなくなっちゃえばいいのに!」


 そこまで言ったところで、苦い顔で黙っていた父のオルタスが重々しく口を開く。


「そうか、いらないか。」


 そこで彼は一度言葉を区切って、さらにつづける。


「そうだな。俺もお前のような出来損ないはいらない。フルミヴェン家の恥だ。――お前などいなくなればいいとずっと思っていた」


「っ!」


 ミスティエルは騒ぎ立ててた口を止めた。執務室の空気も、そこにいた使用人たちも余さず凍り付いた。


「ノイムスはお前を切り捨てたようだな。正しい選択をしたと思うよ。いい機会だ、フルミヴェン家の当主たる俺もそろそろ決断すべきだと思っていたのだ」


「ちょっと待ってください、あなたまさか、それはさすがにやりすぎでっ」


「――お前は黙っていろ。これは一族の問題だ」


 オルタスは、慌てて口を出したトスティアの意にも介さず切り捨てる。


「オルタス・ロク・フルミヴェンの名において告げる。その女、かつてミスティエル・レイティア・フルミヴェンと呼ばれた者は、もはやフルミヴェン家の一員ではない。どこなりへとでも行くがいいが、わが家に再び戻ることと、わが家名を名乗ることは許さん。さあ、今すぐに出ていけ」


 そうしてミスティエルに対して、そう最後通告を言い渡した。


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