9話:憧れの人
さて、憧れの人……といっても、艶っぽい話であるわけでもなく。
まあ、おっさんの恋ばなに需要があるわけでもありませんし。
IWCをご存知でしょうか?
まあ、どこにでもありそうな団体略称なので、勿体つけるよりも明言したほうが無難ですね。
国際捕鯨委員会です。
今や耳にするだけで、日本人の大半は眉をひそめそうな感じですが……そうさせるために多大な貢献を果たした『海の猟犬』が有名になる以前のお話です。
おい、お題の『憧れの人』どこにいったのよ……などのツッコミは、耳に心地よいですね。
一応前提として知っておいてもらいたいのは、国際捕鯨委員会において、重要な問題(捕鯨に関する直接ごとなど)の可決には、全体の4分の3の賛成が必要ということです。
最近は多少ましになったようですが、1990年代後半から反対派と賛成派の対立路線が深まり、捕鯨反対派の国と捕鯨賛成派の国が、右手で殴り合い、左手でつかみ合い、右足でローキックの応酬、最後に残った左足でハイキックを食らわそうとしてお互いぶっ倒れ、地面を這いずりながら醜くつかみ合いをする集まり……ぐらいのイメージと思っていただいて、それほど問題はないかと。(笑)
例えば、捕鯨推進国のアイスランドの再加盟に関しては再加盟を許すと推進国の勢力が増すというので反捕鯨国はこぞって反対にまわり、アメリカ・ロシアの先住民捕鯨枠に関しては、食文化云々の捕鯨を認めるなら何故俺らが駄目だコンチキショーってな理由で、日本をはじめとした捕鯨推進国が反捕鯨の立場に立つといった風に完全な泥仕合状態でした。
本当かネタかは寡聞にて知りませんが…
『陸軍は海軍の意見に反対することを宣言する!』
『海軍は陸軍の意見に反対することを宣言する!』
…の、ノリですね。
あ、日本人からすると意外かもしれませんが、少数民族のための……などの条件付きとは言えど捕鯨賛成派の国は少なくないのです。
日本のマスコミの報道だけを表面的にとらえると、日本は孤立無援……みたいなイメージがわきますけどね。
少し話がそれましたが、まあこんな状態ですから超アグレッシブな小田原評定よろしく、会議では何も決まらないどころか、事件が会議室で起こりそうな殺伐とした(冗談抜きで、各国の代表がつかみ合いを……)素敵な話し合いが、参加国持ち回りで行われているんですね。
ようやく本題に話を持っていけますが、2002年、日本がホスト国となって山口で開かれた国際捕鯨委員会総会での出来事です。
言うまでもありませんが、初日から泥仕合です。
何も決まらず、各国への根回しすらできない状況にうんざりしていたのは総会の参加者だけではありません。
海外からやってきたマスコミの連中からすれば、子供じみたやりとりに終始する会議などとても記事にできたものではなく(いきなり荒れたのならまだしも、毎年毎年この有様なのですから)……仕事にならないというか、やってらんねえ、と唾でも吐きたいような気分だったのは想像に難くありません。
そうして無駄に時間は過ぎていき、最終日を明日に迎えてついに外国人記者の一人が、『今日の総会も何も進展しなかった。 特に話すことはない。』と言葉短に残して立ち去ろうとした日本政府代表の方に八つ当たり(私としてはそうとしか思えません)じみた質問を投げかけたのです。
『日本はIWCをダメにするつもりなのか!』
まあ確かに、ホスト国ってのは話し合いが円滑に進むように努力しなきゃいけない義務があるんでしょうけど、そういう状況じゃないのはその場にいた全員がわかっていたはずです。
そして我らが日本政府代表、立ち去ろうとしていた足をぴたりとめ、振り返りました。
勤勉な日本人の顔です。
責任感にあふれた日本人の瞳です。
ある意味学級崩壊した小学校よりもひどい総会において、ホスト国としての責任を果たそうと努力を重ねていたであろう彼は……多分、この瞬間キレました。
『IWCはもうダメになってるじゃないか、おかしな事を言うな!』
……いや、そのとおりだけども。
たぶん、あの空白じみた沈黙の中で、全員がその言葉に納得してしまったんでしょうね。
もちろん、このあと大騒ぎにはなったんだけど……ほら、ホスト国としての責任を投げ出すのか、とか。日本国政府の公式見解と判断して良いのか、とか……どこかその場をつくろうための茶番劇じみたやりとりが。
うん、真実は人をひどく傷つけるってのはこういうことなのか。
もしも……あの場に、日本一有名な(今はそうでもないか)柴又出身の某フーテンの方がいたならば、こう言って穏やかなオチをつけてくれていたに違いない。
それを言っちゃあ、おしめぇよ。
……おあとがよろしいようで。
さて、私の憧れの人は誰だったでしょう?