卵が先か鶏が先か
「卵か先か鶏が先か」
人生を選べる時代が来た。
とはいえ、それは出生前に両親が子供に贈る、人生で最初で最後のプレゼントである。
時は西暦三〇〇〇年、人類は自分の子供の人生を選べる時代に到達した。
それは遺伝子学に分類される科学技術だった。父親の遺伝子と母親の遺伝子、つまりは精子と卵子を選ぶところからそれは始まる。選ばれた精子と卵子を受精するタイミング、体内に戻す時期、妊娠期間の過ごし方、そして産み落とす日にち。
それらを吟味に吟味した結果、産まれてきた子供は出生前のシミュレーションに沿った人生を送れるようになったのだった。
この技術が誕生してから早百年、今では子供を産むほとんどの親が、子供の人生をシミュレーションし、どのような生涯を送らせるか、産まれる前に把握していた。
A子もまた、そんな親が選んだ人生を謳歌する人間の一人であった。
A子の両親はA子を産む際、A子にどのような人生を歩ませるか、何年も何年も考えた。
ピアニストにしようかと考えては、楽器を習わせるだけの経済力がないと断念した。
スポーツ選手の道もシミュレーションしたが、どうにも家族仲が悪くなってしまい諦めた。
女優、研究者、教師。幾度も幾度も子供の人生、つまり産まれてから死ぬまでのシミュレーションを見たのだが、どうやらA子の両親とA子自身が一番幸せになれる道は、いわゆる平凡な人生だという結果にたどり着いた。
A子はそれについて何も不満を持ったことはない。なぜならA子は幸せだったからだ。シミュレーション通りの人生は、やはりA子にとって最善の最高の人生であったのだ。
普通の幼稚園に通い、公立の小学校に行った。シミュレーション通り私立の中学を受験して、落とされる。そして公立の中学校に行き、高校は余裕をもって合格できる公立の高校に。高校まで公立であったため、大学は好きなところを選ばせてもらい、A子は私立の大学に進学した。
友達関係も良好であったし、シミュレーション通りの彼氏も出来た。
大学を出てからは事務職で働いて、やはりシミュレーション通り社会人五年目に結婚をした。
そしてA子は当然のごとく自分の子供にも出生前のシミュレーションを希望し、体外受精で子供を授かった。
子供は男一人、女一人。どちらもA子と同じく平凡な人生をプレゼントした。
幸せな家族、幸せな人生。A子は自分の人生に微塵も不満などなかった。両親から送られた人生を噛み締めて生きてきた。
だがある日、世界政府からとある発表がなされた。それは秘密裏に研究されてきた事案の実用化の法令だった。
『一度だけ人生をやり直す権限を与える』
この法令が秘密裏に研究されてきたのは、これを実用化したとき世界が混乱する危惧があったからである。だが、予想外にも世界が混沌に陥ることはなかった。それは恐らく、この権利が『一回きり』の制限つきのものであったからであろう。
この法令が出されてから、多くの人間が人生をやり直した。そのほとんどが、出生前の、つまりは両親が子供の人生のシミュレーションをする段階、体外受精の段階からのやり直しを希望したのだった。
A子は時代の流れに翻弄されまいと、初めこそその権利に見向きもしなかった。
だが、好奇心とは恐ろしいものである。
A子は子供が成人を迎えたのを機に、人生をやり直す決意をしたのだ。人生に不満があったわけではない、ただ単純に興味があったのだ。別の人生を歩むことに。
いざA子は一年の予約を待ったあと、病院を訪ねた。
「A子さんはどんな人生を歩みたいのですか?」
「はい。刺激のある人生ならどんなものでも構わないのですが」
病院の医師は問診票を見ながらA子にいくつか質問をした。だが、とある検査結果を見た医師は、顔を曇らせる。
「A子さん、残念ながらあなたにはこの権利は適用されません」
「え? なぜですか?」
「A子さんはすでにこの権限を使用されていますので」
西暦三〇〇〇年、人類は人生を選べる時代に到達した。
親が子供を選んでいるのか、子供が親を選んでいるのか。卵が先か鶏が先か。
了