第三話 魔王城へ帰還
正面に見える旧魔王城公園前駐輪場へ向かうため、メイルはチャコとなだらかな坂道を上っていた。賑やかな商店街に負けない花火の音が正面から聞こえ、足を止めて青空を見ると、子どもたちが坂道を一気に上ってメイルを追い越して行った。
「元気あっていいねえ」
柔らかな春の陽射しと海から吹いてくる潮風に背中を押され、若々しい緑色の公園と温かい空色の青空へと走る子どもたちを微笑ましく眺めていると、隣で手を頭の後ろに組みながら空を見上げていたチャコが言った。
「出会ったときから不思議にゃ。ポストポート王国のお姫様にゃのに、お金がないのにゃ」
つまらなそうにメイルはチャコに視線を送った。
「前も言ったけど、私、家出同然でこの島に留学してきたのよ」
そう言って、メイルは坂道を上り始めると、チャコは首をかしげて言った。
「知っているにゃ。でも、ペンダントを買うくらいの貯金くらいあると思っていたにゃ」
欲しかったペンダントのことを思い出してしまい、メイルは息を一つ吐いた。
「そもそも、私の国は財政難で王族といえども裕福な暮らしをしていないのよ。超少子高齢化社会で社会福祉費すら税収で賄えないのに、インフラの老朽化で公共工事費がこれから嵩むことが確実で、そんな財政状況なのに王族の生活費が国家予算として潤沢に下りるわけもなく」
「王様にゃのに? 税金を自由に使えにゃい?」
「税金の予算編成は国民直接選挙で選ばれた議員たちが決めているからね。例えば、私の家族が暮らしている王城はいま老朽化によりあちこち修繕が必要なの。その修繕費を重要文化財の保護という名目で税収から賄おうとしたんだけど、反発する議員も少なくなくてね。修繕費の三割を私の家族が負担することでやっと予算が下りたんだけど、その三割が結構な金額で。王族の資産だけでは賄いきれないから、不動産事業や金融資産を転がして収入を得つつ質素な生活を心がけながら、コツコツ修繕費を絞り出しているのよ」
「世知辛い世の中だにゃ」
「チャコだってお姫様でしょ。あまりお金に余裕はないように見えるけど」
「ずっとお小遣い制だにゃ。渡しすぎは良くないって、父さんが言ってたにゃ」
「しっかりしてるのね」
「月五百リルラ。学生の平均額だそうにゃ。もう少し欲しいって言ったら働けと言われたにゃ。
にゃので、郵便配達を週三回やっているにゃ。メイルも一緒にやるかにゃ?」
「考えておくわ」
ちょうど坂道を上りきると、公園の入り口が見えてきた。生い茂る黒い木々の間を、坂道から続く一本の道が通っている。木陰に入りそのまま進むと十字路があり、正面の先から賑やかな様子が聞こえてきた、そのまま進めば広大な芝生があり、今日はフリーマーケットが行われていた。
「行きたいにゃ」
「……、だめ。こっち」
メイルは十字路を右に曲がり、駐輪場へと向かった。
チャコは口を尖らせ、メイルの隣に渋々着いて行った。
「魔法にゃんかより、お金儲けを覚えたらどうにゃ」
「そうかもしれないけどね。でも私は魔法が好きだから」
「でもにゃ。これから先、もっとテクノロジーが発達すれば、どこで魔法が使われるのにゃ」
「そうね……」とメイルは言った。
「例えば、応急処置は今後も回復魔法が最前線になると思う。細胞レベルまでの修復をするほどの医療魔法なんてできなくても、消毒、止血、冷却といった比較的容易な魔法は誰でも覚えられる。道具なくても応急処置ができるのは大きなメリットよ。
それに、化学分野ではこれからもっと魔法が必要になるんじゃない? 新しい合成素材を作るときに儀式魔法が必要になることは間違いないし、魔素の解明が進んで様々な物質が出来るようになれば素材不足の心配もなくなるし」
チャコは低く唸り声をあげてから言った。
「何が魔法で、何がテクノロジーにゃのかもう分からにゃいにゃ」
「その線引きをしてみたいなら、分類学をオススメするわ」
「遠慮するにゃ。メイルみたいに魔法とテクノロジーの融合とか、難しすぎるにゃ」
「難しくないわよ。テクノロジーと関係ないけど、魔法が使えるようになれば、刀に炎を宿らせて必殺の一撃! とかもできるようになるわ」
「にゃにそれ! カッコイイにゃ! 使ってみたいにゃ!」
「そのためには、勉強しないとね」
微笑んだメイルに、チャコはうな垂れて言った。
「世知辛い世の中だにゃあ……」
駐輪場に着くと、メイルは自転車の荷物カゴに入れてあったヘルメットとゴーグルを取り出し、空いたカゴに肩掛けカバンを入れた。
「メイル。大金をすぐに稼ぐ方法、あったにゃ」
鍵を外していたとき、チャコがそう言ってきたのでメイルは言った。
「そういう虫の良い話はない。馬鹿なこと言わないで」
「フリーマーケットに行ったら教えてあげるにゃ」
「あなたねえ……」
メイルはじっと睨んだ。
チャコは肩をすくめて言った。
「わかったにゃ。今日は諦めて勉強するにゃ……」
「まったく……」と言いながら、メイルはジャケットのボタンを締めた。
そしてヘルメットとゴーグルを装着していたとき、チャコがヘルメットなしで自転車に跨がっているのが見えた。
「ヘルメット。きちんと被りなさい」
「にゃ。前も言ったけど必要ないにゃ。魔族の身体は高度三千メートル上空から落ちても死ぬことはないにゃ。うちなら、地上に足を着けて着地することだってできるにゃ」
軽口を叩くチャコにメイルはため息をついた。
「危ないから被りなさい」
「ヘルメット被ると猫耳がぺたんって潰れて嫌なのにゃ」
不満げなチャコに、メイルは強く言った。
「被りなさい。この前だって、カラスに猫耳突かれて痛い思いをしたんでしょ」
「うにゃ……。分かったにゃあ」
チャコはカゴから渋々とヘルメットを取り出して被ると、固定用のあご紐を締めてからメイルに言った。
「準備OKにゃ!」
「よし! それじゃあ、魔王城へ!」
スタンドを下ろし、二人は自転車をこぎ始めた。
ゆっくりと進み始めると、前輪から地を離れ空中に浮き、二人の自転車はそのまま空へと進んで行った。