ただ一つの心残り
ただ一つの心残り
藍川秀一
「こんな夢を見た」
そこは静寂が包み込み、薄暗さの際立つ景観の良い場所だった。柵の向こう側には住宅の様々な光が点々と散りばめられ、その向こう側には果てのない海が見える。風が少し、心地よいと感じた。
月明かりを頼りに足下を確かめながら、ゆっくりと踏みしめ、虫の声へと耳を傾ける。
「ねぇ、ほら、月が綺麗だよ」
先生の、声がした。
優しく手を引かれ、先生は空へと手を向ける。先生が夜空を見上げながら星をつなぎ、熱心に星座や天体の話をしている。確かに声は僕の耳へと届いていた。しかし僕には、星や月など、目に入ってはいなかった。いつも視線の先にあったのは先生の姿だけだ。
その夢は懐かしさを感じさせると共に、過去とことを思い出させた。
僕自身が先生を好きだと感じ始めた高校の頃。告白した時のことが鮮明に蘇る。
先生を見た時、ただ好きだと感じた。一目惚れだったのは確かだが、先生の容姿に惚れたわけではない。黒髪ロングといえば聞こえはいいが、手入れの行き届いていないストレレートヘアーなど鼻で笑えるほどに論外だ。背は小さく、肌のツヤはまるでないどころか、似合っていない丸メガネをかけている。前のめっている背筋は若さを感じられず、ご老体かと見間違えるほどだ。寝不足だったのか、目の下にはいつもクマが浮き出ているせいでいつも暗いという印象が拭えない。化粧というものを知らないのか悪い意味でいつもすっぴんだ。スタイルは痩せ型を通り越して、骨に近い感じだ。服の下にはちゃんと肉がついているのか疑いたくなるほど痩せている。転んだだけで骨が折れそうなほど弱々しい。この容姿のどこに惚れるというのだろう。
僕自身が先生に惹かれたのは、先生のはなつ独特な雰囲気にあったのだと思う。お世辞にも良い先生とはいえない彼女の周りにはいつも、いいよってくる生徒が多かった。先生には他人を惹きつける暖かさが、手に取るように確かに感じられた。
そのせいか、先生の担当していた現代文の平均点はものすごく高かったけ?
告白をする時はこれ以上ないくらいに緊張した。誰もいない学校、部活が終わった後、進路相談がしたいと言って待ってもらい話を聞いてもらっていた高二の夏だった。
進路の話が一段落した頃には太陽は沈み、辺りは暗くなっていた。下校時刻はとっくにすぎ、学校には整然とした静かな空気が漂っている。
先生が外の空気を吸いに行こうかと屋上へと出た時、ここしかないと思った僕は、先生は好きだと伝えた。なんと言って好意を伝えたのかは、夢中すぎて覚えていない。ただガムシャラに「あなたが好きだ!」と叫んでいただけかもしれない。
でも、先生の返した言葉は、俺の胸の奥底に、刻み込まれるかのように残っている。
「君が同年代だったら…」
そこで夢は終わり、目が覚めた。
僕は軋む体を叩き起こし、手早く外へと出る準備をした。時間をかけながゆっくり準備を進める。胸に手を当てながら、自らが呼吸をしていること心臓が動いていることを確認する。そして、重い体を動かしながら足を引きずり、家を出た。
目的地へと向かう道中様々なものが目に入った。昼どきだったせいか、星は顔を出していないが、空は澄み渡っている。
目的の場所へとたどり着いた。
「光さん。あなたは結構、長生きだったね。僕の方が先に逝っちゃうじゃないかってくらい。101歳はね、さすがに驚いたよ。でもこれで…」
僕は手に持っていた花を大好きな人の元へとおく。
「同年代だ」
光さんが、曇りのない笑顔で笑いかけてくれた気がした。
〈了〉